2023年1月7日(土)
隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和4年度(2022年度)第16回、令和5年(2023年)第1回、「八坂神社と常陸七福神巡り」
ウォーキングに参加した。
当初は東京の日本橋七福神巡りを計画していたが、コロナ感染者数の増加が続くなか、
電車を乗り継いで日本橋周辺まで出掛けるのはコロナの感染リスクが高過ぎるのでは?
という懸念の声が挙がり、検討した結果、土浦市内に常陸七福神の一つにご本尊が七福神
という眞延寺というお寺があることが分かり、急遽眞延寺と近くの矢坂神社を巡るコースに
変更した次第。
例年正月第1回目は各地の”七福神巡り”を実施してきたが、この数年は企画はしたものの、
コロナ禍で実施は控えて来たことから、今回の”七福神巡り”は3年振りのこととなる。
この日集合場所の土浦駅に集まったのは22名、ほぼ予想通りだ。
当初企画通りの日本橋七福神巡りとしていた場合は、もっと少なくなっていたかも知れない。
この日のコース地図などを配るとともに、コース変更に至った経緯を説明し納得してもらった。
その後のTK会長の新年の挨拶に聞き入る皆さん。
10時16分、いつものように元気なTK会長を先頭に土浦駅を出発!
この日のコースは、TK会長の自宅近くを歩くことから、これ以上適任の先導者はいない。
皆さん、TK会長の後を追って土浦駅の西口へ。
土浦駅西口のタクシー乗り場を北へ進む。
正面に土浦市立図書館アルカスが見える。
土浦市立図書館アルカスの前を通り、
つくばりんりんロードの発着点へ。
高層ビルが見える。
マンションなのだろうか?
高層ビル前を通って、信号を渡ると・・・
10時23分、つくばりんりんロード(桜川土浦自転車道)発着点に到着した。
ここからしばらくつくばりんりんロードを進む。
ちょうどJR常磐線の電車が右側を走って行くところだった。
『グッドタイミングだよねっ』
前方に土浦駅の東西を結ぶ県道263号が見える。
前方に見えるのはホーユウパレス土浦C棟の建物だ。
14階建てのマンションで総戸数308戸、筑35年とのこと。
『駅から近いから便利だよねっ』
つくばりんりんロードを進む。
つくばりんりんロードは通称”国体道路”でいったん途切れるので、そこを右折して新川を渡る。
橋の上から新川下流(霞ヶ浦方面)を望んだところ。
釣り人がのんびりと竿を出していた。
新川を渡り、国体道路を横断すると、右側にK’sデンキの建物などが見えて来る。
新川に沿って30mほど進むと途切れていたつくばりんりんドードが右側に続いている。
きれいに整備されたつくばりんりんロードを進む。
国体道路を横断し300mほど進んだところで、つくばりんりんロードとは別れて右折。
右手にはサンキなどの建物が見える。
左手前方に見える高い建物は延増興産第3ビルだ。
道なりに進むと、10時44分、正面に土浦市民会館(クラフトシビックホール土浦 )が見えた。
土浦駅を出発したのが10時16分なので、ここまで28分ということになる。
クラフトシビックホール土浦 前を左折すると、左手に夢庵右手にホームセンター山新が見える。
夢庵の先の信号を右折して進む。
右側はホームセンター山新の建物だ。
スーパー太陽を右手に見ながら進み、この後いったん左折するのだが、
最後尾の二人が気になるが、まあ道に迷うようなことはないだろう。
スーパー太陽前を右折して、また直ぐに右折して住宅街を進み、
真鍋東通りを横断する。
最後尾の二人は問題なく後に続いている。
真鍋3丁目辺りの住宅街を進む。
TK会長の家はここからそう遠くはない所だ。
右手の小高い丘に赤い鳥居と小さな社が見えた。
天神社というのだそうだが、詳しいことは分からない。
