ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

陣屋は必見 行方麻生陣屋コース

2014年12月05日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年12月5日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第28回(2014年第38回)、「行方麻生陣屋コース」を巡るウォーキングに参加した。

この日のコースマップ
行方麻生の「白帆の湯」をスタートし、霞ヶ浦湖岸を進み、水門を過ぎた辺りを国道355号へ。
水戸地方裁判所・水戸地方検察庁前を進み、商店街を抜けて蓮城院へ。
麻生小学校前を通り、麻生藩陣屋跡へ向かう。
麻生藩家老屋敷の三好家から麻生小学校裏を朝霞荘方面へ抜けて、海了寺へ向かう。
羽黒山公園を経て、最後に常安寺へお参りして、白帆の湯駐車場へ戻る、全長約6Kmのコース。
「なめがたフットパス」で紹介されている「行方麻生陣屋コース」である。


この日の第二集合場所は、行方麻生の「白帆の湯」駐車場。
無風で快晴、寒くもなく暑くもない。まさにウォーキング日和である。
直行組も含めて、何と31名が集まったのにはびっくり。
グループ分けしていないので、点呼を取るのが大変だ。


「白帆の湯」で体調を整え、準備体操をして、


10時9分、出発!


いつものように颯爽と先頭を歩くのは、Oさん。


八坂神社横を通過。
八坂神社は、慶長十七年(1612)、麻生藩主となった新庄氏が麻生藩内24ヶ村の総鎮守として建立した。
祭神は、スサノオノミコト。
毎年7月の最終日曜日に行われる、豪壮な”祇園馬出し祭”で知られる、そうだ。


松林の向こうに霞ヶ浦の風を感じながら進む。


天王崎の湖岸に出ると、遠くに筑波山が霞んで見えた。
『ここからだとぼんやりとしか見えないねっ』
もう少し寒くならないとくっきりと見えないのかも知れない。


霞ヶ浦湖岸
太陽が眩しい。
『気持ち良いゎね~っ』


湖岸を東(潮来方面)に向かって進む。


湖面がキラキラ反射して美しい。小春日和のようだ。


いつも元気なS子さん。
『天気が良くて ホント最高だねっ』


城下川を渡る。


小さな漁港


青サギの姿が見える。


沖にはカモがたくさん浮んでいた。
間もなく白鳥が飛んでくる季節だ。


城下川から湖岸を少し進み、


水門近くの道を国道355号へ。
「行方麻生陣屋コース」では、少し手前の漁港前を曲るようになっている。


国道355号に出た。
行方と潮来を結ぶ主要な道路のため、かなり交通量が多い。


信号に従って、国道355号を渡り、


今度は、国道に沿って旧玉造方面へ進む。
歩道はあるが、大型車が多いので気をつけたい。


10時30分、コンビニ前を通過


コンビニを過ぎて50mほどのところを右折し、麻生市街地へ。


水戸地方裁判所・水戸地方検察庁前を通過すると市街地だ。
行方市役所はここから北へ700mほど、
従って、この辺りは行方市の中心地とでも言うべきところでもある。


市街地、と言っても店はさほど多くはなく、歩いている人も少ない。


10時35分、蓮城院に到着。
説明板には次のように紹介されている。
医王山蓮城院東光寺と称し、貞和二年(1346)東範上人の開基である。
大同二年(807)創建の寺院が、大麻神社の別当を兼務したとの伝承と、
神社の近くに東光寺の地名があることから、蓮城院発祥の地は台地であると考えられる。


蓮城院へ立寄ってみることに。


蓮城院本堂
明治十一年から大正十五年まで行方郡役所が置かれていた。
明治十三年の大火で寺院の大半が焼失したが、本堂の彫刻及び虚空蔵尊はその難を免れ、現存する。
虚空蔵菩薩への信仰が厚く、厄除けの参拝者が多い、そうだ。


蓮城院前を進むと、麻生小学校が見えてきた。


立派な校舎だ。


『小学校のグラウンドにしちゃぁ 広いよねぇ』
どこかの中学校クラスはあるだろう、いや、それ以上かも・・・


10時40分、麻生藩家老屋敷記念館(陣屋跡)に到着。
陣屋地の広さは、27,000㎡(8,180坪)、陣屋の建物は1,287㎡(390坪)というから広い。
陣屋地跡は、現在、麻生小学校の敷地となっている、そうだ。
麻生陣屋地の絵図面「麻生御殿向表御間取(あそうごてんむきおもておんまどり)」(縱1.2m、横1.7m)は、
市指定有形文化材になっている。


