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植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

一人ひとり異なる悟りへの道

2006年10月14日 23時27分57秒 | 癌・病気の意味
再び『マリアエネルギー』より

「もう待つことは地球にとっても宇宙にとっても残念ながら難しい時に入ってまいりました。わたくしたちは今、ひとつの宗教を持たず、誰かを中心とした神という概念を捨て、宇宙本来の教えに一人ひとりが気づくよう、多くの預言者を通してメッセージを降ろしております。今までの歴史の繰り返しをやめて意、一人ひとりの中に神の存在を気づかせ、悟らせていくようにしております。

 一人ひとりでの悟りですので、今までより大変厳しい、つらい体験を三次元の生活でする人も出てきているでしょう。でもそれは仕方のないことなのです。集団で悟っていくことの良さと悪さに早く気づき、より多くの人が自分に合った悟りを得て頂きたいと思っております。

 どれが正しくどれが違うということはありません。すべて多様な複雑な心を持つ地球人に合うように用意されてきたものばかりなのです。すべて、あなたたちの自由意志と選択によって成長できるように天界で私たちは待っています」

 ニューエイジ・ムーブメント(フィンドホーンやエドガー・ケイシー、チャネラー(ラザリス、バシャール他)などの教えと東洋神秘主義が合わさり個々人が神に近づくよう瞑想、食事、対人関係を通し意識を高めていくこと)も天界からのメッセージの基に動いているとのこと。

→この間、異才を持つ多くの方に会ってきた。このミクシーでも多くのヒーラーと知り合える。でも異才があるからどうのこうのではなくて、皆それぞれの悟りへの道を歩んでいるんだね。

 何も肩書きがないとか、何も感じない、見えないとか人と比べる必要はまったくない、ということだ。だってそれぞれ学びの道が違うんだから。そんな能力を開発したり習得することが目的ではなく、意識を高めることが向かう先なんだろうね。
 ヒーリング能力を習得するよりも自己顕示欲を捨てるだけで意識が高まることもたぶんあるかもしれない。

 一人ひとりが違う道を歩いていもネットなどでその経験や感想を述べ合うことで多くの別の道を歩いている仲間が勇気付けられ、気づかされ、背中を押されて意識を高めているんだね。
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素敵な映像

2006年10月06日 09時27分27秒 | 癌・病気の意味
愛情を表現することの素晴らしさ・・・
Free Hugs Campaign
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クリスティン・ペイジ先生の講演会を聴く

2006年09月28日 10時07分24秒 | 癌・病気の意味
 26日(火)夜、浅草橋にある日本波動医学協会で行われたクリスティン・ペイジ先生の講演会を聞きに行った。

 あらかじめマイミクKazさんからペイジ先生の新著『チャクラ--癒しへの道』(両角美貴子訳、サンマーク出版、瞑想CD付き、2400円)がとてもお勧めと聞いていたので、なんとか開演直前に滑り込んだ会場入り口で本を購入できた。「聡哲さんの分をキープしておこうかと思った」と受付のKazさん。いやぁ、かたじけありませんm(_ _)m

 冒頭に寺山心一翁先生によるペイジ先生の紹介。人のご縁は不思議だなぁと思う。そしてマイミクまりちゃんさんによる通訳でペイジ先生の講演が始まる。まりちゃんさんとは2年前の10月に信州上田の女神山ライフセンターで行われた寺山先生とダフナ・ラファエルさんによる癒しのワークショップに共に参加した仲。司会で前に立たれているのに僕に気付いて手を振ってくれるのが何か嬉しい。そして彼女の同時通訳が素晴らしかった。要はペイジ先生の言わんとするところをあ・うんの呼吸で汲み取って訳していくから、先生の感情や訴えたいことがすぐさま隣で訳している彼女を通して伝わってくる。感情伝播にタイムラグがほとんどない。それは聴衆にとってとても有り難い事だ。ペイジ先生の来日中ずっと通して通訳されているからという理由だけでなく、これまでの繋がりから来るもの、それ以上に彼女達二人の間の魂の個人的親密さが成功の鍵だと拝察する。

 ペイジ先生のお話の核となっている“チャクラや体の声を聞くこと”についてはこれまでも寺山先生などから教えて頂き、ペイジ先生の師といわれるキャロライン・メイスさんの著書『7つのチャクラ』(川瀬勝訳、サンマーク出版)も読んでいたりした。それでも今回の講演は僕にとって中身の濃いものだった。

 冒頭の「病気の60%は魂からの警告」から始まってそれぞれのチャクラの意味やその機能不全、亢進による体の異常とそこから始まる症状、病気について概説していく。終始にこにこされているペイジ先生のユーモア溢れる話術と、スクリーンに示される解説文やイラストで驚くほどの良質の情報がわかりやすく伝えられていった。