細い道を進んで行くと、急な石段があり、登り口の手摺に”旧鎌倉街道”の文字が。
『こんな所を鎌倉街道が通ってたんだぁ』
Gの最後尾の2名が旧鎌倉街道の石段を上って来た。
『お疲れさま~っ』
急な石段を上り切った所が”校庭の中央の桜”で有名な真鍋小学校だ。
校庭の中央に樹齢およそ100年の県指定天然記念物の桜の木が5本植えられている。
校庭中央の巨木の満開の桜は圧巻で一見の価値があると思う。
用事でスタートが少し遅れていた3名が旧鎌倉街道の石段を上って来た。
ここで今日の参加者22名全員が揃ったことになる。
『お疲れさま~っ』
『よく追い着いたよねぇ』
『さすがの健脚だね~っ』
真鍋小学校の校庭近くで小休止だ。
真鍋小学校の正門前を通り、
11時8分、鹿島神社に到着した。
この神社はTK会長の地区の氏神様だそうだ。
ここは参拝して行かなくちゃ。
TK会長としては、初詣を済ませることが出来て一安心といったところだろう。
真鍋小学校の裏門前を通過して道なりに進むと、
11時17分、国道125号の土浦一高前交差点に出た。
これは土浦第一高等学校の裏門になる。
国道125号を横断し、
300mほど進むと、11時21分、最初の目的地である土浦の郷の鎮守八坂神社に到着した。
八坂神社参道入口には土浦市指定名木・古木の”八坂神社のムクノキ”が迎えてくれる。
樹高19.0m、胸高周3.7m、葉張り東西13.7m、南北11.4mとあった。
八坂神社
祭神は建速素戔嗚尊(たけはやすさのをのみこと)
応永年間(1394~1428)に現在の真鍋の地に鎮座されたと伝えられ、江戸時代までは
牛頭天王社(俗に天王様)と呼ばれ、土浦城の鎮守として城主土屋家の崇敬を受け、
明治以降から八坂神社と改称し現在に至っている、とのこと。
矢坂神社拝殿
創祀以来、六百有余年の間、土浦の郷の鎮守として護り、祀られてきた。
矢坂神社拝殿
今日7日は松の内最後の日だが、参拝客はまずまずと思われる。
松の内とは、正月事始めから神様がお帰りになるまでの期間を指し、松の内の終わりの時期は
地域によって異なり、関東や東北・九州地方などは1月7日まで、関西地方は1月15日(小正月)
までとする場合が多い、とのこと。
拝殿内には祈願をしてもらう人の姿がたくさん見られた。
拝殿近くには招魂社が祀られている。
招魂社の向い側には御神輿舎があり、
御神輿舎の前にはお炊き上げする古い奉納物がうず高く積まれていた。
古い御札・お守り・破魔矢・熊手・しめ縄・しめ飾り・神棚・ダルマなどがお炊き上げの
対象とされている。
神社の正月の風物詩と言えるだろう。
境内にはたくさんのおみくじ札や
絵馬が見られた。
11時33分、ちょっぴりと正月気分を味わった八坂神社を後にして、この日の目的地である
常陸七福神の一つである眞延寺へ。
再び国道125号に出て、
土浦市方面へ300mほど進むと・・・
11時38分、目指す常陸七福神の一つである億萬山七福神眞延寺の山門に到着した。
『土浦に住んでるけど、こんな所に七福神があるなんて知らなかったなぁ』
山門から眞延寺を見たところ。
『いやぁ けっこう長い石段だよねぇ』
眞延寺の本堂は石段に隠れて見えないが、ここで記念撮影を済ませることにしよう。
石段を上る。
『途中で休まないと一気には上れないわよねっ』
石段を上り切った所から土浦市内が一望できる。
『いやぁ こうやって見るとなかなか良い眺めだね~っ』
本堂への参道には眞延寺の御本尊である七福神の石碑や
何故か正岡子規の句碑が建てられていた。
”子規の句碑について”として以下のように紹介されているのを見て納得。
1889年(明治22年)正岡子規は水戸街道を東京から水戸まで徒歩旅行をした。
水戸の親友・菊池謙二郎を訪ねるのが目的で、四泊五日旅行の様子は数十の初句とともに
「水戸紀行(子規著)」に記されている。
