ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

霊山最高!の声も 霊山ハイキング(伊達市)

2022年05月20日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2022年5月20日(金)

隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和4年度(2022年度)第4回、令和4年(2022年)第6回、「霊山ハイキング(伊達市)」に参加した。

朝06:00丁度発のバスに乗るため、5時50分頃に三中公民館へ着くと、既にバスは来ていた。
三中公民館から乗車の参加者も殆どの人が集まっていた。皆さん早っ!
TK子さんから、昨夜は一睡もできずに身体がだるく頭がふらつくため、参加を見合わせたい、
との申し出があった。
突然の申し出に言葉が見つからなかったが、城南交通の運転手さんが、登山口近くに
宿泊施設りょうぜん紅彩館があり、そこで温泉にでも入ってゆっくりと休憩する方法もある
ことを教えられ、参加見合わせを翻意することになって一安堵。
りょうぜん紅彩館にはバス会社からこの日の昼食弁当を注文しており、バスも立ち寄ることに
なっている。


天川団地入口の土木事務所前に到着すると、KKさんがちょうどこちらに向かってくるのが見えた。


土浦市民会館からは6名の参加である。


この日の参加者は19名。
ちょっと少ない気もするが、夫婦3組以外は一人掛けなので、大名旅行気分を味わってもらおう。


市民会館近くのコンビニで朝食弁当を仕入れ、6時30分、霊山目指して出発!


常磐道土浦北ICから30分ほど走ると、友部SAの案内表示が見えて来た。


7時ちょうど、友部SAに到着した。
規定では15分の休憩を摂ることになっているので、出発は7時15分になる。


再びバス車内風景


日立市の諏訪第一トンネル付近を走る。
この辺りは実にトンネルが多い。


右手にはトンネルの合間に日立市市街地の住宅と太平洋が望める。


8時5分、福島県に入った。
土浦北ICから1時間とかかっていない。


8時18分、磐越道郡山方面と常磐道仙台方面の分岐点を仙台方面へ。


吹き流しはだらりと垂れており、風が殆ど吹いていない状態だ。
『この調子じゃぁ 霊山も暑いかもねっ』


福島県に入ると放射線量(μSv/h)の値が表示されている。(南相馬市原町付近)
平常時に一般の人(子どもを含む)が受けて良い上限は年間1ミリシーベルト
(1000マイクロシーベルト)なので、全く問題はない値ということになる。


友部SAの次の休憩は四ツ倉PAでと考えていたが、四ツ倉PAは売店などがないことが分かり、
急遽南相馬鹿島SAに変更した。


9時16分、南相馬鹿島SAに到着した。


「セデッテかしま」には実物大の勇壮な相馬野馬追の人馬が飾られており、一際目を引く。


相馬野馬追の実際の映像


9時39分、常磐道相馬ICを通過し、


東北中央自動車道(無料区間)を走る。


このまま霊山登山口に一番近い、霊山飯館ICまで行きたいところだが、現在は霊山飯館ICは
通行不可になっており、9時53分、一つ手前の相馬玉野ICで東北中央自動車道を下りた。


相馬玉野ICからは国道115号を走る。
交通量は少ないので、ほとんど不便は感じない。


10時5分、りょうぜん紅彩館に到着。


りょうぜん紅彩館で昼食の弁当を受け取り、各自に配布完了!
『お弁当楽しみだわねっ』


TK子さんとはここでいったんお別れとなる。
『行ってらっしゃい!!』  『温泉にでも入ってごゆっくりっ!!』


10時11分、霊山登山口の駐車場に到着。


駐車場越しに見えるのは霊山だ。
『すごい岩だらけの山なんだねっ』 『岩櫃山に似てるよねっ』


駐車場には伊達の未来の為、襲い掛かる敵と戦う17代伊達政宗と政宗を支える歴代当主が織りなす
戦国青春グラフティ”政宗ダテニクル”の看板が。
アニメを通じて伊達氏発祥の地であることを広くPRするために制作された、そうである。


NGさんの号令による準備体操(1)


準備体操(2)


準備体操(3)


準備体操(4)


準備体操(5)


準備体操(6)


霊山登山案内図
霊山の歴史と由来が次のように案内されている。
国の史跡及び名勝に指定されている霊山は、平安時代に慈覚大師により開山されたと
伝えられる山岳仏教寺院でした。
以来南北朝時代まで、東北山岳仏教の拠点の一つとして栄えたと考えられています。
南北朝時代には、北畠顕家(きたばたけあきいえ)が義良親王(のりよししんのう)を奉じて
陸奥の国の国府を開き、南朝方の拠点として機能したことは、歴史的にも有名なところです。
しかし、北朝との激しい戦いの中、霊山は落城し、山中の仏堂などは消失してしまったと
伝えられています。
以来、霊山は寺院としての機能も停止したようです。
霊山寺の情報の多くは地中に埋もれたまま保存されていますが、山中に残る多くの礎石や
山中から採集された土器・陶磁器などが当時の面影を今に伝えています。


霊山(霊山城)復元図


10時21分、会長のTKさん(82)を先頭に霊山登山の出発だ!