 特に自分にとって印象深かったのはキネシオロジーを使ったチャクラ診断で、被験者を立たせその利き腕を横に肩の高さまで水平にもち上げてもらって、後に立った検査する人が被験者のその水平に上げた腕の手首を下に押し下げる、そのとき被験者はこれに抵抗してもらい、その抵抗力の具合でチャクラの状態を診断するというもの。

 モデルに立った右利きの女性が自分の右腕を水平に横に伸ばし、ペイジ先生は後に立つ。モデル女性は自分の左手で自分の頭の上5センチくらいの空間に手をかざす。これで第7チャクラ(クラウンチャクラ)の診断となる。

 ペイジ先生は人差し指一本でモデル女性の水平に広げられた腕の手首部分を下に押し下げようとするが抵抗してほとんど下に下がらない。
 次に第三の目チャクラ(眉間)も同様。
 ところがモデル女性が喉に左手を置いて喉のチャクラをみたとき、女性の右腕はペイジ先生の下に押す力に抵抗できず見事にすとんと下に落ちてしまう。唖然。モデル女性が喉から手を離せば、また抵抗できて彼女の右腕はペイジ先生の努力にも拘らず下に押し下げられない。再びモデル女性が左腕を喉に置けば右腕は抵抗する術もなく押し下げられてしまう・・・。

 見事に不思議な光景を見せて頂いた。なんでもペイジ先生の説明によると弱っているチャクラの部分にエネルギーを回さないといけないので他の部分への力が弱まるからとか。モデル女性の場合には喉チャクラの部分がエネルギー不足なのでそれを補うためにそこにエネルギーをとられ、喉以外の部分はエネルギー不足となりそれが抵抗筋力の減弱となって現れるということらしい。

 この後、モデル女性のベースチャクラまで調べて彼女は喉チャクラと同様にみぞおちにある太陽神経叢チャクラも弱いことが分かった。そして今度は会場内全員で隣り合った人とお互いに同様のチェックをしてみた。ぼくは喉チャクラで力が弱まっているのが分かった。ペアになった方はモデル女性と同様に喉と太陽神経叢が弱かった。彼女は直前の瞑想で喉と太陽神経叢チャクラをイメージした時には大きな塊がブロックしていると感じていたらしい。見事に当たっているようだった。

 とにかく素晴らしい内容の講演だった。29日から女神山で開かれる寺山先生主催のペイジ先生のワークショップに行けないのは残念だ。
 こんな素晴らしい先生を日本に招聘してくださった寺山先生のご尽力には本当に感謝申し上げたい。誠にありがとうございました。その気持ちを表してペイジ先生に本にサインしてもらったあとに寺山先生と固い握手をして会場を後にした。土砂降りの雨の中で辿りついた会場だったけど、帰りにはほとんど雨は気にならなかった。高揚した気分、感謝の気分が悪天候を忘れさせていたのかもしれない。

 チャクラの状態と病気との関連などの個別例はまた次回に。
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痛々しい事件報道に触れた時

2006年09月03日 19時41分58秒 | 癌・病気の意味
 最近は悲惨な事件が多く、そんな事件報道にテレビで触れるたびに自分が何もできないことの無力感を抱くことがあるかもしれない。きょう、過去の日記を読み返していてアップしたほうが良いと感じたので上げてみる。

「世界中にゆううつ症や否定的な態度がまんえんしている今こそ、暗い気分や否定的な考え方におちいらないでください。私達の仕事が難しくなるからです。その逆であれば、人類の精神も高揚します」

 「世界の問題に対して、自分は何ができるだろうかと思っているのであれば、あなた自身の基本的な生き方を確立し、それに従って生きることによって、役に立てるということを知りなさい。基本とは、人間の中心にある神性を意味しています。それはあなたの生活原理であり、それを中心としてすべてが展開し、それに向かってすべてが進化しているのです。内なる神性とともにいれば、あなたは宇宙の力とともに動いているのです」

 このメッセージは『大地の天使たち』(ドロシー・マクリーン著、山川紘矢・亜希子訳、日本教文社)中のSpirit of Canada--カナダの精霊の言葉。

 →周りの世界の状況とは別に自分を向上させることこそが大事らしい。以下は 「The Planetarry Being--地球の天使」からのメッセージ。

「どんなに小さな行為であっても、それが全体のためのものであれば、非常に大きな貢献です。自分は無力だと思ってはいけません。現状は絶望的だと絶対に思ってはいけません。この大きな変化の時代のなかで、あなたは変化をもたらすための触媒であり、私とともに歩み、進化し、純化している私の一部です。私達はともに神の恵みなのです」