土浦を通過した折、真鍋の公園地と呼ばれていて茶屋が点在する高台に登って霞ヶ浦を眺め、
「霞みながら 春雨ふるや 湖の上」 と詠んだ。 以下略
平成二十一年十一月二十三日 有志・子規句碑建立の会
茅の輪を潜って心身を清め、無病息災や厄除け、家内安全を願い、
眞延寺の本堂へ。
常陸七福神巡り
常陸七福神は茨城県の寺院を巡るコースである。
土浦市の中川延四郎氏が金無垢の七福神(後藤祐乗作)を所持しており、この七福神を祀る
眞延寺が昭和57年12月に開山されたのが常陸七福神開創のきっかけになったとのこと。
さらに、牛久市の一色邦彦氏により、この七福神像をモデルにしたブロンズ像が作られ、
各寺社に奉安され常陸七福神が誕生した、そうである。
眞延寺は御本尊が七福神ということで、本堂の奥に金無垢の七福神像が祀られている。
常陸七福神巡りの七福神が全て揃った寺院で、眞延寺にお参りすることで、全ての七福神に
お参りするのと同じ福徳が得られる、そうである。
常陸七福神巡りは”日本で一番長い順路を持つ七福神詣”として以下の社寺を巡ることになる。
・大黒天 笠間稲荷神社(笠間市)・恵比寿天 筑波山神社(つくば市)
・毘沙門天 西光院(石岡市)・弁財天 逢善寺(稲敷市)・福禄寿 長勝寺(潮来市)
・布袋尊 月山寺(桜川市)・寿老人 西蓮寺(行方市)・七福神 眞延寺(土浦市)
本堂の両脇に七福神の絵が飾られている。
本堂左側
本堂右側
眞延寺の御朱印は、”本堂内は無人のため、1枚につき500円を賽銭箱に入れて下さい”とある。
記念に1枚頂くことにして、五百円硬貨を賽銭箱に投入した。
11時56分、眞延寺を後にして、ゴールの土浦駅を目指すことにした。
眞延寺の裏手を出て、西真鍋町方面へ。
細くて急坂の径が始まった。
『いやぁ いきなり急な下り坂だなぁ』
注意を払いながら細い急坂を下って行く・・・
『気を付けて下さいね~っ』
12時ちょうど、急坂を下って行くと麓の西真鍋町の住宅街に出た。
西真鍋町の住宅街を通り抜け真っ直ぐ進む。
市民会館前道路を横断すると・・・
つくばりんりんロードに出た。(写真は桜川方面)
左折してつくばりんりんロードを進む。
国道125号との交差点で信号待ちをしているところ。
国道125号を横断する。
国道125号を横断した所はかつての筑波鉄道旧真鍋駅?のホーム跡ではないかと思われる。
旧真鍋駅のホーム跡を過ぎて旧水戸街道を右折して土浦城方面へ。
旧水戸街道を進み、
新川橋を渡り、
さらに旧水戸街道を進むと、
市指定史跡 土浦城北門跡の碑があった。
北門は土浦城の北端、水戸街道北側の出入り口である。
北門は松平信吉のとき設けられ、S字形の馬出とともに水戸街道北口を守る重要な門であった。
慶長八年(1603)、門の前に城の防御として馬出が築かれ、貞亮三年(1686)にも追加されて
全国に例を見ないS字形の馬出となった、と紹介されている。
間もなく土浦城だ。
12時28分、土浦城近くの筑波銀行土浦駅前支店前に到着した。
この日はここを仮のゴールとし、後は皆さんお好みの店へ足を運んでもらうことにした。
TK会長から労いの挨拶があり、次回(1月20日)の再会を約して解散することに。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
我々5名は土浦城旧前川門前の「富久善」へ行ってみることにした。
水戸地方裁判所の前を通り、土浦城旧前川門方面へ進むと・・・
割烹「富久善」はあった。
創業は昭和9年(1934)と言うから老舗である。
土曜日で裁判所は休みだが、「富久善」は営業していた。
『いやぁ 良かった~っ!!』
「富久善」を推したTK会長は胸をなでおろしていた様子だった。
店内には先客が1人いただけで他に客の姿は見られない。
先ずはビールで『乾杯!!』
