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鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

岡山・豊川、故郷のためなら何でもしていきたい

2016年04月20日 | Weblog
U23代表豊川、故郷熊本へ単身強行軍で支援活動
[2016年4月20日7時42分 紙面から]


U-23日本代表のJ2岡山FW豊川雄太

 U-23(23歳以下)日本代表のJ2岡山FW豊川雄太(21)が、単身で熊本地震の支援活動を行った。16日の本震で震度6強を観測した熊本市東区出身。17日の練習試合後に岡山市を出発し、熊本市内の避難所に水や食料などを届けた。オフだった18日を利用した1泊2日、36時間の強行軍。変わり果てた故郷の惨状を写真に収め、肌で感じた思いと現状をリポートする。

 17日の練習試合に出場した後、岡山から新幹線に飛び乗った。危ないと言われても、居ても立ってもいられなくて。博多で在来線に乗り継いで、久留米まで。その車中で緊急地震速報が鳴り、現地の恐怖感を少しだけど実感した。10人乗りのワゴン車を借り、午前0時まで4時間かけてスーパーやコンビニを片っ端から回った。久留米の方には申し訳ないけど、店員さんの理解を得て、あるだけの水や食料を買い占めた。それでも荷台は埋まらない。隣県も物資が不足していた。

 玉名市の友人宅で4時間ほど仮眠し、18日の朝に市内へ入った。けど、熊本…じゃない。見慣れた光景がない。通学路も熊本城も阿蘇神社も、2月に訪れたばかりだったのに。実家は、震度7の前震があった益城町から自転車で10分。倒壊こそ免れたけど、離れて暮らす祖母は家が半壊して住めなくなっていた。教師の父は、避難所になっている勤務先の小学校で寝泊まりして帰れない状況だった。

 家族の無事を確認した後は、すぐ母校の長嶺小と長嶺中に物資を届けた。そこに避難している友達に必要な物を聞き、紙おむつや子供用品、生理用品などを持ち込んだ。水1本で信じられないほど感謝され、近所のおじさんは「こっちも頑張るけん、雄太君も頑張らなんよ(頑張りなさいよ)」と言ってくれて…。黙って、うなずいた。声を出せば涙が止まらなくなりそうだった。元気になってもらうはずが、逆に元気をもらってしまって。落ち込んでる暇なんかないと思った。

 実は、避難所で物資は渡せたけど、退避されている方がいる体育館までは行けなかった。本当は手渡したかったけど、自分は岡山に戻ってサッカーができるのに、何て声を掛けたらいいのか…。リオ五輪に熊本の人間として出て明るい話題を、とは思う。ただ、今は目の前の支援しか考えられない。落ち着いたらスパイクを送ったり、故郷のためなら何でもしていきたい。

 ◆豊川雄太(とよかわ・ゆうた)1994年(平6)9月9日、熊本市東区生まれ。大津高で鹿島DF植田と同期。3年時にプリンスリーグ九州の得点王になった。13年に鹿島入団、今季は岡山に期限付き移籍。リオ五輪1次予選は2試合1得点、最終予選は準々決勝イラン戦の決勝点など5試合1得点と活躍。家族は両親と兄、弟。右利き。173センチ、62キロ。血液型B。



チンチロリン


熊本地震支援活動を行った岡山の豊川である。
1泊2日の強行軍にて避難所に水や食料を届けたとのこと。
豊川としては生まれ故郷の惨事に不安を感じておったであろう。
行動にて肌で感じたこの感覚は重要である。
今できることをした。
もっと落ち着けばまた出来ることも増えよう。
豊川の行動力に感服しておる。


チンチロリン

植田、僕だけの力では何もできない

2016年04月20日 | Weblog
宇土市出身の鹿島植田「少しでも力を貸して欲しい」
[2016年4月20日7時41分 紙面から]

 17日の練習後から1泊2日で熊本県内の避難所を訪問した鹿島DF植田が、あらためて被災地への思いを口にした。

 「僕にできることは何でもやりたいという思いで行きました。ひどいところは本当にひどい。場所によっては物資が届いていないところもある。まだまだ(復興に)時間がかかりそう」と神妙な表情だった。市役所が半壊した宇土市出身。「これからが(熊本は)本当にきつい。これから募金だったり、鹿島でやるかもしれない。そういう時は少しでも力を貸して欲しい」と訴えた。

鹿島・植田、強行日程で熊本支援活動「まだまだ時間がかかる」

熊本・南阿蘇村の避難所には救援物資が寄せられた (撮影・宮崎瑞穂)

 熊本地震の被災地で支援活動を行ったJ1鹿島の元日本代表MF小笠原満男(37)ら6選手が19日、茨城・鹿嶋市内で練習に再合流した。片道1000キロ以上も離れた熊本まで1泊2日の強行日程で救援物資を運んだ。熊本・宇土市出身でリオデジャネイロ五輪を目指すU-23(23歳以下)日本代表DF植田直通(21)は変わり果てた故郷を目の当たりにして支援を呼びかけた。


被災地熊本についての質問に涙をこらえながら答える鹿島・植田直通

 故郷の危機に居ても立ってもいられなかった。強行軍で熊本を訪れ、支援活動を行った植田は被災地の姿に表情を曇らせた。

 「ひどいところは本当にひどい。場所によって物資が回っていないところもある。まだまだ時間がかかると思います」

 現在、両親が住む宇土市は市役所が半壊するなど大きな被害を受けた。17日の練習後、クラブに「(熊本に)行かせてください」と直談判。「支援活動中の警察や自衛隊の邪魔にならないように」とくぎを刺され許可を得ることができた。

 2011年の東日本大震災で被災した岩手・大船渡市で高校時代を過ごし、救援活動に熱心な小笠原や選手会長のDF西大伍(28)に相談したところ、一緒に行くことになった。東日本大震災では鹿嶋市も被害に。支援を受けた“恩返し”もあった。


故郷・熊本で支援活動を行った鹿島DF植田(中央)はチームに合流し、練習で汗を流した (撮影・一色伸裕)

 17日の練習後に成田空港から空路で福岡入り。レンタカー3台に水や食料品などの救援物資を詰め込んで熊本に入った。植田は家族の無事を自身の目で確認するとともに、ボランティア活動を実施。翌18日の夜、最終便で鹿嶋市へと戻った。

 「僕一人で行ってたら、何もできなかったと思う。(小笠原)満男さん、(西)大伍君、後輩3人には感謝している」

 熊本を愛する思いは強い。16日の湘南戦後、故郷を思い涙を流した。この日は「僕だけの力では何もできない。募金などをやることがあるかもしれない。そのときには力を貸してほしいと思います」と呼びかけた。

 植田自身はリーグ戦で活躍し、遠く離れた鹿島から故郷を勇気づける。 (一色伸裕)

植田 直通(うえだ・なおみち)

 1994(平成6)年10月24日生まれ、21歳。熊本・宇土市出身。小3でサッカーを始める。大津高から2013年に鹿島入団。14年3月1日の甲府戦でJ1初出場、昨年4月16日の柏戦で同初得点。11年U-17W杯では過去最高に並ぶ8強入り。昨年1月のアジア杯で日本代表に初選出も不出場。今年1月、U-23日本代表としてリオ五輪最終予選優勝に貢献。J1今季7試合0得点、同通算39試合1得点。1メートル86、77キロ。

植田 被災地の支援協力呼び掛け「物資が回ってないとこあった」
 鹿島のDF植田が熊本地震の被災地支援への協力を呼び掛けた。

 熊本県宇土市出身のU―23日本代表DFはオフだった18日にMF小笠原らと現地へ出向き、救援物資を届けた。「(被害状況が)ひどいところはひどいですし、物資が回ってきていないところもあった」と、惨状を目の当たりにした。今後は募金活動や物資を送ることを検討中。「募金だったりをするかもしれない。そういう時は力を貸してほしい」と、訴えていた。
[ 2016年4月20日 05:30 ]

【鹿島】熊本・宇土市出身の植田が被災地入り 救援物資持参し小笠原らと避難所へ
2016年4月20日6時0分 スポーツ報知


鹿島・植田

 U―23日本代表DF植田直通(21)=鹿島=が19日、熊本地震の被災者への協力を呼びかけた。同県宇土市出身の植田はオフの18日を利用し、熊本入り。水など救援物資を持参し、チームメートのMF小笠原らとともに避難所を回った。「ひどいところはひどい」と現状を目の当たりにし、「自分にできることなら何でもしたい」と継続的な支援を続ける考えを明かした。

 また、「大変なのはこれからだと思う」と被害の大きさから復興には時間がかかることを想定。「鹿島でも募金をやるかもしれないので、そういうときは力を貸してほしい」と訴えた。クラブハウスに見学に訪れたサポーターから激励の言葉を受け、「うれしかった。僕らが(元気を)もらうんじゃなくて、与えなきゃいけない」と話した植田。故郷のために、ピッチ内外で全力を尽くす。



チンチロリン


熊本に同行した満男や西、和音、垣田、優磨に感謝する植田である。
 「僕一人で行ってたら、何もできなかったと思う。(小笠原)満男さん、(西)大伍君、後輩3人には感謝している」と言う。
素晴らしい行動と素晴らしい仲間。
素晴らしいクラブである。


チンチロリン

植田と豊川、二人の「変態」を育んだ環境

2016年04月20日 | Weblog
熊本の大地が育んだリオ五輪代表の植田と豊川 類稀な個性を磨いた母校に息づく”成長の輪廻”


