マイペイント(油彩画と旅の写真)

絵を描いて8年 漸く個展も開けるようになりました
併せて、風景画の現場となった旅の写真もご覧ください。。

トレドの街(その16)

2010-09-29 07:48:51 | Weblog
トレドの街のポリスマンです。
中年と若い二人がペアで、駐車違反の確認をしているようでした。

二人の制服は日本の警察官とは大きく異なり、スポーティーで機能的に
見えました。又、周りの建物の壁にも上手く溶け合って、一つの風景を

作っていました。

トレドの街(その15)

2010-09-27 07:57:28 | Weblog
今日の写真は「騙し絵』のある建物です。
ヨーロッパではイタリア、チエコ、スペインなど多くの国で

見ることが出来ます。
きょうの建物の壁面も実際の窓と絵の窓があります。

よく見ると判りますが、歩きながらでは、見破ることなく通り過ぎて
しまいそうです。

どの階の窓が本物で、どの階が「だまし絵」でしょうか。?????

トレドの街(その14)

2010-09-25 07:26:49 | Weblog
狭い路地から見えるも一つの塔を紹介します。
此の塔はユダヤ教の教会(ジナゴーグと呼ばれている)のもので

トレドの街の狭い路地の奥にいくつもありますが、キリスト教の大聖堂や
イスラム教のモスクに比べると、小規模です。

三っの宗教建築が、今尚共存しているのはトレドの歴史の象徴だと思いました。
遊び心で、セピア色にしてみました。

トレドの街(その13)

2010-09-23 07:29:09 | Weblog
狭い路地が迷路のように張り巡らされた街の中を観光して廻ることに
しました。

今日の光景は、その狭い路地から垣間見ることが出来るカテドラル(大聖堂)
の塔です。

塔がいかに高層の建築物であるかを証明しています。

トレドの街(その12)

2010-09-21 06:55:26 | Weblog
トレドの旧市街への出入り口になっているもう一つの門です。
『太陽の門」と呼ばれており、これもまた、歴史を感じさせる

重厚な門でした。
今日の写真は、バスの窓から撮ったものです。

此の門にも、やはり、ハックスブルグ家の紋章が有りました。

トレドの街(その11)

2010-09-19 07:37:39 | Weblog
前回掲載のアルカンタラ橋を渡ると愈々トレドの街中に入るわけですが
街に入るには、いくつかの門があります。

有名なのは今日掲載の『ビザクラ門」ともう一つあります。
私はビザクラ門を通って街に入りました。

此の門でも目に付いたのがハクスブルグ家の双頭の鷲の紋章でした。
第一次世界大戦の後、崩壊したオーストリア帝国の最盛期の証が、ヨーロッパ中に

今尚歴史の証拠として数多く残っているのに驚嘆します。

トレドの街(その10)

2010-09-17 08:05:31 | Weblog
アルカーサルとカテドラルを後にして、これから旧市街を観て廻りたいと
思いますが、旧市街にはいるのに必ず亘る橋を紹介します。

此の橋はアルカンタラ端と言って、ローマ時代からあったそうですが、戦いの
度に破壊され,その都度復元され、現在の橋も16世紀に復元されたとのことです。

石積みの見事な景観を誇る橋です。
私も、此の橋を渡って旧市街に入りました。

トレドの街(その10)

2010-09-15 07:18:04 | Weblog
カテドラルの正面入り口の上にある、非常に大きな『双頭の鷲」の
レリーフです。

これは、オーストリアのウイーンにその本拠を構え、ヨーロッパの大半を
支配した,ハクスブルグ家の紋章です。

姻戚策により、スペインにも力は及びその証がこの『紋章』に誇示されています。

トレドの街(その9)

2010-09-13 07:22:16 | Weblog
カテドラル正面の彫像に出来る限り近寄って撮影して見ました。
顔を良く観ていると、聖人の慈悲深い表情の中にも大変厳しく精悍な容貌をしているよう

に感じました。
詳しくは判りませんが、聖人というより、トレドの街の守護神的な存在の

人物で、後に聖人に列せられた王様ではないかと思います。

トレドの街(その8)

2010-09-11 07:25:39 | Weblog
カテドラルの正面入り口上部の壁面に並ぶ彫像です。
トレドにゆかりの深い聖人たちが並んでいます。

彫像の保存が極めて良く長年の風雨、戦いに耐え、民衆に心の救いを
与え、今も尚、きりっとした中に優しい微笑を湛え、トレドの人びとは

勿論、世界中の人びとにも、慈愛の眼差しを投げかけているように思えました。