『いやぁ 美味いっ!!』
日本酒も軽く胃に流し込んだ後、めいめいお好みのメニューを注文した。
TK会長はカキフライ定食
『カキフライが好きなんだよ』
TSさんもカキフライ定食
『やっぱカキフライがあれば注文しちゃうんだよなっ』
YMさんはマグロ丼
『ビンチョウで我慢するしかないねっ』
HSさんもマグロ丼
『どっちかっていうと魚系の丼が好きだねっ』
自身もマグロ丼を注文した。
『油ものは控えなきゃいけないんでねっ』
食事の後は土浦城の東櫓を眺めながら・・・
国道125号を土浦駅へ向かった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
3年振りとなる年初恒例の”七福神巡り”が無事終わった。
当初企画した”日本橋七福神巡り”ではなく、地元土浦市の”常陸七福神”の一つである眞延寺と
土浦の郷の鎮守である八坂神社を巡るコースとなったが、眞延寺の御本尊が七福神という
縁起の良い、また正月に相応しいお寺であることを初めて知ることとなった。
昨年末、当初企画した”日本橋七福神巡り”の下見直前になって、コロナ禍のために地元に変更
することを突然提案された時には一瞬頭が真っ白になったが、今ではコースを変更して本当に
良かったと思っている。
当初の計画通り”日本橋七福神巡り”にしていたら、コロナ感染者発生に見舞われた可能性も考えられ、
そういうことになれば、今後のんびりとウォーキングなど続けられなくなるだろうし、
そうでなくても、参加者が大幅に少なくなっていたことは間違いないだろう。
コロナ禍が一日も早く収束し、今年も安心してウォーキングが続けられることを、心から
願うばかりである。
この日のコースは、地元土浦市で距離約6Km、足腰の鍛錬にも良いとされる急坂の径や
つくばりんりんロードもあり、例会以外でも歩いてみたくなるコースではないかと思われる。
日頃の運動不足を解消するにはもって来いのコースではないだろうか?
この日の万歩計は、12,500歩を計測していた。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。
隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和4年度(2022年度)第16回、令和5年(2023年)第1回、「八坂神社と常陸七福神巡り」
ウォーキングに参加した。
当初は東京の日本橋七福神巡りを計画していたが、コロナ感染者数の増加が続くなか、
電車を乗り継いで日本橋周辺まで出掛けるのはコロナの感染リスクが高過ぎるのでは?
という懸念の声が挙がり、検討した結果、土浦市内に常陸七福神の一つにご本尊が七福神
という眞延寺というお寺があることが分かり、急遽眞延寺と近くの矢坂神社を巡るコースに
変更した次第。
例年正月第1回目は各地の”七福神巡り”を実施してきたが、この数年は企画はしたものの、
コロナ禍で実施は控えて来たことから、今回の”七福神巡り”は3年振りのこととなる。
この日集合場所の土浦駅に集まったのは22名、ほぼ予想通りだ。
当初企画通りの日本橋七福神巡りとしていた場合は、もっと少なくなっていたかも知れない。
この日のコース地図などを配るとともに、コース変更に至った経緯を説明し納得してもらった。
その後のTK会長の新年の挨拶に聞き入る皆さん。
10時16分、いつものように元気なTK会長を先頭に土浦駅を出発!
この日のコースは、TK会長の自宅近くを歩くことから、これ以上適任の先導者はいない。
皆さん、TK会長の後を追って土浦駅の西口へ。
土浦駅西口のタクシー乗り場を北へ進む。
正面に土浦市立図書館アルカスが見える。
土浦市立図書館アルカスの前を通り、
つくばりんりんロードの発着点へ。
高層ビルが見える。
マンションなのだろうか?
