前回の羅漢さんは,穏やかな笑みをしていましたが、
今日の羅漢さんは、怖い顔をなさっています。
だけど、怒っているのではなく、怠けている人の心に
『喝」を入れてくださってるように思います。此の羅漢さんに
会った時、私はそう思いました。
今日の羅漢さんは、怖い顔をなさっています。
だけど、怒っているのではなく、怠けている人の心に
『喝」を入れてくださってるように思います。此の羅漢さんに
会った時、私はそう思いました。
羅漢さんは現世のあらゆる欲望から解放された、将に自由を
楽しむ境地に達した仏の道の修行者で、石仏の一つ一つを見ると
大いに泣き、笑い、時には怒り,哀しみ、それぞれの羅漢さんは
全部異なった表情をしており、円空佛とはまた違った世界を感じます。
今日の羅漢さんは満足そうに笑っていて心が安らぎます。
楽しむ境地に達した仏の道の修行者で、石仏の一つ一つを見ると
大いに泣き、笑い、時には怒り,哀しみ、それぞれの羅漢さんは
全部異なった表情をしており、円空佛とはまた違った世界を感じます。
今日の羅漢さんは満足そうに笑っていて心が安らぎます。
円空の彫り物は、一般には円空仏と言われていますが、今の岐阜県に
住んでいた、若い頃は、『白山信仰」に帰依して修験者の生活をして
いたと言われています。
今日の油彩画はこの時期に彫られた物で、力強さの中に丁寧さを感じ
ます。円空は晩年に近ずくほど、省けるものは全て殺ぎ落とし、極めて
簡略化をはかり仏の心をのみ彫ったような気がします。
住んでいた、若い頃は、『白山信仰」に帰依して修験者の生活をして
いたと言われています。
今日の油彩画はこの時期に彫られた物で、力強さの中に丁寧さを感じ
ます。円空は晩年に近ずくほど、省けるものは全て殺ぎ落とし、極めて
簡略化をはかり仏の心をのみ彫ったような気がします。
趣味として絵を描き始めて10年近くになりますが、何時までも描き続けたい
画題の一つが、石仏(羅漢さん、野仏、道祖神)円空仏、木喰さんで、
今でも描き続けています。
表情や雰囲気を中々出せませんが、私なりに描き続けて行きたいと思っています。
今日の野仏はその微笑に惹かれて描きました。一日に一度こんな笑顔になれる
日々を送りたいと心がけています。
画題の一つが、石仏(羅漢さん、野仏、道祖神)円空仏、木喰さんで、
今でも描き続けています。
表情や雰囲気を中々出せませんが、私なりに描き続けて行きたいと思っています。
今日の野仏はその微笑に惹かれて描きました。一日に一度こんな笑顔になれる
日々を送りたいと心がけています。
一昨年の9月末に知床半島を旅しました。
そのときに立ち寄ったオンネトー(アイヌ語で年老いた湖沼)です。
澄み切った湖面、湖岸の紅葉、そして湖面の先に雌阿寒岳(左側)と阿寒富士
(右側)がどっしりと構えた風景は、秋の知床を代表する一つだと思います。
山頂近くに棚引く雲にも風情を感じました。
遠景の山、中景の瑚,近景の紅葉のバランスに苦心しました。
そのときに立ち寄ったオンネトー(アイヌ語で年老いた湖沼)です。
澄み切った湖面、湖岸の紅葉、そして湖面の先に雌阿寒岳(左側)と阿寒富士
(右側)がどっしりと構えた風景は、秋の知床を代表する一つだと思います。
山頂近くに棚引く雲にも風情を感じました。
遠景の山、中景の瑚,近景の紅葉のバランスに苦心しました。
イタリア旅行は前日紹介分の後ナポリ、カプリ、ローマと続きますが
写真は、ちょっと一休みして、第3回個展以降に描いた油彩画を暫く
掲載したいと思います。
感想やご意見を頂ければ幸甚です。
今日の作品は安曇野の山懐の畑地から雪の穂高を描いた一点です。
安曇野は、山も、川も、広がる農地も、石仏や道祖神も全てが絵心
をそそられる所です。
写真は、ちょっと一休みして、第3回個展以降に描いた油彩画を暫く
掲載したいと思います。
感想やご意見を頂ければ幸甚です。
今日の作品は安曇野の山懐の畑地から雪の穂高を描いた一点です。
安曇野は、山も、川も、広がる農地も、石仏や道祖神も全てが絵心
をそそられる所です。
前2回にわたり「塔ノ街」を写真で紹介しましたが、今日は、旅行後に
描いた『塔ノ町サンジミニゃーノの眺望」を掲載します。
街の少し手前の丘から見た風景で塔が多く見えるアングルを描きました。
Fー30号と私にとっては大きな作品で、結構時間を費やして出来上がりました。
尚、この絵は昨年11月8日に一度掲載したものです。
描いた『塔ノ町サンジミニゃーノの眺望」を掲載します。
街の少し手前の丘から見た風景で塔が多く見えるアングルを描きました。
Fー30号と私にとっては大きな作品で、結構時間を費やして出来上がりました。
尚、この絵は昨年11月8日に一度掲載したものです。
サンジミニャーノの街に入って近くで塔を眺めると意外と大きく高い
建物で、ただ富と権力を誇示するために無駄なものをつくったものだ
なぁとおもいましたが、当時には当時の考えや感覚があり、単純に
現在の物指しでは計れないのかなと思いました。
塔の外壁には、何の装飾も無く極めて素朴なものでしたが、遠くから眺めると
絵になる景観をしていました。
次回は「塔の街の眺望」の油彩画を掲載します。
建物で、ただ富と権力を誇示するために無駄なものをつくったものだ
なぁとおもいましたが、当時には当時の考えや感覚があり、単純に
現在の物指しでは計れないのかなと思いました。
塔の外壁には、何の装飾も無く極めて素朴なものでしたが、遠くから眺めると
絵になる景観をしていました。
次回は「塔の街の眺望」の油彩画を掲載します。