ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

野島崎灯台全に歓声 房総最南端ハイキング

2016年03月18日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年3月18日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成27年度第34回(2016年第10回)、「南房総最南端」バスハイキングに参加した。
今年度(平成27年度)6回目最後のバスハイキングである。

三中公民館でバスの到着を待つ。


7時34分、15分ほど遅れてバスがやって来た。
天川団地入口の一つ手前で乗る人がいたのを知らずに通り過ぎてしまい、
戻ったりしたために時間を要したとのこと。


この日の参加者は38名、過去最高の人数だ。


いつもの朝食弁当で腹ごしらえをして、


阿見ICから圏央道へ。


車窓に牛久大仏や


阿見プレミアムアウトレットを眺めながら房総方面へ向かう。


8時17分、利根川を渡る。


大永JCTで東関東道に合流し、8時41分、酒々井PAで最初の休憩。
ここまでは順調だ。


しかし、宮城野JCTから京葉道に入ったとたん、渋滞に巻き込まれた。
渋滞を抜けるのに20分以上もかかってしまった。
圏央道(東関東道~横芝)の早期完成が待ち遠しい。


9時49分、館山道富津中央ICを通過。


ハイウェイオアシス富楽里に着いた時には既に10時を回っていた。


ここで、昼食弁当が積み込まれた。


館山城は、天正八年(1580)里見義頼によって築城された。
その後、慶長十九年(1614)に里見氏は改易され、館山藩は取り潰しとなった。
この際に館山城も廃城となり、破却された。
現在建つ天守は、後に丸岡城を模して昭和57年(1982)に再建されたものである。


バスは県道86号を白浜へ向かう。


この道は、白浜への釣行で年に5-6回は通る見慣れた道である。


10時56分、ようやく道の駅「白浜野島崎」に到着した。


昼食の弁当を受取る。
南房総での弁当は初めてなので、楽しみである。


この日のコースは、昨年の8月にここ道の駅「白浜野島崎」でたまたま見掛けた看板だ。
コース図やパンフレットのようなものは道の駅には置いてなかったため、
この看板を撮影した1枚の写真を頼りに歩くのである。
下見をする時間もなかったため、少々不安もあったが、まあ何とかなるだろう。


Kさんの号令で準備体操


長時間バスに揺られた身体をほぐし、


11時13分、先ずは海へ向かって出発!
後ろに見えているのは、これから目指す虚空蔵山(90m)である。


先頭はOさんが務める。
写真のコースを確かめながら進む。


『お~っ 海が見えてきた~っ』


海岸道り(国道410号)を西へ。


『これは、ウミウだよねっ』


元禄地震は、元禄16年11月23日(1703年12月31日)午前2時ごろ、関東地方を襲った巨大地震。
震源は房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定され、マグニチュードは7.9-8.5と推定されている。
『この高さまで津波が来たんだぁ』


海岸通り(国道410号)を500mほど行ったところで右折。


菜の花の黄が眩しい。


細い路地を進み、房総フラワーラインを横断すると、


11時35分、「めがね橋」に到着した。
明治21年(1888)3月竣工の洋式石積み工法の三重橋。
村民の寄付で399円40銭が集められた。
架橋以前は長尾川に架かる橋はなく、村民は歩いて渡っていたらしい。
昭和52年と平成5年の修復で、竣工当時の姿になった。


3つのアーチがあるのでメガネではないが、川面に移る姿から「めがね橋」と呼ばれるようになった。
関東大震災にも壊れることなく、戦時中は戦車が通ったという頑丈な橋である。
県指定有形文化財で日本の名橋百選にも選ばれている。


橋の名前は長尾橋だが、眺尾橋という文字が。


次の目的地虚空蔵山へ。


緩やかな舗装された坂道を上る。


たくさんの蜂の巣箱が置いてあった。
どの巣箱にも蜜蜂が群れていた。
菜の花のミツなのだろうか?