高層ビル前を通って、信号を渡ると・・・
10時23分、つくばりんりんロード(桜川土浦自転車道)発着点に到着した。
ここからしばらくつくばりんりんロードを進む。
ちょうどJR常磐線の電車が右側を走って行くところだった。
『グッドタイミングだよねっ』
前方に土浦駅の東西を結ぶ県道263号が見える。
前方に見えるのはホーユウパレス土浦C棟の建物だ。
14階建てのマンションで総戸数308戸、筑35年とのこと。
『駅から近いから便利だよねっ』
つくばりんりんロードを進む。
つくばりんりんロードは通称”国体道路”でいったん途切れるので、そこを右折して新川を渡る。
橋の上から新川下流(霞ヶ浦方面)を望んだところ。
釣り人がのんびりと竿を出していた。
新川を渡り、国体道路を横断すると、右側にK’sデンキの建物などが見えて来る。
新川に沿って30mほど進むと途切れていたつくばりんりんドードが右側に続いている。
きれいに整備されたつくばりんりんロードを進む。
国体道路を横断し300mほど進んだところで、つくばりんりんロードとは別れて右折。
右手にはサンキなどの建物が見える。
左手前方に見える高い建物は延増興産第3ビルだ。
道なりに進むと、10時44分、正面に土浦市民会館(クラフトシビックホール土浦 )が見えた。
土浦駅を出発したのが10時16分なので、ここまで28分ということになる。
クラフトシビックホール土浦 前を左折すると、左手に夢庵右手にホームセンター山新が見える。
夢庵の先の信号を右折して進む。
右側はホームセンター山新の建物だ。
スーパー太陽を右手に見ながら進み、この後いったん左折するのだが、
最後尾の二人が気になるが、まあ道に迷うようなことはないだろう。
スーパー太陽前を右折して、また直ぐに右折して住宅街を進み、
真鍋東通りを横断する。
最後尾の二人は問題なく後に続いている。
真鍋3丁目辺りの住宅街を進む。
TK会長の家はここからそう遠くはない所だ。
右手の小高い丘に赤い鳥居と小さな社が見えた。
天神社というのだそうだが、詳しいことは分からない。
細い道を進んで行くと、急な石段があり、登り口の手摺に”旧鎌倉街道”の文字が。
『こんな所を鎌倉街道が通ってたんだぁ』
Gの最後尾の2名が旧鎌倉街道の石段を上って来た。
『お疲れさま~っ』
急な石段を上り切った所が”校庭の中央の桜”で有名な真鍋小学校だ。
校庭の中央に樹齢およそ100年の県指定天然記念物の桜の木が5本植えられている。
校庭中央の巨木の満開の桜は圧巻で一見の価値があると思う。
用事でスタートが少し遅れていた3名が旧鎌倉街道の石段を上って来た。
ここで今日の参加者22名全員が揃ったことになる。
『お疲れさま~っ』
『よく追い着いたよねぇ』
『さすがの健脚だね~っ』
真鍋小学校の校庭近くで小休止だ。
真鍋小学校の正門前を通り、
11時8分、鹿島神社に到着した。
この神社はTK会長の地区の氏神様だそうだ。
ここは参拝して行かなくちゃ。
TK会長としては、初詣を済ませることが出来て一安心といったところだろう。
真鍋小学校の裏門前を通過して道なりに進むと、
11時17分、国道125号の土浦一高前交差点に出た。
これは土浦第一高等学校の裏門になる。
国道125号を横断し、
300mほど進むと、11時21分、最初の目的地である土浦の郷の鎮守八坂神社に到着した。
八坂神社参道入口には土浦市指定名木・古木の”八坂神社のムクノキ”が迎えてくれる。
樹高19.0m、胸高周3.7m、葉張り東西13.7m、南北11.4mとあった。
八坂神社
祭神は建速素戔嗚尊(たけはやすさのをのみこと)
応永年間(1394~1428)に現在の真鍋の地に鎮座されたと伝えられ、江戸時代までは
牛頭天王社(俗に天王様)と呼ばれ、土浦城の鎮守として城主土屋家の崇敬を受け、
明治以降から八坂神社と改称し現在に至っている、とのこと。
矢坂神社拝殿
創祀以来、六百有余年の間、土浦の郷の鎮守として護り、祀られてきた。