阿蘇の雄大な山々に囲まれた大地、熊本。

 この地を襲った熊本地震は、熊本県・大分県などを中心に九州地方の広い範囲に大きな被害をもたらし、今もなお多くの住民が避難生活を余儀なくされている。

 鹿島アントラーズでレギュラーの座をつかんでいる植田直通は、この地で生まれ、育まれた。16日に開催されたJ1リーグ戦の試合後、インタビューに応じた植田は、故郷への思いから目を涙で潤ませ、しばらく言葉を発することができなかった。「自分にできるのは、試合で結果を出すことだけ。できることはそれ以外にないが、熊本が元気になるなら何でもやりたい」と声を振り絞った。

 また植田と同じく、熊本で生まれ育ち、鹿島でプロキャリアをスタートさせ、今季は期限付き移籍によってファジアーノ岡山でプレーしている豊川雄太もまた、故郷へと思いを馳せている。「(Jリーグで活躍して、)オリンピックのメンバーに入って、熊本出身の人間がそこで頑張っていることを伝えられれば」と、自身が活躍することで熊本に元気を届けたいと、強い決意を語った

 1月に開催されたリオ五輪アジア最終予選へと出場し、日本を本大会へと導く活躍を見せた2人が、その個性を磨いた場所。それが、地元・熊本県立大津高校だった。砂ぼこり舞う土のグラウンド奥につるされたボール。何度もシュートを重ねた古びたゴール。そして、“変態”を育てるちょっと変わった指導者。

 類稀なる個性を持つ2人の戦士。その原風景を、恩師の言葉とともに振り返る――。

植田と豊川の恩師が口にする「『変態』を育てたい」という言葉

 熊本駅から2両編成の列車に乗り、阿蘇の雄大な山々に囲まれた豊後街道を真っすぐに揺られること30分。終点の肥後大津駅へと到着する。駅に降り立ち、駅前広場に停まっていた1台のタクシーに乗車し、5分あまりで目的地にたどり着く。

 熊本県立大津高校。これまで数多くのJリーガーを輩出し、インターハイ準優勝1回を誇る全国屈指の強豪は、大自然に囲まれた中にある。この学校で3年間学んだ植田直通と、豊川雄太は、今年1月のAFC・U-23選手権で大きな存在感を放った。植田は6試合中5試合にフル出場を果たして日本の守備を支えた。豊川は負ければ終わりの準々決勝イラン戦で途中出場。延長前半6分に室屋成(FC東京)の右からのクロスを頭で合わせ、決勝弾を叩き込んだ。この活躍の裏には、熊本の大地で育まれた武器が生きていた。大津高サッカー部監督である平岡和徳は常々、こんな言葉を口にしている。

「僕は『変態』を育てたい。ありきたりではなく、形はいびつでも、絶対の自信を持つストロングポイントを持つ選手を育てたい」

平岡監督が口にする「変態」の意味とは?



 平岡が指す“変態”とは、「他とは違う特徴を持った選手」のことだ。平岡の目には、植田も、豊川も入学当初から変態に映った。

「今の日本には、一人ひとりの選手がストロングポイントに気付く機会が少ない。ストロングポイントがはっきりしている選手は、一つの個の輝きを持っている。だからこそ、大人もそれを気付かせて、伸ばしていくサポートをしてあげないといけない。植田は初めて見た時、日本にいない規格の選手だと思った。蹴る、飛ぶ、当たる。本当に身体能力がずば抜けていて、きちんと育てれば日本代表クラスになるなと直感しましたね」

 小2から始めたテコンドーでは世界大会出場を果たすほどの有名選手だったが、小3から並行して始めたサッカーでは大津高に入学するまでほぼ無名の存在だった。「サッカーの方が楽しかったから」(植田)と、中学からサッカーに打ち込むが、思うような結果は出なかった。その無名の中学時代に『ある伝説』を残している。

「サッカー部は全国中学サッカー大会予選で負けたら陸上部にいったん入るんです。それで練習も何もやっていないのに、三段跳びでいきなり大会に出るように言われた。熊本県の大会に参加して、前日に飛び方を教えてもらって、次の日やってみたら県で2位になった。記録は確か13メートルくらい……。無理やり助走距離を合わせて飛んだらうまく飛べちゃって」

 全く未経験の三段跳びで県2位に入ってしまう。恐ろしいまでの身体能力を裏付けるエピソードだ。テコンドーでも、陸上でも、やれば結果が出るが、サッカーだけは違った。チームは県大会にすら出場できず、県選抜には選ばれたが序列は一番下。逆にそれが闘争本能に火をつけ、のめり込むきっかけとなった。「熊本でサッカーをやるなら大津高しかない。ここにチャレンジをしないと、俺の気が済まない。ライバルは多ければ多いほど燃える」と、迷わず願書を出した。推薦入学ではなく一般入試だったが、すぐに平岡の目に留まった。入学時のスポーツテストで、類を見ない数値を叩き出したからだ。

「もう驚きしかなかった。それまでの大津高の最高数値は藤嶋栄介(現ジェフユナイテッド千葉)で、もうこの記録を誰も抜くことはできないだろうと思っていた。でも、植田は立ち幅跳びで2メートル80飛んで、50メートル走も6秒で走った。反復横跳びを70回もこなす。185センチの高さがあるのに、俊敏性と、スピードがある。これはとんでもない奴だと思った」

 この“とんでもない”変態の出現に、「もう楽しみしかなかった」と胸を躍らせた。

平岡が見い出した豊川の隠れた“変態”部分



 そして同時に、もう一人の変態が入学してきた。谷口彰悟、車屋紳太郎(ともに川崎フロンターレ)を輩出した熊本市立長嶺中からやってきた豊川は、中学の3年間、熊本県選抜のエースストライカーを張るなど、名の知れた選手だった。

「プレーのアベレージは高かった。ボールがあるところにしっかりと顔を出せるし、今も見て分かるように、田舎もんにしては洗練されたプレーができる」

 平岡は、この平均的にうまい豊川に変態な部分を見い出した。

「彼はシュートがずば抜けてうまい。それが、彼のストロングポイント。じゃあこれを磨くには、どのエリアで動く量を増やして、どこでイマジネーションを作り上げるのか。バイタルエリアで積極的に動くとか、常に相手が嫌がる動きと、シュートを一番生かせるオフ・ザ・ボールの工夫を繰り返し教えた」

 平岡は、この2人を1年の時からAチームで出場させた。豊川も、植田も中学時代のポジションはFWだった。大津でもFWを希望したが、平岡は迷うことなく豊川をトップ下に、植田をセンターバック(CB)にコンバートした。

「豊川には入学後、すぐにセカンドストライカーの動きを教え始めました。人が動いた後のスペースに入っていく動きを徹底することで、シュートを打つ時間が作れる。なおかつギャップをイメージして、そこに入っていけば、ヘディングでも点を取れる。シュートは足だけじゃない。ヘッドも立派なシュート。彼には頭の中身と全身を使って、どんな形でもシュートを打てるプレーを意識させた。植田は持っているポテンシャルをどこで使うかを考えた。もっと言うと、『どこで日本代表にさせようか』と考えていた時、彼の高さ、強さ、速さ、闘争心を生かすならCBしかないと思った」

 U-23選手権でのイラン戦の豊川のゴールは、まさに平岡が教え込んだ形であった。植田も空中戦と対人の強さ、闘争本能を惜しげもなく発揮した。まさにこの雄大な自然に囲まれた場所で、彼らの運命は切り開かれていったのだ。

2人をさらに成長させたライバル関係



 豊川と植田が紡いだ3年間。それを知るのは、平岡と、豊後街道沿いに位置する大津高の広大な土のグラウンドだ。このグラウンドで、2人は”変態”に磨きをかけた。

「2人とも本当に負けず嫌いだったね」

 練習に励む選手たちの姿を見ながら、平岡は懐かしむように語り出した。コンバートされた2人は、よく1対1や、紅白戦でもマッチアップをしていたという。

「最初はね、豊川は植田をちょっとバカにしていた。そりゃそうだよね、中学の時の実績は天と地だったんだから」

 しかし、植田がCB転向わずか3カ月でU-16日本代表に選出されると、豊川の意識は大きく変わった。破竹の勢いで頭角を現していく植田に対し、「絶対に負けたくないと思った」と、ライバル心に火がついた。全体練習のない日も、グラウンドには砂ぼこりを上げながらシュート練習をする豊川の姿があった。それに負けじと、植田も貪欲に上を目指し続けた。

「豊川は本当にうまいけど、僕は本当に下手くそだったので、みんなより努力しようと思った。大津高の大先輩の巻誠一郎(現ロアッソ熊本)さんが、高校時代に『ものすごく努力をしたから日本代表としてワールドカップ(W杯)に出られた』という話を監督から聞いて、自分も日本代表を目指そうと思えました」

 グラウンド奥には、ひもでつるされたボールがある。その傍らのフェンスには、2006年のドイツW杯でプレーしている巻の写真が大きな幕となって張られ、そこには『進化』と書かれている。

 このボールこそ、巻が来る日も来る日もヘディングをし続けた『ヘディングマシン』だ。マシンといっても、ただボールをひもでつるしてある原始的な代物。だが、巻は回を重ねるごとに、ボールの高さを上げ、より高い打点と正確にミートする技術を3年間磨き上げた。平岡が目をかけた“変態”の一人は、不断の努力を重ねた。「利き足は頭」という名言を残し、そのヘッドでW杯戦士となった。偉大な先輩の後を追うように、植田も「僕は誰よりも高く飛びたかった。だからこそ、毎日挑戦する気持ちで飛んでいた」と、このボールで自らの武器を磨いた。

