yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

武末純一先生の御高論に感動の条

2015-01-30 23:46:21 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 先日、福岡大学の武末純一先生から「地域をデザインする遺跡、地域からデザインされる遺跡」(日本遺跡学会誌『遺跡学研究』第11号2014年)及び『よみがえれ古墳人東国文化発信事業 国際シンポジウム(群馬)「金井東裏遺跡の時代と東アジア」』(よみがえれ古墳人東国文化発信事業実行委員会2014年)という抜き刷りと報告資料集を頂いた。先生はご承知の通り弥生時代・古墳時代の御高名な研究者であり、日中韓の交流史にもお詳しい。私との接点があるはずがないのだが、今から五年前、先生からのご依頼で都城をテーマに福岡大学で集中講義をさせていただいたことがあります。

 以来、毎年卒論発表会のご案内を頂くのだが、たいていその頃は自分の大学でも同じようなことがあって忙しく、お伺いすることができず、失礼ばかりしていた。そんなところへ先生からの御高論の拝受でした。何と御礼申し上げていいのやら、一瞬固まってしまった。おそるおそる封筒を空けてみてこの御高論が直ぐに目に入った。

 地域の遺跡デザインに関しては、在職中からいくつかの遺跡の保護、保存、活用に関係してきた。しかしいずれも行政による一方向からの「デザイン」に関与しただけで、「地域からデザインされた遺跡」を産み出すことはできなかった。
 例えば船形埴輪を検出し、大きな注目を見た松阪市の宝塚古墳群の調査・整備の一端を担ったが、整備された遺跡の今にかつての賑わいはない。ひっそりと丘の上に孤立してたたずんでいる。少し離れたところには市の設立した「はにわ館」があり、出土した埴輪の代表的なものが展示、公開されている。併設されている埋文センターの職員の方々の努力で、埴輪作りなどの事業が実施されていると聞く。しかし、残念ながら遺跡のある宝塚地区の人々が大事にし、遺跡保存の意義を語り継ぐ活動をなさっているとは聞いたことがない。地域からは孤立したままなのです。

 発掘調査以来15年余になる国史跡久留部官衙遺跡については、現在、整備検討委員会が定期的に開かれ、ガイダンス施設の展示が具体化しつつある。委員会には複数の地域代表の方が入り、意見を陳べられるが、委員の選考は行政が行ったものであり、武末先生が指摘されるような「地域からデザインされる」遺跡としての整備に向かっているかというとまだまだ課題は多い。

 久留部官衙遺跡は八世紀初めから九世紀前半まで伊勢国朝明郡に所在した官衙・朝明郡衙または駅家及び聖武天皇行幸時の噸宿地、朝明郡正倉別院に推定される当該地域随一の遺跡です。「地域」としては実に適切な空間である古代伊勢国朝明郡の一角に位置しているわけで、デザインするにとても相応しい遺跡なのです。
 しかし、どのように整備し、活用される史跡にするのかについてはまだ明確の方向性が出せているわけではありません。委員会でも、随分頭を悩ませております。
 このブログでも度々紹介しているように、本遺跡については保存を求める段階から地元の方々が様々な活動を展開されています。講演会、遺跡ウオーキング(壬申の乱ウオーク)、久留倍遺跡を考える会の諸活動、久留倍遺跡運営委員会の諸活動など、充実した地域との密接な活動が展開されていることは事実です。しかし、常に脳裏を横切る不安が、「遺跡の将来」でした。
 全国の史跡が、指定当初は盛り上がり、様々なイベントも行われて多くの人が訪れるのですが、十年も経たないうちに閑古鳥が鳴き、整備地に雑草が生え、保護施設の老朽化が始まります。宝塚古墳は今その危機に瀕しています。これをいかに防ぎ、長く地域の人々に親しまれるにはいかなる方法があるのか、古くて新しい課題です。

 それを防ぐために、史跡指定前から上記のような地元密着型の活動が進んできたのですが、未だに展望は開けていません。一番の問題が事業参加者の高齢化です。これまで活動を支えてきて下さった方々の年齢が、今年六十七歳になる私より高齢なのです。
 もちろん、子供達に関心を持って頂こうと、子供向けの様々な体験事業を地域の方々がやって下さっていますが、中心になって活動して頂いている方々の高齢化が進み、新たな担い手もなかなか生み出せないのです。深刻な問題です。

 そんな時に武末先生から御高論を拝受し、鋭い御指摘に感銘を受けたのです。
 「水族館の水塊」「アマチュア考古学」「住民参画」というキーワードをいかに具体的に実現していくのか、真剣に考えなければならないと思いました。
 「水族館の水塊」というのは水族館プロデユーサー中村元の言葉で、「水の圧倒的な存在感がもたらす潤い、清涼感、浮遊感」を「水塊」と呼ぶのだそうです。水族館が「水塊」によって人々を魅了するとすると、遺跡における「水塊」は何か、というのが先生の問いかけなのです。その答えは「遺跡」そのものではないかという。遺跡は必ずどこかの地域に所在する。地域に暮らす人々も同じ土の上に家を建て、培われてきた伝統に安らぎを得、時にはそこから新しい文化も産み出す。遺跡とは地域の一角そのものだと指摘されているように読めます。だから遺跡が姿を現す「発掘調査」を地域の人々がやるべきだというのです。地面の下に2000年前の村がある。それらと共に彼らが使った農具や工具、狩猟具がみつかる。地域の祖先の姿が実感できる瞬間だというのでしょう。その体験をすれば人々はその遺跡を大切に思おうとしないはずがないというのです。

 私はこれまでに二百余回の発掘調査を実施してきました。その一回一回を鮮明に覚えています。プロ棋士が対局を整然と並べるのと同じように。それだけ発掘体験は偉大なのです。おそらく、碁や将棋をコンピューターとやる人は、勝負の楽しみはあっても、将棋や碁を打ちながらする会話や合間に飲む飲み物のうまさは感じないでしょう。遺跡も、触れあって初めて愛着が湧くというのです。それこそが遺跡にとっての「水塊」だというのです。

 なるほど!!と思いました。

その発掘調査を今は「プロ」が行い、「プロ」が遺跡の意味を考え、「プロ」が遺跡の活用方法を提案しています。それでは遺跡を大事にしようと思う気持ちを自然なものにすることは難しいのです。プロが発掘することは発掘技術のレベルという点では当然不可欠です。しかし、現実にそうであるように、調査の指導はプロがやりますが、現場で掘るのは、土木会社に雇われた「作業員」の方であったり、募集に集まった主婦なのです。私の妻も、某埋文センターで長く整理員をしていました。私が見ても実測図や拓本、土器の復元などはなかなかものでした。妻ができることを地域の人ができないはずがないのです。かつてそうだったように、「アマチュア考古学」を再現すべきだと仰るのです。そうして地域の人々が参画する遺跡の保護、活用を提案し、実行すべきだろうというのです。

 全く異議ありません!!

今からでも遅くはないと思います。久留倍遺跡もそうした地域住民の参画型で整備し、活用のための具体的な提案を地域の方々から受けるべきだと痛感しました。

 
 武末純一「地域をデザインする遺跡、地域からデザインされる遺跡」(日本遺跡学会誌『遺跡学研究』第11号2014年)是非読んで下さい。手に入らない方はお申し出下さい。スキャンしてメールでお送りします。6頁に内容が濃く詰まった御高論です。

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