ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

黄門様ゆかりの町史跡巡り(常陸太田)

2016年03月05日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年3月5日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成27年度第32回(2016年第8回)、「黄門様ゆかりの町史跡巡り」ウォーキングに参加した。
常陸太田を訪れるのは、2009年5月1日(金)以来2度目となる。
この時は、一つ手前の谷河原駅をスタートし、佐竹寺から西山荘へ歩いたので、
今回は逆のコースとなる。

荒川沖駅7時52分発の電車を待つ。


水戸駅で9時5分発の水郡線常陸太田行に乗り換える。
この日の参加者は、22名だ。


水郡線車内は、空いていた。


水戸から早ければ34分しかかからないところを、約1時間近くもかけた9時59分、常陸太田駅に到着。
上菅谷駅で、離合待ちと追越し待ちで20分以上も待たされるというダイヤにはビックリした。


常陸太田駅の待合室には、まだひな人形が飾られていた。


10時14分、先ずは若宮八幡宮目指して出発!


『初めてだから楽しみだわっ』


2015年11月20日、国の文化審議会は、西山御殿跡「西山荘」を国指定史跡および名勝に指定した。
本県で国指定史跡および名勝が指定されるのは、1922年の常磐公園(水戸市)以来93年ぶり2件目となる。


国道293号線に並行する市道を進む。


10時24分、国土交通省交差点を横断。


しばらくすると小高い所に若宮八幡宮が見えてきた。


地図には載っていない住宅地の細い路地を入り、急な階段を上る。


10時39分、若宮八幡宮に到着
若宮八幡宮は、鯨が丘の高台に鎮座しており、戦国大名佐竹氏の居城太田城(舞鶴城)の
二の丸跡に位置する。


鳥居の直ぐ脇に大きな欅(けやき)の木があった。
幹回11.4m、根元25m、樹高30mで、推定樹齢640年以上とされ、
茨城県の天然記念物に指定されている。


境内には他にも欅の大木が見られる。


御手洗で手を洗い清め、拝殿にお参り。
佐竹氏13代義仁が、応永元年(1394)に鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を、太田(舞鶴)城中に
奉るようになったのがその始まりと云われている。
宝永五年(1708)、現在の場所に移された。


若宮八幡宮は、舞鶴城の守護神とされ、水戸徳川家からも崇敬を受けた八幡宮である。


本殿
一間社流造が2つ並んでいるように見える。


境内にはいろんな神社が合祀されている。


矢印に従って本殿裏へ回ってみたが、稲荷神社らしき小さな社があるだけで
他に神社らしき建物(祠)は見当たらなかった。
(もしかしたら見落としたのかもしれない)


若宮八幡宮からの眺め。
城の一角であったため見晴らしが良い。
若宮八幡宮は、茨城百景に選定されている。


太田二高の先の小高い所にこれから訪れる久昌寺が見える。


若宮八幡宮を後にし、急坂の石段を下り、久昌寺へ向かう。


この日は弁当持参となっていたが、あいにく持って来なかった人もいたので
コンビニへ立寄った。
『お待ちどうさま~っ』


源氏川を渡り、


太田二高横を通り、


久昌寺へ向かう。


『この坂けっこうきついな~っ』


11時5分、久昌寺の門に到着。
久昌寺は、日蓮宗の本山(由緒寺院)で山号は靖定山と云う。


最後の急階段を上って久昌寺本堂に到着
久昌寺は,延宝五年(1677)に徳川光圀公が生母の谷久子を弔うために創建した寺院。
久子の法号である「久昌院靖定大姉」からその名が付けられた。


瑞雲閣前の日蓮上人像


鐘を撞いているのは、いつものMさんだ。


虚空蔵菩薩堂
二階は重要寶物殿となっている。


久昌寺がNHK「先人たちの底力知恵泉」で放送されるらしい。
水戸黄門(義公)に関するもののようだ。
放送予定日は4月5日(火)と4月12日(火)となっている。
これは見ておきたい。帰ったら録画予約しておこう。


住職と思われる人に西山荘への道を訊いたところ、境内の裏から義公廟を通って行けるとのこと。
こちらの方が近道で坂はあまりきつくないそうだ。
寺の前の道を行くと、130段ほどのきつい階段がある、とのこと。
『ここは寺の裏を通って行くべきでしょっ』


