よっちゃんのおててつないで

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2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

追悼 高倉健主演「網走番外地悪への挑戦」を観賞

2014-12-28 05:11:56 | 日記

先月亡くなられた福岡県出身「高倉 健」さんの追悼映画会が12/27福岡市総合図書館で行われました。

14:00からの上映で13:00過ぎに会場に入りましたが、もう満員ということで16:00から再上映するとのこと.

                          

16:00からの整理券を受け取り、しばし図書館周辺を散策します。

近くには、福岡のランドマーク「福岡タワー」があります。ここは、234mの高さがあり、お正月には、日の出の絶景ポイントですが、予報では、あいにくの空模様。

また、Xマスやお正月には、タワーのイルミネーションが楽しめます。この日は、外国からの(中国)観光客の方がたくさん訪れていました。

時刻も15:00になりましたので、図書館に戻り、開場を待ちます。16:00からの上映ももう満席とのこと。(整理券をもらっていたからよかったです)

     

入場料金は、500円。シルバー手帳(福岡市では、65歳になるともらえます)提示すれば、半額の250円です。

映画「網走番外地 悪への挑戦」は、1967年(昭和42年)8月の公開です。主役の健さんが、35歳の時の作品です。

福岡でロケ撮影がなされており、昭和40年代の福岡の街が出てきます。愛宕神社、姪浜漁港、早良炭鉱跡、中州、若松・・・・・・。見ていると懐かしい光景です。あれから47年、福岡の街もすっかり変わってしまいました。

映画のあらすじは、

橘真一(高倉 健)は流れ者の気軽さから、誘われるまま鬼寅(嵐 寛寿郎)のいる九州に来たが、博多港に着いた時、猟銃を手に警官隊を手こずらせているイキがった少年たちを取り押さえた。

そのため、不良少年たちの憧れのまとになって橘は苦り切ったが、鬼寅が病気で倒れた友人に代って不良少年保護施設で働いていることが分ると、その仕事を手伝うことになった。

ある日かつて暴力団門馬組の手先だった武(谷 隼人)が施設を脱け出し、故郷の若松に向った。後を追った橘は、武の家で母に重労働を押しつけ昼間から酒を浴びる義父に怒りをたたきつける武を見て、

かつての自分を思い出すのだった。同じ生いたちから共感しあった橘と武は義兄弟の契りを結び、堅気になってしっかり生きていこうと約束した。鬼寅の世話で、武は人形工場に就職した。

しかし、ライバルの港組組長を亡き者にしようとする門馬組は、武にその殺しをやらせようと、誘い出したのだ。武はそれを拒み、悽惨なリンチを受けた。その頃、施設の不良少年一郎は、

門馬組の川上と計って、施設に働く春子を犯した。春子は絶望して阿蘇山に向い、火口に身を投げようとしたが駆けつけた橘に救われた。やがて始った博多祇園祭の夜、門馬組の客人衆木は、

組の汚ないヤリ口に怒って武を助けようとしたが門馬に射殺され、また一郎が港組組長を襲って逆にとり押さえられた。事のすべてを知った橘は、急いで門馬組に駆けつけ瀕死の武を発見した。

堅気となる約束を守った武は橘の腕に抱かれて死んでいった。怒った橘は、白鞘の長脇差を抜くと、山笠祭りのまっただ中で門馬を斬った。このニュースが施設に伝わると、

少年たちは橘を英雄のように賞めたたえた。心を曇らせた鬼寅は、自首した橘に醜態を演じてくれと頼んだ。橘は手錠をかけられると、「助けてくれ、つかまるのは厭だ!」と喚きながら、警察に連行されていった。

そんな彼の姿に、少年たちは失望の声をもらすのだった。...

上映時間は、90分でしたが、所々つじつまが合わない場面があり、多分カットされているのでしょう。

この映画は、高倉健さんが、16㎜フィルムとして福岡市に寄贈されたものです。

健さんの映画は、他に「日本侠客伝」「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」もあります。

この時代、70年安保をめぐり、各地の大学で紛争が起こっていました。あの東大でも学園封鎖がありました。九州でも九大が学生たちに封鎖され、機動隊が入る事件もありました。

健さんの映画は、学生たちにも人気があり、東大の学園祭で使われたキャッチコピーは、「とめてくれるなおっかさん 背中(せな)のイチョウが泣いている 男東大どこへ行く」でしたね。

あと、東映では、藤 純子(現 富司純子)さんの「緋牡丹博徒」もありました。共演者が、若山富三郎、清川虹子、シリーズごとに健さん、文太さん、鶴田浩二さんが出ていました。

