4/1(土)ふくおかウォーキング協会4月度例会は、「甘木公園の桜と草場川の桜並木ウォーク」でした。
集合場所は、甘木鉄道甘木駅。参加者は、47名。
甘木鉄道は、昭和14年(1939)陸軍太刀洗飛行場の軍需用輸送として開通し、昭和61年(1986)までは、国鉄甘木線として運用されてましたが、国鉄再建法で廃止路線として
選定されました。その後、第三セクター方式の鉄道会社として運行を開始しました。路線は、JR基山駅~甘木間13,7km。沿線には、キリンビール甘木工場があります。
甘木駅前には、「日本発祥の地 卑弥呼の里 あまぎ」という石碑が建っています。
『邪馬台国論争は、古くは江戸時代からあるが、産能大教授安本美典先生他多くの学者は、高天原は邪馬台国で、それは甘木朝倉地方であり、邪馬台国の女王卑弥呼は天照大神であると
している。この地方は、いたる所に貴重な遺跡が発見され「遺跡の宝庫」といわれている。特に福田台地とその周辺は国指定史跡小田茶臼塚古墳や、平成4年12月に発掘された
平塚川添遺跡は邪馬台国時代の多重の環濠をもつ集落として、又、その当時の「クニ」の様子がうかがえると注目され、平成5年11月19日に国指定史跡となった。
これらの遺跡からの出土品の数々は甘木歴史資料館に展示されており、古代の中国大陸や朝鮮半島との文化交流や、我が国における原始的国家形成の跡を無言のうちに象徴している。
日本古代史研究者の中で注目を集めている邪馬台国東遷説は、大和朝廷の前身が九州にあった邪馬台国であろうとするものである。
甘木地方には三笠山・平群・三輪雲堤など、大和地方と共通の地名が、よく似た盆地状の地形の中に同じ位置関係で残されていることから、ここが大和の故地であると考えるのである。
甘木朝倉地方には卑弥呼や神功皇后にかかわる伝承が数多く残されている。斉明天皇が朝倉に宮を置いたことも併せて、注目すべきことである。また、この地域を流れる安川(甘木川)は、
高天原の川といわれる「天の安川」とも考えられており、その清流は今なお往古の「ロマン」をとどめている。(説明文より)
コースは、甘木駅スタート~甘木公園~筑前町ふれあい広場~草場川の桜並木~三輪グラウンド~太刀洗駅ゴールの約11km。
9:30甘木駅をスタート。
甘木公園に着きました。甘木公園は、通称丸山公園と呼ばれ、丸山池を囲むように約4000本のソメイヨシノなどの桜が咲き乱れます。
甘木公園から朝倉郡筑前町に向かいます。
新甘木橋には、「林流抱え大筒」(秋月黒田藩に伝わる砲術)と書かれています。
明治9年(1876)10月、熊本神風連の乱に呼応して挙兵した秋月党は、豊津(豊前市)で友軍と合流し、萩(山口県)へ向かおうとしましたが、官軍に敗れ、秋月に退去します。
これが「秋月の乱」。当時秋月党砲術隊長中野五郎三郎は、隊長の今村百八郎などとともに最後まで奮戦しますが、傷つき縄田家(現嘉麻市嘉穂町)に匿われました。
そのお礼として持っていた大筒を贈り、林流砲術を伝授しました。以後林流抱え大筒は、縄田家において代々受け継がれ、その後昭和46年(1971)伝承者の縄田氏を迎えて
秋月に保存会が発足しました。
筑前町に入りました。筑前町は、平成17年(2005)夜須町と三輪町が合併してできた町です。
草場川の桜並木にやってきました。
筑前町を流れる清流・草場川のほとりに植えられた約2,2kmの桜並木です。田園風景の中、土手にはたくさんの菜の花が咲き誇り、桜と菜の花のコラボが楽しめます。
夜は、ライトアップもされるそうです。
入学式の前撮りでしょうか、ランドセルを背負った女の子がいます。
今日は、風が強く、時々桜の花びらが花吹雪になっていました。
12:15 甘木鉄道太刀洗駅にゴール。
今日もまたペイペイドームへソフトバンクの試合を見に行きます。太刀洗駅から小郡駅で西鉄天神大牟田線に乗り換え、天神で地下鉄に乗り、唐人町へ行きました。ペイペイドームには
14時過ぎに到着。試合は2回に入っていました。