ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

関東ふれあいの道(埼玉) No.11「義経伝説と滝のあるみち」

2014年12月14日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2014年12月14日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩き、無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第4回目は、コースNo.11「義経伝説と滝のあるみち」(約8Km)を歩くことにした。
荒川沖駅5時27分発の常磐線上り始発電車に乗り、日暮里駅には6時23分に到着。

池袋へ向かうため、山手線内回り電車を待っている。この日の参加者9名。
山手線ホームはまだ暗い。


池袋から西武池袋線7時5分発の三峰口行きを待つ。
発車しているのは、7時55分発の飯能行きである。


発車前の西武線車内
まだ空席が多い。


今のうちに朝食を済ませておこう。


女性陣も『お腹が空いては戦は出来ぬ』とばかりに、駅中のコンビニで買ったパン・おにぎりを頬張る。


8時21分、定刻通りに西武吾野駅に到着
吾野駅の利用は、埼玉県「関東ふれあいの道」4回のうち、3回目である。


改札口を出ると、正面に「関東ふれあいの道」の標識が目に入る。


この日のコース「義経伝説と滝のあるみち」の案内板
顔振峠(かあぶりとうげ)まで3.6Km、黒山三滝まで7Kmとある。
奥州へ逃れる源義経が、景色の良さに顔をふりふり登ったという伝説がある、とのこと。


改札口前で準備体操をして、


8時50分、出発!


『いきなり急な階段だねぇ』


国道299号の旧道を横断


新国道299号を東吾野方面へ。
今日は、衆議院選挙の投票日である。
『期日前投票済ませて来たわよっ』
皆さん、棄権などしないのだ。


東吾野方面へ
『やはりお天道様が当ると温かいねっ』


煙突から煙が・・・
薪ストーブである。


浅見鉄工」は、”職人の手作り”による薪ストーブを製造・販売している。
ちょうど店の前に薪ストーブを展示しているところだった。
サイズはA型・B型・C型・D型とあり、B型が一番の売れ筋とのこと。


東吾野方面へ進み、顔振峠は、左へ進むことになる。


国道299号は、トンネル工事中だった。
越生方面へ通じることになるのだろうか?


借宿神社前を通り、


高麗川の支流を渡って、顔振峠へ。


高麗川の支流脇に顔振峠まで2.6Kmの標識が立っていた。
我々は手前から来たのだが、吾野駅は反対側を差しているということは、道を間違ったらしい。
どこで間違ったのか、思い当たらないが、まあ大したことではない。


標識に従って、県道61号を顔振峠へ向かう。


しばらく舗装された道が続く。


『ここは陽が当らないから寒いねぇ』
予報では、この日の秩父方面の最高気温は5~6℃である。
午前中でもあり、陽も当らないので、実際にはもっと低いと思われる。
手袋をしていても手がかじかむほどだ。


高麗川から歩くこと約20分、顔振峠は県道61号から分かれる。


顔振峠への山道の始まりだ。
ここから1.4Kmと表示されている。


顔振峠への山道を10分ほど進むと、


先ほど分岐した道に戻ってしまい、やや拍子抜け。
『なあんだまた合流しちゃったんだぁ』


少しばかり山道らしい道を顔振峠へ。


今度は本格的なハイキング道になった。


この日最初に現れた里程標
吾野駅から3Km歩いたことになる。
ゴールの黒山バス停まで残り5Kmだ。


20分ほど上ると、ようやく陽が差す場所に出た。


『あらぁ 素晴らしい眺めじゃないっ』


右の一段高い山は武甲山(1,304m)だ。
その左側、一つおいて、小持山(1,273m)、大持山(1,294m)が見える。


顔振峠へ向かってさらに坂道を進む。


『あの山なのかなぁ』
『いや、こっちの山じゃないっ?』


名前入りのかなり大きなパノラマ写真が置いてあった。
(写真は横約2mほどあり、その約1/3ほどを写している)


写真と同じところを実際に見てみる。


パノラマ写真の少し先に摩利支天寿光殿なる四面二重塔が建っている。
二重塔は、木造寺社建築で、有志の勤労奉仕により十年余の歳月を経て完成した、とのこと。
内装には珍しい古切手のモザイク画が奉納されている、そうだ。


摩利支天は、陽炎(かげろう)を神格化したものである。
護身、蓄財などの神として、日本では中世以降信仰を集めた。
楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。また、毛利元就は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。
山本勘助や前田利家といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。
禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されている。


10時01分、顔振峠平九郎茶屋に到着


顔振峠では、平九郎茶屋1軒だけが営業を続けていた。
後は全て閉店していた。
平九郎茶屋には時間的に早かったため立ち寄らなかったが、なんとか頑張って営業を続けて欲しいものである。


木造の顔振峠碑
「関東ふれあいの道」マークが描かれている。


平九郎茶屋からの眺望
茶屋の女将によれば、天気が良ければ富士山も見えるそうだ。
今日は、あいにく富士山は見えなかった。


次の目的地、1.8Km先の傘杉峠へ向かう。


しばらく舗装された道を進む。


顔振峠から約20分ほどで傘杉峠への上り口に到着した。
傘杉峠まで0.7Km、黒山三滝まで2.2Kmと表示されている。


傘杉峠へ杉林の尾根道を進む。


上りだが、それほどきつくはない。


里程標
吾野駅から5Km、ゴールの黒山バス停まで残り3Kmだ。


みちは上りばかりではない。当然下りもある。


小高いところにベンチがあったので、ここで一休み。
周りは杉に囲まれて見晴しは全く効かない。


さらに下って行くと、


舗装された道路が見えてきた。
傘杉峠のようだ。


10時51分、傘杉峠に到着


「関東ふれあいの道」コースNo.12(グリーンラインに沿ったみち)の案内板だ。
コースNo.12は、2015年5月17日に歩く予定にしている。
吾野駅からここまでは、この日のコースと重複している。
『埼玉県は、重複しているところが多いねぇ』