 ブログやミクシなどを通して“触媒”である私達同志の連鎖反応がすさまじい勢いで起こっている感じがする。この流れはこれからますます重要になるだろう。つながって、話して、会って、影響しあって、自分が変わり、皆も変わっていく・・・。為政者による上からの変革でなくこのような形での社会変化が進んでいく時代を僕らは歩んでいる。一人ひとりがとてつもなく重要な働きをする時代を。
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病気の治し方(再掲)

2006年06月16日 20時55分32秒 | 癌・病気の意味
 そんがんさんが誘い水をくれたのでアップしようと思う。ずっと以前に書いた『高次元科学2』(関英男、中央アート出版社)の記事の再掲だ。関英男氏は故人であるけれどもいまをときめく小林正観氏が大学生の頃に5年ほど関氏の主宰する「超能力研究会」で学ばれていたとのこと。正観氏の著書で語られていることの骨格の一部のようにも思える。

 以下2004年12月1日の日記より再掲-------------------------------

 嬉しい本に出会った。私の考えていたことをほぼ網羅していた。『高次元科学2』(関英男著、中央アート出版社)という本である。その中の「病気の責任は自分にある」という一節を書き出してみる。10月22日に書いた「除癌と浄癌、除霊と浄霊」も併せて読み返していただきたい。

 「病気というものは、いつも突然襲ってくる人生最大の不幸のように思われています。何の罪もない人を不幸のどん底に落とし込むとんでもない悪者でもあると多くの人が考えています。

 しかし、私はその考え方に異議を唱えたいと思います。つまり、今まで何度も言ってきましたが、病気は神様からのシグナルであり、決して忌み嫌うものではないということを強く訴えたいのです。

 今まで私が説明してきたことをもう少し違った形で説明していきましょう。神様という言葉を出さずに(神様という言葉を宗教的だ、非科学的だと嫌う人が結構います)、病気は自分自身が作り出しているもので自分以外の誰のせいでもないということを、はっきりさせたいと思います。

 すべての物質はそれぞれ固有の波動を発しています。そのことは、すべての素粒子は振動していることから現代科学的にも認められていることです。そのすべての物質が持つ固有の波動は広い宇宙へと向けられ、宇宙に存在する無数の波動のうち周波数の同じものと共鳴します。

 例えば、自分自身が人を憎む波動を発したとしましょう。すると、その波動は宇宙に存在する憎しみの波動と共鳴し、その人の中にどんどん取り込まれるようになるのです。例えばテレビの受像機を考えてみてください。

 1にチャンネルを合わせたとき、テレビの受像機は1チャンネルの周波数をわずかですが発信します。そうすると、私たちの周りを飛び交っている電波のうちの1チャンネルのものと共鳴をし、受像機に受信されるのです。

 私たちが発する波動は電波とは少々違いますが、仕組みは同じです。憎しみの波動を発していると、常に憎しみの波動にチャンネルを合わせているということですから、自分も憎まれているという状態が続きます。

 憎しみの波動は、その人の本来持っている健康な波動を歪めることになります。そして結局、病気という現象が体に現れるのです。

 こういった形で病気になるとしたら、どこに病気の原因はあるのでしょうか。決して神様がその人を病気にしたわけではありません。誰か他人が病気を運んできたわけではありません。結局、自分が発した波動がそのまま返ってきているだけなのです。

 ですから、逆に常に喜びの波動を発している人は、いつも喜びの波動をもらっていることになります。喜びの波動は、その人の本来の波動をますます調和のとれたものに変えていきます。より健康に、より幸せに導く波動に変わっていくのです。

 どうでしょうか。こういった言い方だと、より多くの人にわかりやすいかもしれません。つまり、こういった宇宙の仕組みを宇宙創造の神様は作り出し、それを現場でコントロールしているのが取次ぎの神様であり、守護神、守護霊、指導霊と考えれば、これまで言ってきたことが分かりやすくなったのではないでしょうか。

 病人の多くは、病気をいつも他人のせいにしてきました。「何も悪いことをしていないのに、何で自分だけがこんな目に合わなければいけないのか」と恨み言を言ってきました。しかし、本当の原因は自分自身にあったのです。

 そのことにまず気づかなければ病気治しは始まりません。薬を飲んでも、一時的には楽になりますが、必ず同じような苦しみ、時にはそれ以上の苦しみがやってきます。

 本当に病気を治して、幸せになりたいと思うなら、宇宙の本質、法則に沿った方法で病気に対処しなければいけないと思います。」
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CD『落胆するのはまだ早い!』を聴く

