マイペイント(油彩画と旅の写真)

絵を描いて8年 漸く個展も開けるようになりました
併せて、風景画の現場となった旅の写真もご覧ください。。

木目込み人形その4『蛙のB」

2010-02-27 09:05:21 | Weblog
前回に続き「蛙」の二体目です。
大きな目を見開いて何を観ているのでしょうか。

まさか、『棚からぼた餅」を期待しているのでは???
此の蛙君少しお腹が大きくメタボ気味のスタイルで、私の

体形に似ているのが気にいりません。
節食と運動の継続で健康維持に取り組む必要が有ります。

木目込み人形その3「蛙」

2010-02-25 08:59:49 | Weblog
此の蛙、のんびり一休みと大変リラックスしております。
細君の言うには『お父さんが横たわってテレビを見ている姿にそっくり」

だと。最近は、寝そべるのを減らし、座って観る時間を増やしております。

木目込み人形その2「一休さん」

2010-02-23 08:42:29 | Weblog
墨衣にすげ笠を持って、托鉢に出かける一休さんです。
小さい頃から、大人になるまで「頓知の一休さん」「可愛い一休さん」

鹿頭に無かったですが、三十路を過ぎてから、生い立ち、私生活、などを
知り、新しい一休像が得られました。

木目込み人形その1(お雛様)

2010-02-21 08:50:25 | Weblog
妻が趣味で作っている木目込み人形です。
丁度、今の季節柄、桃の節句のお雛様を紹介します。

今年は、内孫が初節句を迎えるので、昨年の夏頃から造り始め
年末に漸く完成しました。

孫本人はまだ見ても何も解りませんが、長男夫婦が喜んでくれたので
造った甲斐があったと家内も喜んでいました。

2009年に描いた作品その22(フィョルドの秋)

2010-02-17 08:43:06 | Weblog
昨年中に描いた作品も今日の掲載で終了です。
今日の作品は先日掲載しましたノルウエーのファルダンゲルフィョルドの

別の場所からの風景です。
観光船がエンジン故障の為、途中に上陸した酪農の村からフィョルドを眺めた

風景です。予測しなかった行程で素晴らしい景色に出会いラッキーでした。
次回からの掲載は、以前にも紹介しましたが、家内が趣味で作っている

「江戸木目込み人形」を何点か掲載します。ご覧ください。
尚、次回掲載日は都合により21日になります。ご了承ください。

2009年に描いた作品その21(アラブの少年)

2010-02-15 08:47:20 | Weblog
此の作品は人物画の課題作として、現在師事している先生から与えられた、写真を
自分なりに構成して描いた物です。

羊追いの後の一時の休息か、はにかんだ眼が何かを語っているように思える
表情を描きました。

この作品で人物画の難しさを知り、いい勉強をしました。

2009年に描いた作品その20(ファルダンゲルフィヨルド)

2010-02-13 08:11:30 | Weblog
北欧四カ国を旅行したのは、もう六年も前になりますが、一点も描いていなかったので
昨年漸く描くことが出来ました。

ノルウエーには数多くのフイヨルドがありますが、その一つであるファルダンゲル
フィョルドの景観です。

観光船で断崖の近くまで接近した光景は圧倒されるものがありました。氷河がえぐり
取った跡の岩肌は鋭利な刃物で切り取られたような、状態でした。


2009年に描いた作品その19(洞窟のフラメンコ)

2010-02-11 08:31:50 | Weblog
スペインと言えば闘牛とフラメンコは見逃すことは出来ません。
フラメンコは大きな舞台でのショースタイルと洞窟の中で純粋のロマの

人々によって踊られるものと、大きく二つに分かれますが、今回その両方を
観ましたが、後者の方が圧倒的に良かったです。

土俗的な匂いと,エネルギッシュな動き、感情の表現には圧倒的な感動を
おぼえました。

その一光景を描いてみました。

2009年に描いた作品その18(羅漢さん、いい気分)

2010-02-09 08:41:55 | Weblog
昨年12月末に描き終えた、羅漢さんです。
お酒の入った瓢箪を抱え込んで、幸せと満足を堪能しているように見えます。

このように、羅漢さんは、様々な形態、表情が豊かで、その分大変
親しみと身近さを感じます。

これは、円空佛や木喰佛には見られない、大きな特徴と思われます。

2009年に描いた作品その17(塔の街サンジミニャーノ)

2010-02-07 09:03:12 | Weblog
イタリアの世界遺産『塔の街、サンジミニャーノ」です。
此の街の最盛期には大小50以上の塔が林立して、塔の高さで富と権力を

競っていたとの事です。
今では。塔の数も14塔しか残っていません。また、塔ノ機能も殆ど無く

ただただ、建てることに意味を見出していたようです。しかし、景観としては
小さな街に50塔以上もあったら,壮観と言うより、異様な雰囲気を

醸しだしていたと思われます。