令和5(2023)年1月20日(金)
隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和4年度(2022年度)第17回、令和5年(2023年)第2回、「宍塚大池から上高津貝塚」
ウォーキングに参加した。
この日のコースは、これまでに2回実施している。
1回目は2013年3月1日、2回目は4年後の2017年4月21日だったので
今回は6年半振りということになる。
この日のスタート地土浦イオンの駐車場に集まったのは29名。予想を超える人数だ。
天気も良く地元でこれ以上ないという近さが参加を後押ししたのかも。
いつもなら一定数の人が、第一集合場所(乙戸沼公園)から相乗りを希望するところだが、
今回は乙戸沼公園に集まった7名全員が自車で土浦イオンへ直行するという形になった。
第一集合場所から相乗りせずに全員が自車で第二集合場所(出発地)へ直行するというのは
初めてのことである。
土浦イオンへ自車で行けるというのは慣れていて自信があるからに他ならない。
この日と次回(2月3日 石岡舟塚山古墳)、次々回(2月17日 神立鶴沼周辺)のコース地図を
配布し、この日のコース概略を説明。
また、ゴール後解散した後は、駐車代代わりとしてレストランでの食事や買い物を推奨し、
概ね賛同を得た。
皆さんかなりの頻度で土浦イオンを訪れて利用しているように見受けられた。
9時41分、TK会長を先頭に先ずは宍塚大池を目指して出発!
駐車場の隅っこにある小さな石段を上ると目の前が土浦PBの中高津高架橋である。
ちょっと長めの信号を2回待ちして土浦PB高架橋を潜り、宍塚大池方面へ。
土浦イオンから県道24号(土浦学園線)に伸びる直線道路を進む。
この辺りは倉庫業や輸送関係の会社の看板が目立つ。
右手に筑波山と宝篋山が見える。
あいにく筑波山には雲が懸かってやや見え難いものの、
『上手い具合に宝篋山と筑波山が重なって見えるよねっ』
前方右手に特別養護老人ホーム「滝の園」が見える。
『まだあそこに世話になるのは早いよなぁ』
皆さん、まだまだ元気いっぱいである。
左には「さくらガーデン」という店が。
牛たん定食 ”本日貸切” の看板が。
『牛たん専門の店なのかねぇ?』
ネットを見ると牛たん料理がメインのようだが、ジャンルは創作料理店となっている。
右手に見えるのは土浦労働総合庁舎だ。
建物には土浦労働基準監督署、ハローワーク土浦が入っている。
ステーキハウス COOK BARN
TK会長によると『ステーキは美味しい』とのこと。
店の前に”お肉の自動販売機”が設置されていた。
『24H肉が買えるんだっ』
『どんな肉が買えるんだろうねっ?』
和牛サ-ロイン1,000円、牛ホルモン串300円、豚生姜焼き500円、牛もつ煮込み400円、
手仕込みハンバーグ1,000円、豚ロース500円、フランクフルトソーセージ500円、
牛スジ煮込み400円、などの商品が見える。
ステーキハウス COOK BARNの先に怖そうな看板の店が。
VAPE JAPANとあり、ネットで調べると電子タバコ専門店とのこと。
屋根越しに牙を剥き出している怪獣のような看板は強烈で印象的だ。
『大形のジープ(HUNMAR)がかっこ良いよなぁ』
VAPE JAPANの横に目指す宍塚大池の案内板が建っていた。
”ようこそ 宍塚の里山へ”とある。
案内板に従って、土浦学園ゴルフセンターの横を通り、
宍塚大池を目指して・・・
道なりに進む。
静かに佇む阿弥陀様の前を通って進むと・・・
宍塚大池への分岐点があった。
⇒の案内表示に従って進むと・・・
10時9分、宍塚大池に到着した。
土浦イオンを出発してちょうど30分が経過していた。
『意外と近かったねぇ』
静かな湖面にはたくさんの渡り鳥が羽を休めていた。
『わ~っ こんなにたくさんの渡り鳥がいるんだぁ』
『ハクチョウはいないみたいだねっ』
鳥を観察をしていた人によると、ハクチョウは宍塚大池の周囲が林に囲まれていて、
飛び立つ時に狭過ぎるため、『ここには飛んで来ない』とのこと。
『そうなんだぁ』と一同納得。
”ようこそ宍塚大池に”
宍塚大池を中心に雑木林などが囲むように広がる100hは、豊かな自然を含む里山です。
周囲には宍塚古墳群や国指定の上高津貝塚に代表される古墳群も豊富に点在し、
歴史的にも大切なところです。
認定NPO宍塚の自然と歴史の会
宍塚大池から谷津田方面を観たところ。
過去2回はこの谷津田を通って来た。
ここで一休みして水分補給をしよう。
『前にも来たことあるけど、いつ来ても良い所だよねっ』
鳥を観察していた人に勧められて望遠鏡を覗いているYMさん。
『いやぁ 良く観えるなぁ』
こんな感じかな?