山頂近くに3体の石仏があり、


山頂(90m)にはコンクリート造りの虚空蔵堂があった。
弘法大師(空海)による修験信仰が虚空蔵なので弘法大師にまつわるものなのだろう。


木々の隙間から野島崎灯台が見えた。


虚空蔵山を下る。


上る時には気づかなかったが、根本方面の眺望が良い。


12時3分、「めがね橋」を渡り、


県道86号線を館山方面へ500mほど進むと、


紫雲寺と展望台への案内標識があった。
『ここを曲がれば良いんだねっ』


右手に先ほど上った虚空蔵山が見える。


展望台(城山)を目指す。


展望台へ。


展望台の標識の先に城山らしき山が見えてきた。
(城山はもっと先だった)


コースの写真を頼りに、三叉路を右折して進むと、白浜の集落に出た。
『道が違うんじゃない?』の声もちらほら・・・


後ろに虚空蔵山を見ながら、


感を頼りに農道を進むと、


12時40分、展望台への分岐点に到着した。
道は間違いではなかったのだが・・・
お昼も過ぎ、お腹も空いてきたこともあってか、城山(144m)は遠慮しておく、という人も。
先ほど上った虚空蔵山(90m)よりも高いというのがその理由らしい。


結局、ここから展望台(城山)を目指すグループ(27名)と


平坦な道を進むグループ(11名)に分かれることになった。
城山を下山した辺りで合流することにしたのだが・・・


展望台(城山)入口付近には、


白浜城跡の説明が。
里見氏の祖・義実が房州で最初に開いた山城跡。
東西1Km、南北400m、東遺構・西遺構・城山北遺構という広大な城域を持ち、
房総の中世期城郭としては最大規模を誇る。
初期里見氏の本城として歴史的に重要な遺構であると同時に、
堀や土塁のない構造的にも古い形態の城、とのこと。(以下略)


展望台まで500mとある。


森に入ると木のトンネルが続く。


道は整備されていて歩き易い。
『思ったよりきつくないよねっ』


西側切割は白浜城の大手と推定されるところだ。


『なかなかおもしろいコースだねっ』


緩やかな上りが続く。


12時52分、展望台まで200mの地点を通過。
100m間隔に標識が設置されているのでこれは助かる。


しっかりと階段も整備されているので、登り易い。
『これだったらみんな登れるよねっ』


12時59分、展望台に到着。
上り始めて15分が経過していた。


『いやぁ 素晴らしい景色だなぁ』
『この景色は登った人にしか味わえないよねっ』


野島崎灯台全景


野島崎灯台だ。
『向うからこっち見えるかなぁ』


左手には、グランドホテル太陽や、ライズリゾートなどのホテルが、


灯台に一番近い南海荘ホテル、


右手にはフローラルホールなども見える。


分かれたグループから電話があり、合流点が分り難いので、灯台へ行くとのこと。
また、時間も遅いので、弁当にしたいとのこと。
最初は”灯台近くで揃って弁当を”と考えていたが、灯台までまだかなり時間もかかりそうだし、
我々もここで弁当にした方が良さそうだ。


『あら~きれいっ 食べるのもったいない感じだねっ』


なかなかカラフルな弁当だ。
味も良かったし、ボリュームも申し分なしだ。


13時34分、下山開始


しばらくは上り下りが続く。


『まむし草があちこちに生えてるよっ』
『ここはやっぱり成長が早いんだねっ』


もう一つ展望台があった。
先ほどのよりは、規模は小さい。


しかし、展望台からの見晴らしは抜群である。


展望台を過ぎると急な下りが始まった。
『こっちから上る方が大変かもねっ』


観音堂の案内標識があった。
矢印が示す方を見たが、急な上り斜面の先は雑木林で、何も見えなかった。
(道標が傾いているため上の方を指していたが、本当は麓の方を指していたのだ)


西側切割が白浜城大手に対し、東側切割は白浜城搦手と推定されている。


『この木根元が2つあるように見えるねっ』
倒れた木と思われるが、左側にも根元があるように見える。


急斜面を下る。


下り開始から約20分、明るい平坦な場所に出た。
麓のようだ。


観音堂があった。
下る途中で見た観音堂の標識は、この青木観音堂を指していたと思われる。


里見義堯が奉納したとされる賓頭盧(びんずる)尊者坐像は、なで仏で、
目尻を下げ、開いた口に上の歯と舌を出す様がユニークな羅漢像で、
「おびんずる様」と呼ばれ、親しまれている、そうだ。
自分の痛いところをなでると治るとか。
毎月17日の法要と5月17日に行われる観音祭で公開される、とのこと。