2006年06月15日 20時06分32秒 | 癌・病気の意味
 先日高橋里彗子さんの著書『落胆するのはまだ早い!』を紹介させて頂いたところご本人より紹介した事に対する感謝のメッセージとともに同名タイトルのCDをお贈り頂いた。高橋さん、ありがとうございます。

 さっそく聴かせて頂いた。進行役の女性二人との会話形式でほぼ書籍と同様の内容が語られていくんだけどやはり肉声を聴いて身体に入っていくということと、目で文字を追って得られた情報とは違う。言霊の力があるだろうから。

 対談内容として、
1.今までの経過
2.里彗子流「がんを退散させる心構え10カ条」
3.克服に向けての注意点
4.ミラクルを起こす方法
5.「よみがえり」の不思議な体験
6.色心不二
7.一日生涯
8.再発転移や余命宣告を受けたあなたに送るメッセージ
 となっている。

 ぼくには「身体にガンがあっても心にはガンはないのだから」と説く6の色心不二のところが良かった。「心までガンになってはいけない」と思いそのように患者さんに話してきたけれども、高橋さんのような患者本人が語ると同じ言葉でも聴いていて力が圧倒的に違うような気がした。CDの表ジャケットには「再発・転移をしたあなたに、余命宣告を受けたあなたへ」とあるけれども初期のガん患者さんにもお勧めしたい。

 『落胆するのはまだ早い!』は書籍も良かったけどCDから耳で聴いて潜在意識に刷り込んでいくことも良いのではないか。税込み1500円とのこと。注文はさくら倶楽部のメールフォームにCD欲しい旨を記入して送信すればいいのではないか?確認してなくてゴメン。
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インディアンのことわざから

2006年06月05日 12時15分32秒 | 癌・病気の意味
 「子供たちへの愛ゆえになされた善い行ないは、よその村から訪れた人々にとって耳に心地よい美談となっていく。そのような行ないは誰しもが内心待ち望んでいるものであり、戦いにおける華々しい武勇談と肩を並べるものになる」 --俗諺(アッシニボイン族)
 『俺の心は大地とひとつだ インディアンが語るナチュラル・ウィズダムⅡ』ノーバート・S・ヒル・ジュニア編、ぬくみちほ訳、めるくまーる、2000年)

 犯罪を憎み、人を裁く心のエネルギーを別のことに使いたい。
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映画『明日の記憶』の新聞広告より

2006年05月25日 19時02分52秒 | 癌・病気の意味
 今日の朝日新聞夕刊に映画『明日の記憶』(渡辺謙、樋口可南子出演、堤幸彦監督)の広告が載っていてその中の文章から抜粋。

 「映画は広告代理店の仕事も、家庭も順風満帆だった男が突然若年性認知症(アルツハイマー)に襲われ、日常的な記憶を失っていく物語。いつ自分の身にふりかかるかも知れない、誰もが無視できない問題が描かれているが、そこには1989年に急性骨髄性白血病を宣告された渡辺謙の実人生が大きく投影されている。」

 「ぼくは病気を克服するのに17,8年かかったけど、その長い年月の中で『治る』『治らない』が大きな問題ではないことに気づいたんです。もちろん、治るにこしたことはない。でも、治らないからダメだってことでもない気がするんです。
 病気になっても、『生きてること』『生かされてること』の意義や喜びを常に感じられるように時間を積み重ねればいいわけで。それが結果的に『諦めるんじゃない!』ってことに繋がっていくような気がするんですよね」

 中略

 「大事なのは日常だと思うんです。病気になっても、また夜が明けて、次の日が来る。笑っていたいと思う日常が確実にある。」

 →すてきな言葉がこんなところにも潜んでいた。ちょっと胸が熱くなったひととき。
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『強運道 御縁と人徳の法則』

2006年05月24日 16時29分21秒 | 癌・病気の意味
 『強運道 御縁と人徳の法則』(清水克衛著、総合法令、2004年)という本を患者さんのIさんが寄贈してくださった。うちで知り合ったPさんに読んでもらいたいので渡して欲しいとのこと。遠慮なく頂戴してPさんに渡す前にたった今読み終わる。 

 著者の清水克衛さんは東京江戸川の下町で「読書のすすめ」という一風変わっているらしい本屋を10年ほど前に始めた人で、書店「読書のすすめ」は立地条件が大して良くないにもかかわらず斉藤一人さんをはじめすごい人たちが集まるウワサの書店となっているそうだ。

 さて本の内容だけど、いい。本の装丁を一見すると「イラストの少ない西原理恵子の本」というと分かってもらえるかな?ギャグ風のイラスト、時にぶっとい太字で書かれた手書きの文字が混じってる。でもね、中身は熱い。清水さんの義理人情に熱いところがそのまま出てて愉快。

