yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

東大寺二月堂修二会への松明調進行事と赤目の条

2010-10-24 02:57:16 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 金曜日は名張市の赤目公民館で「東大寺と聖武天皇」と題した講演をした。テーマは地元からの強い希望で決まっていたものです。その理由はと尋ねてみると、講演を行う赤目、特に一ノ井地区の人々は750年あまりの長きにわたって東大寺二月堂のお水取り(修二会)に松明を調進してきた地区だからだそうなのです。

 ああ、そうなんだ!!フト懐かしい光景が脳裏に甦りました。

 今から43年前の3月、受験が一通り終わり、とてもとても疲れた私は突然思い立って京都山科の実家から自転車を走らせて奈良に向かったのでした。別にお水取りが見たかったのではないと思います。ただ寒風の中を思い切り走らせて、また失敗するかも知れない受験のことを忘れたかったに違いありません。

 最終日の3月12日の深夜、それは勇壮な松明の火の粉と共に消え去り、後にはとてもとても物静かな暗闇が残りました。帰る術のない私は、二月堂の一角の小さな部屋で、信者さんに紛れて膝を抱きながら仮眠したのを今でも鮮明に覚えています。あの僧侶が火中に投じていたのがこの赤目から出された松明だったとは。驚きでした。急いでその様子を調べてみました。

 松明と言ってもあの派手に建物を駆け巡る松明ではなく、練行衆達が法要を営みながら火中に投ずる檜片を調達しているそうですが、私がとても興味を抱いたのはその会のHPに紹介された現在、過去の調進ルートなのです。もちろん古代からこのルートなのかどうかは不明ですが、少なくともこのルートを辿ると東大寺に着くことが出来るのです。そのルートとはこうです。

赤目→安部田→笠間峠→小原→小倉→針ヶ別所→一台峠→上杣ノ川→田原→鉢伏峠→鹿野園

とても興味深いのは東大寺への最短コースを辿っていることです。そして、途中に出てくる「針ヶ別所」や「小原」「杣の川」などは聖武天皇が天平12年に東国行幸に出かけたルートと重なる可能性があることなのです。

 これまでの一般的なルートの解釈は

平城京→??→都祁山道?→都祁・堀越→??→??→名張→阿保→川口

だったのです。要するに?の部分は不明なのです。都祁の堀越頓宮は都祁 水分神社の近くにそれとなく推定地があるのですが、それ以外は全く判っていません。ですからこのルートについては様々な説が出されています。

 一つは都祁から南下して宇陀川流域へ至り、これを東行して名張に入るというものです。しかし、私は以前、故金子裕之さんに連れて行ってもらった毛原廃寺がとても気になるのです。これも一般的にはこの寺は東大寺の杣(建築用の木材を調達する山:板蠅杣と名付けられている)との関係でできたと言われるのですが、それにしてはあまりに立派なのです。

 私の仮説は、平城京→中ッ道を南下→都祁山道を登り→都祁・堀越頓宮へ→小倉→毛原→岩屋→薦生→名張→阿保→川口なのです。つまり毛原廃寺は聖武によってその行幸ルートであったが故に建立された寺だと考えるのです。

 ついでに言っておきますと、この薦生は私の教え子MYの実家なのです。藤原朝成が有した薦生牧で知られ、この牧の境界を巡る争いが契機となって東大寺黒田庄が刮目され、その後の庄域拡大の遠因となったというのです。おそらく松明調進はこの黒田庄に属した赤目地域の「税」として納められたものなのでしょう。

 ところで、この地域は現在は赤目四十八滝で著名ですが、私たち考古学が忘れてはならないのは、琴平山古墳が築造されたことです。伊賀最初の横穴式石室を持つ古墳であり、金銅製の剣菱形杏葉をはじめとする6世紀初頭の貴重な文化遺産が出土しています。それまでほとんど大和との関係を伊賀の中で唯一有していなかった名張地域が初めて脚光を浴びることになったのです。おそらくそれまでは美旗古墳群から伊勢に入るルートが用いられていたのだと思われます。ところがこれ以降、後の伊勢本街道を使ったルートが開発されるのです。このルートを用いれば、南伊勢に最短距離で入ることが出来ます。その伊勢側の地(飯野郡や多気郡)に後の東寺の大荘園・大国荘が出来るのも偶然ではありません。

 名張は一郡が6世紀の新王権の配下に入ったのかも知れません。それ故、後に東大寺が入り、官道の設置を巡り地元と様々争いがあり、最終的には争いに勝利した東大寺が名張郡全体を支配するようになるのではないでしょうか。

 この様なことを話して久しぶりに京都の家に帰り、、お風呂に入りぐっすり寝ました。そして、今日は私の予想通りあのヘボ監督の率いるチームは、今日もまたえこ贔屓選手亀井をまたまた大事なところで代打に使い、もちろん確実にフォアボールで出塁できたところをええカッコしようと刷るばかりに凡退し得点機を逃し、さらにさらに私があれだけもう潰れているから二軍へ落とせと言った久保を折角同点にした九回の裏に登板させサヨナラ負け!!と言う恥さらしの采配ミスを繰り返したのであります。どうして今のあのチームに対し、「ヘボ監督辞めろ!」の大合唱が起こらないのか、とても不思議です。

 私一人で叫びます!!ヘボ監督原を一刻も早くクビにしろ!!でないと私の老後の楽しみが益々消えていく!!

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 赤目より 松明の列 今紅葉

 我が家では 落合胴上げ 誰も見ず

 松明の 檜林に 団栗が

 松明と 重ねて紅葉 聖武達

 紅に 染まる横山 赤目滝