yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

研究余録  「朝凪に玉藻刈りつつ 夕凪に藻塩焼きつつ」(後編)の条

2006-07-09 15:45:01 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
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さて、そんなわけで、土曜日の海岸は荒れ気味の海で、ほとんど誰もいない中で、我々7人衆が塩作りに励んだのです。

(ホンダワラです!!昔の人たちはこれを玉藻と申しました。粋ですね!)

まず第1にホンダワラ干しと藻塩焼きと煎熬用の炉作りです。

(これではなかなか乾きませんでした。) 

ここでは二人しかいない男子学生が大活躍、石集めから、薪集め、あちこちを飛び回って材料を集めてきてくれました。ありがとう!!


(町屋海岸と第1部担当鬼のトビラ班の6人衆)

さて、ホンダワラ干しですが、当初はザルの中で乾かしていたのですが、よくよく考えると、砂浜に直接おいて乾かすのが合理的だと気づき、歩くのも熱い砂浜に並べることにしました。(砂が付くことを恐れたのですが、よく考えてみるとどうせ後で洗い流すのですから砂が付いてもなんの問題もなかったのです)。


(砂浜直干しが大正解!出した)


(うまく乾いてパサパサになってきました。)

ホンダワラ干しの準備が整ったところで海水汲みです。実はこの町屋海岸というのは戦前に女学生30余人が波にさらわれて亡くなったという曰く付きの海岸なのです。ですから今は遊泳禁止地域で、浜辺にも誰もいませんでした。わずかに中国人の子供達がお父さん達と一緒に砂遊びをしていました。

海水を汲みながらどうしてたくさんの人が亡くなったのか大変よく分かりました。海水を汲みながら足下に力を入れると波が引くときに急激に足下が抉れ、バランスを失うのです。これが、浅瀬と棚との境目だとおそらく一気に海に引きづり込まれるでしょう。私も何度かこけそうになりました。

そうこうするうちにホンダワラもいい具合に乾き始め、早速第1回の海水かけです。本当は10回くらいかければいいのですが、次第に曇りだし、天候が不安定になってきたので、やむを得ず3回にしました。ですから鹹水が薄いのではないかとさらに不安が増したのですが、仕方ありません。実行です。でも、以前の時よりは確実に海藻の乾き具合、かける毎に縮まっていく藻の状態など、以前、と比べると明らかにいい感じで進んでいきました。少しはワクワクしてきました(でも舐めてみるとあんまり辛くなく、やぱり駄目かもネ・・・と、不安も)。


(藻塩焼く!)

 乾かしながら炎天下でパンをほおばり、午後からいよいよ藻塩焼きです。事前に学生には白い煙が出るから、といっていた手前出なかったらどうしようと少し不安でしたが、杞憂でした。風が強かったので煙は横に流れましたが、真っ白な煙が立ち上り大歓声でした(ホッ)。藻塩を焼くこと30分。横で見ている学生が薪の灰も一緒になってもいいんですか?と不安げ。どうせ灰は沈殿するんだから心配ないよ、と言いながら、灰を海水に。ジュウッツという音の度に何故か学生が歓声。日頃火をおこすことなどないせいでしょうね。

炭の混じった真っ黒な鹹水をタオルで濾し、灰や砂を除去しながら次第に海水だけにしていく。ここでも透明感を増す海水に歓声。なんだか子供っぽい風景だった。大した感動を経験していないのだろうか。


(灰を海水に入れる。第一次鹹水の完成)

何とか鹹水ができあがり、いよいよ煎熬である。あらかじめ炉で暖めていた製塩土器に少しづつ鹹水を入れていく。一挙に吹きこぼれそうになる土器に慌てて海水をつぎ足す。直ぐに周りが白くなっていく。それでも中にはなかなか吹き上がらないものがある。みんなで、「暑い!暑い!」を連発しながら炭を追加し、あまり勢いのないところに炭を集めて温度を上げる。塩が周りにどんどん付くに従ってみんなの集中度が増す。もちろん鹹水が薄かったので決して十分ではないのですが、このみんなの感動の仕方、集中する眼差しは成功!を予感させてくれました。


(煎熬開始)

煎熬すること1時間余、いよいよ最後の一滴を注ぎ込んで完成です。

結構塩が付いています!少し舐めてみると海藻の香りがします。とてもうまみのあるおいしい塩です。成功です!!

(次第に結晶ができてくる!)

ご協力いただいた皆さん、本当に、本当に、ありがとうございました。まさかこんなにうまくいくとは思わなかったので、当日は近くのファミレスで簡単な打ち上げをして解散しました。みんな、お疲れ様!そしてありがとう!!


(ポスター班のみんなも応援に来てくれました)


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研究余録  「朝凪に玉藻刈りつつ 夕凪に藻塩焼きつつ」(前編)の条

2006-07-09 10:52:44 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
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 朝から体中がヒリヒリして仕方がない。というのも昨日は一日中大学前の町屋海岸に立ち詰めだったのです。
 「ナニ、人が台風の危険迫る瀬戸内海を航行している最中に大学で海水浴?けしからん!!」
とお叱りの声が九州の方から聞こえてきそうですが、これもれっきとした し ご と !
 朝から台風迫る海岸で塩作りに励んでいたのです。天気予報では午前中曇り、昼から大雨というのに学生は今日是非やってしまうというのです。前日の不摂生が祟って少し風邪気味でつらかったのですが、仕方ありません。節々の痛む体に鞭打って、海岸へ道具を運びました。
 ところがナナナント、晴れてきたのです。ガンガン照りとまでは行きませんが、結構晴れ間も出て、日差しがきついのです。半ズボン半袖姿の私は見事に紅白のサポーター状態です。