 ぼくにとって腑に落ちたのは「ななめのカンをつかもう」という節。
 「読書もそう。がっぷり前から取り組むよりも少し斜めくらいからちょっと冷静に読めたらこっちのもんさ。・・・で、その読書の「ななめ」のカンをつかむのに一番いい方法ってのを教えちゃいましょうか!
 ズバリ「人のために本を読む」って方法なんです。印象に残ったことは「これ○○さんに教えてあげるにはどういったらいいのかなって考えるんですよ。誰かの役に立とうと思って読む」
 
 手前味噌なんだけど(笑)ぼくが精神世界の本を読んだりガン関連の本を読むのはなんとか患者さんの負担を楽にしてあげる情報はないかなと拾い読みをしているから読めているんだと思う。ただ自分の性格から“冷静に読めない(思い入れが深くなる)”点が玉に瑕なんだけどね。


 「魚屋さんや八百屋さんみてぇに、旬の本をお知らせして本当にお客さんのためになるおもしれぇ本をおすすめしたい」清水さんが選りすぐった本も多数紹介されている。

 人に喜ばれることをしようと心がけそれを実践している人がここにもいた。そんな姿勢を持った人が書いた本だからたぶんひとつくらいはあなたのためになることが書いてあると確信してお勧めする。





 
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小林正観さんの5時間講座を聞いてきました

2006年05月23日 23時51分28秒 | 癌・病気の意味
 きのう夜6時から池袋で開かれた小林正観さんの5時間講座を聞いてきました。正観さんの講演を聞くのはこれが初めてでようやくどんなお顔かわかりましたし、話の内容も学ぶことが多く良かったです。

 いろんな話をされましたがぼくにとっては「人に価値観を押し付けないこと。生き方を押し付けないこと。ただ実践すること。淡々と自分のことをしているとそのひとの言うことを他の人は聞きやすくなりますよ」「使命感、正義感が過ぎるとまわりが迷惑します」など耳の痛いことが多かったです。

 会場で新著である『釈迦の教えは「感謝」だった』を一冊買わせて頂きサインもしてもらいました。

 すごいなぁと思った話は正観さんはこれまで303名の喫煙者に禁煙をさせてきたとか。これまで30年、40年と煙草を吸うヘビースモーカーの旦那さんが正観さんの話を聞いてその場で止めた人もいたとか。それは正観さんの説得力がすごいというのではなくてその喫煙者の方の意識のあり方で煙草を止めざるを得なくなるというものでした。

 しかし正観さんご自身が言っていましたが家に帰って正観さんと同じ話を煙草を吸っている当人に話しても効果はないだろうとのことでした。

 般若心経の解釈も分かりやすくてよかったのでこれはまた別の日に書きましょう。
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癌を治した人の治癒観の一例

2006年05月21日 21時40分14秒 | 癌・病気の意味
 『癒す力はあなたの胸に ガン回復物語』(E・リュックハイデ著、シュミーク明子訳、春秋社)訳者あとがきより

 「著者は一度目の乳ガンの時、手術で取り除き普段の生活に戻れたことで満足しますが、二度目の時、ガンが『本来の人生』を歩むようメッセージを伝えにやってきたのだと気付き、より健やかに生きるために何をしたらいいのかを問いながら、生活習慣や考え方を変えていきます」

 (中略)

 「彼女が次に取り組んだのは心を癒すことでした。ガンの治癒を通して彼女が学んだことは、心の状態がよければ、身体にもよい影響が及ぶということだったからです。たとえガンの治癒が起こっても、病気の最も根深い原因にまでは届いていない、つまり精神的な痛み、霊的な痛みからも解放されない限り、ガンは確実に再発するという予感が彼女にはあったのです。

 「本当の治癒は、単に身体的機能が改善し回復する以上のことであり、身体に宿り、しかも身体を越えてあふれる生命の流れや「魂」の領域まで到達するようなものだという確信があったのだと思います。」

 →リュックハイデさんは次のようなガン治療を行って回復した方である。
☆身体に対して
 乳房再建/ホルモン療法/放射線療法/食事療法/寝室の正しい位置づけ(ダウジング)/断食、もしくは週一回にんじんジュースの日/健康士になるための準備コースに参加
☆魂に対して
 他者との対話/レイキ/バッチフラワーレメディ/宝石療法/ヨーガ/瞑想/キネジオロジー/ヨーガの養成コースに参加/レイキコースに参加/気功
☆精神に対して
 生き抜こうとする意思と治癒への希望を持つ/病気になった原因を考え、新しい生き方を模索する/自分自身に強い関心を持ち、自分自身を良く知る/不安、ストレス、怒り、病気に対する悲観的な考えを解放する/カウンセラー養成コースへの参加
☆食事療法の指針
 →この項は著者の個人的なものであるとぼくは考えるので割愛した。ご興味のある方は本書を入手されてください。