10分ほど休憩した後、大池の奥へ。
ここから奥は私有地になっており、散策路以外への立ち入りはNGなので注意が必要だ。
散策路を進む。
『落葉が気持ち良いわね~っ』
散策路から宍塚大池の最奥部の方を望む。
途中にある杉木立を抜けると・・・
イナリヤツ(稲荷谷津)湿地の案内板が表れた。
大池の奥部は湿地状態になっている。
道なりに進むと水捌けのために3つの平らな石が並んでいた。
石棺材を使った橋
イナリ谷津湿地への流れの上に設けられている橋は、古墳の石棺材を使ったものと推定されます。
筑波山麓産の片麻岩の板状の石で、ビタ石とよばれています。
ビタ石は集落の中の溝に架けられたり、井戸付近の踏み石になったりしています。
なお、宍塚の台地上には20基以上の古墳があり、宍塚古墳群といわれています。
イナリ谷津の最奥部を進む皆さん。
石棺材を使った橋を過ぎた辺りからイナリ谷津湿地を望む。
かつてこの辺りは田んぼだった、と言う話もあるそうだ
イナリ谷津湿地を過ぎて道なりに進むと、木立の間から陽の光が差し込む雑木林が広がっていた。
『歩き易くて気持ちが良いわね~っ』 『今日は参加して良かったぁ~』
『土浦市内にこんな素敵なコースがあるとは知らなかったぁ』という声も。
散策路の随所に番号が振られた案内板があるので道を間違えなくて済む。
(ここの番号は12となっている)
案内板番号13を過ぎてさらに散策路を進むと・・・
十字路があった。
案内板番号14
直進は常磐自動車道となっている。
ここを左折すると県道123号土浦坂東線方面とある。
左折して県道123号土浦坂東線方面へ。
朝方の雨でややぬかるんだ径を進む。
雑木林を右手に見ながら進むと・・・
案内板番号15があった。
左折して右手にソーラーパネルを見ながら進むと「会の森」へと続いている。
案内板15に従って左に折れて右手にソーラーパネルを見ながら進む。
径は森へと続いていた。
少し進むと、案内板番号16が。
「わくわくの森」(ゼフィルスの森)とある。
ゼフィルスとは、ミドリシジミ類の蝶の仲間のこと。
案内板から数十m進むと・・・
10時42分、手作りのベンチがおいてあり、お休み処の看板があった。
ベンチは2個所にあった。
空いていたベンチは瞬く間に満席状態となった。
皆さん、少し疲れが出て来た頃なのかな・・・
こちらのベンチも同様である。
なかには立っている人の姿も。
恒例のお茶タイム、楽しみなひと時である。
10分ほど休憩した後、案内板番号17を目指した。
坂径を下って行くと・・・葦が生い茂ったイナリ谷津のような湿地帯?が広がっていた。
案内番号17 栗崎遺跡と書かれた案内板があった。
台地上は旧石器時代ー縄文時代ー古墳時代に人々が暮らしていた広大な遺跡です。
見下ろす谷津は、五斗蒔谷津といい、かつては全体が水田として利用されていました。
大地の裾には今も、水が湧き出しており、大地へと流れています、と紹介されている。
『昔はここは田んぼだったのかぁ』
栗崎遺跡を過ぎ、坂道を道なりに進む。
一転今度は坂道を上って行くと・・・
11時2分、上高津貝塚ふるさと歴史の広場の裏手に出た。
車は通行止めとなっているが、人は通ることが出来るようだ。
真っ直ぐ進むと、
案内地図に見入る皆さん。
国指定史跡・上高津貝塚ふるさと歴史の広場の案内地図
広場は広いので、ここからは各自自由に散策してもらい、凡そ25分後に考古資料館前に
集まることにした。
自分は時計周りにC地点、B地点、A地点の順に回ることにして、先を行く人の後を追った。
一団となって広場を回る女性陣の皆さん。
裏手の入口から一番近い第2号竪穴式住居
一辺が4-5mの角のとれた四角い形の掘り込み(建物の中の一段低い部分)として