“成長の輪廻”が息吹くこの場所から



 着々と成長を続ける植田と、切磋琢磨する豊川。植田は守備の要となり、2011年のU-17W杯ではベスト8を経験。豊川も2年から10番を託され、チームの大黒柱となった。そして卒業後、そろって鹿島に加入し、U-23日本代表でも確かな活躍を見せた。

「人は自分の得意な部分や、武器が磨かれていくと、自信をつけていく。自信は人を育てる上での重要な要素。ストロングポイントをコントロールする過程で、人は探究心を大きくし、苦手なモノも克服しようとする。2人はそれに3年間挑んでくれた」

 平岡によってもたらされた“成長の輪廻(りんね)”は、今も続いている。奇麗な天然芝と立派なクラブハウスがある鹿島とは環境こそ違うが、大津高と同じように切磋琢磨する2人の姿がある。今季、豊川は岡山に期限付き移籍しているが、2人の関係が変わることはない。今も大津高のグラウンド奥にあるヘディングマシン。巻の幕の横には、植田の幕が新たに張られていた。そして豊川は五輪予選後、グラウンドに姿を現し、後輩たちにエールを送った。平岡は、真剣なまなざしでこう言った。

「ウチに来る選手たちは可能性を持っている。大人のアプローチ次第で、人は変わっていく。豊川と植田が日の丸をつけると思った人は少ないかもしれない。でも、ストロングポイントを伝え、本人が努力をすれば、必ず日本の役に立つ選手になる」

 このグラウンドから巣立った”変態”を見て、後輩たちが刺激を受け、また努力を重ねて新たな”変態”が生まれる。この輪廻が、この場所には息吹いている。それは練習に打ち込む選手たちの目を見ていれば伝わってくるものだった。

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 熊本県では今、地震によって深刻な被害を受け、多くの人々が不安と戦いながら日々を過ごしている。復興、そして成長に向けて、これからどれほど長い時間を要するのか、今はまだ分からない。

 だからこそ、“成長の輪廻”の息吹く地で生まれ育まれた2人だからこそ、自身のプレーを通して、被災した人々に元気と勇気を届けたいと誓ったのだろう。

 サッカーにはチカラがあることを、私たちは知っているはずだ。今こそ、選手だけではなく、Jリーグ、クラブ、そしてファン・サポーターもまたその力を結集し、団結して、前に進んでいくことを願う。


[PROFILE]
植田直通(うえだ・なおみち)
1994年10月24日、熊本県生まれ。中学時代にはテコンドーで日本一になった経験を持ち、大津高時代にFWからDFにコンバートされた。鹿島アントラーズ入団2年目にセンターバックで先発の座をつかみ、15年1月のアジアカップに日本代表の一員として参加した。

豊川雄太(とよかわ・ゆうた)
1994年9月9日、熊本県生まれ。大津高時代にプリンスリーグ九州で得点王に輝いた得点力を買われ、2013 年に鹿島へ入団。U-23アジア選手権では準々決勝イラン戦の延長前半6分に値千金の決勝弾を決めるなど、リオ五輪出場に貢献。今季からJ2岡山に期限付き移籍加入した。

〈サッカーマガジンZONE 2016年4月号より一部加筆修正をして転載〉

【了】

安藤隆人●文 text by Takahito Ando

安藤隆人、ゲッティイメージズ●写真 photo by Takahito Ando, Gettyimages



チンチロリン


植田と豊川を育てた熊本県立大津高校について記すサッカーマガジンZONE誌の安藤氏である。
大津高サッカー部の平岡監督は、「僕は『変態』を育てたい。ありきたりではなく、形はいびつでも、絶対の自信を持つストロングポイントを持つ選手を育てたい」と語る。
平岡監督の言う『変態』とは、「他とは違う特徴を持った選手」とのこと。
その平岡監督に目に留まったとんでもない『変態』が植田だった。
恐るべき身体能力であったことを語る。
また、シュートの巧さが『変態』であった豊川も同様である。
二人の特異性を見極めポジションをコンバートしたのも平岡監督であった。
植田と豊川はこの監督の下、大きく成長した。
そして、更に『変態』を鹿島にて極めることとなるのだ。
今後も成長を続け、故郷に元気を与えていって欲しい。
期待しておる。


チンチロリン

植田、そういう時は少しでも力を貸して欲しい

2016年04月19日 | Weblog
鹿島DF植田「サポートしたい」被災地で家族と対面
[2016年4月19日19時46分]


ランニングする鹿島DF植田(撮影・上田悠太)

 鹿島DF植田直通(21)が19日、茨城・鹿嶋市内で練習後、あらためて被災地への思いを語った。

 17日の練習後から1泊2日の強行日程で、MF小笠原満男(37)らと熊本県内の避難所を訪問していた。水や食料など支援物資も届けた。「個人的に行ったことなので…」と詳細な説明は避けたが、「僕にできることは何でもやりたいという思いで行きました」。実際に被災地の現状を目の当たりにして「ひどいところは本当にひどい。場所によっては物資が届いていないところもある。まだまだ(復興に)時間がかかりそう」と神妙な表情だった。

 市役所が半壊した同県・宇土市出身。同市内に実家がある家族とも対面したという。「これからが(熊本は)本当にきついと思う。僕ができることはサポートしたい。これから募金だったり、鹿島でやるかもしれない。そういう時は少しでも力を貸して欲しい」と訴えた。



チンチロリン


熊本から戻り練習に参加した植田である。
熊本でのことについて多くは語らぬが、復興まではこれからであることを植田が理解しておることが伝わる。
我らも植田をサポートして行く。
出来ることを行っていきたいと思う。


チンチロリン

和音・町田・垣田、U-19日本代表候補選出

2016年04月19日 | Weblog
久保田選手、町田選手、垣田選手 U-19日本代表候補メンバー選出のお知らせ
2016年04月19日(火)

本日、 U-19日本代表候補トレーニングキャンプ(4/25~27@静岡)に向けて、 U-19日本代表候補メンバーが発表されました。

鹿島アントラーズからは、久保田選手、町田選手、垣田選手が選出されました。



チンチロリン


U-19日本代表候補に選出された和音、町田、垣田である。
前回の招集に町田が加わった格好となった。
また、鹿島入りを希望しておる筑波大学の鈴木徳真くん、鹿島が獲得を狙っておる京都橘高校の岩崎悠人くんも順当に選出されておる。
岩崎悠人くんはFWではなくMFとしての選手となっておる。
このキャンプにて良きアピールをし、最終選考に残って欲しい。
期待しておる。


チンチロリン

攻守の要は小笠原満男

2016年04月19日 | Weblog
2部練習


本日は午前、午後の2部練習となっています。午前練習は攻守のトレーニングやシュートトレーニングを行いました。



チンチロリン


攻守のトレーニングを行うメンバーである。
中心には小笠原満男がおる。
熊本の被災地支援活動から無事戻ってチームに合流しておる。
次節・柏戦では出場停止明けということもあり、攻守にわたって潑溂と活躍してくれるであろう。
満男を中心に勝利を掴み取る。
楽しみである。


チンチロリン

金崎夢生、次節・柏戦出場停止

2016年04月19日 | Weblog
出場停止選手のお知らせ(2016/04/19)
選手 チーム 前回の停止 今回の停止 出場停止試合
金崎 夢生 鹿島 J1(f) 2016明治安田生命J1リーグ 1stステージ第8節第1日(04/24)
ディエゴ オリヴェイラ 柏 J1(f) 2016明治安田生命J1リーグ 1stステージ第8節第1日(04/24)
レオ シルバ 新潟 J1(f) 2016明治安田生命J1リーグ 1stステージ第8節第1日(04/24)
小林 祐希 磐田 J1(a) 2016明治安田生命J1リーグ 1stステージ第8節第1日(04/24)
オーマン 名古屋 C(a) 2016Jリーグヤマザキナビスコカップ/Aグループ第4節第1日(04/20)
野垣内 俊 岐阜 J2(a) 2016明治安田生命J2リーグ第9節第1日(04/23)
夛田 凌輔 長野 J3(a) 2016明治安田生命J3リーグ第6節第2日(04/24)
千明 聖典 大分 J3(a) 2016明治安田生命J3リーグ第6節第1日(04/23)
三竿 健斗 鹿島 S(f) 2016Jサテライトリーグ第6日(06/12)
井川 祐輔 川崎F S(a) 2016Jサテライトリーグ第5日(05/30)
・同じ大会で、同じ種類の出場停止処分を受けた場合、出場停止処分は2倍になります。
・大会 「J1」:明治安田生命J1リーグ、「C」:リーグカップ戦、「J2」:明治安田生命J2リーグ、「J3」:明治安田生命J3リーグ、「S」:Jサテライトリーグ、「PSM」:プレシーズンマッチ
・停止 (f):警告の累積による1試合停止(a):1試合停止 (b):2試合停止(c):3試合停止
(d):4試合停止(e):5試合停止(h):6試合停止(g):特定期間停止(*):その他の停止(z):未定
※印は、他の大会での出場停止処分の影響によって出場できないことを表します。



チンチロリン


イエローカードの累積にて出場停止となる金崎夢生である。
これにて次節・柏戦は欠場となる。
どの選手が代役として出場するのであろうか。
ここまで夢生の欠場したナビスコ杯三試合では、ジネイと聖真と赤がそれぞれの組み合わせにて先発起用されておる。
しかしながら、この三試合は成功したとは言いがたい。
甲府戦、神戸戦は敗戦を喫しており、名古屋戦はFWにカイオが起用されてからの逆転となっておる。
実績的にはカイオのトップ起用で二列目にアツという可能性が高いようにも考えられる。
しかしながら、カイオは二列目にて相手に脅威を与えており、ポジションをいじることに躊躇を感じる。
昨日の休養日を挟んで、本日より柏戦に向けて練習が開始された。
どのような選択を決断するのか、石井監督の手腕に注目が集まる。
試合当日のスタメン発表を楽しみにしておる。