 リュックハイデさんの治癒にはドイツの医学環境が代替医療に積極的(西洋医学の医師にもホリスティックな健康観を持っている人が多く、公的に認知された良質な代替療法医が各地にいる)であり、必要な時に身近で代替医療を受けられたことも要因の一つだと思う。

 
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マンダラディベート

2006年05月16日 23時03分36秒 | 癌・病気の意味
 先週の土曜日、雨が降っていなかったら北山耕平さんの「風をひらく」ワークショップに行くはずだったんだけど生憎の雨だったのでぽっかり時間が空いてしまった。うちは予約制だし雨は結構降っているしたぶん治療予約は入らないだろう。と考えて先日ブラーマクマリス(ラージャヨガを教える日本のセンター)でお会いした方からメールで誘われていたマンダラディベートという表題の催しに急遽行ってみた。

 ディベートというものは甲論乙駁するものであり「議論から真の解決は生まれない」と考えているので興味はないのだが(競わない、比べない、争わない主旨からもはずれるし)、ディベーターの一人が松本道弘氏ということと頼まれごとではないが誘われたことは何か意味あることだろうと考え、結局行ってみたのだった。

 恵比寿の日仏会館にて。ディベーターはインドからアフターブ・セット氏、中国から萬里紅(ワン・リサ)氏、韓国からNoh Jesu(ノ・ジェス)氏、そして日本から松本道弘氏の4人。松本氏の進行でディベートらしくしようとしてか挑戦的な議題を各人に振るんだけどあまり議論にはならなかった感がある。当然ながら各人の出身国の国としての考えなどを聞く感じになり「韓国は・・・」「中国は・・・」「日本は・・・」「インドは・・・」という受け答えになってしまっていた。

 個人的な問題なのだがぼくは父が台湾人でありその祖先は中国福建省から台湾に渡ってきた家系。そして母は日本人だけど遠藤という姓からすると「遠江(とおのうみ=静岡あたり)の藤原家」なんでその祖先はたぶん唐・新羅系という朝鮮半島経由でこの列島に来た家系だろう→ということでぼくは“雑種”よく言えば”ハイブリッド”なんだよね(笑)。だから中国も台湾も韓国も朝鮮もすべてぼくの中ではぼくの一部なんだ。 だからディベートで国としての立場からものを言う姿を見ているとぼくは悲しくなるんだ。「みんな祖先は同じなのになんで区別、差別するかね」と。

 ところで西暦500年頃の日本の推定人口は北海道を除いて約540万人くらいだったらしく、当時では日本にそれまでいたいわゆる縄文人と言われる先住民(ネイティブ・ジャパニーズ)と、朝鮮半島や中国からの渡来人の人口割合は先住民1人に対して渡来人8.6人(!)となり、混血がこのころ急激に進んだらしいとされている。そんなことを知ったのも「国は異なっていてもみんな同じ」というぼくの考えのベースになっている。

 あと印象的だったのはノ・ジェス氏が見えない世界に価値をおけ、パラダイムシフトが必要と説いていてその核になるのが“日本人”だと力説していたこと。氏は東洋と西洋の融合の場所としての日本の役割を認識せよと主張していたのだがその点はぼくも同意する。最近の日本での人々の精神世界への関心の高まりはすごいものだと思うから。今後アメリカと中国の両物質主義大国の競争世界になっていくのを牽制するのはこの列島の人々の役割だと思う。

 ただし気をつけないといけない。たしかにノ・ジェス氏の言うような“精神世界への深まりで世界をリードする役割”がこの国の人にあるかもしれない。けれどもだからといってその点から日本人が他国人より霊的に優位性があると直結させるのは思想的に危険だと思う。

 固定観念は恐い。マンダラディベートで一番学んだことは冒頭に松本氏が言っていた「Thoughtは固まってしまう。Thinkingなら固まらない。思考が固定した時(宗教とか)が危ない。他者を排撃するから。いつも考え続けていくことが大事である」ということだ。いつも流れに身も認識も心も任せていきたい。
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“正しく”より“楽しく”

2006年05月11日 14時50分39秒 | 癌・病気の意味
 『ただしい人からたしい人へ』(小林正観著、弘園社、2002年、1500円)より抜粋。癌に関連する部分を。

