植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

『いのちが危ない』から

2006年01月12日 22時34分33秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 『いのちが危ない』江原啓之著、集英社)を読んでいる。
 「価値があるから生きる」のではなく「生きることに価値がある」のです、と自殺を踏みとどまるよう説得している。

 そのとおりだ。いまのぼくの理解では人の命=魂というものは消えるものではなく、たとえ肉体の寿命が尽きても見えない存在として“生きている”。そしていわゆる“輪廻転生”というものを繰り返しさまざまな舞台、さまざまな環境でさまざまな舞台衣装を着て役柄をこなしていく存在であると捉えている。そして本質は穢れのない光の玉、魂であると。その魂がさまざまな感動、経験を積むためにこの世に生まれてくるのだと。

 だから経済的に豊かな人生を送る役を演じている舞台の一幕の時もあればその逆もある、肉体が健康な人生を送る役を演じている時もあれば病人の役をしているときもある・・・。そうして数百回の輪廻転生を繰り返して「愛」を学ぶのだと思う。

 すべては「愛」を学ぶためにこの世に生まれてくる。古代ギリシャに生まれても中世に生まれても現代に生まれても近未来都市に生まれても物質的舞台は変わるけれども人間の営みは変わらないだろう。生老病死。

 ここに生まれてきたのはあの世では達成しがたい“大いなる魂の飛躍”をするためだ。だからここ(この世)にいることが重要なのであって、この世で果たすべき役割や使命があるわけではない。

 じつはぼくのこのブログや治療院のホームページには「あなたは使命があってこの世にやってきた」という主旨でこれまでいろいろ書いてきた。でも今はそうではないのではないか、と思っている。一定の為すべき使命があるのではなくてとにかくこの世と言う現場に踏みとどまってさまざまな経験をすればいい、という風に思えてきた。

 だから経験をするために舞台の上に上がったのに途中で勝手に舞台から降りてしまう自殺という行為はとてももったいない、と思えるのだ。舞台の上で演じるある役割に特別な価値があるのではなく、舞台の上に上がって自分なりの役を演じていればいい、ということだ。

 そして「長生きこそ大事」というものでもないとぼくは思っている。ようは密度だと。魂が震えるほどの感動や体験ができる人生、そういう密度の濃い人生が大事だと。だから困難や障害があればあるほどそれを乗り越える渦中において苦しむ渦中においてこそ密度が高い人生を送ることができる、それが人生の価値、生きることの価値ではないかと考えている。 
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引き受け氣功2006年2月東京講習会のご案内

2006年01月09日 23時09分37秒 | レイキ・ヒーリング・遠隔、霊的な治療
藤谷康充先生『引き受け氣功』2006年2月東京講習会のご案内

 平成18年2月3日(金)
  会場:ロハスキッチン&バー『ソトコト』
     *東京駅・丸の内地下中央改札口より直結、丸ビル地下1階
  時間:第一回 10:00~
     第二回 13:30~
     第三回 16:00~
  
 平成18年2月4日(土)
  会場:アルプス夢サロン
     *東京都新宿区大久保1-3-3 セイントマンション701
      JR山手線・新大久保駅より徒歩10分
      都営地下鉄大江戸線・東新宿駅より徒歩5分
  時間:第一回 10:00~
     第二回 13:30~
     第三回 16:00~

 平成18年2月5日(日)
  会場:アルプス夢サロン

  時間:第一回 10:00~
     第二回 13:30~
     第三回 16:00~

  費用:いずれも3000円。会員は2000円。会員証か領収証を提示。

  *私は2月3日(金)16:00からの第三回に行きます。講習終了後、その場所で宴を持つ予定です。ちょうどその日は節分ですね。「鬼は内、福は外」の掛け声よろしく豆まきをしたいと思います。というかソトコトに断っていないけど大丈夫かな・・・(笑)。よろしければご一緒しましょう。
 なお講習会参加は要予約ですのでご自分で予約してください。下記宛にFAXにて第一希望、第二希望日時を明記のうえお申し込みください。なお先着順なのでいっぱいの場合は悪しからずご了承下さい、とのことでした。