チンチロリン

曽ケ端、安定のパフォーマンス

2016年04月19日 | Weblog
36歳ベテラン鹿島GK曽ケ端の大きな存在感

今季J1の失点数ランク

 鹿島のGK曽ケ端が、安定したパフォーマンスを見せている。今季は開幕から7試合すべてフル出場し、リーグ最少の3失点。1試合平均0・43点は、08年に大分がマークした0・71点(34試合24失点)のJ1シーズン最少失点記録をしのぐ。ただ、今季鹿島の被シュート数は65本で、少ない方から数えて9番目。打たれたシュート数の割に失点が少ない-。このギャップがGKの存在の大きさを際立たせる。

 今季、曽ケ端の枠内シュートに対するセーブ率はリーグ1位の81・3%(データスタジアム調べ)。2位がG大阪の日本代表GK東口の77・4%で、唯一8割を超える。1失点あたりの被シュート数も21・7本。こちらも東口が守護神を務めるG大阪の10・6本を上回り断トツだ。

 もちろん昌子、植田らDF陣の奮闘も光る。きっちりシュートコースを限定し曽ケ端を助ける。枠内にシュートを打たれた確率(被枠内シュート率)は26・3%でリーグで最も低く、いかにフリーでシュートを打たせていないかが分かる。枠内に打たれたとしても、そこは曽ケ端がストップ。36歳のベテランGKを中心とした守りで、首位川崎Fと勝ち点1差の2位で追走する。

【石川秀和】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「データが語る」)



チンチロリン


GKについてデータをまとめるニッカンスポーツの石川氏である。
曽ケ端が安定したパフォーマンスを見せておると綴る。
リーグ戦7試合にフル出場し、3失点は素晴らしい成績と言えよう。
被シュート率に対しての失点も特筆すべきと述べる。
堅守・鹿島の復活はこの守護神と若きCBコンビの躍動によるもの。
ベテランと若手の融合にてタイトルを目指す。
楽しみである。


チンチロリン

盤石の鹿島

2016年04月19日 | Weblog
盤石の鹿島、躍動感なき湘南
川端康生 | フリーライター
2016年4月19日 0時46分配信



(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

金崎が素晴らしい

金崎が素晴らしかった。
もともとボールスキルの高い選手。いわば「うまい」選手だった。それがFW起用されるようになって「怖い」選手へ、さらには「すごい」選手へとすっかりスケールアップしている。

足元の技術があるのでポストプレーがうまい。身体の強さ(というより、ボディバランスとコンタクトの巧みさ、なのかもしれない)もあるし、イマジネーションも豊か。
ドリブルの鋭さはかねてから持ち味だったが、DFの背後へ飛び出すうまさもトップで起用されるようになってから際立っている(この試合でも何度となく湘南ディフェンスの裏をとっていた)。

つまり前線で受けてよし、引いてもらって仕掛けてよし、裏へ抜け出してよし。
加えてキックの精度が高く、ワンタッチでもミドルでもシュートを決められる。もちろん得点の意欲も強く、積極性も……とその長所を書き連ねていけば、この日追加した1ゴールを含めて、「7試合4得点」は当然の数字と言えるだろう。

もちろん、チームでの存在感も絶大。
金崎がいることで人とボールの動きがアクティブになり、土居、鈴木ら成長過程の選手たちが持ち味を発揮できている面もある。
特に守備面は計算できるアントラーズにとって、彼の攻撃力と得点力こそが「優勝」への重要なピースとなる可能性も十分ある。
開幕前の彼のエピソード“わずか1ヶ月での再入団”が、「歓喜の物語」のプロローグとして振り返られるかもしれない、ということである。

対照的なスタイル

その金崎のゴールで先制したアントラーズに危なげは全くなかった。昌子、植田が慌てる場面はほとんどなかったのではないか(もちろん曽ヶ端も)。
あえて言えば、立ち上がりの立ち上がりだけ、ベルマーレの勢いを少し受けた。1トップの下に3人のシャドーを並べる、イレギュラーな布陣で臨んできた相手に、少しだけ押し込まれたのだ。
しかし、それもほんの「少しだけ」だった。わずかな時間の間に、相手を見切り、ロングボールを蹴って、押し下げてしまえば、あとは主導権を握って、ゲームをコントロール下に置き続け、3対0で完勝した(鹿島サポ的は「もっと取れた」と不満かも)。

そもそも「“出入り”の少ないサッカー」をするチームである。バランスを崩すことは少なく、オーソドックスに戦う。
だからアントラーズが勝利した試合は「勝つべくして勝った」印象が強い(この試合もそうだった)。
では、負けたときはどうなんだ?と訊かれると難しいが、それでも「思いがけない負け方」をすることは少ない気がする。
Jリーグ創設から24シーズン。もっとも「チームスタイルが変わらない(一貫して安定している)」チームである。

一方のベルマーレ。
アントラーズとの対比で言うなら「“出入り”の激しいサッカー」をするチームである、やはり伝統的に。
無論、ネガティブに言っているわけではなく、その出入りの多さが躍動感となって、スリリングなゲームを演出する。
1990年代、「湘南の暴れん坊」と呼ばれた時期もそうだったし、現在の「湘南スタイル」も、その延長線上にあると思う。

アントラーズのサッカーを“リアリスティック”と表するなら、ベルマーレは“ロマンチック”。だから時に魅力的だが、安定して結果を残すことはできない。というより、そもそも勝利よりも理想を優先しがち……。
いや、筆が滑り過ぎた。現在のコーチングスタッフに怒られてしまう。

とにかく、そんなふうにそれぞれのチームカラーが、選手が変わり、指導者が変わり、戦術のトレンドが変わっても、なぜか受け継がれていくのだから、サッカーは不思議で面白い。
そして、そんな「不思議」と「面白さ」をもっとも実感できるのが、僕にとってはこの両チームの対戦であり、それはこの日の90分間でもやはり感じられたのだった。

躍動感の源は

もっとも、この試合でのベルマーレは「“出入り”の激しいサッカー」という印象ではなかった。もちろん「不思議」とか「面白さ」とか言っている場合でもない。
ここまでリーグ戦でまだ未勝利。地震の影響で試合をできなかった(1試合少ない)アビスパ福岡よりも下の最下位に沈んでいる。

かと言って「降格」を恐れるにはまだ早過ぎるし、焦る段階でもない(降格/残留は通年である)。
それでも伸び伸びと自然にプレーできる心境ではもうなくなっているのだろう。この試合では、ベルマーレらしい躍動感はほとんど感じられなかった。
個人的に気になったのは、中途半端な――攻撃にも守備にも関われないポジションに選手がいるシーンが何度か見られたことだ。

これまでも、積極的にプレーに関わりに行って(攻撃であれ、守備であれ)、それが裏目に出るケースはあった(ある意味、“ベルマーレらしい光景”と言ってもいいかもしれない)。
それでも、そんなミスやエラーには学びがある。そこには主体的な判断があり、決断があるからだ。
だから反省し、改善することができる。

しかし、このゲームで見られた“中途半端なポジショニング”には判断や決断が感じられなかった。
これまでならオートマチックに走り出していたシーンで躊躇する。たぶん不安感から。前へ行きたいが決断できずに留まる。怖いから。かと言って、下がってディフェンスのポジションを取り直す判断もしないまま、浮いた位置に何となく……そんな場面が何度かあった。

ボールにだろうが、相手にだろうが、スペースにだろうが、自ら主体的に判断し、決断して走り出す――それが原点であるはずだ。ベルマーレの躍動感の源も、やっぱりそこにある。
そもそもいつも正しい判断をできるチームではないのだ。それでもベルマーレには決断(というより確信)があり、だから選手たちは躍動できた。そこに「湘南スタイル」への好感も生まれたのだと思う。
それなのに勝利から遠ざかった途端、自信を失って……。

勝てない理由は一つではない。一朝一夕には埋まらないプレーのクオリティの差もある。
しかし、まずはそれぞれの選手が自らの心に芽生え始めている不安や怖れをねじ伏せてーー。
ピッチに立つのはそれからだ。



チンチロリン


湘南戦のレビューを綴る川端氏である。
夢生を絶賛しておる。
「前線で受けてよし、引いてもらって仕掛けてよし、裏へ抜け出してよし」と評する。
そして、イマジネーションも豊かと最高の賛辞が贈られておる。
彼ほどのセンターFWを有することで鹿島はタイトルに最も近い存在となった。
夢生を軸に聖真も成長しており、得点を重ねて行くであろう。
ただ、この試合で「「すごい」選手へとすっかりスケールアップ」したと評される夢生が、次節は出場停止となる。
夢生抜きにて勝利を掴み取れるか否かという正念場となる。
鹿島は夢生だけのチームではないと世に知らせしめるのだ。
期待しておる。


チンチロリン

東京学芸大学・色摩くん、また(アントラーズで)プレイできるようにしたいです

2016年04月19日 | Weblog
鹿島への思いを胸に…東京学芸大の俊足ルーキー色摩雄貴、2ゴール演出で初勝利に貢献

2ゴールに絡む活躍を見せた東京学芸大FW色摩雄貴(中央) [写真]=内藤悠史

 快晴に恵まれたフィールドに、初勝利の喜びが広がった。16日に行われたJR東日本カップ2016 第90回関東大学サッカーリーグ戦2部 第3節で、東京学芸大学は関東学院大学に3-0と快勝。集中応援日に指定された一戦で3ゴールを決め、会心の白星を収めた。