 悪いことをしてないのに
 ある方が、講演会の後の二次会でこのような質問をされました。「私の友人がついこの間、ガンで死にました。その人は『世の中には悪いことをして人に嫌がられ、迷惑を掛ける存在でありながら楽しく愉快に生きている人がいるというのに、私は何も悪いことをしていないのに、なんでこんな病気になって死んでいかなければならないのか。理不尽ではないか。私が何を悪いことをしたというのか』と言いながら死んでいきました。そのことについて伺いたいのです」と言いました。 どうしてそんな不公平なことが起きるのか、というのが質問の趣旨でした。

 私はこう答えました。
「ガンになって、あと数ヶ月の命と言われたとき、例えば自分の好きな絵を描いて何十点か残そうとか、作曲をしたり、好きな曲を演奏して録音して残そうとか、本を書いたり短歌や俳句を書いて残そうとか、そういうふうに自分の存在証明を残すということで気持を切り替えた人たちがいます。

 そのような人たちには、宣告された期間が過ぎても死なない、というケースが多々ありました。あと三ヶ月といわれた人が半年も生きていたり、半年といわれた人が1年も生き延びているという事実に驚き、病院で検査をするとガン細胞が消滅している、というものです。そういう例が世の中には多々あるようなのです。

 今の方のような『ほかにもっと悪いことをしている人たちがたくさんいるのに、その人たちには何も起こらなくて、何も悪いことをしないで正しく生きてきた私になぜこんなことをが起きるのか』という質問は、自分の運命を恨み、呪って、受け入れなかったことのストレスのゆえのものだったかもしれません。

 自分が『正しく』生きてきたかどうかではなく、問題は『楽しく』生きてきたかどうかなのです(太字は聡哲による)」

 「正しい」ということを人生の中に掲げて生きてきた人は、多分つらかっただろうと思います。「正しい」かどうかではなく「楽しい」かどうかです。自分がその生活が楽しいのかどうか、それを基準にものを考えるということが、実はとても重要なことのように思えます」


 →これまでベティ・シャインなどの霊能者の本を読んできて生命エネルギーが伸びやかでなく鬱屈しているとその影響が身体に及んでやがて病となると学んだ。「人はこの世に使命を果たしにくるのではなくただ経験を楽しみにくる」と考えれば「生き生きと楽しく過ごせないことは人の本来の姿ではない」のだろう。病は楽しくないと魂が感じていることの身体への表れなのか。もちろんいつも笑顔で楽しそうな人だって病になるのだからこれが正しいかはわからない。あ、いかんな。まだ正しい正しくないで思考している

ですから「自分は正しい生き方をし、ほかの人は正しくない生き方をしてきたにもかかわらず、正しいほうの私が病気を得て、正しくない方の人がのうのうと生きている」と考えること自体が、すでに自分の身体にガン細胞を作っているということになりそうです。

 悟りとは受け入れること。
 先述しましたが受け入れるためには3秒あればよいのです。
 一秒目、過去のすべてを受け入れること。
 二秒目、現在のすべてを受け入れること。
 三秒目、未来のすべてを受け入れること。
受け入れることが悟ること。
「こうありたい」「こうあってはならない」と思うことはそのどちらも執着ということにほかなりません。執着していることが、自分にとってのストレスになり、ストレスが身体を壊していくようです。悟りとはただただ受け入れることなのかもしれません」


 →執着にはいろいろある。「玄米菜食しなきゃいけない」「考えを変えなきゃいけない」「魂を磨かなきゃいけない」・・・・。これらもそうだ。ぼくが今まで思ってきたし患者さんに言ってきたことでもある。でもこれも執着なんだろう。

 ガンを治すのにこれまでの自分を省みて思うところあって変えようと努力はし始めた。でも「変えられればいいな、でも変われなくてもいいや」という柔らかい姿勢、目標設定しない、努力しない、受け入れて楽しむことが大事という道と、治すためにはきちんと目標設定して努力しないといけないとひたすら頑張る道。正観さんは「お好きなほうを。それは人の趣味の問題ですから。正しい正しくないではないですから」という言い方をしている。

 最近「癌を治すための代替医療は自分の直感で選びましょう」とコメントしたんだけど、正観さんの本を読んで“直感”よりも“それが楽しいか楽しくないか”で選ぶことがいいのかも、と思い始めている。
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ただ頼まれごとをする

2006年05月09日 23時58分56秒 | 癌・病気の意味
 今まで「人生の使命が」なんて言ってきたんだけども、正観さんの本を読んでいて「目標設定をしない、ただ人から頼まれたことを淡々とやっていく」というのはなんとも楽でいいなぁと最近思っている。結局無理は続かないと思うし、また「自分が決めてきた」と思っていたことが実は自分は全然関与していないとか言われるとそれもそうか、と思う。影響されやすいな、ぼくは(笑)。

