ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

シェイクスピア作「リチャード二世」

2020-11-16 14:39:23 | 芝居
10月20日、新国立劇場中劇場で、シェイクスピア作「リチャード二世」を見た(翻訳:小田島雄志、演出:鵜山仁)。

舞台は14世紀イギリス。リチャード二世の王宮で、王の面前に、反目し合う二人の貴族、モーブレーとヘンリー・ボリングブルックが召喚される。
ボリングブルックは暗殺されたグロスター公の死にモーブレーが関与していたと告発するが、モーブレーはこれを否定。王は後日二人の決闘によって黒白をつけると裁定。
当日いよいよ決闘開始という時に、王は突如、決闘の中止と二人の追放を宣告する。ボリングブルックは六年の追放に処されるが、その後まもなく彼の父ジョン・オヴ・
ゴーントが死去すると、王はその財産を没収する。この暴挙に加え、それまでの王の治世に不満を募らせていた貴族たちの元に、ボリングブルックが失われた名誉の
回復を求め、大軍を率いて帰国するとの報が届く。次々とボリングブルックになびく貴族たち。民衆の支持も得た彼は、籠城した王と対峙すべく兵を進める。
ボリングブルックは叔父ヨーク公に取りなされ、王と対面。彼は自身の名誉回復だけを要求するが、気圧された王は自分から譲位を宣言してしまう・・・。

2009年の「ヘンリー六世」を皮切りに足かけ12年に及ぶ歴史劇上演シリーズが、これで完結とのこと。
2018年の「ヘンリー五世」で終わったかと思っていたが、時間をだいぶさかのぼって、このマイナーながら重要な作品を上演してくれて有難い。
時系列的には、リチャード二世⇒ヘンリー四世⇒ヘンリー五世⇒ヘンリー六世⇒リチャード三世という順番だから、一番古い時代に戻ったわけだ。

そもそもリチャード二世とヘンリー・ボリングブルックとはいとこ同士。ただリチャードの父が王の長男で、ヘンリーの父が次男という違いは大きい。
長幼の序というわけだが、如何せん、王としての気品も思慮深さもリチャードにはなかった。

2000年に赤坂ACTシアターで、レイフ・ファインズ主演のこの作品を見た。
その時の彼の印象が強く残っているので、今回の配役には最初、違和感があった。
浦井君がリチャード二世で、ボリングブルックが岡本健一でしょ!?と思ったが。見終わってみると、なるほどこれでいいのか、と納得。
リチャード役の岡本健一は、今回、声も蓮っ葉で、いかにも浅慮で軽薄な、王にふさわしからぬ男。
もう少し気品があってもいいのでは、と思ったが、この作品では彼は、はっきり言って悪役(憎まれ役)なので、これでいいのかも。
それに対してボリングブルック役の浦井健治は、王の理不尽な仕打ちに耐え兼ね、人々の同情と共感を集める、あくまでも清々しい若者だ。
かつてリチャード三世を演じた岡本健一が今回リチャード二世役で、かつてヘンリー六世とヘンリー五世を演じた浦井健治が今回ヘンリー・ボリングブルック
(後のヘンリー四世)の役をやる、というのも、実に面白い。

急きょ帰国して兵を挙げたボリングブルックが王と対峙する場面。
王は城壁の上から見下ろしているはずが、数人の取り巻きと共に、何やら小さな木の囲いの中にいる。
なぜもっと高い所にいない?これが城壁のつもりだとしたら、あまりにもお粗末だ。

リチャードは味方がほとんど寝返ったり処刑されたりした、と聞いてすっかり意気消沈。ボリングブルックが臣下としてひざまずいているのに、そして、
自分の望みはただ、亡き父の称号と領地と財産を返してもらいたいだけだ、と言っているにもかかわらず、自分の方から「退位せねばならぬのか?」と
尋ねる。ほとんど狂人のような振舞いに、ボリングブルックの側についた貴族たちも呆れる。
 
王の叔父ヨーク公は誰に対しても常に公正であろうとする清らかな人物で、登場人物中もっとも好感度の高い貴族だ。
だがそれゆえにこそ、揺れ動く。甥である王リチャードの暴政に対しては諌めの言葉をかけるが聞き入れられず、ボリングブルックに対しては、謀反人め、と責めるが、
切々と真情を訴えられると、確かに王のやり方は理不尽でひどいので、それ以上責めることができず、結局中立の道を選ぶ。
その結果、ボリングブルックが王位につく道を開いてやることになる。

ヨーク公役の横田栄司が素晴らしい。
いつもながら声に張りがあっていいし、演技にも深みがあり、この魅力的な人物を十分に造形して見応えがあった。
その夫人役の那須佐代子も熱演。
女っ気と笑いの少ないこの芝居で、観客のこわばった顔をうんとほぐしてくれた。
この二人の一人息子オーマールの気持ちはよく分からない。
父母の熱意に押し切られて命拾いした形だが、自分の不注意のせいで仲間たち全員が処刑されることになるのだから、日本人ならこういう場合、
仲間たちに申し訳ない、と切腹でもし兼ねないところだ。

このリチャードという愚かな王のせいで、後に長く続く薔薇戦争が起こるわけだから、彼の責任はあまりにも大きい。
系図を見ていると、いろいろ妄想してしまう。
ヘンリー五世がもう少し長生きしていたら戦争は起きなかったかも、とか、その子ヘンリー六世がもう少し強い性格だったら、とか、フランスからマーガレット
というとんでもない悪い女を(部下の策略で)妻に迎えたりしなかったら、とか・・。

音楽がいけない。1幕ラストでマーラーの9番が流れるのはまあいいとして、5幕ラストでモーツアルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスが流れる中、またしても
マラ9が入り込み、その二つが混じり合って気持ちの悪い響きが続いた。
なぜそんなことをする!?やめてほしい。こんなんなら何もない方がマシだ。

翻訳は駄洒落が多いので小田島雄志かと思ったら、案の定そうだった。

一連の歴史劇の内、一番有名なのは「リチャード三世」だが、個人的には中年になって初めて読んで驚嘆した「ヘンリー六世」三部作が好きだ。
あれほどドラマチックな内容がほぼ史実通りというのもすごいが、シェイクスピアの戯曲としての処女作だというのもすごい。

これが、個人的には今年一番のイベントだった。
めったに上演されない超マイナーな作品を20年ぶりに見ることができた。
コメント
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