この先は、コースNO,12へ続く。
高山不動・関八州見晴台から刈場坂峠を経て白石バス停へと通じる、全長22Kmの最も長いコースである。
果たして1日で歩けるのか、今から不安が募る。


この日は、傘杉峠からコースNo.12の反対側、黒山三滝へ向かう。


黒山三滝へは、下るだけである。


岩の斜面を下る。
『気を付けてっ ゆっくりゆっくりっ!』


途中で上りの一団とすれ違った。
立川方面から来たそうで、今日はゴールの吾野駅周辺で一泊するそうだ。
『一泊するなんて羨ましいわねっ』


我々は下るだけだが、上りはきつそうだ・・・


と思ったらとんでもない。けっこう急坂があるため、気を抜けない。
『怖いよね~っ』


黒山三滝への途中、シダが群生していた。
厳しい寒さにも関わらず、葉は青々としているので、冬ではないような錯覚に陥る。


里程標
吾野駅から6Km、ゴールの黒山バス停まで残り2Kmだ。
黒山三滝まであと1Kmほどになる。


黒山三滝へのみちは、小さな沢がいくつかある。
この沢水が間もなく滝になるのだ。


みちは緩やかになったり、


梯子が設けられていたりする。


『おっとっとっと』
丸太が濡れているので注意が必要だ。


杉林を進む。


下りであっても、休まずに歩くと、『いやぁ暑いっ』
堪らず上着を一枚脱いで体温調節だ。


沢を渡る。
水の量が次第に多くなっているのが分かる。
『足を滑らせるとずぶ濡れになっちゃうねっ』


標識に”天狗滝”とあったので、探してみたが、この辺りからは滝を見ることは出来なかった。


少し下ると、黒山三滝のうち二つの滝が見えてきた。
もう一つの天狗滝と合せて、黒山三滝という。
天狗滝は、下流にある、とのこと。


下が女滝、上が男滝
二つの滝をバックに全員の証明写真を撮り終えた。


男滝(落差11.2m)
黒山は、古くから修験の霊場としての歴史がある。
室町時代の応永五年(1398)、栄円は山本坊を開き、熊野神社を本宮、男滝を那智社、天狗瀧を新宮に見立て、
関東の修験道の拠点とした。


女滝(落差4.5m)


そろそろ昼飯時だ。
黒山三滝の茶店を抜けて、


不動橋を渡り、東屋へ。


12時1分、東屋へ到着。
『お腹空いちゃったぁ』


『ちょうど良い時間だねっ』


弁当の後は、少し下ったところにある天狗滝へ向かった。
『小さいけど、滝らしいのが見えるっ』


ここからでは、よく見えない。
『近くに行ってみようっ』


天狗滝へは細い石段が続いている。


12時35分、天狗滝に到着。
三滝のうち、天狗滝が一番落差(落差13.6m)が大きい。


三滝を観終わったことだし、後は、約0.9Km先の黒山バス停へ向かうだけである。


「根っ子食堂」前を通過。
実は、この頃から、デジカメの電池が切れる寸前になっていた。
電池切れを示す赤LEDが点灯しっ放しになった。
シャッターを続けて押すと2枚目はシャッターが下りない。
予備の電池と交換してみたが、何と交換した電池もバッテリー切れ状態である。
予備電池を充電したのは、数ヶ月前のことだ。
仕方なく、1枚撮っては直ぐにSWをOFFにして、電池の消耗を少なくした。


渋沢平九郎
飯能戦争は、慶応四年(1868)、彰義隊から別れた振武軍と追撃してきた倒幕軍(官軍)との間に発生した
維新戦乱の一つである。
優勢な官軍の攻撃の前に飯能市能仁寺の本営は落ち、振武軍は奥武蔵山中に敗走した。
副将として参加していた渋沢栄一の養子である渋沢平九郎は、顔振峠を経て黒山へ逃れてきたが、
待ちかまえていた官軍に包囲され、22歳の若さで自刃した。
自刃の地がこの近くにある、とのこと。


黒山三滝入口のゲートへ到着。
バス停はすぐ近くである。
13時29分発のバス発車まで少し時間がある。


黒山バス停から数百メートルのところに、渋沢平九郎自刃の地碑があった。


黒山バス停
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
(これが、この日最後の写真となった)


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第四回目、コースNo.11(義経伝説と滝のあるみち)を歩き終わった。
この日は”一般向き”ということで、距離もさほど長くなく、天気にも恵まれ、気持ち良く歩けた。
富士山は見れなかったものの、顔振峠からの眺望は素晴らしく、黒山三滝も観れてけっこう楽しめた。
年内は、これで終わりだが、来年も「踏破認定証」受領を目指して歩きたい。

デジカメの予備バッテリーまでもが電池切れだったのには、正直まいった。
撮りたいものがあるのに撮れないというのは、本当につらいことである。
これからは、出掛ける前に必ず予備バッテリーの確認をしておかなくては・・・


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コメント
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