ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

明治・大正にタイムスリップ 岩村城城下町を歩く

2013年05月05日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2013年5月5日(日)


岩村城の登城を終り、城下町で昼食でもと少し歩くことにした。

藩主邸前の道を下って行くと、左手に「温故の井」があった。
「知新館」と何らかの関係があるのだろうか?


さらに坂道を下って行き、岩村川に架かる上町橋を渡る。


突き当たりの三叉路に上町常夜灯がある。
案内板によると、
寛政七年(1795)、上町・中町の有志により、約100m南東の上町木戸付近に建立したもので、
戦前に国道257号沿いに移されていたが、昭和六十二年(1987)岩村城創築800年を機にここに移された。
城下町は江戸時代にたびたび大火に見舞われたことから、火伏せを祈願して建立されたと伝えられる。
正面に大神宮(伊勢神宮)を配して天下泰平を、左側に秋葉大権現を配して火伏せを、
右側に金比羅大権現を配して招福繁栄を願ったものである。


常夜灯脇に「重要伝統的建造物群保存地区」の地図がある。
白くなったところが、保存地区に指定されているのだ。
保存地区の真ん中を貫く本通りを歩くことにする。


常夜灯の左側の町並み
真直ぐ進むと国道257号へ合流する。
こちらは、あまり店はなさそうだし、人通りは少ない。


常夜灯の右側の町並み(1)
本通りの上町地区になる。


常夜灯の右側の町並み(2)


各家の玄関には”幕末の大儒学者”佐藤一斉が著した「言志四録」の一編が掛けられている。


「言志四録」は、言志録:全246条、言志後録:全255条、言志晩録:全292条、言志耋(てつ)録:全340条の
四部の随筆集からなり、計1,133条に及ぶ。
明治維新の立役者・西郷隆盛も自分の人生の指針、行動の拠り所、精神的な支えとしていたそうである。
また、幕末から明治維新にかけて活躍した吉田松陰、勝海舟、坂本竜馬などは、佐藤一斎の孫弟子にあたる。
歴史資料館に建立されていた佐藤一斉像。


岩村醸造㈱
創業は天明七年(1787)で、代表銘柄は「女城主」である。
「女城主」の銘柄は、その昔、岩村城主に嫁いだ織田信長の叔母にあたる女性が、
城主病没後は事実上の城主として采配を振るった物語にちなんでおり、
この歴史を基に昭和60年(1985)の地域おこしイベント「岩村城築城800年祭」を機に誕生した。
岩村醸造は恵那市で酒造りを行う唯一の蔵元とのこと。
血糖値が高いため、ここのところ醸造酒は控えているため、残念ながら中には入らず素通りした。


藤井時計店
岩村城への登城後に万歩計の電池が切れていたのに気づき、電池交換のために立ち寄った。
各家の玄関には藍染の暖簾が架けられている。
暖簾の白抜きには各家のおかみさんたちの名前が書かれているそうだが・・・
「女城主」の町の特色を生かして町起しをしているのだ。


御主人が出掛けていて留守だったが、おかみさんが電池を交換してくれた。
まさに「女城主」である。


城下町の電線地下化工事が今年3月に終わったばかりだそうだ。
『おかげですっきりとした町並みになった』と、皆さん喜んでいるとのこと。


「まち並みふれあいの館」(観光案内所)に立ち寄り、食事処の情報を仕入れることに。
壁には岩村の偉人「下田歌子」や「三好学」の写真が飾られていた。


「佐藤一斉」の肖像画も。


岩村郵便局


日本の郵便事業は明治四年に始まり、東京12箇所、京都5箇所、大阪8箇所および東海道宿場駅に設置された。
ここ岩村郵便局では、岩村城城下町の街並みの景観に合わせて、明治二十年頃の郵便ポストを設置している。
このタイプの郵便ポストは珍しく、岐阜県内に設置されるのは、このポストが初めてだそうである。


岐阜信用金庫


本通りの真ん中辺りで道は枡形になっており、右に曲がると、下町となる。
(写真は下町方面から見たところ)


枡形から下町辺りの商店を望む。


「まち並みふれあいの館」で教えてもらった「かんから屋」だ。
かみさんによると、お餅とうどんが同時に食べられる店とのこと。


11時20分とお昼には少し早いが、ここで昼食をして行こう。
先ず餅入りうどん(450円)を注文。
中に餅が入っている。


続いてデザート代わりのお餅(210円)だ。
名物かんから餅(おはぎ、きな粉、胡麻粉)は甘さ控えめで柔らかくて美味しかった。


「かんから屋」にも佐藤一斉が著した「言志四録」の一編が掛けられていた。
さらに下町を進むと岩村駅だが、時間の関係でここで引き返すことにした。


勝川家
勝川家は、山林と農地を多く所有する商家として幕末に台頭し、藩財政に寄与した。
敷地内には大正~昭和初期の離れ座敷、江戸時代の土蔵、岩村城郭の払い下げと思われる
四戸前土蔵および長屋門蔵が残されている。


家の中は無料で自由に見学できる。
写真撮影も自由と云うのが嬉しい。
入ってすぐ左手に入場を歓迎するように灯りを燈した雪洞が。


黒光りする急階段を二階に上がってみよう。


二階の部屋の格子窓からは、外の通りが見える。
街道筋の旅籠のような趣である。


奥の大正~昭和初期の離れ座敷


離れ座敷から見た庭園


奥の部屋
6畳の小さな部屋だが、落ち着いた雰囲気になる。


二階の女子(娘)の部屋
三方ガラス張りで明るく、見晴らしの良い部屋である。
しかし、何故か雨戸がないのが特徴(見所)となっている。


二階の女子(娘)の部屋から見た景色
岩村城方面が望める。


江戸時代の土蔵


奥の土蔵は、岩村城の払い下げを移築したもの。
江戸時代のもので、四戸前土蔵と云い、蔵を四つ並べ、各々に品を収納使用されたもの。
また、長屋門蔵、木材を納めた蔵など珍しい蔵である。


四戸前土蔵から娘の部屋が見える。


木村邸
木村家は、藩の財政窮乏の時御用金を才覚し、岩村藩駿河領の水害、同美濃領の麦の凶作など救済事業に尽力。
また、天保五年(1834)の江戸藩邸類焼の折、復旧に多額の金品の用立てするなど、多くの事業に活躍した。


遍照山浄光寺
真宗大谷派(東本願寺派)の寺


海鼠(ナマコ)壁
蔵の保存のため、その表面に平らな平瓦を並べ、継ぎ目を漆喰で固めたものがナマコ壁。
その盛り上がった形が河鼠(カワネズミ)に似たところからその名がついた。
(河鼠:体長11Cm、尾長10Cmくらい。山地の渓流にすみ、指の間に水かきの役をする剛毛をもち
泳ぎが巧みで、水生昆虫・魚を捕って食べる)


水野薬局の薬の看板
左から奇應丸、美顔水、新月丸、百毒下し、六神丸、清龍丹などが読み取れる。


城下町から岩村城方面を望む。
かつて城下町からも岩村城の三重櫓(天守)を見上げることができた、そうである。


短時間で駆け足ではあったが、岩村城城下町を実際に歩いてみて、その素晴らしさの一端を味わった。
城と城下町を同時に味わえるというのは珍しい、と思う。

この後、信州駒ヶ根へ向かった。
目的は、駒ヶ根名物「ソースかつ丼」をかみさんに一度味わってもらうためである。


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