ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

峠の釜めしに満足 碓氷峠アプトの道

2017年09月22日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年9月22日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29度第18回(2017年第34回)、「碓氷峠アプトの道」ウォーキングに参加した。

碓氷峠アプトの道は、当会では初めてだが、2009年11月11日(水)
常南交通社バスハイクに参加して以来になる。

5時45分、三中公民館へ行ってみると、既にバスは到着していた。


三々五々参加する人が集まってきた。


三中公民館を6時ちょうどに出発し、天川団地入口、
土浦市民会館へと周り、この日の参加者29名全員が揃い、
定刻の6時20分、市民会館を後にした。


朝食の弁当
いつもの三色おにぎり。
簡素だが美味しい。


常磐道を走る。


6時50分、友部SAで最初の休憩を摂り、


北関東道から


東北道へ。


7時59分、東北道岩船JCTから再び北関東道へ。


藤岡JCTで上信越道へ入り、


8時50分、上信越道甘楽PAで2度目の休憩。
後は、「おぎのやドライブイン」へ向かうだけだ。


9時17分、上信越道松井田妙義ICで高速を降りて、


9時26分、”峠の釜めし”で有名な横川の「おぎのやドライブイン」に到着。


昼食の”峠の釜めし”弁当をめいめい受取る。
『まだ温かいねっ』 出来立てである。


”峠の釜めし”看板の前で記念撮影だ。
『何かの記念になるかもねっ』


いつものようにOさんの掛け声で準備体操(1)


準備体操(2)


準備体操(3)


9時41分、アプトの道目指して出発!


「おぎのやドライブイン」を後にして、


国道18号を進む。


9時49分、鉄道ぶんか村前を通過。
まだ時間が早いためか、訪れている人は少ない。


鉄道ぶんか村の入口前にアプトの道の大きな道標が建てられている。
『ここが起点なんだねっ』
ここから6Km先の旧熊ノ平駅を目指すことになる。


左手に鉄道ぶんか村の建物「Poppo Town」を見ながら進む。
日本で唯一碓氷峠専用電気機関車『EF63』が運転体験ができ、
また展示してある『EF62』や『189系あさま号』の運転席に入って
機器類に触れることもできる、そうだ。
鉄道ファンなら一度は訪れる場所である。


横川郵便局
『(場所に似合わず)随分立派な建物だねっ』


展示された列車を見ながら、その先を右に曲がり、
さらに左に折れると・・・


9時57分、碓氷関所の東門に到着した。


碓氷関所については概略以下のように説明されている。
碓氷関所は江戸時代の元和年間(1615~1623)、
江戸幕府によって設置された。
中山道は重要な交通路であったため、関東入国の関門として、
幕府は「入鉄砲と出女」を厳しく監視した。
東西に門があり、西を幕府が、東を安中藩が守っていた。


碓氷関所を後にして道路反対側の細い路地を進むと、
青空展示されているの鉄道ぶんか村の列車が見える。


右側の線路は、鉄道ぶんか村駅と峠の湯駅間(約2.6Km)を運転している
トロッコ列車用の線路である。


いつの間にか、旗手が交代している。


旗手を務めるKY子さん、まんざらでもなさそう。


しばらくすると旧丸山変電所の建物が見えて来た。


旧丸山変電所
丸山変電所は碓氷線が幹線鉄道ではじめて電化されたことに伴い、
明治45年に建設された。
また、当時の鉄道・電気の最先端技術が導入された。
碓氷峠を通過する電気機関車の心臓部の役割を果たしていた。


煉瓦造り建築の最盛期のもので、純煉瓦造りからなり、
横川駅側は蓄電池室である。


軽井沢側は機械室になっている。
堂々とした姿が、鉄道の歴史を伝える。


旧丸山変電所のちょうど前が「まるやま駅」になっている。
「まるやま駅」は、トロッコ列車の中間駅になるが、
緊急停車駅となったため、停車はしない、とのこと。
トロッコ列車運転日は、3月~11月の土日祝日で、
8月は毎日となっている、そうだ。