 予約先:ワンダーライフ研究会・関東事務局
 TEL:090-7581-5062(平日:10時~18時)
 FAX:0297-83-4415


 6日16:00からの三回目の講習会は参加者が15人足らずで少し淋しい感じ。豪快に笑う参加者もいなくて藤谷先生もこころなしかおとなしい話術だった。でもぼくは帰りがけにこのブログを見て参加されたという女性から挨拶を受けて嬉しかった。名前はお聞きしなかったけれども何がしかのお役に立てたのでしょう。これからもよろしくです。

 参加者は少なかったけれどもその分アフターをいつものメンバー5人でじっくり話し込めて良かったかもしれない。結局ワインを2本空けてしまった。あいかわらずうわばみさんは顔色一つ変えずにクイクイあおっていた。でも確かにフルボディのワインは美味しかったな。ぼくもけっこう飲んだ。

 国際統合医学教育教会の藤井聡美さんとも知己になれたし、藤谷先生も加わって話もできたし充実していた。とくにこれから環境対策の仕事をしようということで盛り上がった。何か動き出すかもしれない。ものごとを具体化していくクラマのパワーはここでも発揮されるのかな・・・(詳細はヒーリングソウルをぜひお読み下さい)
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がんの苦痛はとりのぞける

2006年01月08日 23時29分05秒 | 癌治療・緩和ケア
 NHKスペシャル「日本のがん医療を問う」の第二夜「がんの苦痛はとりのぞける」を見た。緩和ケアをがん医療に積極的に取り入れることの必要性が訴えられていた。良かった。たぶんこれを機に緩和ケアがより取り入れられていくことだろう。簡単なことではないけれども。もちろん厚生労働省技官の発言は慎重でありその回答の仕方に不満も残るがNHKの影響は大きい。広島県の取り組みのようにデイホスピスなどがこれから各地に広まってほしいと思う。

 代替医療先進国のイギリスの緩和ケア事例が紹介されたのでもしかしたら代替医療が緩和ケアに貢献していることが映し出されるかと思ったが残念ながらそこまでは至らずあくまで現代医療の範疇での取り組みの紹介に終わっていた。
 
 番組の中でがん治療には初期の段階から痛みのケアとして緩和ケアを併用すべきとの示唆がされていた。正しいと思う。今の日本のように“生きるための治療”と“死を迎えるためのケア”に分離されていることは不幸だ。やはり諸外国のように初期から除痛にとりくむ必要がある。ぼくがよく往診にいっている広尾の日赤医療センター緩和ケア科に勤務されている秋山治先生や茅根先生も「緩和ケアは決して死を看取る場所ではなくて痛みのケアをするところです。積極的に利用してほしい」と言われていて緩和ケア外来も設けていらっしゃる。12月に行われた秋山先生の講演も良かった。

 ただ現在痛みを止めるにはほとんどが鎮痛剤や鎮痛補助薬といった薬剤による対処になっている。場合によっては放射線治療も行われているけれどもいずれも必ず副作用はある。それを考えるとそれら薬剤に替わる鎮痛治療として鍼灸を採用してもらいたいと強く思う。ぼく個人の経験に限って言えばこれまで緩和ケア病棟へ往診しにいって鎮痛に成功したことはあっても副作用を起こしたり病状を悪化させたことはない。末期がんの体の状態は複雑だ。薬剤でのコントロールはこちらを立てればあちらが立たずということも多いように見受ける。モルヒネで痛みは取れても猛烈な便秘になることもある。それらの鍼灸による治療で痛みを減らして鎮痛薬を減らすことは可能なのだ。それを知ってほしいと思う。

 末期がんの症状にさえ有効な鍼灸治療が初期のがん治療に貢献できないはずがないと思わないだろうか?がんの痛みの治療に鍼灸や自然療法で携わってきてその効果を知る者としてのぼくの持論である「がんになったら鍼灸院へ」というのは、「現代医学的ながん治療と平行して免疫力を高める鍼灸を同時に受けて欲しい」というものだ。なにもがんになったら第一選択肢として鍼灸院に行きなさい、と言っているのではない。古来痛みや諸症状を取る技術に優れた鍼灸ががんの治療に取り入れられていないことはぼくは国民的損失だと思っている。

 あわせて鍼灸師会も変わる必要があるだろう。1つには今の鍼灸学校の教科書には「がんには鍼灸治療は不適」とされてそのように生徒指導されていること。これは最近流行のEBMという“科学的根拠に基づいた治療”を判断基準とすると、鍼灸治療によるがんの治療データがないための結論であろう。ぼく個人は鍼灸は想念による治療部分が多いと思っているので鍼灸治療自体がEBMに馴染まないと思っているので「がんには鍼灸治療は不適」という扱いは間違いと思っているがこのことについてはここではこれ以上は触れない。ようは鍼灸師に対しての「鍼灸ががん治療に有効だ」という教育がなされていないことを改める必要があるということ。

