2009年3月18日(水)
23番札所「佐白観音」に続き、萱葺き屋根の本堂 22番札所「佐竹観音」をお参りした。
22番札所「佐竹観音」の山門。道路の直ぐ横にひっそりと佇んでいる。
色あせているが、力強い山門の仁王像。
山門は昭和15年(1940年)の再建だが、安置されている仁王像は宝永年間の作とされている。
境内から山門を臨む。静けさが漂う。
佐竹観音の本堂は萱葺き屋根だ。
寺院には珍しく北に向いて建てられているため、別称「北向観音」と言われている。
本堂・観音堂は、正面中央の火頭窓や柱や組物など桃山時代建築の先駆けとして需要文化財・国宝に指定されている。
本堂拝殿のいたるところに参社札が貼られており、歴史を感じさせる。
江戸時代は坂東三十三観音霊場の二十二番札所としての賑わいがあったが、明治に入っての廃仏毀釈より荒廃し、昭和24年(1949年)まで無住の寺であったそうだ。
今は、高齢のお婆さんが納経してくれているが、この先どうなるのだろうと少し気になった。
”2009坂東33観音霊場巡りの目次”
23番札所「佐白観音」に続き、萱葺き屋根の本堂 22番札所「佐竹観音」をお参りした。
22番札所「佐竹観音」の山門。道路の直ぐ横にひっそりと佇んでいる。
色あせているが、力強い山門の仁王像。
山門は昭和15年(1940年)の再建だが、安置されている仁王像は宝永年間の作とされている。
境内から山門を臨む。静けさが漂う。
佐竹観音の本堂は萱葺き屋根だ。
寺院には珍しく北に向いて建てられているため、別称「北向観音」と言われている。
本堂・観音堂は、正面中央の火頭窓や柱や組物など桃山時代建築の先駆けとして需要文化財・国宝に指定されている。
本堂拝殿のいたるところに参社札が貼られており、歴史を感じさせる。
江戸時代は坂東三十三観音霊場の二十二番札所としての賑わいがあったが、明治に入っての廃仏毀釈より荒廃し、昭和24年(1949年)まで無住の寺であったそうだ。
今は、高齢のお婆さんが納経してくれているが、この先どうなるのだろうと少し気になった。
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