yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

金子裕之著春成秀爾編『古代都城と律令祭祀』柳原出版2014年の刊行の条

2015-01-26 15:09:24 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 先日分厚い書籍が届いた。贈り主は金子康子さんという。何となく思い当たって明けてみると、やはりそうだった。故・金子裕之さんの奥様からだった。

 金子裕之著春成秀爾編『古代都城と律令祭祀』柳原出版2014年(税込17,280円)B5版564頁



大著である。もうお亡くなりになって5年近くが経つ。噂には聞いていた金子さんの遺稿集である。金子さんの著書をなぜ春成さんが編集なさったのか。縄文時代や弥生時代の研究者である春成さんである。事情は編集後記に詳しく書いてあった。本当なら私たちがやらなければならないことだったと思う。春成さんに感謝である。

 あれは、2005年5月のことだったと思う。
 「奈良県山辺郡山添村・大西塚ノ本遺跡で奈良時代の鍛冶工房跡。「中宮」墨書土器。山添村教育委員会3/30発表。山添村歴史民俗資料館で4/3-5/31出土遺物公開。[読売新聞]」こんな記事が目に入った。ある研究会の後、参加者と出たばかりの墨書土器が展示されているという歴史民俗資料館を訪ねた。そこでばったり出会ったのが金子さんご夫妻だった。奥様には初めてお会いした。1時間ほど展示を見学しながら、少し墨書土器の意味についてお話を伺ったような記憶がある。

 帰ろうとすると、
「毛原廃寺に行ったことがあるか?」という。
「いえ,是非行きたいのですが、行き方がわかりません。教えて頂けますか?」
「ややこしい所なので案内してあげよう」

という。金子さんの車に乗せて頂いて急遽毛原廃寺を見学することになった。

 確かに案内して頂かないととても行けそうな道ではなかった。民家の庭先に様々な状態で遺る礎石。礎石群は崖際にまで点在している。1時間ほど現地を見学して資料館まで送って頂いてお別れした。

 金子さんと親しくお話ししたのはこれが最後だった。
 それから3年後、2008年3月17日、金子さんは闘病生活を経て63歳でお亡くなりになった。金子さんは1945年のお生まれだから私より3歳年上の先輩である。お元気なら今年70歳の古稀をお迎えになるはずだった。
 著書は第Ⅰ部古代都城の構造、第Ⅱ部苑池と園林、第Ⅲ部都城と律令祭祀の三部構成で、金子さんの都城と律令祭祀に関するほぼ全ての論文が掲載されている。手元にない論文が3割ほどあり、不便だったが、これで本書を下に研究を進めることが可能になった。お元気であったなら、まだまだお書きになりたかったことがあったのだと思うが、これでも勉強のしがいのある論文集である。

 金子さんは奈文研では極めて辛口のお方で、先ず会えば「この前のあれは何だ!」「長岡京は副都に決まっているじゃないか。まだ諦めないの?」等々と長ければ30分くらい、短くとも15分くらいは「お説教」から始まる。聞くところによるとこの「説教」がいやで多くの奈文研の方は金子さんのことをよくは言わない。私が奈文研を訪ねて、金子さんの所に行く、というと多くの方が怪訝そうな顔をなさる。私も「説教」があるからそれなりに構えていかなければその力に圧倒される。「説教」に絶える心構えをしていくのである。それさえしておけば、その後の金子さんはとても優しい、いろいろ配慮下さるいいお兄さんに変身される。

 時にはとても手に入らない報告書や情報を教えて下さり、現場を案内下さることもある。奈文研の方々には信じられない光景らしい。でも、いろいろ聞いてみると、地方の調査担当者には大体同じ対応だと知った。国や都道府県の調査担当者には市町村の担当者を上から目線で見て、偉そうにされる方が結構多い。金子さんも最初の30分はそのように思えるのだが、それさえ我慢すればとても優しくなるのである。そこが違う!!

 あるとき、当時同志社女子大学におられた朧谷壽先生から平城京の松林苑を見たいのだがどうすればいいかな?というご相談を受けた。直ぐに金子さんに電話をしてご相談したところ、「いつがいいの?」という。日程を説明するととにかく来て下さいという。当日またあの「説教」が朧谷先生の前で始まったらどうしよう?と少々不安に思いながらうかがうと、複数の自転車を用意して待っておられた。

 「エッツ?!

 「自転車乗れるよね」

ということで、自ら自転車の先頭に立って、半日余り松林苑を案内下さった。一度発掘現場に行ったことはあったがそれ以外はないので、地図を見ながら行こうかと思っていたのだが、実にスムーズに回ることができ松林苑の全体像を頭にたたき込むことができた。その後、学生を連れて回ることがあったが、全てこの時のご案内のお蔭だった。

 つい最近、中国の漢讀研究の第一人者籾山明・佐藤信両先生の編集になる研究報告書『文研と遺物の境界Ⅱー中国出土漢讀史料の生態的研究ー』東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所 2014年 が出版された。漢牘の調査のために台湾の中央研究所で実物を調査したとき、たくさんの三角柱状に木片を削ってそこに人面を描いた資料を目にすることがあった。その研究成果は同書に清水みき「漢代辺境の人形ー日本の人形の源流を求めてー」にまとめられているが、現物調査をする中で「金子さんがおられたらどんなご意見をお持ちでしょうかね」などと話したことが思い出される。

 私は、現在ある論文を書いているが、その主要テーマは「苑池」である。これもまた今回出された第Ⅱ部にまとめられているが、その主要内容は金子さんの出された科研での詳細な報告書に掲載されていた。論文を書くに当たって座右に置いて平城京などの苑池について確認した基本論文であった。書き上げたものを金子さんに見せたらきっと「まだ長岡京が正都だと思って書いてるの?」と「説教」されたことと思う。

 でももうそのやや甲高く、朗々としたお声を聞くこともない。とても寂しいが、こうして刊行された御著書があるお蔭で、そこから金子さんの厳しい批判の声を思い起こしながら、これからはこの書を座右に置いて少しでも「説教」されないような論文が書ければと思っている。

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