久昌寺の墓所を通り、最後の石段を上ると、


久昌寺裏の高台に光圀公の遺徳を偲んで建てられた義公廟があった。
廟内には生母の菩提を弔う法華経10巻を納める宝塔や、光圀公が集めた明版一切経が納められている。


”西山荘へ700m”の案内に従って、


西山荘へ向かう。


間もなく西山荘だ。


11時31分、「西山の里桃源」に到着


西山荘と「西山の里桃源」を結ぶおよそ8,000㎡の園地は、
池や橋を配した静かな庭園の中を散策して行くことができる。


園内は四季折々の花々が咲き誇り、春は約70本の紅白の梅や枝垂れ桜、
6月は3,000株の華菖蒲が咲き誇る、そうだ。


今は菖蒲の手入れの真っ最中だ。
『ご苦労さま~っ』


庭園内は、梅が満開で見頃を迎えている。


満開の梅
庭園の木々は全てきれいに剪定されている。


梅の香りが漂う。


「西山荘」へ。


11時38分、「西山荘」前に到着。
「西山荘」は、「水戸黄門」で知られる、水戸藩2代目藩主・徳川光圀公が藩主の座を退いた後、
元禄四年(1691)から元禄十三年(1700)に没するまでの晩年を過ごした隠居所である。
ここで、「大日本史」編さん事業監修を行った。


この日は「西山荘」の見学は予定していなかったため、ここで引き返すことに。


ご前田(ぜんだ)
光圀公が自ら耕された水田(約5,000㎡)の一部で、一領民となられた証しとして、
太田奉行所に十二俵の年貢米を納めた、とのこと。


園内にある「晏如庵」は、光圀公が茶の湯を楽しんでいたという逸話に因んで建てられた施設。


石段を上ると沼(池?)があった。


左手のちょっと離れた所に「晏如庵」が見える。
菓子付き抹茶が500円だそうだが、今日は時間がない。


いったん「西山の里桃源」へ戻り、佐竹寺へのルートを相談。
その結果、「西山荘」の裏山を通って佐竹寺へ抜けるルートに変更することにした。
また、何名か希望者がいたので、「西山荘」の見学時間を設けることにした。
ということで、再度「西山の里桃源」の庭園へ。


時計は12時を10分ほど回っていた。
庭園の東屋があったので、弁当タイムにした。


『まだちょっと寒いけど外で食べるのって良いわねっ』


昼食後、「西山荘」見学希望者は、料金800円を払って中へ。


中に入らない人は外で待つことに。
『もう少し安けりゃ入ったのになっ』


当時「西山御殿」と呼ばれた「西山荘」は、光圀公の没後も大切に保管されてきたが、
文化十四年(1817)に焼失し、2年後の文政二年(1819)に規模を縮小して再建された。
櫟門(くぬぎもん)からは中がちょっとだけ見えるが、様子は伺えない。
質素な茅葺屋根の木造平屋建の造りで、書斎の丸窓からは築山と心字の池が眺められる、とのこと。


入口には光圀公が紀州から取り寄せ、移植した熊野杉が天を覆っている。
杉の木からしきりにキツツキが小気味よく木を突く音が響く。
音のする方角を目を凝らして探すが、枝に邪魔されて姿を見ることは出来なかった。


13時ちょうど、全員揃ったところで、佐竹寺目指して出発!


杉林の中を進む。
この小路は「歴史の里散歩道」と言うそうだ。


しばらく緩やかな上りが続く。


『西山荘から350m歩いたのねっ』


今度は下りである。


枯葉の上を歩くのは気持ちが良いが、滑って転んでしまった。


竹藪を抜けると、


隧道があった。
2009年5月1日(金)に来たことを思い出した。
この時は、佐竹寺から西山荘へ向かっていたので、今回とは逆コースだった。


旧久昌寺跡
ここも見覚えがある。
以下のように案内されている。
水戸藩二代藩主徳川光圀の生母の谷久子(靖定夫人)は、寛文元年(1661)に亡くなり、
水戸城下の日蓮宗経王寺に埋葬された。
光圀は、延宝五年(1677)の久子の十七回忌にあたって、墓を一族の墓所である瑞龍山に移すに際し、
経王寺を稲木村に移して、新たに靖定山妙法華院久昌寺と号した。
開山時には、仏殿・法堂・位牌堂・多宝塔・方丈・食堂・鐘楼・山門・浴室など巨大な寺院建築物を備え、
寺領五百石を有していた。
開山から六年後の天和三年(1683)には、僧侶の学校である「三昧堂檀林」が設けられ、
広く宗門外の学僧まで門戸を開き、盛時には、三千人もの僧が学んでいた。(以下略)


稲木町宮ヶ作集落に入ると・・・


”山の寺”があった。
ここも見覚えがある。


”山の寺”の正式な寺名は何というのだろうか?