表門は、桟瓦葺きの簡素な薬医門だが、主屋と同時期の建築であり、武家屋敷の附属建物として重要、とのこと。


萱葺き屋根の主屋
江戸時代の麻生藩家老職畑家の上級武家屋敷である。
安政三年(1856)藩士屋敷の火災から類焼したが、翌年に再建された。
豪壮な入母屋造りの萱葺き屋根が特徴。


明治二十三年(1890)福田家の所有となり、医院として使用されていたが、
平成三年、福田家より旧麻生町に建物が寄贈され、翌年修復整備された。
現在は、麻生藩家老屋敷記念館として、一般公開されている。


萱葺き屋根は、何層にも萱や檜の皮などが重ねられて、その厚さには感心させられる。
『いやぁ これは凄いわっ』
『こんな立派な陣屋があるとは知らなかったなぁ』


玄関入口


式台玄関の間


次の間


土間のかまど


陣屋裏


蔵(倉庫?)もある。


記念館管理棟の前にケヤキの株が置かれていた。
逆さまになった根を見るのは初めてである。
『この根っ子 凄くでかいねっ』


麻生小学校に隣接する市立麻生幼稚園前を通過
『幼稚園も広いし、立派だねぇ』
『大したもんだねっ、行方市は』
何故か聞えるのはため息ばかりだ。


麻生幼稚園を左手に見ながら少し進むと、


10時53分、麻生藩家老三好家に到着。
三好家は麻生藩主新庄氏の常陸入国に伴って、客分として特別の待遇を受けた。
後に藩士となり、数代に渡り、藩の家老職を務めた。
特に維新期に藩の権大参事(ごんだいさんじ)になった琢磨は、旧麻生藩の整理と士族授産、
更に郡・県政などに大きな功績を残している。
権大参事:明治維新後、それまでの藩主は藩知事と名称を変え、
家老的役割として権参事(大参事)1名、少参事複数、更に大属(だいさかん)、少属が置かれた。
大参事は、藩を取り仕切る実質的指導者)


現在の居宅は、明治十三年の建築だが、式台玄関や間取りに昔の武家住宅の様式を伝えている。
三好家は、現在まだ人が住んで生活している状態である。
中庭を見て出ようとしたら、門のところで、戻ってきた車とばったり。
思わず、一礼をして、三好家を後にした。


小学校の回りをぐるりと進む。


親和会(朝霞荘)への間道へ。
ここは、標識を見落とすと、遠回りになるので気をつけたい。


間道を抜けると、開放的な場所に出た。
右手に見えるのは、行方市老人デイサービスセンター。


朝霞荘脇を流れる城下川を渡り、


そのまま真直ぐ進むと、


正面が海了寺だ。
時刻は、11時5分を差していた。
大意山海了寺は、明暦三年(1657)麻生藩三代藩主の新庄直好が、藩主一族と家臣の菩提寺として建立した。


本堂には、麻生藩歴代藩主の大位牌が安置されているが、この寺に埋葬された藩主は分家から入って宗家を継いだ
四代藩主新庄隠岐守直時唯一人で、他の藩主の墓は全て東京駒込の吉祥寺にある、そうだ。
創建当時の堂宇は、地方では稀に見る大伽藍であったと伝えられているが、明治維新で領主の保護を失い、
また、藩主一族及び藩士だけで檀家も少ないため、寺の規模も縮小された。
現本堂は、明暦創建当時の衆寮(寺で働く人々の住居)と考えられる、とのこと。


裏山の墓地には、四代藩主新庄直時の墓碑と、歴代藩主の大位牌や藩士一族の位牌が並んでいる、とのこと。


畜霊観音菩薩には、線香が上げられて、ほのかに煙が漂っていた。
海了寺では、小動物の納骨供養塔の相談も受け付けている。


海了寺で、時間調整を兼ねて少し休憩だ。
実はこの時、会員のKさんから『後を追ってるのでもう直ぐ追いつくと思う』と連絡が入ったのである。
麻生藩陣屋跡を出て三好家辺りを急いでいるらしい。
海了寺で待っていることを伝えた。


5分もすれば追いつくことだろう、と待っていたが・・・
10分近くたっても、なかなかKさんの姿が現れない。
「朝霞荘」への間道への入口が分からないのかも知れない。


携帯で何か目印になるものがないか訊ねると、羽黒山公園入口を示す標識が見える、とのこと。
羽黒山公園は、これから我々が向かおうとする場所である。
どうやら、間道への入口を行き過ぎてしまってるようだ。
しばらく待つように伝え、羽黒山公園を目指して急いだ。