 ベンチで勝利の瞬間を見届けたFW色摩雄貴は、1年生として唯一、先発メンバーに名を連ねていた。開幕節から3試合連続でスターティングメンバー入りを果たした背番号30は、44分にチーム2点目となるオウンゴールを演出し、54分にはMF堀大貴の3点目をアシスト。「このままスタメンをキープして、チームに貢献していきたいです」と充実感を漂わせた。

 開幕2試合で1分け1敗と苦しいスタートとなった東京学芸大。1年生ながら開幕スタメンを勝ち取った色摩は「中央大戦では緊張や戸惑いはありましたけど、やっていくうちに自分のプレーを出せたのではないかと思います」と一定の手応えを掴みつつ、大学サッカーでの初陣でフル出場を果たした。しかし、第2節の神奈川大戦では「大学サッカーのレベルの高さを感じました。プレッシャーがすごく速くて…」と、悔しさを味わった。チームも自身も2試合連続無得点に終わり、奮起を期して臨んだ第3節。2ゴールに絡む活躍で、3-0とリードした62分に途中交代でピッチを退いた。

「1、2試合目はチームとしてあまりうまくいっていない感じで、自分もあまり(プレーに)絡めていませんでした。今日は(先発)メンバーが替わってFWに背の高い選手が入ったんです。そのまわりで良い形でセカンドボールを拾うことができたのではないかと思います」

 開幕2試合では同じ先発11人を起用した檜山康監督だが、今節では2人を入れ替え、FWの一角には増田侑也を指名。空中戦を繰り返して起点となる背番号9のまわりを駆け回った色摩は、「アントラ(ーズユース)でも垣田(裕暉、現鹿島)と組んでいたので、その時のイメージでやっていました」と、神出鬼没に顔を出してボールを触ることで攻撃のリズム構築に貢献した。また、時に低い位置でパスを引き出し、持ち前のスピードを活かした突破と前線からのプレスで存在感を見せる。そして44分、左サイドの高い位置でボールを収め、オーバーラップしたDF冨澤右京とのパス交換から相手のオウンゴールを誘うと、54分には右サイドの背後を取って正確なクロスボールを上げ、堀のゴールをアシストした。

 ルーキーながら出場機会を掴み、大学サッカー3試合目でゴールにつながる結果を出した色摩。上のコメントにもあるように、俊足を誇るアタッカーは昨シーズンまで鹿島アントラーズの下部組織でトレーニングを積んだ。ジュニアユースつくばを経てユースに昇格し、高校2年時にはJユースカップ優勝、3年時には高円宮杯U-18プレミアリーグEAST初優勝、チャンピオンシップ初制覇、アジア・チャンピオンズ・トロフィー(ACT)優勝を果たした。トップチーム昇格は叶わなかったものの、スーパーサブとしてピッチに立ち、爆発的なスピードで繰り出されるドリブル突破は印象的で、その名前を覚えている鹿島サポーターも少なくない。

 タッチライン際でボールを受けてドリブルを仕掛ける姿が数多く見られたユース時代を経て、色摩は今、当時とは異なる役回りで成長を遂げようとしている。「アントラーズの時はサイドに張っていて“ボールをもらってから勝負”という感じでした。今は(檜山)監督から『自由にやってくれ』と言われていて、攻撃の起点になることが役割です。やりがいはありますね」。大学ではまだ3試合目だが、プレーエリアが広がっている印象を受ける。後半に入ってからは重点的に右サイドに流れ、3点目のアシストにつなげた。「相手の左サイドバックが試合にあまり入れていない印象だったので、前半でそれを見極めて、後半は右サイドに流れてみたんです」と、色摩は納得の表情を浮かべていた。

 大学サッカーでの歩みを始めた色摩。「本当に、それを目標にしています」と力を込めたように、胸の中には“アントラーズに戻る”という強い思いがある。垣田、DF町田浩樹、MF平戸太貴、MF田中稔也と同期4人がトップチームへの昇格を果たした中、「悔しさもあったけど、本当にお世話になったチームですし、期待してくれている人たちもいると思うので、また(アントラーズで)プレーできるようにしたいです」と、再び鹿島のユニフォームを纏う将来をイメージしていた。

「3試合連続でスタメンで使ってもらえましたけど、まだまだ貢献できていないので、監督やチームの期待に応えていけるように」と、色摩はさらなる活躍を誓った。1部昇格を目指すチームで輝きを放つことができるか、注目したい。

取材・文=内藤悠史



チンチロリン


大学サッカーにて躍動する東京学芸大学の色摩くんである。
鹿島ユース出身のこの小兵は新一年生ながらスタメンの座を射止めておる。
町田、平戸、稔也、垣田と同期の色摩くんはトップ昇格も噂されるほどの才能の持ち主であった。
惜しくも昇格こそ見送られたが、それはメンバー編成の問題もあったであろう。
大学にてみっちり鍛え上げ、鹿島からのオファーを勝ち取って欲しいところ、。
活躍の報を待っておる。


チンチロリン

植田・満男・西・和音・優磨・垣田、熊本被災地慰問

2016年04月19日 | Weblog
鹿島植田、支援物資携えて避難所訪問 小笠原が同行
[2016年4月19日7時29分 紙面から]

 熊本・宇土市出身の鹿島DF植田ら選手6人が18日、被災地に支援物資を持ち込んだ。

 前日17日の練習後に福岡空港へ飛び、レンタカーで現地入り。「今すぐ行きたい」と泣いて語っていた植田が、東日本大震災の復興支援に力を注ぐ主将MF小笠原に相談。必要物資などのアドバイスを受けた上で同行してもらい、母校大津高に隣接する大津中など避難所を回った。

鹿島・小笠原ら、熊本県内の避難所を慰問
 J1鹿島のMF小笠原満男(37)と熊本県出身のU-23日本代表DF植田直通(21)らが18日、熊本地震で被災した熊本県内の避難所を慰問した。

物資届けた!植田ら鹿島有志6選手“強行日程”で熊本アシスト

熊本で被災地支援活動を行った鹿島DF植田
Photo By スポニチ


 鹿島のU―23日本代表DF植田直通(21)、元日本代表MF小笠原満男(37)ら6選手が18日、大地震の起こった熊本で被災地支援活動を行った。同県宇土市出身の植田らは菊池郡大津町の大津中などを訪れたもよう。熊本出身の選手として、11年東日本大震災での被災クラブの一員として立ち上がった。

 居ても立ってもいられなかった。クラブ関係者によれば、植田は17日の練習後、強化部に「(熊本に)行かせてほしい」と、直談判。クラブ側も余震が続くことから「くれぐれも安全第一で」ということを条件に、18日のオフに現地で被災地支援活動を行うことを許可した。岩手県大船渡市出身で東日本大震災を経験した小笠原、選手会長のDF西を含めた有志6人は17日中に成田空港から空路で福岡入り。現地でレンタカーを3台ほど借りて分乗し、空いたスペースに救援物資を詰めるだけ詰め込んで、陸路で熊本入りしたという。

 熊本出身の植田は16日の湘南戦後、故郷を思い涙を流し「熊本のためにできることがあれば、何でもやりたい」と話していた。それを早くも実現した形だ。「熊本空港は閉鎖されているし、今、僕が行っても邪魔になるだけ」とも話していたが、地震発生翌日に「何でも協力するから言ってくれ」と言われていた小笠原とともに現地に行く方法を模索。被災者の避難所に指定されている大津町の大津中などを訪れ、物資を支援したもようだ。

 植田らはこの日のうちに鹿島に帰り、19日の練習には参加する予定。強行日程のため肉体的、精神的な疲労が、24日に行われる柏戦へ影響することも心配される。それでも「僕にはサッカーしかないんで」という植田。故郷で今も厳しい状況に立たされている人たちのためにも、へこたれてはいられない。
[ 2016年4月19日 05:30 ]

【鹿島】小笠原・植田ら、シーズン中異例ボランティアで熊本入り
2016年4月19日6時0分 スポーツ報知


多くの被災者で混雑する熊本県益城町の避難所


11年5月、岩手県沿岸部から招待したサッカー少年を激励する小笠原満男


 J1鹿島の元日本代表MF小笠原満男(37)、DF西大伍(28)、DF植田直通(21)らが、地震に見舞われた熊本県内の避難所を慰問したことが18日、分かった。クラブの許可を得て17日午前の練習後に福岡への空路を経て熊本入り。18日の最終便で鹿島に戻った。24日にはリーグの柏戦(カシマ)も控えているが、11年の東日本大震災で被災した経験を持つクラブの一員として奮い立った。

 同じ苦しみを味わったからこそ、被災地の惨状を放っておけなかった。関係者によると、植田は小笠原に「(被災地のために)何かしたい」と相談を持ちかけた。その後、選手会長の西も交えてクラブと交渉。17日の午前練習後にチームを離れる許可を得た上で同日に熊本へ入った。

 17日午後と、練習がオフだった18日は熊本県内の避難所を慰問するなどの支援活動を行い、同日の最終便で成田空港へ。19日は午前10時と午後3時半からの2部練習があるにもかかわらず、1泊2日の強行日程をこなした。午後11時過ぎに到着した成田空港で、植田は「申し訳ありませんが、きょうの取材は受けられません」とだけ話した。シーズン中に現役選手が被災地に出向いてボランティアを行うのは極めて異例だ。

