よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

九州国際スリーデーマーチ2日目40kmコース(熊本県八代市)

2017-05-15 20:51:26 | オールジャパンウオーキングカップ

昨年は、熊本地震の影響で中止になりましたが、2年ぶりの大会です。今年は、「熊本地震復興祈願」というテーマで5/12~14までの3日間開催されました。

私は、2日目からの参加でしたが、1日目の初日は、雷雨の為、途中で中止と言うアクシデントがあったそうです。

そのせいか、初日に行われた地元八代出身の八代亜紀さんのミニコンサートでは、ヒット曲「雨の慕情」は歌われなかったそうです。(納得です)

マイカーで福岡を4:15に出て、会場に着いたのが6:30.前日の雨で会場内の芝生広場は、水溜りの状態。スタッフの方が水中ポンプや水かきドライヤーなどで懸命に作業されていました。

  

7:30 スタート。今日は、長崎からSさんが20kコースに参加されていましたので、40kと20kの分岐点まで一緒に歩きました。

  

コースは、南九州道とオレンジ鉄道の間を歩きます。山道では、前日の雨でしょうか、道一杯雨水が流れていて、川のようになっています。

  

3,8km地点に「平川瓦窯跡」がありました。南九州西回り自動車道建設工事に伴う発掘調査によって発見された「だるま窯」と呼ばれる瓦を焼いた窯跡の遺跡です。

ウオーキング会場近くには、昔(加藤清正時代)、麦島城があり、その城の瓦に使われたそうです。

  

最初のチェックポイントは、八代ふるさと物産村です。給水所がありましたが、ここはパスしました。

8,3km地点が40k、20kの分岐点です。ここでSさんと別れ、一人旅(家内は、今日から昔の職場の人とOB会の旅行に参加)です。

  

コースは、日奈久温泉に到着。ここが2回目のチェックポイントです。

日奈久温泉は、応永16年(1409年)浜田六郎が、父の刀傷を癒そうと神に祈り温泉を発見したと伝えられるところから孝行泉とも呼ばれています。

熊本県下で最も古い歴史を持つ温泉です。江戸初期に細川家の藩営温泉に指定され、八代城主や参勤途上の島津公も、よくここを利用しました。

昭和5年には漂白の俳人種田山頭火も日奈久温泉の織屋旅館に宿泊し、その日記の中に「温泉はよい、 ほんとうによい。ここは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、

いや一生動きたくないのだが・」と日奈久を称賛しております。(日奈久温泉HPより)

  

 

  

「官軍上陸の地」という石碑が建っています。明治10年(1877)3月西郷隆盛率いる薩軍は、熊本城の包囲や、田原坂の戦いで兵力をここに集中させていました。当時日奈久は、薩軍の糧食基地でしたが、

3月19日、日奈久南方河口から艦砲射撃などで官軍数百の兵が上陸し、八代での戦いに及んだそうです。

来年の大河ドラマ「西郷どん」ですが、この地もドラマに登場するでしょうか?

  

日奈久から海岸線に出て、国道3号線を南下します。海の向こうには、雲仙普賢岳も見えます。

薩摩街道は、筑前国(福岡県)山家宿をスタートして鹿児島までの街道です。

   

八代市二見の所に日奈久名物「日奈久ちくわセンター」があります。もう、約50年ぐらい前でしょうか、九州自動車道が開通する前までは、この国道3号線を走って鹿児島へ行っていました。

帰りもこの道を通って福岡に帰っていました。このちくわセンターでちくわを買って休憩するのが日課でした。高速道が開通し、この国道も車の通行が減り、いつの間にか、このちくわセンターも閉店するように

なりました。昔を知る者にとって懐かしいです。(現在日奈久のちくわは、高速道PAでも売られています)

 

15km地点の二見コミュニティセンターが接待場所になっています。お漬物やタケノコ、甘夏ジャムをつけたビスケットなどが振る舞われました。

    

  

再び歩き出します。遠くから保育園児の一行がやってきました。手作りの白い象さんの山車?を引いています。地元保育園児の「花祭り」だそうです。

可愛い園児たちとハイタッチをして別れました。(風車と鯉幟を付けていますので変なおじさんと思われたかな?)