旧丸山変電所を過ぎてトロッコ列車の線路に沿って進む。


旗はいつものOさんの手に戻っていた。


トロッコ列車の鉄橋を通過
『鉄橋もあるんだねっ』


トロッコ列車の下を潜って、


線路の反対側へ。


トロッコ列車の線路脇を進むと、


峠の湯駅が見えて来た。


左側にはゴールとなる峠の湯の建物があった。


後続のグループが追い着くのを待って、


10時44分、峠の湯駅の駅の待合室で一休み。
『けっこう汗かいたわよねっ』


『ずっと上りの坂道はけっこうきついな~っ』


10時50分、熊ノ平目指して峠の湯駅を出発して直ぐ、
アプトの道の脇に近代日本詩人の巨匠北原白秋の歌碑があった。
うすいねの 南おもてとなりにけり くだりつつ思ふ春のふかきを
大正十二年(1923)春、当時39歳だった白秋が信濃を訪れた帰り、
ここ碓氷峠で「碓氷の春」と題して詠んだと云われている。


しばらく進むと、一号トンネルの入口があった。


一号トンネル内
天井には電球、路面沿いは蛍光灯が照らしてくれているので安心だ。


一号トンネル内
『歩き易いわねっ』


一号トンネルを抜けて少し行くと、


二号トンネルがある。


二号トンネル内を進む。


二号トンネルを抜けると、左手に碓氷湖が見えて来た。
赤く見えるのは、「ほほえみ橋」だ。


坂本ダムも見える。
お昼はここにしよう。


三号トンネルを抜けると、直ぐ四号トンネルが続く。
四号トンネル内で横川駅方向へ歩く一団とすれ違った。
『熊ノ平から来た』とのこと。
『五号トンネルの先は行き止りだった』との情報があったので、
「めがね橋」で引き返すことを考えていたが、これなら熊ノ平へ行ける。


五号トンネルを抜けると、


11時24分、「めがね橋」に到着した。


信越新幹線の鉄橋が見える。
紅葉の時期には鳴子峡にも劣らない、見事な景色を見せることだろう。


11時31分、熊ノ平を目指し、六号トンネルへ。
会長は、ここで待っていると言う。


六号トンネルを進む。


『長いトンネルだなぁ』
六号トンネルが一番長いことが、後で分かった。


ようやく六号トンネルを抜けた。


熊が出没するようだ。
『一人じゃ怖くて歩けないよねっ』


七号・続いて八号・そして九号トンネルを抜けると、


最後の十号トンネルが見えて来た。
『これが最後のトンネルだよねっ』


碓氷峠アプトの道最後の十号トンネルを抜けると、


11時49分、熊ノ平に到着した。
「めがね橋」からおよそ18分、「おぎのやドライブイン」を出発して
2時間ちょっとが経過していた。
熊ノ平には赤い鳥居が建てられていた。
額には稲荷大明神とある。


稲荷大明神の隣に乳飲み子を抱える若い母親像”熊の平殉難”碑が
建てられていた。
碑には、
この殉難碑は昭和25年6月9日早朝、突如として山くずれが起こり、
一瞬にして埋め去られた作業中の職員と家族50のみたまを末長くまつるため、
全国の国鉄職員から寄せられた浄財で設立されたものであります、とある。


熊ノ平駅から見た信越本線のトンネル入口(出口)で、
右に見えるのがアプトの道の十号トンネルだ。


『ここから先は、行き止りのようだねっ』
信越本線は、行き止りになっていた。


一息入れて引き返すことに。


十号トンネルへ。
今度は逆の順にトンネルを潜ることになる。


『やっぱり下るのって楽だよね~っ』
足を前に出すだけでどんどん進んでしまう。


一団となって軽快にアプトの道を下る。


直ぐ近くを国道18号(中山道)が走っているのが見える。
走っている車は少ない。


九号・八号・七号トンネルと快調に進む。


一番長い六号トンネルを下ると・・・


12時13分、「めがね橋」の袂に到着した。


階段を下り、「めがね橋」で記念撮影を撮ることにした。


「めがね橋」は煉瓦造り4連アーチ式鉄道橋の愛称だ。
明治26年に完成し、昭和38年の新線開通と同時に使用廃止になった。
『首が疲れちゃうよなっ』


「めがね橋」をバックに記念撮影だ。


お腹も空いて来たので、弁当場所を求めて碓井湖を目指す。
「めがね橋」を渡り、


五号トンネルへ。


五号・四号・三号トンネルを抜けると、


右手に碓氷湖と坂本ダムが見えた。


二号トンネルの手前でアプトの道から国道18号へ。


12時44分、急坂の国道18号を下ると、碓井湖畔に到着した。
正面に見えるのは「ほほえみ橋」だ。
『いや~っ なかなかきれいな湖だね~っ』
『水面が鏡みたいだねっ』