 U―23日本代表の植田は市役所が半壊した同県宇土市の出身。14日に震度5強の地震に見舞われ、海沿いの家に暮らす家族は近親者宅に一時避難した。だが15日夜にも再び強い揺れに襲われ、自家用車で高台に移動。車中で一夜を明かすつらい生活が続いている。完封勝利した16日の湘南戦後はインタビューで涙を流し「今すぐに熊本へ行って、できることがあれば何でもやりたい」と話していた。

 先輩の小笠原も植田の気持ちに同調した。岩手・盛岡市出身。高校時代を過ごした大船渡市は11年3月11日の東日本大震災で津波などの甚大な被害を受けた。「東北人魂を持つJ選手の会」の発起人となって震災直後から物資支援やグラウンド設置などに携わっており、今回も再び立ち上がった形だ。

 現時点では今後、九州でJリーグの試合が開催できるかどうかは未定。J2熊本は20日までトップチームの活動を休止することを発表している。各クラブが試合前にスタジアムで募金活動を行うなど、支援の輪は広がりつつある。首位の川崎を勝ち点1差の2位で追う鹿島は24日に柏戦が待つ。19日からはサッカー選手として“本業”で力の限りプレーして、故郷に勇気を届ける。


 ◆主な現役アスリートの被災地支援活動

 ▽2001年9月 米大リーグ・メッツの新庄剛志外野手が米中枢同時テロ後、支援物資の集積所となっていたニューヨークの本拠地球場で、物資の荷降ろしなどを手伝った。

 ▽2011年4月 男子ゴルフのマスターズで27位となり、日本人初のベストアマを獲得した松山英樹が、東日本大震災で被災した石巻市など宮城県内3町村にある避難所などに、1リットルパックの牛乳1000本を届けた。

 ▽同年5月 サッカーJ1鹿島のMF小笠原満男が地元・盛岡市内で衣服やトイレットペーパーなど2トントラック1台分の物資を提供。被害を受けた小学生200人と父母80人を移動費&昼食付きで招待し、試合を開催。子供たちにサッカー用品をプレゼントした。

 ▽同年6月 アレックス・ラミレス外野手(当時巨人、現DeNA監督)が1日だけの休養日を利用し、宮城・女川町を訪問。女川第二小の児童らと野球教室などで交流し、2000枚のTシャツと野球道具を贈った。

熊本出身の鹿島・植田ら被災者見舞う 力士の募金活動も
2016年4月19日01時38分

 熊本を中心に相次いでいる地震を受け、サッカーの23歳以下(U23)日本代表で熊本県宇土市出身のDF植田らJ1鹿島の6選手が自主的に熊本に入り、被災者に救援物資を届けた。

 鹿島の広報担当者によると、熊本入りしたのは植田のほか、岩手・大船渡高出身で東日本大震災の被災地でサッカー教室を続けている元日本代表MF小笠原や選手会長のDF西、MF久保田、FW鈴木、FW垣田の6人。17日午前の練習後からチーム練習が休みとなる18日の2日間を使って熊本に行くことをクラブに申し出て、許可を得た。

 6人は17日、成田空港から福岡空港に飛び、福岡から水などを積んだレンタカー3台で熊本へ。県内の被災者を見舞ったという。

 熊本県内の高校のサッカー部に所属する3年生との自己紹介があるツイッターには、選手たちとの記念写真とともに「プロサッカー選手が支援来てくれた。ほんとに元気もらえる。頑張れる」と書き込まれた。

 春巡業中の大相撲では18日、九州出身の力士たちが中心となり、奉納大相撲が開かれた東京・靖国神社で募金活動をした。

 熊本県玉名市出身の天鎧鵬(てんかいほう)の実家では、多くの物が倒れた。家族は今、高台の駐車場に車を止め、そこで日々を送っているという。天鎧鵬は「父はエコノミークラス症候群みたいな状態になり、母はじんましんが出たと聞き、とても心配。自分は相撲しかなく、土俵を盛り上げて元気を与えられれば」と話した。

 大分県佐伯市出身の嘉風は、「いつまた地震が来るか気が気じゃないと家族から聞き、自分も心が痛い。少しでも気が紛れるように一生懸命相撲を取るしかない」と神妙な面持ちで語った。



チンチロリン


熊本へ行き、被災地支援活動を行った満男、植田、西、垣田、和音、優磨である。
植田の気持ちを満男らが汲み、クラブの支えもあって実現した格好である。
この素早い対応は、この鹿島アントラーズというクラブの素晴らしさをと言えよう。
強行日程であったが、やれることを迅速に行う姿は胸を打つ。
また、熊本の皆さんの力にもなったのではなかろうか。
そして、こうした報を耳にし、更に声援を送りたくなる。
応援しておる。


チンチロリン

鹿島ユース、敗戦を喫す

2016年04月18日 | Weblog
[プレミアリーグEAST]柏U-18がU-17代表FW中村2発などで王者・鹿島ユース撃破!青森山田、FC東京U-18も勝ち点3獲得!:第2節2日目
16/4/17 19:53



高円宮杯U-18サッカーリーグ2016 プレミアリーグEAST

 高円宮杯U-18サッカーリーグ2016 プレミアリーグEASTは17日、第2節2日目の4試合を行った。

 昨年優勝の鹿島アントラーズユース(茨城)と一昨年優勝の柏レイソルU-18(千葉)が激突した新旧王者対決は前半16分に柏のU-17日本代表FW中村駿太が先制ゴール。後半10分に中村が2点目のゴールを決めた柏は16分にもMF大谷京平が決めて3-0と突き放す。鹿島もFW石津駿斗とDF井村瞭介のゴールによって1点差まで詰め寄ったが、逃げ切った柏が3-2で勝利している。

 昨年2位の青森山田高(青森)と同3位の大宮アルディージャユース(埼玉)との一戦は前半12分に大宮の1年生FW渡辺俊介が先制ゴール。対する青森山田は後半24分にDF小山新のゴールで追いつくと、30分にはDF三国スティビアエブスが決勝点を決めて2-1で逆転勝ちした。

 流通経済大柏高(千葉)対FC東京U-18(東京)戦は前半4分にFW中村翼のPKで流経大柏が先制。だが、FC東京は7分に右FKからMF内田宅哉が同点ヘッドを決める。そしてFC東京は後半17分、右SB岡庭愁人が対面したDFの股間を抜くドリブル突破。そしてマイナスの折り返しを交代出場のFW鈴木郁也が左足で押し込み、2-1で逆転勝ちを収めた。

 清水エスパルスユース(静岡)対アルビレックス新潟U-18(新潟)戦は前半4分にホームの清水がFW中野優太のゴールで先制。だが新潟は38分にFW堀航輝が同点ゴールを決めて1-1の引き分けに持ち込み、プレミアリーグ初勝ち点を挙げている。

 16日には第2節1日目の横浜F・マリノスユース(神奈川)対市立船橋高(千葉)戦を行い、市立船橋が2-1で勝った。市立船橋は0-0の後半8分、右クロスをファーサイドのFW村上弘有が頭で折り返すと、これを受けた西羽が巧みなターンから左足で先制ゴール。23分にも右CKにCB原輝綺が競り勝ち、最後はファーサイドの西羽が合わせて2-0と突き放す。終盤盛り返した横浜FMは41分に右SB常本佳吾主将が豪快な右足ミドルを叩き込んで1点を返したものの、逃げ切った市立船橋が開幕2連勝を飾っている。

高円宮杯U-18プレミアリーグEAST 雨中の激戦、柏が鹿島を下す
2016年04月18日

ピックアップマッチ
鹿島アントラーズユース 2-3(前半0-1、後半2-2)柏レイソルU-18
高円宮杯U-18プレミアリーグEAST第2節が4月16日(土)と17日(日)に開催され、鹿島アントラーズユース(茨城)は県立カシマサッカースタジアムで柏レイソルU-18(千葉)と対戦しました。
強風の中で行われた一戦、ボールが自陣に押し戻されるなど、厳しいコンディションの中、柏が先制します。16分、中央でパスを受けた落合陸選手が右サイドの坂本涼斗選手に展開。坂本選手の折り返しを、中村駿太選手が冷静に蹴り込みました。先制点で勢いに乗った柏はテンポよくボールを動かし、優位に立ったままハーフタイムを迎えます。
後半は激しい雨が降り始めましたが、試合は熱を帯びていきます。55分、柏は同点に追い付こうと前掛かりになった鹿島の隙を突きました。最終ラインから送られた縦パスに反応した中村選手が抜け出し、前に出ていたGKの頭上を破るループシュートでチームに追加点をもたらします。その6分後には、中村陸選手のパスを受けた大谷京平選手がシュートを決め、柏が3-0と鹿島を突き放しました。
鹿島の選手たちも黙ってはいません。69分、渡邉伶那斗選手や西本卓申選手らが、素早いフォアチェックでCKを獲得。小沼樹輝選手のキックが、相手GKのファンブルを誘い、最後は石津駿斗選手がゴールを奪います。さらに攻勢を強める鹿島は、直後の70分にCKから中村勇太選手が頭で合わせますが、これは柏のGK猿田遥己選手の好セーブに阻まれます。なおも攻撃を続ける鹿島は89分、右サイドを突破した白井亮選手のクロスボールに井村瞭介選手が飛び込んで、1点差にまで迫ります。しかし、鹿島にとって、3点差を追い追い付くことは至難の業でした。スコアはこれ以上動かず、雨中の熱戦は柏が3-2で鹿島を振り切って今季初勝利をつかみました。