 2番目はがんという病をもっと学ぶ必要がある、ということ。ぼく自身もがんの専門病院で多くの患者さんに接するまではがんに対して誤った価値観を持っていた。そういう誤解に近い病気観を払拭して自分たちの技術ががんに有効だということを知ってもらいたい。もちろんぼく自身も昨年講演したように「鍼灸ががんに有効だ」というアピールをこれからもしていくつもりだ。

 今回の放映で緩和ケアに耳目が集まるだろう。さらに近い将来その緩和ケアの中に鍼灸などが取り入れられていくことを願っている。
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浄化の時を迎えて

2006年01月05日 20時47分27秒 | ヨガ(ヨーガ)、瞑想
 私達の本質は平和であって愛情に溢れている魂らしい。そしてそういう状態に瞬時に“戻る”ために“目を開けた状態での瞑想”の訓練をする。これがいま学んでいる瞑想法だ。ぼくは他の瞑想法は知らないので瞑想の目的ややり方もたぶん幾多のバリエーションがあるのだろう。でもいま学んでいる“ラージャヨガ”瞑想というものはヨガと名が付くけれどもアクロバティックな姿態はとらず、ただ楽に座っているのみである。なんでもヨガとは“繋がる”という意味だそうだ。

 ラージャヨガの教えでは今は“合流の時代”という時だそうで金、銀、銅、鉄の時代を経てまた金の時代に戻る“時の輪”が終末を迎えてまた一巡する時、そう例えて言えば一日の終わりの午後11時55分頃に該当するらしい。これから起こることは創造的破壊。つまりきれいな世界にするためにいったんこの社会をご破算にする段階にあるという考えで似たようなことがホピの預言、日月神示などにも出ている。

 ほんとうにそのような地球規模の破壊が来るかどうかはわからない。ぼく個人の考えとしては地球自体が破壊されるようなことは起こらないがその上に生きているすべての生き物が消滅してしまうかもしれないような天変地異は起こることもありえる、と考えている。いわゆる“浄化の時”を迎えつつあると思っている。

 そして浄化の時の迎え方が重要だといわれている。日月神示では「天地がひっくりかえるが身霊磨けたらどんなところでどんなことをしていても心配ないぞ」と示され、ホピの預言では「大地と共に感謝をもって生きること」が勧められ、ラージャヨガでは「たとえ混乱の中にあってもすぐシッババと繋がることで魂の平静を保ち、この世にいる限りのお役目を果たす」ことを求められていよう。

 美輪明宏氏がきのうのオーラの泉の中でも解説していたように、人は死ぬ間際の念がストップモーションとなってずっと何十年、何百年とその怒りや苦しみの中に過ごすことになってしまうそうだ。それを地獄と言うらしい。であるからこれから先にあるかもしれない大崩壊の時代を迎えたときにそこでたとえ悲惨な死に方をしても死ぬ瞬間にそれを受け止める、受容する、恐怖を抱かない、無念の念を遺さない、ことなどが大事なのだろう。

 でもそれはとてもとても難しいことだ。たぶんいまのぼくならパニックに陥るだろう。そして死んでしまい未浄化霊になる確率が高そうだ、おおいやだ(笑)。だからそうならないようにぼくはそのときに備える意味でも「魂の準備」をしている。いわゆる覚悟というやつなんだろう。この覚悟というものができていると死後の世界への移行がスムースなのではないか。

 今思いついたんだけどオーラの泉を見ていると江戸時代のお侍の奥方が守護霊についている芸能人が多い。これはお侍の奥方はいつ命を捨てねばならない事態が起きてもあわてないよう日々静かな緊張の日々をいわゆゆる覚悟を持って生きていたから霊性が研ぎ澄まされていて、こんなに比較的早く人様の守護霊などの仕事に就けているのではないだろうか・・・ 閑話休題。