 先週はいよいよ開館目前の「三重大ミニ博物館」の準備で大忙しだったのです。中でも最も大変だったのが塩作りだったわけです。



 まず製塩土器を作らなければなりません。以前から度々お願いしている旧安濃町の草生窯へ粘土を買いに行きました。土器作りの開始です。



(悪戦苦闘する土器作り風景。とても製塩土器とは思えない代物も現れた。)

 これを乾かすのに2週間の予定がこれまた諸般の事情で10日ほどに短縮。本当は野焼きの予定だったのですが、とても時間がありません。しかし苦しいときには頼もしい助っ人が現れるものです。M市のWさんのお陰で無事とてもしっかりした「製塩土器」を作ることができました。これで一応土器の方は一安心。


(お陰でこんなにうまく土器はできあがりました。ありがとう!)

 さて大問題が一つ。ホンダワラです。以前塩作りをしたときもこれが手に入らず、結局その辺の海藻を拾ってやったのですが、これが大失敗。とても鹹水なんて代物ではなかったのです。ですから今度こそは!と心ははやるのですが、いざとなるとどうすればいいのか・・・。と、そこへ朗報。学生が聞き込んできた話によると、大学近くの白塚や白子では手に入らないが、南の方に行けばあるかもしれないと。

「南?・・・・!!」

 直ぐにT市教育委員会のTさんに電話した。
 「ホンダワラない?」
 「なんですか、その「ホンダワラ」ちゅうのは?」
 「エッツ!(絶句) 要するに海岸縁に生えている胞子が玉のような殻に入っている藻のことなんやけど・・・、とにかく誰か漁師さん知らん?」
何しろ彼にはいつも何かあると漁港から魚や貝を送ってもらっている仲である。本人が知らんでも漁師さんなら知っているだろう、ということで漁港に聞いてもらうことにした。これが大正解!!湊まで来てくれという。
 しかしここでもいろいろトラブルがあって、結局ホンダワラを取りに行ったのが金曜日。事前に干しとかなあかんのに・・・、内心ドキドキものである。しかし人に頼むこと、こちらの都合ばかりでは行くはずがない。相変わらずのぶっつけ本番!と、鳥羽まで車をぶっ飛ばした。


(図書館の奥に埃だらけになってしまわれていた贄遺跡の志摩式製塩土器。でも近日中に別の所に展示できるようになるらしい。素晴らしい!! Tさんが文化財担当になってから随分いい方向に動き出している。大いに期待したい。何でもお手伝いしますよ!!)

 ところがこれがまたまた大正解!! なんと、船を出してくださって、船上からホンダワラ採りをしてくださったのである。千賀浦漁港の南さんの船で波静かな千賀浦に出かけた。最高だった。まさか志摩の浦々の一つを船から、それもゆっくりと見学できるなんて思いもしなかった。港では素敵な海女さんのお話も伺えた。


(南さんの船でいざ出航!!)

 「この湾は何湾というのですか?」
早速質問攻めである。不思議そうに、
 「的矢湾ですが・・・」
 「ア、 あの、この小さな浦々にも名前が付いているのですか?」
 「はい、もちろん。」
 「この辺の岸壁に穴が連続して開いたところはお見受けになりませんか?」
等々・・・。


(とても陸からは近づけそうにもない小さな浦が点在し、浦々を遮る断崖絶壁が連なっていた。海藻が生えるということはアワビや、サザエ、等の産卵の場があるということで、海底には様々な藻が生えているとおっしゃっていた。これが志摩国の貴重な「資源」なのだと納得した。)


お伺いしたいことは一杯あったのですが、ホンダワラの生えているところに到達。早速特製の長い熊手のようなもので海底あさり。ところが前日の雨でホンダワラが抜けてしまったらしく、岸には一杯うち上がっているのですが、海中からはなかなか見つけられない。
 「すんませんなー、昨日の大雨で海が濁ってしまって、よう見えないんですわ・・」
こちらが恐縮するくらい丁寧に謝られるものでさらに恐縮してしまって・・・。
 そうこうするうちにどんどんホンダワラがあがりだした。志摩でも製塩をしていたはずなのだが、なぜかこれまでのところ、焼塩土器は一杯出るのだが、製塩土器は出ない。これだけのいい環境なのにどうしてだろうか。そこでまた質問。
 「どこか浜辺で土器がたくさん出るところをご存じありませんか。」
 「サーナー、しらんなー」(残念!!)
結局ザルに満杯のホンダワラを手に入れて帰港。
 「お礼を・・・」
 「いらんわさー」
 「エエッツ?! ど、どうもありがとうございます。」
というわけで大変な勉強をさせてもらった上に大量のホンダワラまで手に入れることができて無事帰校。これで塩作りを失敗したらどないしよう。大変なプレッシャーの下に大学に戻ったのです。
 それにしても南さん、Tさん本当にありがとうございました。


(このような形で次々と採ることができた。帰港後海女さんんとお話ししていると、彼女たちにとっては海藻は難敵らしく、「たくさん生えとると気持ち悪いんよね」とあわびやサザエを捕るにはプロの海女さんでも不気味なくらい海底には多種多様な藻があるという。)

 塩作りの本番はこの後直ぐに。

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