”山の寺”には猫が多い。
この他にも数匹の猫を見た。


佐竹寺への道が分からなくなり、皆で手分けして地元の人に訊いたりして教えてもらった。
道標には、旧久昌寺・西山荘は記してあるが、逆方向の佐竹寺は記されていないのだ。


佐竹寺を目指す。
前回通ったことがあるはずなのだが、この辺りは全く記憶がない。


山寺水道の碑があった。
徳川光圀は、生母久昌院を供養するため建立した久昌寺の敷地内や周辺に生活用水を引く上水道の建設を計画。
そのひとつが山寺水道で、岩肌をくり抜いた全長約2kmのトンネル式水路を造り、天神林台地の地下水を
寺域や周辺集落の井戸に注いだ。
トンネルの底に水路として利用する幅・深さ各約30cmの溝を掘るなど、
施された様々な工夫に当時の優れた土木技術が垣間見える。(概略)


朽ちかけた鳥居は何となく見覚えがあるような・・・
(帰宅後写真集を見ると同じものがあった)


石段を上がると境内には小さな祠が祀ってあった。


天神林町の小さな集落を進む。


山寺水道の説明板に見入る。
延宝五年(1677)、徳川光圀が母久子の十七回忌にあたって久昌寺を建立した。
しかし、飲み水が不足したことから、光圀が藩の水利・土木事業にあたっていた永田勘兵衛(円水)に命じて、
天神林台地の地下水を水源として水道を開設することにした。これが山寺水道である。


稲木町・天神林町の台地の地下水を水源とし、山の神地区から全長約2kmの岩を掘ったトンネル式の水路によって、
旧久昌寺跡の井戸と宮ヶ作集落の井戸に注がれた。
このトンネルは、高さ1,6m、幅1.3m前後の不整形なかまぼこ形をしており、底に幅・深さともに30cmほどの溝が掘られ、
そこを水が流れているもので、当時の土木技術の水準の高さを伺い知ることができる。
現在でも宮ヶ作集落の人々に利用されているそうである。


水神様
山寺水道から少し進んだところに水神様という看板が立っていた。
元はこの地に塚があり如意輪観音像と水神塔が祀られていたが、水神塔は盗難にあい、
現在は如意輪観音石像のみが残されている。
ここが山寺水道の水源地の一つと見られている、そうだ。


水神様から先は急な下り坂となっている。


歩いた距離から考えると間もなく佐竹寺のはずだが、周りの景色からはそれらしき雰囲気は感じられない。
『どうも道が違ってるみたい』


ということで、いったん水神様まで引き返す。


水神様の近くに一軒の家があったので、佐竹寺への道を尋ねると、水神様前の細い道を案内された。
途中細い畦道のような小路だか、佐竹寺へ通じている、とのこと。
教えてもらった小さな小路を進む。


細い道を進むと、


前方にこんもりとした森が見えてきた。
どうやら佐竹寺のようだ。


14時1分、ようやく佐竹寺に到着した。
佐竹寺は、妙福山明音院と号する真言宗豊山派の寺院。
鎌倉時代から江戸時代にかけて常陸国を支配した佐竹氏代々の祈願所である。
大同二年(807)の開山、あるいは寛和元年(985)に花山天皇の勅願を受けて元密上人が
創建したとも云われている。


佐竹寺山門
天文十二年(1543)兵火により焼失、天文十五年(1546)佐竹氏18代佐竹嘉昭が、
佐竹城(太田城)の鬼門除けとして現在地に再建した。
佐竹寺は古くから安産・厄除けの仏様として信仰され、坂東三十三観音霊場の第二十二番札所である。
2009年3月18日(水)に訪れて以来だ。


佐竹寺本堂
本堂のあらゆるところに桃山時代の建築物の先駆ともいえる遺構が残されている、とのこと。


茅葺屋根寄棟造の本堂は明治39年(1906)に国指定重要文化財となっている。


境内には古い遺構が残っている。


七福神布袋尊像


本堂裏には、稲荷神社も祀られている。


佐竹寺でこの日の全ての訪問を終えたことになる。
後は、常陸太田駅へ向かうだけである。
常陸太田駅の方向を確認し、


14時16分、常陸太田駅を目指す。


県道61号を常陸太田駅へ向かう。


14時29分、稲木バス停を通過


県道61号を常陸太田駅へ。


左手に山吹運動公園を眺めながら、


源氏川を渡る。


常陸太田市の市街地に入った。


国土交通省交差点を右折し、スーパー「かわねや」前を通過すると、


常陸太田駅は近い。


14時50分、常陸太田駅に到着した。
佐竹寺から20分足らずというかなり早いペースだったので喉が渇いた。


ということで、駅前のカワチへ直行したのはいつものメンバーである。


『歩いた跡の一杯はほんと止められないねぇ』


入ってきた列車は、折り返し15時14分発の水戸行になる。


『今日はとっても楽しかったわよっ』
この一言が何とも嬉しい。


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


2009年5月1日以来2度目の常陸太田市内散策だった。
前回とは逆コースで、若宮八幡宮も初めてだったこともあり、けっこう楽しめた。

急遽予定していたコースを変更して佐竹寺を目指したが、途中で道が分からなくなり
皆で手分けして道を探したりしたのも印象に残る。
苦労して佐竹寺に到着した時の喜びは、いつもより大きかったように思う。

この日の万歩計は、18,000歩を少し超えていた。

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