マイペイント(油彩画と旅の写真)

絵を描いて8年 漸く個展も開けるようになりました
併せて、風景画の現場となった旅の写真もご覧ください。。

オリンピアの聖地カタコロン(その19)

2017-09-29 09:28:20 | Weblog
前回掲載したメインスタジアムの選手や観客の入場門です。
アーチ状の綺麗な門が今もそのまま残って居ました。

私たちも当時の情景を想像しながら、この門をくぐって競技場に
入場しました。

オリンピアの聖地カタコロン(その18)

2017-09-27 07:57:40 | Weblog
聖火の採火場の遺跡を観終わり、もう一つの目玉遺跡であるオリンピック
発祥地のメインスタジアムに向かいました。

写真の中心にあるアーチ状の建造物が選手たちの競技場への出入り口のもんです。
その後方が競技場で、大きなすり鉢状に成っとり今は観覧席もフイールドも綺麗な

芝で覆われていました。

オリンピアの聖地カタコロン(その17)

2017-09-25 09:53:10 | Weblog
此の写真は私が撮ったものではありません。四年に一回しか観られない
光景ですから、これに立ち会える人は極めて限られた人々と思います。

この写真は遺跡の中にある博物館で購入した絵葉書の一部です。
場所は前回の写真の後方に見えた広場で行われ一番右に有る半円球の黒い反射板で

太陽の熱を一点に集め採火し、別の女性が持つ器に点火して、厳重保管、
管理され、オリンピック開催地に運ばれることになります。

男性が一人もいないのが、不思議です。


オリンピアの聖地カタコロン(その16)

2017-09-23 09:04:26 | Weblog
今日の写真の光景がオリンピック聖火を採火する場所で、ほぼ、当時の
原形通りの姿で、前方の突き出した石壇が採火する所、後方の広い石畳状

の場所が儀式を行った場所です。
三年後の東京オリンピックの聖火もここで、太陽から採火され日本の地に

運ばれてくることになります。


オリンピアの聖地カタコロン(その15)

2017-09-21 09:03:10 | Weblog
まだまだ、当時の移籍の面影を残す石材郡はたくさんありますが観光
順路として、オリンピック聖火の採火場に到着しました。

今日の写真は採火場の真横に有る説明掲示板です。
遺跡の中の位置,採火儀式の様子とその説明が表示されていました。

オリンピアの聖地カタコロン(その14)

2017-09-19 08:35:04 | Weblog
前回掲載の石柱に近寄って、真横から撮った写真です。
周りの樹木(相当大きなオリーブの木)と比較してもまた前方にいる

人と比較しても、その巨大さに驚きました。
また、柱の近くに有る大きな円形に石は多分柱を支える礎石と思われます。

今、このカタコロンでは、一部の建造物の復元工事が行われています。

オリンピアの聖地カタコロン(その13)

2017-09-17 09:23:16 | Weblog
今日も石柱ですが二本の石柱が、ほぼ建設当時の原形を残しており
その上に横たわる石材も原形を、留めていました。

神殿か別の用途の建造物への入りと思われます。
私も記念にくぐってきましたが、写真で見るより、ずっと大きく、

高く、よく観ると幾つかの短い石柱が継ぎ足されており、この技術
の精巧さにも感心しました。


オリンピアの聖地カタコロン(その12)

2017-09-15 09:48:19 | 絵画と旅の写真
きょうの写真は聖火を太陽から採火する神聖な採火上場跡に向かう道
です。

向かって右側に建ち並ぶ石柱は、当時のままの姿を残しており、壮観でした。
この石柱にはすべて縦じま模様が刻まれた居ました。

柱の上には多分神話に登場する人物の彫像が建ち並んでいたもの想像されます。

オリンピアの聖地カタコロン(その11)

2017-09-13 07:45:38 | Weblog
毎回よく似た石の風景が続きますが、よく観るととても新鮮さを感じるので
敢えて掲載をしています。ご了承ください。

今日の石の集合群も、多分神殿などの礎石群だと思います。
この場所に壮大な建造物が建ち並んで貴族、選手、観客が大勢往来指定いた

光景が浮かんできます。

オリンピアの聖地カタコロン(その10)

2017-09-11 08:01:16 | Weblog
オリンピック発祥の地のメイン競技場に向かう途中で見つけた
大変大きな脊柱です。

直径がⅠメートル近くもあり高さも10メートル近くありました。
柱の一番上には台のようなものがあり、この上に、彫像があったのか

あるいは神殿の屋根を支えていたのか、いろいろの想像を掻き立てる
石柱です。