ようやく、Kさん(手前)と合流。めでたし、めでたし。
これで参加者は32名となった。


羽黒山公園への坂道を上る。
この日一番の坂道である。


羽黒山公園へ


11時31分、麻生城跡に到着
案内板には次のように紹介されている。
椎の大木に囲まれ、霞ヶ浦を一望できる羽黒山公園は、鎌倉時代に常陸大掾(だいじょう)氏の一族、
行方忠幹(ただもと)の孫、家幹が築いた麻生城(別称羽黒城)の跡である。
忠幹の子景幹は、元歴元年(1184)源義経に従って、屋島の戦で戦死し、その所領は4人の子に譲与された。
長子為幹が行方、二子高幹が島崎、三子家幹が麻生、四子幹政が玉造に城を築き、
それぞれの地名を名字として武威を振るった。
この子孫は、「行方四頭」とよばれ、中世を通じて行方郡の中心勢力となった。
しかし、戦国時代になって、常陸大掾家の統制力が弱まると、同族間で抗争し、
麻生城主之幹(これもと)は、天正十二年(1584)同族の島崎安定に攻められ、滅亡した。


一段高い城跡らしき所に上って霞ヶ浦方面を眺める。
『あらぁ素敵~っ 白帆の湯駐車場がよく見えるわぁ』


白帆の湯付近
対岸は和田岬公園辺りと思われる。


羽黒山公園へ


麻生氏の居城跡
中世に400年に渡って当地を支配した麻生氏の居城跡。
当時の建物は残っていないが、土塁や堀跡が往時を偲ばせる。


羽黒山公園からの眺め


お城を模ったトイレで体調を整え、


羽黒山公園を下る。


階段を下りて近道しよう。
『ひぇ~っ 近いのは良いけど、ちょっと怖いわね~っ』
手摺りをしっかりと掴んで下る。


”麻生陣屋商店街”の看板の先は、国道355号である。


白帆の湯前の交差点を過ぎ・・・


直ぐ右手に常安寺があった。
『このお寺も立派よねぇ~』
銅板葺きの大きな屋根が特徴的である。


常安寺でこの日最後のお参りを済ませる。
『今日も無事で良かったわね~っ』


鐘楼の横にナギの木がある。
幹回り2.38m、樹高12m、樹齢は約300年、市指定有形文化財(天然記念物)になっている。
ナギはマキ科の常緑高木で、雌雄異株、とのこと。
俗称「弁慶の力柴」「弁慶泣かせ」と言われるそうで、その理由は、
葉脈は平行して縦走し、主脈はなく、葉質は厚く脈の繊維が強いため、
葉を両手で横方向に引くと平行脈に沿って裂けるが、葉を縱方向に力を入れて引っ張っても切れないから、だそうだ。


常安寺を後にして、ゴールの白帆の湯へ。
写真左の建物は、「レストラン大湖」


右手に白帆の湯駐車場が見えてきた。


12時1分、ゴールの白帆の湯駐車場へ到着。
この日は、弁当は無しということで、いったんこの場で解散し、
帰りの途中、めいめい好きな場所で昼食を摂ってもらうことにした。
どこに立寄るかを話し合っていたら、整理体操のことをすっかり失念してしまった。
(写真の建物は、螺旋階段のようなものが透けて見えるが、展望台???)


相談の結果、行方の「ばんどう太郎」に立ち寄ることにした。
他に食事処をあまり知らないこともあり、結局、20数名が立寄ることになった。
時計は、12時30分を少し回っていた。


ちょうど昼時だったため、満席だ。
しばし待たされることになったが、この日の例会のことで話に花が咲き、退屈なんてしない。


「ばんどう太郎」を代表するメニュー、”味噌煮込みうどん”
後で聞いた話だが、ほぼ全員が迷わず”味噌煮込みうどん”を注文した、そうである。
『いただきま~すっ』 『熱くて美味しいっ!』

『皆さんっ、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

「行方麻生陣屋コース」は、当会としては、初めての企画である。
2年位前に「白帆の湯」に立ち寄った際に、手に入れた「なめがたフットパス」を参考にした。
江戸時代にこの地を治めた麻生藩ゆかりの地を巡るコースということで、
歩く距離はやや短かったものの、寺や城跡などを巡り、楽しめた半日であった。
中でも重厚な造りの「陣屋」跡には、圧倒された。必見の価値はあると思う。

帰りの途中、「ばんどう太郎」で食べた”味噌煮込みうどん”は、孫も大好きなので、
近いうちに家の近所の「ばんどう太郎」に連れて行ってあげようと思う。


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