坂本ダム(左)・ほほえみ橋(中央)・夢のせ橋(右)


水辺にはいくつかのベンチもあり、ここで弁当タイムに。


碓氷湖を眺めながらの弁当は格別だ。
『きれいな景色で良かったわね~っ』


いつも夫婦で参加のMZさん。


こちらのYMさん夫婦もいつも一緒だ。


『釜めし弁当美味しいわねっ』


しいたけの何とも言えない香りの釜めし弁当
皆さんの評判は上々だった。


湖面に写る「夢のせ橋」が美しい。


坂本ダム


ダム下流の景色(1)


ダム下流の景色(2)


坂本ダムから碓氷湖を望む。


『昼寝したくなっちゃうねっ』


『昼寝してると置いてっちゃうわよっ』
13時33分、ゴールの「峠の湯」を目指して出発だ!


急坂を上り、


再びアプトの道へ。
二号トンネル、続いて一号トンネルと進み、


一号トンネルを抜けると・・・


13時20分、「峠の湯」駅に到着。


バスへ戻り、入浴道具と着替えを抱えて「峠の湯」へ。
入浴料金は、通常600円だが、15名以上は10%割引の540円である。


「峠の湯」


『風呂上がりの生ビールに勝る飲み物はないねっ』
毎度お馴染のメンバーが揃った。
生ビールは、2009年に訪れた時には430円だったが、
現在は550円になっていた。


帰りのバス車内には、満足の笑顔が溢れた。
『天気も良かったし、弁当も美味しかったし、最高っ!』


15時ちょうどに峠の湯を出発したバスは、
15時25分、上信越道松井田妙義ICを入り、


関越道・北関東道岩船JCTまでは、来た時と同じだが、
岩船JCTからは、進路を東に変更し、圏央道白岡JCTのある、
東京方面へ向かった。
土産物は羽生PAで買おうということに。


16時50分、羽生PAに到着


「鬼平江戸処」の建物は、江戸へタイムスリップしたような
造りになっている。


江戸情緒溢れる雰囲気の飲食店が並ぶ。
薄暗い照明がなかなか良い。


土産物屋は、今までのSA・PAでは見られない品物が数多く並ぶ。


我々の年代の興味をそそる品揃えだ。


『どれにすっかなぁ』


『これがいいかなっ』
『たくさんあって迷っちゃうわねっ』


我家の土産に江戸一のしじみ・赤えび・一口昆布巻(1,080円)を買った。
全て酒のつまみだ。
かみさんに文句を言われそう・・・


羽生PAを出ると、大粒の雨が降って来た。
土砂降り状態である。


圏央道へ分岐する久喜白岡JCT付近
『今日は傘持って来てないしなぁ』
土浦市内の天気が気になる。


そんな声をよそに、後部座席は盛り上がっていた。
『歩くときに降られなくて良かったよねっ』
”結果良ければ全て良し”なのである。


18時25分、圏央道牛久・つくばICに到着。
意外なことにこの辺りはほとんど雨は降っていなかった。
『道路が濡れてないねぇ』
『さっきまでの雨、ほんと信じられないよねっ』


18時37分、バスは三中公民館に無事到着した。


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『お先に~っ』 『気を付けて~っ』


”碓氷峠アプトの道を歩く”が無事に終わった。
紅葉の時期にはちょっと早かったが、濃い緑の中のウォーキングを
充分に楽しんだ。
前回(2009年11月11日)は、アプトの道にある10個のトンネルの
半分しか歩かなかったが、
今回は、折返し地点の熊ノ平までの10個全て歩き切って満足している。
また、鏡のように美しい湖面の碓氷湖を見れたのも良かった。

この日の”峠の釜めし”弁当は実に美味しかった。
上越本線が廃止になった今でも昔の味と香りを伝える「おぎのや」の
歴史と伝統が続いているのだなと感心させられた。
これからもずっと続けて行って欲しいものである。

この日の万歩計は、21,000歩を計測していた。

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