藤純子さんの緋牡丹お竜が素敵でした。

今、テレビ局では、健さんの追悼番組が放映されていますが、こういった任侠映画は、テレビでは放映できません。やはり映画館でみるのが一番ですね。

懐かしい映画を見て若きころの私を思い出しました。 健さんのご冥福をお祈りいたします。

 

 

 


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
健さん…文太さん… (sabori)
2014-12-28 15:18:44
私でもわかる巨匠が今年は逝ってしまいました。
連続満席!やはり人気は衰えませんね。
関西ロケは「ブラックレイン」や「あなたへ」があるので追悼映画祭、どっかでやらないかな~と思ってます。
今日は、「四代目中村鴈治郎襲名披露」の成功祈願祭と船乗り込みを、見物しに大阪ミナミの町をウロウロしてただけで、軽く一万歩超えました!

それにしても“250円で昔の自分を振り返る…”
いいですね!
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ご冥福をお祈りします (ぼくちゃん 相棒)
2014-12-28 21:00:46
こんばんわ
健さんは、北九州市の出身の方なんですよね

私は高倉健さんの「任侠」物は見た事はありませんが、「幸福の黄色いハンカチ」「駅 STATION」などはテレビで見た事があります
でも、出演された映画をそんなに見た事が無い私でも強烈な印象のある俳優さんです
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昭和と平成を一度に体感 (まるっぱ)
2014-12-29 08:47:54
おはようございます。
亡くなられてから1か月以上が過ぎましたが、今でも人気は衰えていませんね。某健康食品のCMを見ても、まるで生きているかと思うほどです。
「網走番外地~」は地元ロケもありますので、DVDレンタルしたくなりました。

※福岡タワー・博物館・図書館があるシーサイドももち地区は、1989(平成元)年のアジア太平洋博覧会(よかトピア)後に整備され、時々自転車で行く場所です。

今年もウォーキング中に何回かお会いすることができ、大変お世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
よいお年をお迎えください。
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Unknown (kumasan)
2014-12-29 17:03:56
遠賀川沿いには知人が住んでいますので、健さんの故郷と重なり、思いは倍加します。
昔の映画は俳優さんたちの若いころの姿が見れて、とても楽しく見ています。
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saboriさん (よっくん)
2014-12-29 18:09:02
今晩は。今年もあと2日ですね。
私、学生時代映画研究会に所属していました。
特に東映の任侠物が好きで、健さんがスクリーンにでてくると拍手していました。あと藤純子(現富司純子)さんの
「緋牡丹博徒」なんかもよく見ていました。
ホントかっこよかったです。
映画館から出てきたときは、健さんになったつもりで肩をいからせていました。
もう古い話です。(笑)
健さんは、オリックス元監督「仰木監督」と先輩後輩の関係です。
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ぼくちゃん&相棒さん (よっくん)
2014-12-29 18:20:49
健さんは、東筑高校OBですね。そのあと明治大学に進学されました。
健さんのお父さんは、小石原の炭鉱の幹部だったそうです。健さんも子供のころ、小石原に遊びに来ていたそうです。(まだ、本名の小田剛一の時代ですね)
「幸せの黄色いハンカチ」は、映画館で見ましたが、最後の黄色いハンカチには、目頭が熱くなりました。
この映画は、福岡ロケです。
若松も若戸大橋が出てきました。あと「ごんぞう小屋」付近も写されていました。
古い写真を見ていると本当に懐かしいですね。
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まるっぱさん (よっくん)
2014-12-29 18:25:01
初めて福岡市総合図書館に行ってきました。
時間があったので中に入ってみてみますといろんな本がありますね。
福岡タワーは、外国の方の観光コースに入っているのですね。
JRウオーキングのパンフはゲットされましたか?
ちょっと遠方が多いですね。
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kumasan (よっくん)
2014-12-29 18:33:02
昔の映画を見ていると今、活躍されている方の若いころが見れますね。この映画も小林稔持さん、前田吟さん、川津祐介さん、砂塚さん、谷隼人さんなどが出られていました。
皆さん、若いです。(笑)
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Unknown (埼玉のI(kiyo))
2015-02-01 21:44:09
今頃のコメントですが、
11月末に平戸島ウォーキング大会に参加したおり、
「あなたへ」のロケ地に寄りました。
そのときの船もあり、船着場には追悼の祭壇がありましたので、記帳させて頂きました。
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kiyoさん (よっくん)
2015-02-03 08:52:49
こんにちは。
健さんの最後の映画は「あなたへ」でしたね。
平戸の海に奥さんの遺骨を散骨するシーンでした。
平戸には、時々行っていますが、今度行ったときは、記帳したいですね。
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