監督・選手コメント
熊谷浩二 監督(鹿島アントラーズユース)
敗戦は妥当な結果だと思います。柏はボールを保持しながら崩しにかかるチームだと認識して戦いました。ホーム開幕戦ということで、選手たちは強い気持ちで戦っていました。ただ、劣勢に陥ってから(攻撃の)スイッチが入るようでは遅いですし、ある意味、こうした課題をシーズンの序盤に得ることができたのはプラスと捉えています。どんな試合であろうと、一戦一戦の重みを感じなければ成長にはつながりません。今日の敗戦の重みをしっかりと感じて、プラスに変えていかなければと思います。

西本卓申 選手(鹿島アントラーズユース)
今年のチームは昨年と比べて個々の能力が落ちるので、前半から試合の主導権を握るべく、もっと積極的に戦わないと苦しくなってしまいます。「力の入れどころ」を明確にしないといけないと思いました。先制された後、反撃に出るのか、0-1のまま試合を運ぶのかが中途半端になっていたところで追加点を決められ、ようやく戦い方がはっきりしたのですが、それでは遅すぎます。僕らはプレミアリーグEASTの10番目のチームだと思っているので、そこから這い上がれるように、責任感を持って戦いたいと思います。


永井俊太 監督(柏レイソルU-18)
鹿島はロングボールやセットプレーが絡む攻撃を得意としているので、相手の得意な形に持ち込ませないように意識していました。選手たちは本当によく頑張ってくれましたし、全力を尽くした結果、勝点3を得ることができたのだと思います。リードして迎えた後半は守備に人数を割くことを想定しており、途中出場の選手もよく戦ってくれました。毎週、このレベルで戦えるのは幸せですし、今回、鹿島に勝ったことで大きな自信にもつながると思います。

中村駿太 選手(柏レイソルU-18)
鹿島は競り合いに強いので、この一週間、ロングボール対策に取り組んできました。準備はしていても、今日の試合ではロングボールから危ない場面を招き、「鹿島はさすがだな」と思いました。それと同時に、相手の攻撃に少しでも対応することができたからこそ、2失点で抑えられたのだと思います。個人的には、開幕戦がベンチスタートだったので、今回の鹿島戦が僕にとっての開幕戦というつもりでプレーしました。FWである以上、絶対に点を取ってチームを勝たせたいと思っていました。



その他の試合結果
横浜F・マリノスユース 1-2(前半0-0、後半1-2)市立船橋高校
青森山田高校 2-1(前半0-1、後半2-0)大宮アルディージャユース
流通経済大学付属柏高校 1-2(前半1-1、後半0-1)FC東京U-18
清水エスパルスユース 1-1(前半1-1、後半0-0)アルビレックス新潟U-18
市立船橋高校(千葉)は西羽拓選手の2ゴールで横浜F・マリノスユース(神奈川)を下し、連勝スタートを切っています。同じ高体連の青森山田高校(青森)はホームで先制を許しましたが、後半に小山新選手と三国スティビアエブス選手のゴールで大宮アルディージャユース(埼玉)を逆転。こちらも連勝を飾っています。流通経済大学付属高校(千葉)は、ホームでFC東京U-18(東京)に敗れて連敗。清水エスパルスユース(静岡)とアルビレックス新潟U-18(新潟)は接戦の末、ドローで勝点1を分け合いました。



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プレミアリーグEAST第2節を2-3にて落とした鹿島ユースである。
これは無念。
ミスから3失点し、2点返して追い上げたが、ここまでとなった。
メンタル的には強い者を感じさせたが、敗戦を喫してしまい悔しいものとなった。
熊谷監督も西本卓申くんも攻撃のスイッチが入るのが遅かったと言う。
課題ははっきりしておる。
この敗戦を糧とし、成長していくのだ。
期待しておる。


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聖真、父親の言葉は大きかったですね

2016年04月18日 | Weblog
開眼した鹿島の背番号8、土居聖真「どのサッカー関係者より、父親の言葉が一番説得力がある」


|父親から届いた一通のメールが土居聖真を変えた

 3-0で勝利したJ1 1stステージ第7節の湘南ベルマーレ戦で、ダメ押しとなる3点目を決めた鹿島アントラーズの土居聖真を囲んでいたほとんどの記者が、スッと引いた後だった。

 前節のサンフレッチェ広島戦に続くゴールに加え、攻守に貢献していた姿を見て、「プレーの選択肢に幅がでてきたのでは?」と告げると、「今は周りがだいぶ見えるようになった。自分の特徴も活かしつつ、周りも活かすことが好きなので、納得のいくプレーができています」と、充実の答えが返ってきた。そして、彼はこうコメントを続けた。

 「父親のおかげなんです」

 しばらく間があり、次の質問を投げかけようとしていた矢先の発言にこちらが驚いた。おそらく、本人も言おうかどうしようか迷っていたのだろう。

 「父親は普段、僕のプレーに全くダメ出しとかしない人なんですけど、珍しく厳しい指摘を受けたんですよね」

 それはケガにより出遅れ、途中出場の多かった土居が、ようやく今シーズン初先発のチャンスをつかんだ3月23日のナビスコカップグループステージ第1節、ヴァンフォーレ甲府戦の後だった。土居は先発しながらも無得点に終わり、鹿島も1-2で敗れていた。土居の携帯電話に父親からメールが届く。

 「幼稚園からお前のプレーを見てきているけど、人生で一番悪かったなって言われたんですよね」

 自分自身も分かっていただけに「図星だった」と言う。ただ、メールに書かれていたのは、単に厳しい言葉だけではなかった。

 「やりたいことはあって、やらなきゃいけないことは分かっているんだけど、それをどうしたらいいかが分からなかった。それを父親は聞いたわけでもないのに、こうしたらいいんじゃないかって言ってくれて。もう、それを聞いた瞬間に、殻が破けたというか、目の前が広がったんですよね」



|父親の言葉で開眼した土居は2試合連続得点を記録

 父親の言葉がどれほどのものだったかは、その後の土居のプレーを見れば明らかだ。第5節の川崎フロンターレ戦では得点こそ奪えなかったが、途中出場から何度も決定機に顔を出した。川崎戦では何度もゴール前に走り込み、パスではなくシュートという強気な選択をする土居のプレーが見られた。足りなかったのは、もはやゴールという結果だけだった。

 ゴール前での積極性やゴールに向かう姿勢は石井正忠監督に評価され、第6節、広島戦での今季リーグ戦初先発につながった。その試合で今季初得点をマークした土居は、さらに調子を上げると、湘南戦の65分、カウンターから金崎夢生のラストパスに身体を投げ出すと、右足で合わせ2試合連続ゴールを挙げた。

 「どのサッカー関係者よりも、父親の言葉って一番説得力があるんですよね」

 少し目をこすりながら話す彼には、もしかしたらこみ上げてくるものがあったのかもしれない。言ってしまえば、チームメイトよりも、監督よりも、コーチよりも、父親こそが自分だけを見てくれる最大にして身近な理解者である。自分だけのコーチであり、サポーターであり、ファンでもある父親の言葉は彼を大きく突き動かした。

 「父親の言うことをしっかり受け止めて、やれば変われるなって思った。ケガをして、いろいろと考えてたこともきっかけといえば、きっかけですけど、父親の言葉は大きかったですね」


|優勝して初めて父親への恩返しになる

 堅守をベースに勝利を重ねてきた鹿島は、広島戦では4-1、湘南戦では3-0と、攻撃も結果を出し始めている。昨季はホーム&アウェイともに敗戦した湘南に勝利できたことも自信になったはずだ。

 「みんな、口には出さないけど、どこかで前からガツガツ来るチームは苦手というか、押し込まれるイメージがあったと思う。でも、今日(の試合)は逆に相手のやりたいことを自分たちがやることができた。出られないときに感じていたのが試合の入り方。いい形で試合に入れれば、このチームは負けない。それを自分が試合に出たら、行動やプレーで示せればとは思っていた」

 だから、土居はキックオフと同時にフルスロットルでプレーする。攻撃だけでなく、本人曰く「勝手に身体が動く」という守備でも、前線からプレスを掛けて相手の攻撃を限定している。

 「いい守備ができれば、いい攻撃につながりますからね」

 常勝軍団と言われる鹿島が目指すのは準優勝や2位ではなく、優勝である。タイトルを渇望するファン、サポーター、そして自分自身を常に見守ってくれる親のために、土居は最後にこう言った。

 「優勝して初めて父親にも恩返しになると思います」

 開眼した鹿島の背番号8は、果敢にゴールを目指す。

文:原田大輔
写真:佐野美樹



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父親よりのメールにて開眼した聖真である。
広島戦、湘南戦と連続ゴールを決めており、完全復活と言える活躍をしておる。
その裏には、表に出てこなかった父子の絆があった。
それを引き出した文責の原田氏には感謝したいところ。
ゴールこそ至らなかった川崎戦での躍動には、殻を破った聖真の序章だった様子。
負傷以前以上の輝きを魅せておるのもそのおかげとわかった。
これから先も更に進化してくれよう。
聖真のゴールで歓喜していく。
楽しみである。


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鹿島が絶妙なコンビネーションで快勝

2016年04月18日 | Weblog
【J1 1stステージ第7節 湘南 vs 鹿島 レビュー】
鹿島が絶妙なコンビネーションで快勝。湘南はリーグ戦初勝利を飾れず。

