和菓子職人のひとり言

志季の和菓子「倉敷 いちむら」日記

餅屋からの転身

2009-03-05 21:48:06 | Weblog
以前にもお話したとおり、私の家は、祖父の代から「餅屋」を営んでいました。

でも、私は幼い頃から、「餅屋」「餅屋」って言われるのが嫌で嫌で・・・。

私は長男ですし、家を継がなければ・・・という想いはあったのですが、どうしても

「餅屋」にはなりたくなかったんです。

で、私が選んだ道が、「和菓子屋」だったというわけです。

「和菓子」を選んだ理由は、またお話するとして・・・。

東京のお菓子の専門学校に入り、約10年間、あちらで修業をしてきました。

こっちに帰ってきても、すぐに和菓子屋が開業できるわけもなく、しばらくは

「餅屋」の仕事をし、やっと和菓子の店「倉敷いちむら」を持てました。

この店が持てたのは、私の力ではなく、父と母が休みもなく「餅屋」で頑張って

きてくれたからに他なりません。

そして、店を持ってからも、今までの「餅屋」のお客様に助けていただいています。

今でもお餅のご注文が絶えることがないのは、父と母が製法にこだわり、手間を

惜しまず、手抜きをしない製造を続けてきてくれたからだと思っています。

今の私があるのは、この「餅屋」時代があったからなのに、「餅屋」と言われるのが

嫌だと言っていた自分が今になって恥ずかしく思います。

今後も、和菓子と共に餅や赤飯などの販売も続けていきたいと思っています。

「餅屋」があっての今だということを心に刻み、頑張っていきます。