最初は緩やかな坂道が続く。


ほどなく霊山登山口の”史跡および名勝”と刻まれた門を通過。
霊山は文部省から史跡及び名勝地として指定されており、景色が良いばかりでなく、
歴史的にも大変重要な史跡(貞観元年859年、慈覚大師霊山寺を開山、延元2年1337年、
南朝の忠臣北畠顕家(きたばたけあきいえ)、義良親王(のりよししんのう)を奉じて、
陸奥の国府を置く)と位置づけられておりますので、歴史にも触れながらお楽しみください。
と案内されている。


『この坂道まだまだ続くのっ?』


『登山は久しぶりだから堪えるよねっ』


10時45分、堪らず一休みだ。


しばらく進むと、”宝寿台”と書かれた案内板があった。
アルミ製の階段が付いているが・・・階段が傾いていて上り難い。


脇を通って登ることも出来る。
『こっちの方が安全だよねっ』


宝寿台の大きな案内板があった。


案内板の先にはほぼ垂直の梯子があった。
どうやら梯子を登り切った所が宝寿台のようだ。
ここは登るしかない、慎重に梯子を登る。
梯子を登るのは怖くて苦手という人もいて、『下で待ってる』とのこと。


笠間から参加のD子さんは、楽しくてしょうがない、といった余裕の表情を見せる。


10時58分、宝寿台に到着。
宝寿台から観た景色
『いやぁ 本当に素晴らしい景色だねぇ』


当会最年長のKKさん(88)も元気に登り切り、満足の表情だ。


霊山こどもの村が眼下に見える。


パノラマ撮影で撮った1枚


山頂ではめいめい記念撮影などして楽しんでいた。


素敵な景色を愉しんだ後は、今度は登って来た梯子を下ることになる。
『下りの方が怖いよねっ』  『気を付けて~っ ゆっくりで良いからね~っ』


宝寿台を後にして、11時12分、見下し岩に到着。


『ここからの景色も良いねぇ』


ここからもほぼ真下に霊山こどもの村が見えた。


霊山こどもの村


11時16分、日暮岩分岐点を通過
『帰りはこの右手から合流することになるんだよねっ』


国司沢方面を目指す。


緩やかな山道を進む。


11時26分、国司沢に到着。


国司沢から観た景色
『秋には紅葉の絶景が観られるんだろうねっ』


国司沢から護摩壇への途中、大きな岩が覆いかぶさるような場所が。
『筑波山の弁慶の七曲よりも怖い感じだよねっ』 『頭に気を付けて~っ』 


天狗の相撲場の案内板が表れた。


皆さん、観に行こうか悩んでいる様子だったので、


観に行ってみると・・・案内板の30mほど先に、土俵を思い起こさせる円形の岩があった。
さらにその先は危険を感じたため、ここで引き返したが・・・
『天狗の相撲場ってこの岩のことなのかなぁ?』 自信はない。


一応『丸い土俵のような形をした岩がありましたよっ』と報告し、護摩壇入口へ。


山ツツジが緑一色の景色に彩を添える。
『こうやって観ると山ツツジも良いわよねっ』


最後尾Gも殆ど遅れることなく護摩壇を目指した。


親不知・子不知の難所が始まった。
狭い断崖絶壁の径だが、安全柵が設置されているので安心だ。


親不知・子不知から観た景色(1)


親不知・子不知から観た景色(2)


親不知・子不知から観た景色(3)


親不知・子不知を通過
『頭には気を付けてねっ』


『いやぁ 今日のコースはほんとに愉しいねぇ』 『霊山最高だよっ』
皆さん、この日のコースが大いに気に入ったようだ。


胎内潜りのような岩を潜り抜ける。


『頭をぶつけそうだねっ』


もう一つの大きな岩を潜り抜けると・・・


11時52分、護摩壇に到着した。


護摩壇から観たパノラマ写真
『いやぁ ここからの景色も素晴らしいね~っ』


護摩壇を過ぎても岩の径が続く。
一旦下って・・・


また直ぐに登り返す。


鎖場もあり、ちょっとしたスリルも味わえる。
(ちょっと見えにくいが、1本の細い鎖を掴んで岩を登っている)


