メスキータのないぶ(その3) 2010-05-30 08:35:02 | Weblog メスキータののモスク部分のアーチを支えている大理石の柱に、前日より 近図いて、撮影しました。 大理石の石の模様と色が一本一本異なり、異なっていることが不思議な美しさを かもし出していました。 また、頬や手を当てると、ひんやりとした中に石の持つ温かさも感じられました。
メスキータの内部(その2) 2010-05-28 09:22:25 | Weblog 前回は、赤と白のアーチを正面から眺めましたが、今日は横から眺めたアーチです。 此のアーチを支えている大理石の柱は、800本以上も使われているとの事です。 ガイドさんの説明によると、この柱の一本、一本に、柱を寄贈した人や、此の柱を 造った工人の名前が刻まれているとの事で、よく探してみると、いくつかの ラテン語による名前らしきものを見つけることが出来ました。それにしても 8世紀、日本では奈良時代に当たりますが、よくもこのような、大規模な建造物が できた物だと、思いましたが、飛鳥時代の法隆寺や、奈良時代の東大寺も決して 劣らない建造物だとも思いました。
メスキータの内部(その1) 2010-05-26 07:50:34 | Weblog メスキータの内部に入りました。 メスキータと言えば先ず最初に目を見張るのが『円柱の森』の馬蹄形のアーチです。 円柱は全て大理石で、アーチは白い漆喰と赤い煉瓦で造られており、メスキータで 一番最初に建てられた部分と言われております。
メスキータの塔 2010-05-24 10:49:37 | Weblog ユダヤ人街を抜けて、広場に出ると目の前にメスキータの塔が迫ってきます。 此の塔は、メスキータ(モスク)のミナレット(尖塔)として建てられたもので その後、メコンキスタにより、キリスト教の聖堂になってからは,鐘堂として 町のシンボルと成っています。
メスキータの外壁 2010-05-22 08:08:13 | Weblog ローマ橋を渡りきると、目の前にメスキータの外壁が迫ってきます。 もともと、メスキータは,八世紀半ばにコルドバが最も栄え、そのときに建てられた お城デアンダルシア地方に誕生した最初のイスラム王国の居城と言われています。 此の外壁も戦闘用に構築された壁で、頑丈そのものと言う感じがしました。
夕陽に映えるメスキータ 2010-05-20 08:20:10 | Weblog ローマ橋の上から夕陽に映えるメスキータを観ることが出来ました。 ピンクがかった煉瓦の壁面に夕陽が反射して、固唾を呑むような光景に 暫く,歩を止めて眺めていました。 塔も写真の中に入れたかったのですが、私のカメラと技術では無理でした。 将に描いてみたい風景と色でした。
ローマ橋 2010-05-18 07:56:24 | Weblog ローマ橋を渡るともうすぐ、メスキータが目の前に現れます。 此の橋は、ローマ時代に架けられたので、此の用にいます。呼ばれて 戦いのたびに幾度となく壊されたが、コルドバの人たちにより、その度に直され 架け替えられして、現在に至っており、ローマ時代からの歴史が濃厚に滲みこんだ 橋です。
川の対岸から観たメスキータの全容 2010-05-16 09:41:27 | Weblog コルドバの町に入る手前にグァダルキビール川が流れていて、有名な ローマ橋が架かっています。 橋を渡る前に対岸から見えるメスキータの全容です。 一部修復中の様子も見えました。 アルハンブラとは、異なった威容を誇っていると思いました。
ユダヤ人街で見つけた銅像 2010-05-14 08:30:45 | Weblog ユダヤ人街通のり少し奥まった所に立派な姿の銅像がありました。 添乗員を通じて現地ガイドの方に尋ねたら、此の人物は、マイモ二デスと言う ユダヤ人のお医者さんで、ユダヤ教の教義を教典化するのに大きな貢献を果たした 人物だと言うことでした。 以前にも記しましたが、コルドバは(スペイン全体に共通)キリスト教、イスラム教、 ユダヤ教、そしてローマの文化と時代の変遷と共にお互いが入り混じり、争い、共存 した地域だったことを知りました。
花の小路から見る「メスキータの塔」 2010-05-12 08:09:25 | Weblog 前回掲載したユダヤ人街の花の小路の出口付近から振り返ると、メスキータ(モスク) の塔の上部が良く見えます。 狭い通りなので塔全体を見るには別の場所からしか無理ですが、白壁の家並みの 後方に独特の薄茶色をした塔は、絵になる風景でした。