発見されたものをもとに建物を復元したもの。
住居の中央部には火を焚いた炉があり、家の中の生活の中心となっていた、の説明が。
(第2号竪穴式住居の裏側にある)第4号竪穴式住居
直径が3mの丸い掘り込み(建物の中の一段低い部分)が発見されたものをもとに
建物を復元したもの。
これらの家の屋根には茅が葺かれており、夏涼しく、冬暖かい作りになっている、
と紹介されている。
こちらは第1号竪穴式住居(復元された竪穴式住居では一番大きい)
この住居は、一辺が約4mの角のとれた四角い形の掘り込み(建物の中の一段低い部分)
として発見されたものです。
その発掘調査の資料をもとに復元したのが、この住居です。
これらの家の中には今日の一家族ぐらいの人が住んでいたと考えられます、と紹介されている。
実際に住居の中に入ってみた。
『いやぁ しっかりとした造りで、けっこう天井が高いよねぇ』
『意外と広いのねっ』
復元された竪穴式住居の周りには墓なども復元展示されている。
廃棄土坑(はいきどこう)
ここに住んでいた縄文時代の人たちが食べた残りかすなどを捨てた穴を復元したもの。
大規模な貝塚の他、このように家族単位で作られたとみられる小規模な貝塚もある、とのこと。
縄文時代のお墓
5号墓壙(ぼこう)
この浅い穴は墓穴で、発掘調査が行われて空になった状態を示している。
集落の作られた当時、この辺りは墓地として利用されていたと考えられる、と紹介されている。
1号墓壙(ぼこう)
発見されたとき、埋められていた人の頭のところには、写真のように土器が被せてありました。
穴の大きさなどから見て、この人は身体を折り曲げて葬られた(屈葬)と考えられます、
と紹介されている。
展望所
『当時はここからこんな風に霞ヶ浦が見えたんだろうねっ』
現在の様子
『今は全く何も見えないねっ』
展望所には、貝塚から出て来るもの(貝類)や
貝塚から出て来るもの(釣り具)などの写真が展示されていた。
貝塚断面展示施設の裏手辺りから上高津貝塚ふるさと歴史の広場を見たところ。
3つの竪穴式住居が見える。
最後に貝塚断面展示施設へ。
貝塚断面展示施設の内部
この貝層は、発掘調査時の断面に特殊な薬剤をつけて、貝層の土層を剥ぎ取ったものを、
立体的に再生展示している。
表面に見える貝や土器は縄文時代のもの、と案内されている。
11時23分、集合場所の考古資料館前へ行ってみると・・・
既にかなりの人が集まっていた。
全員が揃ったのを確認して、11時27分、上高津貝塚ふるさと歴史の広場を後にした。
考古資料館横を通り、
上高津の集落方面へ。
高台から土浦イオンの隣のニトリが見えた。
『ニトリのほんのちょっと右手が土浦イオンなんだけどね~っ』
皆さん、足取りはしっかりとしている。
上高津の集落へは急な下りの坂道が続いている。
『この辺はけっこうな高台なんだねぇ』
『縄文の人もこれだけ高い台地だったから安心して住んでられたんだねっ』
坂道を下り終え、上高津の集落を進む。
この辺りは県道123号線と並行した道になっているが、車は殆ど通らないので安心して歩ける。
小さな祠があった。
何を祀っているのかは分からない。
祠の前を通り過ぎ、県道123号と土浦BP交差点手前の八坂神社へ。
八坂神社への立ち寄りはこの日のスタート直後にNGさんが突然提案したものだが、
時間に若干の余裕があったので立ち寄ることにした次第。
ということでこの日最後の目的地八坂神社へ。
『いやぁ 最後にこの坂はきついよね~っ』
急坂の参道を上り切った所に八坂神社の社殿が鎮座していた。
神社に参拝し、土浦BP方面へ下った。
いったん県道123号へ戻って土浦BP下のトンネルへ。
土浦BP下のトンネルを抜けて反対側へ。
トンネルを潜って左に曲がって進むと・・・