鎖場を登り切ると、今度は緑一杯の林の中を進む。
『この景色の変化が嬉しいよねっ』


リンドウの花が咲いていた。
『あらぁ 素敵っ! 可愛い~っ』


12時6分、国司館跡を通過
草っ原に国司館跡と書かれた白柱の案内板が立っているだけだ。


2分後、霊山城跡に到着した。
『ここが霊山城跡のようだねっ』


霊山城跡の案内板


史跡及び名勝霊山(昭和九年五月一日指定)


直ぐに後続の一団が到着し、


最後尾Gも到着した。


中世霊山の寺院城郭(復元図)
想像復元図に現在の主要登山道(黄色)を記している。


明治時代に建てられた義良親王(のりよししんのう)の石碑


12時を過ぎてお腹も空いて来た。 ここらで、弁当にしよう。
弁当タイム(1)
『美味しそうだよっ』


弁当タイム(2)


弁当タイム(3)


弁当タイム(4)


弁当タイム(5)


弁当タイム(6)
本年4月に入会したばかりのNKさん。
この日が記念の初参加である。


弁当タイム(7)
『今日の弁当は美味いねっ』


これが、りょうぜん紅彩館で仕入れたこの日の弁当だ。
エビ天・焼きサケ・生ハム・シュウマイ・鳥から揚げ・卵焼き他に野菜などが彩り鮮やかに
盛り付けられており、いつになく美味しかった。
皆さんからも高評価だった。
りょうぜん紅彩館で我々の帰りを待っているTK子さんも食べている頃だろうな。


昼食も終わった12時48分、霊山城跡を後にして、次の目的地霊山の最高峰(東物見岩825m)
目指して出発!
バス運転手に霊山城跡を出発したことと、駐車場到着予想は14時頃になることを連絡した。


暫くは緩やかな下りの坂道を進む。
『このままずっと下りだったら良いのにな~っ』


東物見岩へ220mの地点を通過。
『220mとは意外に近いんだねっ』


林の中を進んで行くと・・・


正面に東物見岩の案内標識が現れた。
『また登らなきゃならないんだねっ』


案内標識に従って登って行くと・・・
大きな岩があった。 山頂へ続くとみられる1本の鎖が見える。


鎖を掴みながら岩を登って行くと、最高峰 東物見岩 海抜825mと書かれた案内板が。


東物見岩(825m)からの眺望
見晴らしは悪くはないが、曇っていて案内されていた太平洋がよく分からない。


見えているのは宇多川湖ではないかと思われる。


山頂の右側は生い茂った木々の緑に遮られて見通すことが出来ない。


景色を望むのは諦めて、東物見岩を下って次へ進む。


東物見岩の下りは急斜面なので、注意が必要だ。


大きな岩が裂けて何かの入口のように見えるが、これは何という岩なのだろうか?


蟻の戸渡り(370m)を目指すことにした。


蟻の戸渡りへ。


蟻の戸渡りへ。


13時10分、天の釣舟入口を通過すると蟻の戸渡りまで50mとある。


13時12分、蟻の戸渡りに到着。


慎重に蟻の戸渡りを進む。


細い岩尾根の上を歩くので注意が必要だ。


蟻の戸渡りを過ぎると望洋台と書かれた案内板があった。


望洋台からの眺望は、東物見岩からの眺望と同様で、曇っていて太平洋はよく分からなかった。


弁天岩490m 霊山庵1,930mと案内されている。


弁天岩方面へ進む。


所々に山ツツジが咲いていた。
『赤い花が綺麗だよねっ』 『気持ちが癒される感じっ』


13時22分、五百羅漢岩と思しき岩が現れた。
『これはけっこう大きな岩だよなぁ』


左側に回ると五百羅漢岩の案内板があった。


五百羅漢岩だ。


岩場を下って行くと・・・


弘法突貫岩と書かれた案内板が。


弘法突貫岩
岩に丸い穴がいくつか空いていたが、岩の名前に由来しているのだろうか?


13時34分、弁天岩入口前に到着した。
『弁天岩はどこなんでしょうねっ?』


岩場の先端に行ってみたが、この先は危険を感じたため、ここから先は行かずに引き返した。


日暮岩510m方面へ進む。


途中、正面弁天岩の案内板が。


木々の隙間から大きな岩が見えたが、あれが弁天岩なのだろうか?