  

このあたりから、緩やかですが、上り坂が続きます。

  

坂本町に入ってきました。八代市と合併するまでは、「坂本村」でした。まだ、坂本村の方が馴染んでいます。

「百済来(くだらぎ)」という珍しい地名があります。その昔、朝鮮の百済から来られた人がいるのかなと地元の方に聞きますが、そうではないとのこと。

ウィキペディアで調べてみると、

日羅(にちら、? - 583年12月)は、6世紀朝鮮半島にあった百済の王に仕えた日本人。父は火(肥後国)葦北(現在の葦北郡と八代市)国造刑部靭部阿利斯登(ゆげいべのありしと)。

父阿利斯登は宣化天皇の代に朝鮮半島に渡海した大伴金村に仕えた九州出身の武人で、日羅は百済王威徳王から二位達率(だっそつ)と極めて高い官位を与えられた倭系百済官僚であった。

敏達天皇の要請により583年日本に帰国し、阿斗桑市(あとくわのいち)の地に館を与えられた。朝鮮半島に対する政策について朝廷に奏上した。その内容が 人民を安んじ富ましめ国力を充実したうえで

船を連ねて威を示せば百済は帰服するであろうことや、百済が九州に領土拡大を謀っているので防御を固め欺かれぬようにすべきこと等の 百済に不利な内容であったため、

同年12月に百済人によって難波で暗殺された。物部贄子と大伴糠手子により小郡の西畔丘に埋葬され、後に葦北に移葬されたたとされる。

聖徳太子伝暦や今昔物語などでは、聖徳太子が師事した、百済の高僧であるとされている。

墓は父阿利斯登の縁の地である熊本県八代市坂本町百済来下馬場の百済来地蔵堂前に現存する 大分県大野川流域や宮崎県などに多くの密教系寺院を開基し、磨崖仏を建立し、

坊津にその名称の起源となった龍厳寺(後の真言宗一乗院)3坊を創建したとされている

この百済来地蔵堂から地名になったのでは、ないでしょうか?また熊本葦北郡には、白木という地名もあります。新羅のことでしょうか? 

昨年埼玉・飯能を歩いた時、「高麗神社」がありました。ここは、高句麗の王様を祀った神社です。このように古来から朝鮮半島と日本は結びついていたのですね。調べてみればもっとあるかもしれません。

   

  

百済来湧水公園が3回目のチェックポイント。ここが昼食会場になっています。私も昨日福岡で買ったパンを頂きました。

 

パンを食べ終わり、歩きだそうとすると、地元のケーブルテレビの方からインタビューを受けました。残念ながら八代区域だけの放映だそうです。

   

球磨川に架かる「葉木橋」を渡ります。球磨川は、日本三大急流の一つで昨日からの雨で水嵩が増しています。

 

荒瀬ダムは、昭和30年(1955)に完成しましたが、2012年より解体工事が行われています。

  

球磨川沿いに歩きます。坂本駅、グリーンパーク坂本と、町の中心部を歩きます。

     

30km地点。このころから蒸し暑くなり、しきりに水を飲みますが、喉の渇きは一向に収まりません。

  

九州自動車道の高架下を通ります。

  

  

肥薩線段駅

  

歩いていると後ろから列車が通り過ぎて行きました。見ると、「かわせみ、やませみ」です。慌ててカメラを向けますが、後ろの方しか、撮れませんでした。

遠くに新萩原橋が見えてきました。ここからが長いです。疲れもピークに達しています。

  

新萩原橋を渡るとゴールはすぐそこです。ですが、この橋、1kmぐらいあるのでしょうか、長いです。

15:20 どうにかゴールしました。

  

5/13 40kmコース(実際は41,3km)GPSです。