目の前に土浦イオンが現れた。
『目の前じゃんっ』
土浦イオン前の信号を横断し、
道路沿いに左手方向へ進むと・・・
『お疲れさんっ』と土浦イオンが迎えてくれた(ような気がした)
11時59分、ゴールの土浦イオンに到着した。
次回(2月3日)の再会を約して、この日はここで解散することに。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
我々いつもの男性陣5名は、土浦イオンのレストラン街へ向かった。
向かった先は朝方決めていた「とんかつ”和幸”」である。
生で『乾杯っ!!』といきたいところだが、今日はそういう訳にはいかない。
めいめいお好みのランチメニューを注文。
TSさんとYMさん
TK会長
HRさん
自分は”ききょう”(税込1,180円)を注文した。
厚みのある肉だが、軟らかくて美味しかった。
全員がシジミの味噌汁をお代わり(無料)した。
キャベツとご飯もお代わり無料となっている。
食後は次回の再会を約して、各自自車で帰路に就いた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
6年半振りで3回目の宍塚大池から上高津貝塚ウォーキングが無事終了した。
宍塚大池の景色が最初に訪れた10年前と全く変わっていなかったのに感心した
のと同時に嬉しかった。
ボランティアの方々のおかげでコースが整備され、また、随所に案内板が設置されていて
道に迷わずに歩けたことも嬉しかったことの一つである。
『また歩いてみたいっ』の声も多く聞かれた。
今回は出発地の土浦イオンへ直行した人がいつもより大幅に増えた。
第一集合場所の乙戸沼公園あるいは土浦ピアタウンから相乗りでという人が
全くいなかったことは初めてのことである。
全員が個人であるいは友人同士の乗合いで自宅または第一集合場所から直行したことになる。
このことは、時期は未定だが、次回この日のコースの時は当会が目標としている
”現地集合・現地解散”となる初のケースになるかも知れない。
この日の万歩計は、11,000歩を計測していた。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。
隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和4年度(2022年度)第17回、令和5年(2023年)第2回、「宍塚大池から上高津貝塚」
ウォーキングに参加した。
この日のコースは、これまでに2回実施している。
1回目は2013年3月1日、2回目は4年後の2017年4月21日だったので
今回は6年半振りということになる。
この日のスタート地土浦イオンの駐車場に集まったのは29名。予想を超える人数だ。
天気も良く地元でこれ以上ないという近さが参加を後押ししたのかも。
いつもなら一定数の人が、第一集合場所(乙戸沼公園)から相乗りを希望するところだが、
今回は乙戸沼公園に集まった7名全員が自車で土浦イオンへ直行するという形になった。
第一集合場所から相乗りせずに全員が自車で第二集合場所(出発地)へ直行するというのは
初めてのことである。
土浦イオンへ自車で行けるというのは慣れていて自信があるからに他ならない。
この日と次回(2月3日 石岡舟塚山古墳)、次々回(2月17日 神立鶴沼周辺)のコース地図を
配布し、この日のコース概略を説明。
また、ゴール後解散した後は、駐車代代わりとしてレストランでの食事や買い物を推奨し、
概ね賛同を得た。
皆さんかなりの頻度で土浦イオンを訪れて利用しているように見受けられた。
9時41分、TK会長を先頭に先ずは宍塚大池を目指して出発!