”この先注意して通行ください”の注意書きがあり、山側には鎖が張られていた。
危険な場所なのだろう。


鎖が終わり、急斜面の岩場を進む。
かなり危険を感じる。


今度は崖側に鎖があり、径には鉄板が敷いてあった。


スリルを味わいながらも危険な場所を無事通過


さらに鉄板が敷かれた径を進むと・・・


日暮岩の案内板が・・・


先端へ行ってみると、梯子が掛けられた大きな岩があった。
これが日暮岩なのだろう。 ただ岩の上に登るのは今回は控えておこう。


日暮岩入口を目指す。


13時57分、日暮岩入口に到着した。
ここは午前中に、見下し岩から国司沢へ向かう時に通ったポイントである。
後は霊山登山口駐車場を目指すだけだ。


13時58分、見下し岩を通過


14時2分、続いて宝寿台入口を通過
既に14時を過ぎたため、バス運転手には到着が30分ほど遅れることを連絡。


ゴールの霊山駐車場を目指して登山道を下る。


ようやく登山道が平坦になって来た。


間もなく霊山駐車場だ。


14時24分、ゴールの霊山登山口駐車場に到着した。
『やった~っ 着いた~っ』 思わず両手を挙げて”バンザイ”する人も。


後ろを振り返ると、霊山が「またお出でっ」と言っているようだった。


バスに乗り込む。
りょうぜん紅彩館で待っていたTK子さんは既にバスで待っていた。
運転手さんがりょうぜん紅彩館へTK子さんを迎えに行ってくれていたのだ。
『いつもお世話になりますっ』


14時30分、バスは直ぐに発車である。
国道115号を走り、相馬玉野ICから東北中央自動車道に乗り、常磐道へ向かった。


14時56分、常磐道相馬IC入口を通過。


15時10分、南相馬鹿島SAに到着し、最初の休憩を摂る。
皆さん、お土産を求め「セデッテかしま」へ。


お土産処 南相馬商店の店内へ。


土産物を求めて店内を見て回る。
『お土産何にしようかしらっ?』


ここは福島だが、仙台市の土産物が多い。


仙台名物の牛タンも売られていた。
この日はスタミナ補充のために牛タンでも買って帰ることにするか。
(結局自分への土産物となった)


15時20分に南相馬鹿島SAを出発し、友部SAには2時間後の17時22分に到着した。
約185Kmを2時間ノンストップである。
『運転手さん、お疲れさまです』


友部SAで最後の休憩を摂り、土浦方面へ。
『今日の霊山は最高だったねっ』 皆さんの満足そうな表情なのが嬉しい。
コロナ禍のため、アルコールを控えなければならなかったのは残念ではあるが・・・


17時56分、土浦北ICを通過


18時8分、先ず最初は土浦市民会館からの6名が降りた。
『皆さん、お疲れさまでしたぁ』  『ありがとうございましたぁ』


土浦市内の慢性的な渋滞に見舞われ、天川団地入口に到着した時は18時30分を過ぎていた。
ここでKKさんが降りた。
『大変お疲れさまでしたぁ』


土浦BPはかなり混んでいた。
『いつものことだよねっ』


最後の土浦三中公民館に着いた時には、18時50分になろうとしていた。
まだ明るいうちに帰着出来たことは良しとしよう。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


念願の「霊山ハイキング」が無事終わった。
この日のコースは、2020年度に企画していたのだが、コロナ禍により中止を余儀なくされていた。
今年に入って感染者数がやや減少傾向となり、3回目のワクチン接種も皆さん終わっていたことから、
実施することにした次第。

霊山は、秋の紅葉シーズンが最も人気が高く、多くの人で賑わうとのことだが、
土浦市から霊山までは距離があり時間も掛かることから、陽が沈む前の帰宅を考えると、
出来るだけ早い時刻の出発が必要となる。
そのためには、秋よりも陽が長い今の時期の方が最適と考えた次第である。

秋の紅葉も素晴らしいが、緑もなかなか良いものである。
この日はほぼ新緑に包まれた霊山の景色を満喫し、満足のいくハイキングだった。

霊山は初めてだが、想定していたよりも険しい岩場が多く、スリルも味わうことが出来た。
霊山全体に見所が詰まっているといった感じで、久しぶりにハイキングを心から楽しめた、
と思っている。

この日の万歩計は、14,000歩強を記録していた。

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