yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

J'étais fatigué! J'ésuis fatigué! の条

2010-10-05 01:18:57 | yaasan随想
 J'étais fatigué! J'é suis fatigué!

 しんどいです!

 肉体的にも、精神的にも。

 肉体的にも無理をしているのです。でも努力が報われないから余計に疲れるのです。

 こんな思い、久しぶりかも知れません。

 得てして同時にやってくるものなのでしょうね。

 肉体が衰え、精神に張りが無くなると能力にも限界がでてきます。元々大した能力でない人間が、努力をして何とか人並みの能力まで持ってきた(つもりな)のですが、今夏の猛烈な暑さが肉体を傷つけ、そこに追い打ちをかけるような悲しい人間不信。

 簡単に裏切られ、崩される信頼関係。

 そうなんだ、そんなに軽薄なものなんだ。どれだけ一生懸命対応しても、あっという間に個に帰してしまい、へとも思わない若者達。

 そんなに人間は、非社会的存在であり続けることができるのだろうか。

 そういえば誰かが報告してたな。

 「老人を犯罪から守るためには社会的関係の構築が大事だ」と。

 そんなことみんな判っているよ!でももう今の人間は、社会的存在である前に、個が最優先される。

 だから平気で我が子を殺すし、平気で信頼を裏切る。

 でも、齢を重ねて、孤立した老人が、犯罪のターゲットになり、孤独死する。

 そんな日本に誰がした?イヤきっとみんなが無意識のうちに求めたのだろうな。

 「干渉されたくない!」「ほっといてくれ」「一人で生きていくから」

 そんな人間達に、若者に何を教えるというのだ?過去など見向きもしない若者に、人間に、歴史がどんな重みを持つのだろうか。ましてや千年も、万年も昔の歴史が・・・。

 まだ2年以上もこんな虚しいことをやり続けないといけないのだろうか?

 いやいや、真剣に学び、築かれた人間関係をとても大事にしている若者も、ホラ、そこにいるではないか。

 そうなんだ!

 でもそんな若者が、社会から疎外されて、未来に展望を持てなくなっている。とても心配なのだ。

 でも、一人でもそんな若者がいれば、真剣に教え、信頼関係を作り、励まし合うことが必要なんだよね。

 だから後二年少しを、やっぱり全力で生きていく以外に道はないんだよね。人間としての当たり前の信頼関係を捨て去る奴なんか放っておけばいいんだよな。

 限界はとっくに来ているのだが、それを乗り越える何かをエネルギーにもう一踏ん張りしてみるか・・・。
 J'étais fatigué! J'é suis fatigué!

 あーしんど!!

 生きるって、しんどいな~でも諦めるわけにはいかないと思う人はこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ


 
 虫の声 もう一踏ん張り せよと言う

 秋風が 魂と一緒に すり抜けて

 読書せぬ 若者達に 何伝う