矢坂神社拝殿
今日7日は松の内最後の日だが、参拝客はまずまずと思われる。
松の内とは、正月事始めから神様がお帰りになるまでの期間を指し、松の内の終わりの時期は
地域によって異なり、関東や東北・九州地方などは1月7日まで、関西地方は1月15日(小正月)
までとする場合が多い、とのこと。
拝殿内には祈願をしてもらう人の姿がたくさん見られた。
拝殿近くには招魂社が祀られている。
招魂社の向い側には御神輿舎があり、
御神輿舎の前にはお炊き上げする古い奉納物がうず高く積まれていた。
古い御札・お守り・破魔矢・熊手・しめ縄・しめ飾り・神棚・ダルマなどがお炊き上げの
対象とされている。
神社の正月の風物詩と言えるだろう。
境内にはたくさんのおみくじ札や
絵馬が見られた。
11時33分、ちょっぴりと正月気分を味わった八坂神社を後にして、この日の目的地である
常陸七福神の一つである眞延寺へ。
再び国道125号に出て、
土浦市方面へ300mほど進むと・・・
11時38分、目指す常陸七福神の一つである億萬山七福神眞延寺の山門に到着した。
『土浦に住んでるけど、こんな所に七福神があるなんて知らなかったなぁ』
山門から眞延寺を見たところ。
『いやぁ けっこう長い石段だよねぇ』
眞延寺の本堂は石段に隠れて見えないが、ここで記念撮影を済ませることにしよう。
石段を上る。
『途中で休まないと一気には上れないわよねっ』
石段を上り切った所から土浦市内が一望できる。
『いやぁ こうやって見るとなかなか良い眺めだね~っ』
本堂への参道には眞延寺の御本尊である七福神の石碑や
何故か正岡子規の句碑が建てられていた。
”子規の句碑について”として以下のように紹介されているのを見て納得。
1889年(明治22年)正岡子規は水戸街道を東京から水戸まで徒歩旅行をした。
水戸の親友・菊池謙二郎を訪ねるのが目的で、四泊五日旅行の様子は数十の初句とともに
「水戸紀行(子規著)」に記されている。
土浦を通過した折、真鍋の公園地と呼ばれていて茶屋が点在する高台に登って霞ヶ浦を眺め、
「霞みながら 春雨ふるや 湖の上」 と詠んだ。 以下略
平成二十一年十一月二十三日 有志・子規句碑建立の会
茅の輪を潜って心身を清め、無病息災や厄除け、家内安全を願い、
眞延寺の本堂へ。
常陸七福神巡り
常陸七福神は茨城県の寺院を巡るコースである。
土浦市の中川延四郎氏が金無垢の七福神(後藤祐乗作)を所持しており、この七福神を祀る
眞延寺が昭和57年12月に開山されたのが常陸七福神開創のきっかけになったとのこと。
さらに、牛久市の一色邦彦氏により、この七福神像をモデルにしたブロンズ像が作られ、
各寺社に奉安され常陸七福神が誕生した、そうである。
眞延寺は御本尊が七福神ということで、本堂の奥に金無垢の七福神像が祀られている。
常陸七福神巡りの七福神が全て揃った寺院で、眞延寺にお参りすることで、全ての七福神に
お参りするのと同じ福徳が得られる、そうである。
常陸七福神巡りは”日本で一番長い順路を持つ七福神詣”として以下の社寺を巡ることになる。
・大黒天 笠間稲荷神社(笠間市)・恵比寿天 筑波山神社(つくば市)
・毘沙門天 西光院(石岡市)・弁財天 逢善寺(稲敷市)・福禄寿 長勝寺(潮来市)
・布袋尊 月山寺(桜川市)・寿老人 西蓮寺(行方市)・七福神 眞延寺(土浦市)
本堂の両脇に七福神の絵が飾られている。
本堂左側
本堂右側
眞延寺の御朱印は、”本堂内は無人のため、1枚につき500円を賽銭箱に入れて下さい”とある。
記念に1枚頂くことにして、五百円硬貨を賽銭箱に投入した。
11時56分、眞延寺を後にして、ゴールの土浦駅を目指すことにした。
眞延寺の裏手を出て、西真鍋町方面へ。
細くて急坂の径が始まった。
『いやぁ いきなり急な下り坂だなぁ』
注意を払いながら細い急坂を下って行く・・・
『気を付けて下さいね~っ』
12時ちょうど、急坂を下って行くと麓の西真鍋町の住宅街に出た。
西真鍋町の住宅街を通り抜け真っ直ぐ進む。