駐車場の隅っこにある小さな石段を上ると目の前が土浦PBの中高津高架橋である。
ちょっと長めの信号を2回待ちして土浦PB高架橋を潜り、宍塚大池方面へ。
土浦イオンから県道24号(土浦学園線)に伸びる直線道路を進む。
この辺りは倉庫業や輸送関係の会社の看板が目立つ。
右手に筑波山と宝篋山が見える。
あいにく筑波山には雲が懸かってやや見え難いものの、
『上手い具合に宝篋山と筑波山が重なって見えるよねっ』
前方右手に特別養護老人ホーム「滝の園」が見える。
『まだあそこに世話になるのは早いよなぁ』
皆さん、まだまだ元気いっぱいである。
左には「さくらガーデン」という店が。
牛たん定食 ”本日貸切” の看板が。
『牛たん専門の店なのかねぇ?』
ネットを見ると牛たん料理がメインのようだが、ジャンルは創作料理店となっている。
右手に見えるのは土浦労働総合庁舎だ。
建物には土浦労働基準監督署、ハローワーク土浦が入っている。
ステーキハウス COOK BARN
TK会長によると『ステーキは美味しい』とのこと。
店の前に”お肉の自動販売機”が設置されていた。
『24H肉が買えるんだっ』
『どんな肉が買えるんだろうねっ?』
和牛サ-ロイン1,000円、牛ホルモン串300円、豚生姜焼き500円、牛もつ煮込み400円、
手仕込みハンバーグ1,000円、豚ロース500円、フランクフルトソーセージ500円、
牛スジ煮込み400円、などの商品が見える。
ステーキハウス COOK BARNの先に怖そうな看板の店が。
VAPE JAPANとあり、ネットで調べると電子タバコ専門店とのこと。
屋根越しに牙を剥き出している怪獣のような看板は強烈で印象的だ。
『大形のジープ(HUNMAR)がかっこ良いよなぁ』
VAPE JAPANの横に目指す宍塚大池の案内板が建っていた。
”ようこそ 宍塚の里山へ”とある。
案内板に従って、土浦学園ゴルフセンターの横を通り、
宍塚大池を目指して・・・
道なりに進む。
静かに佇む阿弥陀様の前を通って進むと・・・
宍塚大池への分岐点があった。
⇒の案内表示に従って進むと・・・
10時9分、宍塚大池に到着した。
土浦イオンを出発してちょうど30分が経過していた。
『意外と近かったねぇ』
静かな湖面にはたくさんの渡り鳥が羽を休めていた。
『わ~っ こんなにたくさんの渡り鳥がいるんだぁ』
『ハクチョウはいないみたいだねっ』
鳥を観察をしていた人によると、ハクチョウは宍塚大池の周囲が林に囲まれていて、
飛び立つ時に狭過ぎるため、『ここには飛んで来ない』とのこと。
『そうなんだぁ』と一同納得。
”ようこそ宍塚大池に”
宍塚大池を中心に雑木林などが囲むように広がる100hは、豊かな自然を含む里山です。
周囲には宍塚古墳群や国指定の上高津貝塚に代表される古墳群も豊富に点在し、
歴史的にも大切なところです。
認定NPO宍塚の自然と歴史の会
宍塚大池から谷津田方面を観たところ。
過去2回はこの谷津田を通って来た。
ここで一休みして水分補給をしよう。
『前にも来たことあるけど、いつ来ても良い所だよねっ』
鳥を観察していた人に勧められて望遠鏡を覗いているYMさん。
『いやぁ 良く観えるなぁ』
こんな感じかな?
10分ほど休憩した後、大池の奥へ。
ここから奥は私有地になっており、散策路以外への立ち入りはNGなので注意が必要だ。
散策路を進む。
『落葉が気持ち良いわね~っ』
散策路から宍塚大池の最奥部の方を望む。
途中にある杉木立を抜けると・・・
イナリヤツ(稲荷谷津)湿地の案内板が表れた。
大池の奥部は湿地状態になっている。
道なりに進むと水捌けのために3つの平らな石が並んでいた。
石棺材を使った橋
イナリ谷津湿地への流れの上に設けられている橋は、古墳の石棺材を使ったものと推定されます。
筑波山麓産の片麻岩の板状の石で、ビタ石とよばれています。
ビタ石は集落の中の溝に架けられたり、井戸付近の踏み石になったりしています。
なお、宍塚の台地上には20基以上の古墳があり、宍塚古墳群といわれています。
イナリ谷津の最奥部を進む皆さん。
石棺材を使った橋を過ぎた辺りからイナリ谷津湿地を望む。
かつてこの辺りは田んぼだった、と言う話もあるそうだ
イナリ谷津湿地を過ぎて道なりに進むと、木立の間から陽の光が差し込む雑木林が広がっていた。
