美しい地球環境を未来に!

最近の異常な気候はなんだか変だ!
地球温暖化のために「できる行動は?」役立つ情報を発信して行きたいと思っています。

2010年最後の残念な知らせ

2010-12-31 18:56:39 | Weblog
バリの植林の現地側のパートナー「プツ」氏が30日の午後に亡くなった
というメールが同僚のプロボさんから連絡が入りました。

メールを見ながら、頭が混乱して絶句状態でした。

つい数日前に電話で話をしたばかりです。

植林祭を12月4日に行って、そのあと再度入院して抗がん剤治療を
受けていたようです。

電話では白血球の数値が1200まで落ちてしまって、退院をしてきた
よ、先日送ったアガリクス茸をこれから飲むよ
「ありがとう、宮崎さん」と言ってくれた
プツ氏の声がよみがえってきました。

12月1日抗がん剤治療を受けて退院してきたばかりだったのに、
12月4日の植林祭の後何日かして入院して、抗がん剤治療をした
ようです。

通常の抗がん剤治療よりも間隔あまりにも短いので驚きました。
大変無茶な、患者さんにとって厳しすぎるやり方です。
なぜ、そのようなことになったのかわかりませんが、
とりあえず退院したと聞いてほっとしたのを覚えています。

これからアガリクス茸をしっかり飲んでくれれば、
もっと長生きができて
まだ一緒に植林を推進できると信じていたのに、本当に残念です。

今回の植林祭には奥さまや娘さんが同行しておられていたことや
奥様の話でかなり厳しい状況であることを察していましたが、
こんなに早く逝去されてしまうなんて、夢にも思いませんでした。

植林祭に参加して、彼の姿を見て、スピーチ(写真)を聞いた人たち
には信じられないことだと思いますが、事実です。

メールを何度も眺め、何とも言えない悲しさがこみあげてきました。

思えば1975年の10月に大学を出て、わたしが当時いたインドネシアの
キャンプマネージャーをしていたところに入社してきたのが、
彼との付き合いの始まりですからもう35年も過ぎています。

物事をしっかりと伝えて、積極的に相談してくれる、
当時の私の周りのインドネシア人にはないタイプの人間で、優秀な人でした。

その後も伐採キャンプが閉山するまで現場で働いていて、
その後は林業専門学校の校長を務め、
その後出身地バリにもどって州政府の公務員として働いて、
2006年まで努めていました。

その間には2005年3月に現在のところではないと場所に寄付植林をした時
バリで便宜を図ってくれたのが久しぶりの再開で
お互いに大変感激したのを覚えています。

そして2006年12月にバリでの植林の必要性を教えられて、
彼が現在の植林地を確保してくれました。

以来4年、来年こそは州知事に来て頂いてまた植林祭をやろうと
話していたばかりなのに、信じられないし、

残念で2010年最後の最後にこんな悲しい出来事が起こるなんて思いません
でした。

この残念な気持ちと彼への感謝気持ちから、2010年12月31日に、今年最後の
このブログを書いています。

葬儀は14日に行われるとの連絡が入りました。
ヒンズー教徒の人々にとっては、「死」は悲しいことでなく、
新しい生命の始まりのような受け止め方をされるようです。

彼の死を受け止めて、バリでの植林活動を続けていきたいと
願っています。

「宮崎さん、明日は見送りできないけれど、またね!」
植林祭で交わした言葉がよみがえってきます。

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