市民会館前道路を横断すると・・・
つくばりんりんロードに出た。(写真は桜川方面)
左折してつくばりんりんロードを進む。
国道125号との交差点で信号待ちをしているところ。
国道125号を横断する。
国道125号を横断した所はかつての筑波鉄道旧真鍋駅?のホーム跡ではないかと思われる。
旧真鍋駅のホーム跡を過ぎて旧水戸街道を右折して土浦城方面へ。
旧水戸街道を進み、
新川橋を渡り、
さらに旧水戸街道を進むと、
市指定史跡 土浦城北門跡の碑があった。
北門は土浦城の北端、水戸街道北側の出入り口である。
北門は松平信吉のとき設けられ、S字形の馬出とともに水戸街道北口を守る重要な門であった。
慶長八年(1603)、門の前に城の防御として馬出が築かれ、貞亮三年(1686)にも追加されて
全国に例を見ないS字形の馬出となった、と紹介されている。
間もなく土浦城だ。
12時28分、土浦城近くの筑波銀行土浦駅前支店前に到着した。
この日はここを仮のゴールとし、後は皆さんお好みの店へ足を運んでもらうことにした。
TK会長から労いの挨拶があり、次回(1月20日)の再会を約して解散することに。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
我々5名は土浦城旧前川門前の「富久善」へ行ってみることにした。
水戸地方裁判所の前を通り、土浦城旧前川門方面へ進むと・・・
割烹「富久善」はあった。
創業は昭和9年(1934)と言うから老舗である。
土曜日で裁判所は休みだが、「富久善」は営業していた。
『いやぁ 良かった~っ!!』
「富久善」を推したTK会長は胸をなでおろしていた様子だった。
店内には先客が1人いただけで他に客の姿は見られない。
先ずはビールで『乾杯!!』
『いやぁ 美味いっ!!』
日本酒も軽く胃に流し込んだ後、めいめいお好みのメニューを注文した。
TK会長はカキフライ定食
『カキフライが好きなんだよ』
TSさんもカキフライ定食
『やっぱカキフライがあれば注文しちゃうんだよなっ』
YMさんはマグロ丼
『ビンチョウで我慢するしかないねっ』
HSさんもマグロ丼
『どっちかっていうと魚系の丼が好きだねっ』
自身もマグロ丼を注文した。
『油ものは控えなきゃいけないんでねっ』
食事の後は土浦城の東櫓を眺めながら・・・
国道125号を土浦駅へ向かった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
3年振りとなる年初恒例の”七福神巡り”が無事終わった。
当初企画した”日本橋七福神巡り”ではなく、地元土浦市の”常陸七福神”の一つである眞延寺と
土浦の郷の鎮守である八坂神社を巡るコースとなったが、眞延寺の御本尊が七福神という
縁起の良い、また正月に相応しいお寺であることを初めて知ることとなった。
昨年末、当初企画した”日本橋七福神巡り”の下見直前になって、コロナ禍のために地元に変更
することを突然提案された時には一瞬頭が真っ白になったが、今ではコースを変更して本当に
良かったと思っている。
当初の計画通り”日本橋七福神巡り”にしていたら、コロナ感染者発生に見舞われた可能性も考えられ、
そういうことになれば、今後のんびりとウォーキングなど続けられなくなるだろうし、
そうでなくても、参加者が大幅に少なくなっていたことは間違いないだろう。
コロナ禍が一日も早く収束し、今年も安心してウォーキングが続けられることを、心から
願うばかりである。
この日のコースは、地元土浦市で距離約6Km、足腰の鍛錬にも良いとされる急坂の径や
つくばりんりんロードもあり、例会以外でも歩いてみたくなるコースではないかと思われる。
日頃の運動不足を解消するにはもって来いのコースではないだろうか?
この日の万歩計は、12,500歩を計測していた。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。