『歩き易くて気持ちが良いわね~っ』 『今日は参加して良かったぁ~』
『土浦市内にこんな素敵なコースがあるとは知らなかったぁ』という声も。
散策路の随所に番号が振られた案内板があるので道を間違えなくて済む。
(ここの番号は12となっている)
案内板番号13を過ぎてさらに散策路を進むと・・・
十字路があった。
案内板番号14
直進は常磐自動車道となっている。
ここを左折すると県道123号土浦坂東線方面とある。
左折して県道123号土浦坂東線方面へ。
朝方の雨でややぬかるんだ径を進む。
雑木林を右手に見ながら進むと・・・
案内板番号15があった。
左折して右手にソーラーパネルを見ながら進むと「会の森」へと続いている。
案内板15に従って左に折れて右手にソーラーパネルを見ながら進む。
径は森へと続いていた。
少し進むと、案内板番号16が。
「わくわくの森」(ゼフィルスの森)とある。
ゼフィルスとは、ミドリシジミ類の蝶の仲間のこと。
案内板から数十m進むと・・・
10時42分、手作りのベンチがおいてあり、お休み処の看板があった。
ベンチは2個所にあった。
空いていたベンチは瞬く間に満席状態となった。
皆さん、少し疲れが出て来た頃なのかな・・・
こちらのベンチも同様である。
なかには立っている人の姿も。
恒例のお茶タイム、楽しみなひと時である。
10分ほど休憩した後、案内板番号17を目指した。
坂径を下って行くと・・・葦が生い茂ったイナリ谷津のような湿地帯?が広がっていた。
案内番号17 栗崎遺跡と書かれた案内板があった。
台地上は旧石器時代ー縄文時代ー古墳時代に人々が暮らしていた広大な遺跡です。
見下ろす谷津は、五斗蒔谷津といい、かつては全体が水田として利用されていました。
大地の裾には今も、水が湧き出しており、大地へと流れています、と紹介されている。
『昔はここは田んぼだったのかぁ』
栗崎遺跡を過ぎ、坂道を道なりに進む。
一転今度は坂道を上って行くと・・・
11時2分、上高津貝塚ふるさと歴史の広場の裏手に出た。
車は通行止めとなっているが、人は通ることが出来るようだ。
真っ直ぐ進むと、
案内地図に見入る皆さん。
国指定史跡・上高津貝塚ふるさと歴史の広場の案内地図
広場は広いので、ここからは各自自由に散策してもらい、凡そ25分後に考古資料館前に
集まることにした。
自分は時計周りにC地点、B地点、A地点の順に回ることにして、先を行く人の後を追った。
一団となって広場を回る女性陣の皆さん。
裏手の入口から一番近い第2号竪穴式住居
一辺が4-5mの角のとれた四角い形の掘り込み(建物の中の一段低い部分)として
発見されたものをもとに建物を復元したもの。
住居の中央部には火を焚いた炉があり、家の中の生活の中心となっていた、の説明が。
(第2号竪穴式住居の裏側にある)第4号竪穴式住居
直径が3mの丸い掘り込み(建物の中の一段低い部分)が発見されたものをもとに
建物を復元したもの。
これらの家の屋根には茅が葺かれており、夏涼しく、冬暖かい作りになっている、
と紹介されている。
こちらは第1号竪穴式住居(復元された竪穴式住居では一番大きい)
この住居は、一辺が約4mの角のとれた四角い形の掘り込み(建物の中の一段低い部分)
として発見されたものです。
その発掘調査の資料をもとに復元したのが、この住居です。
これらの家の中には今日の一家族ぐらいの人が住んでいたと考えられます、と紹介されている。
実際に住居の中に入ってみた。
『いやぁ しっかりとした造りで、けっこう天井が高いよねぇ』
『意外と広いのねっ』
復元された竪穴式住居の周りには墓なども復元展示されている。
廃棄土坑(はいきどこう)
ここに住んでいた縄文時代の人たちが食べた残りかすなどを捨てた穴を復元したもの。
大規模な貝塚の他、このように家族単位で作られたとみられる小規模な貝塚もある、とのこと。
縄文時代のお墓
5号墓壙(ぼこう)
この浅い穴は墓穴で、発掘調査が行われて空になった状態を示している。
集落の作られた当時、この辺りは墓地として利用されていたと考えられる、と紹介されている。
1号墓壙(ぼこう)
発見されたとき、埋められていた人の頭のところには、写真のように土器が被せてありました。
穴の大きさなどから見て、この人は身体を折り曲げて葬られた(屈葬)と考えられます、