Text by 石川 聡

2016明治安田生命J1リーグ1stステージは4月15、16日に第7節が開催されたが、熊本地震の影響でアビスパ福岡対名古屋グランパス、サガン鳥栖対ヴィッセル神戸の2試合が中止となり、7試合が行われた。J SPORTSで生放送された一戦では、鹿島アントラーズが湘南ベルマーレに3-0で快勝した。鹿島は20分にFW金崎夢生が先制すると、前半終了直前の45分に相手オウンゴールで追加点。65分にはFW土居聖真がリードを3点に広げた。湘南は今シーズンのリーグ戦でまだ勝星がなく、4連敗となった。

今節を前に、首位の川崎フロンターレを勝点1差で追う2位の鹿島と、まだ勝利がなく最下位に沈む湘南の勢いの差が出た試合だった。先制点と2点目は似たような形から生まれた。均衡を破った得点は、右サイドからDF西大伍が上げたクロスをゴール前で競った土居が頭でわずかに触り、ファーサイドで受けた金崎が落ち着いて決めた。続く2点目は、やはり右サイドからのMF永木亮太のクロスから。逆サイドをオーバーラップしたDF山本脩斗に渡り、その折り返しを湘南DFアンドレ バイアがクリアし切れなかった。鹿島はじっくりとボールをキープしての攻めができるからこそ、こうしたシンプルな形も効果的なのだろう。意図的であるかどうかは別として、ボールをつなぎ、守備のほころびを狙って縦パスを入れてくると思わせることで、相手守備陣は自ゴール近くを固めざるを得なくなる。ゴール前には人数がいながら、中盤に人が足らず、プレスを受けない西や永木は楽々と正確なクロスを上げることができた。

試合終了直後のJ SPORTSのインタビューに、鹿島の石井正忠監督が「しっかりした守備があるからこそ、コンビネーションを使った攻めができる」と語ったプレーを象徴したのが、3点目だ。中盤で永木がスライディングでボールを奪い、それを拾ったMF遠藤康が金崎に縦パス。金崎はゴール前に低いクロスを送り、土居がピンポイントで合わせた。永木のボール奪取を周囲の選手が予想し、それに応じて各自がそれぞれの攻撃態勢に入る意識の共有と連動。こうしたコンビネーションでは鹿島に一日の長があり、湘南の貴裁監督も「彼ら(鹿島)が見せたパフォーマンスには、われわれと非常に差があるなというところを感じている」と脱帽だった。

持ち前の堅守も揺るぎない。7試合で失点3はJ1最少。何よりもこの試合ではDFの昌子源、植田直通というセンターバックコンビの安定感が際立っていた。西、山本というサイドバックが相手陣内深く進出できるのも、彼らが控えているからこそ。地震で甚大な被害を受けた熊本県出身の植田は「絶対勝ってやろうと思って戦った」とこの試合に懸ける強い思いを語り、タフな守備で無失点に貢献。石井監督も「植田らしいしっかりとした守りをやってくれた」と、21歳のセンターバックをたたえた。また、前線の選手たちの相手選手に対するアプローチも速く、余裕のある攻撃を許さなかった。チーム全体に行き渡る守備意識の高さが随所に現われた、鹿島らしい快勝だった。

湘南は昨シーズン、鹿島に2戦2勝の成績を残している。いずれも相手に約2倍のシュートを打たれながらも、数少ない好機を確実に生かして共に2-1の勝利。しかし、今シーズン開幕を前に、その主役を担ったキャプテンの永木が鹿島へ移籍したのをはじめ、何人かの主力選手が新天地を求めた。鹿島とは対照的にJ1最多の失点18、しかもリーグ戦未勝利となれば、戦力ダウンに結び付けられるのも仕方がない。今回の対戦では、左右両サイドのDF三竿雄斗、MF菊池大介が押し込まれてしまい、中盤で主導権を握れず、前方への攻撃の推進力も欠いてしまった。まさに今は我慢の時、正念場にある貴裁監督の苦悩はどれほどのものか。しかし、苦境にあっても自らの信念を貫こうとする姿勢には、拍手を送りたくなる。「信ずる方向性を示し、それに向かって選手たちが努力する」と、揺るぎないチームの基本方針を毅然として説明する貴裁監督。限られた戦力をやりくりしながら、策を練りながら、強豪に伍してJ1の荒波を渡っていく湘南の復活に期待したい。



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「勢いの差が出た試合だった」と述べるJSPORTSの石川氏によるマッチレビューである。
じっくり攻める形があるからこそのアーリークロスが生き、先制点。追加点となったと綴る。
西とヤスに岳が絡む右サイドの攻めは、しつこいほどのパス回しで守る者を警戒させる。
事実、FC東京戦の追加点はパスを丁寧に繰り返した挙げ句のクロスからのゴールであった。
湘南の左サイドの守備はそれを強く意識しておったように感じる。
そこをシンプルに上げられては、DF陣も対処しきれなかったように感じる。
ゴールにつながったこのシーンだけでなく、試合開始後、早い時間帯にヤスが上げて聖真がヘディングしたこの試合のファーストシュートも、簡単に上げ、簡単に決定機となった。
惜しくもバーを越えゴールに至らなかったが、鹿島の意図が感じられたシーンであった。
また、鹿島の守備にも言及せねばなるまい。
この日は完封、リーグ戦通算も3失点と堅守を誇っており、湘南にチャンスらしいチャンスは作らせずに試合を終えた。
源と植田のコンビは、若いながらも経験を誇る熟練選手がごとき振る舞いを見せ始めておる。
堅守と攻撃力で勝ち点を積み重ねていく。
今季のリーグ戦が毎試合楽しみである。


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ケルン・大迫、逆転勝利に貢献

2016年04月18日 | Weblog
ケルンFW大迫が“半端ない逆転劇”を演出! 指揮官も称賛「重要な貢献をした」
2016年04月18日(月) 05時15分配信


逆転劇に貢献したFW大迫勇也 photo/Getty Images

大迫出場から23分で3得点

ケルンFW大迫勇也がブンデスリーガ第30節マインツ戦で3試合ぶりの出場を果たした。
4月3日に開催されたホッフェンハイム戦から2試合連続ベンチ外となっていた大迫だが、17日に行われた敵地でのマインツ戦にはベンチ入り。ケルンが2点ビハインドで迎えた60分からMFミロシュ・ヨイッチと共にピッチに投入されると、チームは64分にコーナーキックからMFマルセル・リッセが1点を返す。勢いに乗るケルンは74分にもヨイッチがネットを揺らし同点とすると、83分にはFWアントニー・モデストが決勝弾。大迫とヨイッチの同時投入からケルンが3得点を挙げ、逆転勝利で勝ち点3を手にした。
試合後、ケルンの指揮を執るペーター・シュテーガー監督は4試合ぶりの勝利に「我々の底力を見せることができて、非常に満足している」と話し、「大迫とヨイッチが逆転に重要な貢献をしたことが非常に嬉しい」と途中出場でピッチに立ち勝利を呼び込んだ2人のパフォーマンスを称賛している。同氏のコメントをクラブ公式ツイッターが伝えた。
4試合ぶりに勝ち点3を加えたケルンはシーズン4試合を残して10位に浮上。大迫も久しぶりの出場で結果を残した。30試合を消化したクラブで20試合に出場し、開幕戦で挙げた1得点のみに留まっている大迫だが、ラスト4試合でケルンを更に上位に導く活躍ができるだろうか。次節は23日、ホームでダルムシュタットと対戦する。

大迫投入から23分で3ゴール! “大迫力”な攻撃を牽引した大迫にドイツ紙もチーム内最高評価
2016年04月18日(月) 05時56分配信


途中出場で流れを変えた大迫勇也 photo/Getty Images

ポストプレイで存在感を発揮

ケルンFW大迫勇也がブンデスリーガ第30節マインツ戦で3試合ぶりの出場を果たし、ケルンの逆転勝利に貢献した。
4月3日に開催されたホッフェンハイム戦から2試合連続ベンチ外となっていた大迫だが、17日に行われた敵地でのマインツ戦には、ケルンが2点ビハインドで迎えた60分からMFミロシュ・ヨイッチと共にピッチに投入される。するとチームは64分にコーナーキックからMFマルセル・リッセが1点を返し、74分にもヨイッチがネットを揺らして2-2の同点。さらに大迫投入から23分後となる83分にはFWアントニー・モデストが逆転ゴールを決め、3-2で勝利を収めた。久しぶりに出場を果たした大迫も得点にこそ絡めなかったが、ポストプレイなどで存在感を発揮。ケルンの逆転劇に大きく貢献している。
独『Bild』による試合後の採点(1が最高点、6が最低点)では、得点を挙げたモデストやリッセに同試合の最高点となる「2」の評価。さらに60分から出場してケルンに勝利を呼び込んだヨイッチ、そして大迫勇也にも「2」が与えられた。また、60分に交代が告げられたDFドミニク・ハインツとFWジモン・ツォラーにはチーム最低点となる「5」の採点。この数字だけを見ても、次節は大迫が先発出場でピッチに立つ可能性も大いにあるだろう。
現在10位のケルンは次節、同勝ち点で11位につけるダルムシュタットをホームスタジアムに迎える。今季20試合に出場して1得点のみに留まっている大迫だが、今度は得点という形でクラブを勝利に導けるだろうか。



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マインツ戦にて途中出場したケルンの大迫である。
チームは大迫投入後に2点差をひっくり返して逆転勝利、大迫は多大な貢献をした模様。
指揮官も賞賛のコメントを発しており、信頼は厚くなったのではなかろうか。
シーズン終盤に活躍し、来季へ繋げよ。
大迫活躍の報を待っておる。


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