 瞑想によって自分の本質は平和な魂であることを瞬時に思い起こせればこの世の喧騒から距離を置いて知力を働かせることができる。からだは混乱の現場に置いていても魂はそこから遊離して自分の体をベストの方法で使役することができる。大混乱の中にあっても流されずに逆にそれをコントロールする力を持つことができる。輪廻転生を理解しているので自分を害する相手に恨みの念を抱くこともない。とても到達できそうもない気高い理想の状態だけれども自分のために人のためにその境地に進んでいく努力をしている。
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江原啓之への質問状

2006年01月02日 20時02分14秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 『江原啓之への質問状』(聞き手 丸山あかね 徳間書店)、
 『子育てハッピーアドバイス』(明橋大二著、1万年堂出版)を横浜ルミネ有隣堂書店で購入。

 未だ読んでないけど『江原啓之への質問状』は面白そう。だって前書きに「いつしか私は江原さんの指南どおりにしていたら人生の負け組になってしまうのではないか?と矛盾を感じるようになってしまった。そこで数々の疑問を晴らすべくさまざまな角度から江原さんに疑問をぶつけた次第。(中略)江原さん批判をする人に納得していただける内容の、そして江原さんの著書の熱心な読者の方々には、より深くスピリチュアリズムを理解していただくことのできる一冊になったと思う」とあったから。さてどんなことが書かれているか・・・。

 『子育てハッピーアドバイス』は太田知子さんが書かれた面白いイラストが新聞の広告面で目をひいて印象に残っていたから。副題が「“輝ける子”に育つとっても大切なこと」とあるように、漫画で子育てのポイントが分かりやすく書かれている。ぼくにも3歳半の娘がいてこれがけっこう意地っ張りなんだけど(たぶん妻似だと思う。たぶん・・・笑)そういう子を叱るには情緒的に安定した子やおおらかな子に対するそれとは違って注意する必要があるなどと具体的に示していてとても参考になる。

 うーん、北山耕平さんの“時の輪講座”教科書『ネイティブ・タイム』(地湧社)の大著がまだ半分も読めていない(あと800ページの読破が宿題)のにシステム手帳のリフィルを買いに本屋に寄ったのがまずかった。また本を新たに買ってしまった。いったいネイティブタイムはいつ読むんだ?まるで期末試験前になると試験に関係ない普段読まない本が猛然と読みたくなってその衝動を抑えきれず結局読み出してしまって試験が一夜漬けになってしまうあの学生時代とまるでかわらない。20年以上経っているんだが進歩がないような気がするのは気のせい?

 ましてきのうは「既に手に持っているものを活用しよう」と誓いを立てたのにもう破ってしまっている。三日坊主ならぬ一日坊主、朝令暮改じゃありませんか・・・。しょせんぼくはぼくらしくしか生きれないようだ。ふっ(笑
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あけましておめでとうございます

2006年01月01日 12時03分14秒 | 個人的体験・雑感
 おめでとうございます。ことしもよろしくおねがいします。

 元日の初日の出を見に行ったが東の空は厚い雲に覆われていて願いは叶わなかった。雑煮を食したのち近所の氏神様に初詣にいってそこでひいた御神籤は「吹きあるる嵐の風の末遂に道埋るまで雪はふりつむ」と“何事も時の至るまで天に任せて静かに身を慎んで居ればよい今は何事も控えよ”と出た。さらに隣町の崇敬神社でひいたそれも「波のおと嵐のおともしずまりて日かげのどけき大海の原」で“ただ御助けを祈って心平らかな授けられた自己の職務を熱心につくしなさい”と出て、二つの御籤を併せて考えると「今年は何事も自重せよ」との神様からのメッセージと受け取った。

 “今年は具象化の時”と捉えてこれまで以上の積極的な自己表明のつもりだったがそれはあくまで「自己の職務内」が良いらしい。そういえば患者のTさんが教えている0学占星術では今年はたしかぼくは“浮気年”で自分の本務以外をやりたくなるけどじっとそれを我慢しなさいと言われていたことを思い出した。

 併せて昨日まで読んでいた『ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと』中でライラ・フィッシャーというワシントン州オリンピック半島のホー族の長老が語ることばに印象深いものがあって、それは「叡智を探し求めるのをやめ、創造主さまに与えられた人生を本当に生きてこそ、はじめて叡智を授かる」というものだった。ぼくは真実を追い求めることが課題なのだけれどもそれも「人生を本当に生きてこそ」授かるのだろう。

 どうやら四方八方から「今ある手持ちのものを活かせ。他に目移りするな」と言われている気がする。今年はその線で動いてみよう。
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