と紹介されている。
展望所
『当時はここからこんな風に霞ヶ浦が見えたんだろうねっ』
現在の様子
『今は全く何も見えないねっ』
展望所には、貝塚から出て来るもの(貝類)や
貝塚から出て来るもの(釣り具)などの写真が展示されていた。
貝塚断面展示施設の裏手辺りから上高津貝塚ふるさと歴史の広場を見たところ。
3つの竪穴式住居が見える。
最後に貝塚断面展示施設へ。
貝塚断面展示施設の内部
この貝層は、発掘調査時の断面に特殊な薬剤をつけて、貝層の土層を剥ぎ取ったものを、
立体的に再生展示している。
表面に見える貝や土器は縄文時代のもの、と案内されている。
11時23分、集合場所の考古資料館前へ行ってみると・・・
既にかなりの人が集まっていた。
全員が揃ったのを確認して、11時27分、上高津貝塚ふるさと歴史の広場を後にした。
考古資料館横を通り、
上高津の集落方面へ。
高台から土浦イオンの隣のニトリが見えた。
『ニトリのほんのちょっと右手が土浦イオンなんだけどね~っ』
皆さん、足取りはしっかりとしている。
上高津の集落へは急な下りの坂道が続いている。
『この辺はけっこうな高台なんだねぇ』
『縄文の人もこれだけ高い台地だったから安心して住んでられたんだねっ』
坂道を下り終え、上高津の集落を進む。
この辺りは県道123号線と並行した道になっているが、車は殆ど通らないので安心して歩ける。
小さな祠があった。
何を祀っているのかは分からない。
祠の前を通り過ぎ、県道123号と土浦BP交差点手前の八坂神社へ。
八坂神社への立ち寄りはこの日のスタート直後にNGさんが突然提案したものだが、
時間に若干の余裕があったので立ち寄ることにした次第。
ということでこの日最後の目的地八坂神社へ。
『いやぁ 最後にこの坂はきついよね~っ』
急坂の参道を上り切った所に八坂神社の社殿が鎮座していた。
神社に参拝し、土浦BP方面へ下った。
いったん県道123号へ戻って土浦BP下のトンネルへ。
土浦BP下のトンネルを抜けて反対側へ。
トンネルを潜って左に曲がって進むと・・・
目の前に土浦イオンが現れた。
『目の前じゃんっ』
土浦イオン前の信号を横断し、
道路沿いに左手方向へ進むと・・・
『お疲れさんっ』と土浦イオンが迎えてくれた(ような気がした)
11時59分、ゴールの土浦イオンに到着した。
次回(2月3日)の再会を約して、この日はここで解散することに。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
我々いつもの男性陣5名は、土浦イオンのレストラン街へ向かった。
向かった先は朝方決めていた「とんかつ”和幸”」である。
生で『乾杯っ!!』といきたいところだが、今日はそういう訳にはいかない。
めいめいお好みのランチメニューを注文。
TSさんとYMさん
TK会長
HRさん
自分は”ききょう”(税込1,180円)を注文した。
厚みのある肉だが、軟らかくて美味しかった。
全員がシジミの味噌汁をお代わり(無料)した。
キャベツとご飯もお代わり無料となっている。
食後は次回の再会を約して、各自自車で帰路に就いた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
6年半振りで3回目の宍塚大池から上高津貝塚ウォーキングが無事終了した。
宍塚大池の景色が最初に訪れた10年前と全く変わっていなかったのに感心した
のと同時に嬉しかった。
ボランティアの方々のおかげでコースが整備され、また、随所に案内板が設置されていて
道に迷わずに歩けたことも嬉しかったことの一つである。
『また歩いてみたいっ』の声も多く聞かれた。
今回は出発地の土浦イオンへ直行した人がいつもより大幅に増えた。
第一集合場所の乙戸沼公園あるいは土浦ピアタウンから相乗りでという人が
全くいなかったことは初めてのことである。
全員が個人であるいは友人同士の乗合いで自宅または第一集合場所から直行したことになる。
このことは、時期は未定だが、次回この日のコースの時は当会が目標としている
”現地集合・現地解散”となる初のケースになるかも知れない。
この日の万歩計は、11,000歩を計測していた。
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