芋井戸の案内板に従って進む。
この辺りは細い道が入り組んでおり、案内がないと目的地にたどり着くのは容易ではない。


13時59分、芋井戸に到着


芋井戸
弘法大師(空海)が諸国遍歴でこの地に立ち寄り、地元の老婆から芋をもらって喜んだという伝説が残る。
弘法大師はこの地に芋がずっと根付くと言い残した。
中には鯉が数匹泳いでいた。


14時2分、青根原神社に到着。


青木の八幡神社、根本の金毘羅神社、原田の諏訪神社の3神体を合祀したことから、
各地の頭文字をとって、この名になった、そうだ。


青根原神社の鳥居の横に里見成義の墓所があった。
里見氏二代成義の墓とされるが、五輪塔も壊れ、わずかに墓台を残すのみ。
天保年間に地元の書家が故人を偲び、里見氏碑を建てている。


キンセンカ畑を見ながら先行グループが待つ野島崎灯台へ。


畑に囲まれた農道を進む。


右手に城山を見ながら進む。
左端の稜線の木が途切れた辺りが最初の展望台があったところと思われる。


下校途中の小学生が歩いていた。


野島崎灯台への道を尋ねると案内してくれると言う。
二人は姉妹で、上が小学4年生で妹は1年生、とのこと。


上の子は、妹にランドセルを預け、家の方向とは違う野島崎灯台まで、案内してくれた。


14時28分、女の子の案内で無事野島崎園地に到着。
お礼に皆さんのお菓子を出し合った。
『本当にありがとうねっ』 『気を付けてお帰りっ』


全員が合流し、厳島神社へ。


平和の愛鍵・男根七不思議
ぶらぶらすれども落ちもせず 金があれども通用せず 竿があれども干しもせず 金があれども光なし
縫目あれどもほころびもせず 玉があれどもうてもせず 天を仰ぐこともなし
されど恋を成就し、子宝に恵まれ、優れたご利益のある祠也
(ご神体は掲載を控えたい)


厳島神社にこの日の無事をお参りして、


房総最南端へ向かう。
『灯台がきれいだわねっ』


最南端野島崎に立つ白亜の八角形をした大型灯台で、「日本の灯台50選」に選ばれており、
国の登録有形文化財にも登録されている。
慶応二年(1866)5月、米英仏蘭の4ヶ国と結んだ「改税条約」(別名・江戸条約)によって
建設を約束した8ヶ所の灯台(観音埼・野島埼・樫野埼・神子元島・剱埼・伊王島・佐多岬・潮岬)の一つ。
なお、これらを条約灯台とも云う。


房総半島最南端碑の前で記念撮影をして、


ゴールの道の駅「白浜野島崎」へ向かう。


南海荘ホテルを通過し、


南海荘ホテル付近から白浜灯台を望む。


フローラルホール前で海岸通りを横断。


15時13分、道の駅「白浜野島崎」に到着
一休みする間もなく道の駅「潮風王国」へ。


15時37分、道の駅「潮風王国」に到着


道の駅「潮風王国」で買い物だ。


買い物風景(1)


買い物風景(2)


『ホンビノス貝って、この前テレビで放送してたのよっ』
ハマグリの減少に伴い、流通時に白ハマグリやオオハマグリと呼ばれる事もあるが、
消費者に誤解を与えるという理由で、別名や通称は使用せずホンビノス貝と表記するのが
一般的となりつつある、とのこと。


『何にすっかなぁ』


南房総と言えばくじらのタレである。
クジラのタレとスモークを土産に買った。
これで一杯やることにしよう。


こちらは買い物は済んだらしい。
『歩いた後はソフトクリームが美味しいっ』


道の駅前の花屋では、皆さん彼岸の花なども買い求めたようだ。
16時20分、それぞれ土産物ショッピングを楽しんだところで、帰路についた。


『お疲れさまっ 今日は楽しかったよっ』


市原SAで休憩を摂り、


三中公民館に着いた時には、19時20分になろうとしていた。、


皆さん、手に手に土産物袋を下げ、
『いやぁ 今日は楽しかった』
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


当会としては、初めての南房総白浜での例会となったが、
天気にも恵まれ、春本番を思わせる陽気の下、房総の一日を楽しんだ。

復りは渋滞もなく3時間だったが、往きは4時間近くもかかってしまった。
圏央道が全通すれば、もっと時間短縮が図れるだろう。
房総方面は、まだまだハイキングに相応しい場所がたくさんあると思う。
圏央道の早期全通を期待したい。

この日の万歩計は、18,000歩に達していた。

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