ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

残暑が厳しい 小田の歴史探訪ウォーキング

2012年09月07日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年8月31日(金)

毎週金曜に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成24年度第16回(2012年第27回)「小田の歴史探訪ウォーキング」に参加した。


第一集合場所の乙戸沼公園には14名が集まった。
先週の滝川渓谷ハイキングなどの話しに華が咲く。


車3台に分乗して第二集合場所の筑波総合体育館に向かった。
既に集まっていた5名と合せて、この日の参加者は19名となった。
残暑厳しい条件としては、まずまずの人数であろう。


早速、準備体操だ。
『大きく背伸びして~ぇ』


『空が眩しいっ』


太陽を正面から受けて、小田の遺跡を目指して9時52分に出発だ!


後方に宝篋山(461m 別名は小田山)が見える。


国道125号と並行する一般道は、歩道が整備されてなく、車の通行量も多いことから、
しっかりと歩道が整備された国道125号線を進むことにした。
大型のトラックが爆音を轟かせて走る。
しばらくの間、多少の排ガスは我慢することにしよう。


宝篋山
来年の年明けには例会を予定しているので、今日は眺めるだけ。


この時間は、国道125号線の一部にほんの僅かだが日陰がある。
当初予定していた一般道は全く日陰がないため、少しでも日陰のあるところを歩きたい、
といったことも国道125号を選択した理由のひとつである。


小田バス停付近。


左折すると八幡神社の鳥居が見えてきた。


八幡神社の手前に木陰があったので、一休み。
出発してちょうど30分、最初の休憩だ。
十分に水分を補給しておかなくちゃ。


最初の訪問地、八幡神社だ。


階段を上ると・・・


小さな社があった。
この日の無事安全をお祈りした。
現在は、前山の麓に位置するが、かつては小田の北西の甲山(かぶとやま)にあったらしい。
南北朝時代に藤原氏の出自であった小田氏が源氏に改姓したことで、創建されたようである。


屋根の真ん中に直径30Cm以上はあろうかという大きな蜂の巣が。
蜂の姿は見えなかったが、スズメバチの巣に似ている。


八幡神社の次に向かったのが、磨崖不動明王立像だ。
前山の中腹、八幡神社の東数百mのところである。
長い階段があった。


息を切らして階段を上ると小さな祠があった。


中は真っ暗でよく見えなかったが、不動明王らしき像が祀られていた。


祠の上を観ると、高さ6mほどの崖に御簾(みす:すだれ)で覆われた個所が見える。
花崗岩の壁面に掘られている磨崖仏不動明王立像である。
像高167Cmの立像で、平安時代末期の作とされる。
普段は御簾がかかっているが、御不動様の縁日、1月28日に行われる御簾替えの際に見ることができる、そうだ。


国道125号線を渡り、小田の市街地へ向かう。


小田の市街地を進む。
前方に見えるのは宝篋山だ。


10時52分、八坂神社に到着。


廃城後の小田は帰農した武士などにより農村となり、八坂神社が一村の氏神社として創建された。
江戸初期のことである。


気温は既に30度は越えている。
『この暑さには適わんなぁ』 同感!


しかし、じっと座っていても仕方がない。ここは自分の足で歩くしかない。
大きな冠木門構えの家の前を進む。
『立派なお家ねぇ』


解脱寺(げだつじ
戦火により小田橋の近くに退転し、廃城後に現在の場所に移された浄土宗の寺である。


解脱寺の中門
『ここからお参りしとくわっ』


解脱寺の二十三夜堂
本尊の阿弥陀如来立像は室町時代末期の作で、市指定文化財。


稲穂が頭を垂れている。刈入れ間近だ。
美味しい新米が食べたくなった。


立派な薬医門だ。
どこかの寺と間違いそうな構えである。
由緒ある家なのだろうか?


