よっちゃんのおててつないで

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2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

糸島の広大な干拓農地を歩く(福岡県糸島市)

2020-09-05 19:25:33 | ウォーキング

9/2(水)。9月最初のウォーキングは、「糸島の広大な干拓農地を歩く」。

集合は、JR加布里駅。参加者32名。

福岡藩初代藩主黒田長政は、関ヶ原での功績を認められ、1600年筑前福岡に入国しています。黒田藩は、52万石といわれていますが、入国当初は、そんなに石数が多くありませんでした。

そこで藩主長政以来、新田開発には、特に意を用い奨励しています。糸島(当時は、怡土郡と志摩郡)の新田開発には、黒田二十四騎の一人「菅和泉正利」を郡代として派遣しています。

   

     

コースは糸島平野に入ります。可也山は、通称「糸島富士」365m。糸島市のシンボルです。

  

千早新田は、案内板(前原市による)によると、天保4年(1833)ここより北500m、東西約1kmにあった川洲が干拓工事により田園化されたという。

同案内板によれば、当時この地は天領で日田代官塩谷大四郎の訓令により天保3年に起工、 翌4年に築堤が完了した。総面積3768アール。 加布里の富豪東屋こと末松政右衛門と、岩本の油屋こと

牛原藤蔵が協力し、私財を支出して完成させたという。

地蔵堂前には完成を祝う博多聖福寺の仙厓和尚の歌碑がある。御年83歳の時の作という。

千早振(ちはやふる)神代の海を田作りて(たみ)もゆたかなに歌ひ舞里(まいさと)

ちなみに、この地の南側一帯の田園は「岩本」といい、元和3年(1617)、唐津藩主寺沢志摩守の命により干拓された集落である。その後、岩本地区とこの千早新田地区は天領となり

明治を迎えたという。

 

   

弁天橋を渡ります。  

   

渡った後、産直店で休憩。

  

加布羅橋から泉川はまぼうロードを歩きます。雷山川下流(通称泉川)の加布羅(かぶら)橋から河口に向かう一帯は、730本以上のはまぼうが群生しており、九州有数、福岡県最大の

はまぼう群落であることから平成28年(2016)3月25日県の天然記念物に指定されました。また糸島市の市の花として市民に親しまれています。

はまぼうの花は、7月初旬に開花し、下旬まで花が楽しめます。朝咲いて夕方には萎む一日花です。はまぼうの説明はこちら  

はまぼう

 

下水道処理センターの横を通り、ゴールの糸島市役所へ。今日は雷山(らいざん)が良く見えます。雷山の説明はこちらです。  

雷山

 

11:35糸島市役所へゴール。

 

今日のGPS

台風9号が近づいているので筑前前原駅では、今日21時から便に運休が出ています。

 


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