 でも正観さんの話す言葉は説得力がある。無理がない。聞いていて納得する。最近癌以外の方からの治療依頼が増えているんだけれどもこれまでは断ってきた。でも正観さんの本を読み始めてから「頼まれたら請け負う」というスタンスが正しいのではないか、とも思い始めている。

 今日、整骨院の院長さんの紹介で肩こりが主訴の方がいらした。その方の治療中に自分でも気付いたんだけど癌でない方でもぼくが話すことは全然変わりがなかった。やっぱりこの肩こりの意味とか生活の見直しとかの話をするんだよね。

 正観さんは頼まれごとについて次のように話している。ちなみに彼は自分の守護霊からのメッセージが受け取れるらしい。

 「いつも見守ってくれている存在--守護霊という言い方をしてもいいですが--は、私達の能力や人格を全部知っていて、知りぬいた上で、頼まれごとを運んできてくれているんです。
私達が今日から<不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句=“五戒”>を言わなくなると、この方(守護霊さん)が飛び回り始めます。
 この方はあっちこっちでものすごく精力的に飛び回っていて、私達をいかに売り込むかということの為に、いわば営業活動をしているんです。とても強力な営業部長なんですね。
 ですから頼まれごとに対する否定的な返事は、実は守護霊さんに対する否定的返事なんです。この方が営業部長となって取って来てくださる頼まれごとに対して、自分の自我で、「これは好き、これは嫌い、それはやりたくない」って文句を言った途端に、この方はやる気をなくすみたいです。だってこの方は私達を喜ばすために一生懸命やっているんですから。」

こんな文を読んでしまうと癌じゃない方からの治療も受けなきゃいけないだろうなぁと思ってしまうのだ。癌治療専門を改める方向に進みそうである。
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子育て

2006年04月21日 23時53分32秒 | 癌・病気の意味
 診療の始まる9時直前に電話が鳴って彼女はすぐ予約を入れてやってきた。彼女が通い始めてもう3年近くになる。午前中に4歳の娘さんを学校まで1時間かけて送ってきてその帰りに自由が丘駅に9時に戻ったのだという。

 彼女は子宮ガンの手術後の体調維持管理に通っているのだけれども、これまで多くのことを話してきた。上の小学校6年生の男の子がちょっとADHDっぽいらしくていろいろ問題を起こすらしく、治療中はその子が引き起こす様々なものごとの愚痴を話すことが多い。でも根本的に彼女は自分がいつも守られていることを感じているようで「私達夫婦はいつも土壇場で必ず助けられていて最悪の事態にはならないんですよ」と明るく仰る。

 彼女のこれまでのトラブルを聞いてきている私には彼女のその言葉には頷けるものがある。彼女は大学院を出て研究職にあったのを辞めて子育てに専念した人なんだけど本当に自分のすべてを子育てに費やしている。さらに生きる姿勢がすばらしくて将来はアジアアフリカの子どもを養子にもらいたい、とか彼らの学校を作りたいとも言われる。PTAの役員も医師の奥さんとしてすごく忙しいのに「なり手がいないようでしたので引き受けました。隣のクラスの知っているお母さんも役員さんになったようだし」と笑われる。

 彼女にはこれまで『シルバーバーチの霊訓』から始まって江原啓之さんの本や『筑紫交霊録』とか様々な本をお貸ししてきたのだけれども、それらを吸収した上でしっかり現実に踏み止まって日々過ごされていて本当に尊敬する人である。

 医院を二つも持っていて高収入にも拘らず「私達って物を持つことに意欲が湧かないんです」と質素な生活をされている。義理の兄夫婦も医師で税金対策に毎年ベンツを買い換えているのとはまったく反対で「話が合わなくてこまるんですよ」と笑っているような人だ。

 子育ては手がかかる。自分のことは何一つできない。でもなんかの本で読んだんだけど子どもを3人も育てる人はそれだけで霊的修行が進むらしい。毎日の行動自体が他者への奉仕だからだそうだ。一人家族から離れて山へ篭って修行をするのは独善なんだろう。

 恥をさらすようだけどぼくも子育てよりも自分の成長が大事だと今まで思っていた。でも今はようやくそれが誤りだと気づいたところだ。子育てのような自分の時間が持てないほど他の魂のために生きることも魂の成長になるのでしょう。もちろんそれは自分の子供に限らないことであり他の家庭の子ども達への関わりでもそれはできると思う。

 世の中には今生は子供を持たずに成長すると決めて生まれてきた魂もいっぱいいる。要は今生のカリキュラムが違うだけということでしょう。今日の彼女はその今生の課題に真正面から取り組んでいて見ていていつも啓発される。来院してくれる患者さんたちから本当にいろんなことを教えてもらえる。有り難いです。
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