小田城跡へ向かう。


11時10分、小田城本丸跡へ到着


平成16年度から本丸跡とその周辺の曲輪跡の発掘調査が行われ、平成21年度からは、
中世の小田城を体感できる”歴史ひろば”として整備している段階だそうで、シートで覆われていた。
前方本丸跡の南東部に見えるのは涼台(すずみだい


本丸跡の北東部に巨大な五輪塔がある。
見晴台があったとも云われ、やや高台になっている。
五輪塔は近年に極楽寺跡周辺で発掘されこの地に移設されたもの、とのこと。


復原された土塁。左側はかつては堀があった。
土塁の先に涼台が見える。
涼台は庭園の築山に見立てて盛られたと推測され、発掘調査によって北側に池跡が見つかった、そうだ。
頂には、近年に枯死した大欅(ケヤキ)の切り株が残る。


ここで、この日最後の休憩だ。


突然大きな歓声が上がった。
何事かと思ったら、見たことのない大きな”きのこ”に興奮しているところだった。
『ブログに載せた方が良いんじゃない?』
というわけで、カメラに納めたが、名前は分からない。
どなたか、このきのこの名前が分かったら教えて。


小田城を後にして、次の目的地長久寺に向かう。


何とも立派な門だ。
車が通せんぼしていたので、個人の家と判明したが、長久寺の門と勘違いするところだった。


隣が長久寺だった。
こちらは門は見当たらなかった。


長久寺本堂
室町時代に茨城県那珂郡に創立された真言宗の寺で、佐竹氏家臣、小場義成と共に移ってきたと伝えられる。
鎌倉・室町時代の密教絵画を所蔵する。


石造灯籠
案内によると、
この灯篭は鎌倉中期の傑作であり、石灯篭としては関東地方最古の遺品であるばかりか、全国的にも貴重な作例である。
(中略)
本石灯篭は、当代の絶品として他に類例を求められない遺品である。
殊に鎌倉地方にすら鎌倉時代の違例が現存しない現状においては、きわめて貴重なものと云わねばならない、とある。
高さは約2.4m、茨城県指定文化財(工芸品)となっている。


眩しく銀色に輝く屋根


鬼瓦にあたる部分には家紋と名前が刻まれている。


萬松山龍勝寺


大門と書かれた四脚門をくぐると・・・


立派な山門があった。
江戸時代の作で、禅宗寺院にふさわしい楼門である。
市指定文化財となっている。


本堂
曹洞宗の寺で、佐竹氏の家臣、梶原政景が在城の頃に再建されたと伝えられる。


本堂へお参りして振り返ると、揃って山門のところで立ち停まってこちらを眺めている。
山門が日陰になり、ちょうど良い風が吹いてきたので、涼んでいるところだと言う。
日差しがあまりにも強いので、日陰から出たくないらしい。


龍勝寺で一応この日予定していた歴史探訪は終わり、あとはりんりんロードを歩いて戻るだけである。


前方に見えるのは筑波山だ。
空は秋の気配が感じられる雲が浮かんでいるが、日差しはまだまだ強い。


りんりんロードは、車を気にしなくて済むのが良い。


しかし、自転車の邪魔にならないようにさっと道を開けて通す気配りも忘れない。


国道125号線をくぐり抜け・・・


北条の町中に入る。
天王橋の馬頭尊碑の小さな路地を進む。


北条の町中にはあちこちに馬頭観世音碑などが建てられている。
個人の庭にも五輪塔を見ることができる。
これは三夜様(サンヤサマ)の二十三夜塔


12時29分、ゴールのつくば総合体育館に到着した。
時間に余裕があれば平沢官衙に行くつもりであったが、既にその気力は失せていた。


早々に整理体操をして・・・


『今日は、暑い中お疲れさまでしたっ』


9月初めはやはり残暑が厳しい。
強い日差しの中、全く日陰のないところを歩いたので、かなり堪えたようだ。
来年は、林・森に囲まれた道を歩くことにしたい、と思った。


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1 コメント

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情報提供ありがとうございます (ウマさん)
2012-09-15 06:46:01
ティナさん、情報提供ありがとうございます。
なるほど、アミガサタケに似てなくはないですね。
高級食材とのことですが、「微量のヒドラジンを含むため、生食は避けるべきであるとされる。また、調理されたものであっても、アルコールとともに食べると酔いを深め、悪心や嘔吐の原因になるともいわれている」そうですから、そのままにしておいて良かったかも。

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