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ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

思わぬ事故渋滞に呆然 城下町小幡の歴史をたどる

2024年10月19日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
令和6年(2024年)10月19日(土)

原則隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和6年度(2024年度)第9回、令和6年(2024年)第14回「城下町小幡の歴史をたどる(甘楽町)
ウォーキングに参加した。

「城下町小幡の歴史をたどる」を最初に企画したのは、2020年(令和2年)3月27日(金)
だったが、この時はコロナ禍で中止となった。
その次は昨2023年(令和5年)6月2日(金)だったが、あいにくの雨で中止となり、
今年こそはと初企画から5年目、3度目の企画でようやく実施の運びとなった次第である。

この日の最初の出発地は、7時00分に土浦市民会館、ここ土浦市三中地区公民館は
7時20分の出発としている。
7時前から三中地区公民館から乗車する会員の皆さんが集まって来た。
集合時刻前にはきっちりと集まってくれるのは嬉しい。その数13名。
『今日の現地の天気はまあまあのようだねっ』
『15時頃から雨という予報になってるけど、その頃はもう帰りのバスに乗ってるでしょうから
問題ないわよねっ』


7時21分、土浦市民会館を出発した城南交通のバスがやって来た。
三中公民館の裏の道を入って来るバス運転手のレベルにはいつも感心させられる。
『よくあそこを曲がって来れるもんだよなぁ』


土浦市民会館からは9名が乗り込んでいる。
三中公民館からの13名がバスに乗り込んで、この日の参加者は合計22名となった。


車内の状況(1)


車内の状況(2)


車内の状況(3)


座席には朝食(コンビニ)のおにぎり弁当が配られていた。
全員が指定の席に着席したことで、7時30分、甘楽町小幡を目指して出発!


経路を誤って進んだため少し遅くなったが、7時44分、圏央道つくば牛久ICを通過し、


圏央道を九喜白岡方面へ。


8時23分、九喜白岡JCTを過ぎ鶴ヶ島方面へ。


8時29分、最初の休憩地である菖蒲PAに到着。


ここで10分の休憩を取り、


再び圏央道に戻って少し走ると、関越道鶴ヶ島→東松山間が”事故通行止”の表示が。


運転手さんは、”事故で通行止め”は、かなりの渋滞が予想されるため、関越道鶴ヶ島JCTの
かなり手前の圏央道川島ICで降りて、国道254号で関越道の東松山ICを目指すのが良いだろう
とのこと。ここは全面的に経験豊富な運転手さんの判断に任せることにした。
8時51分、圏央道川島IC出口を降りた。


川島ICを降りると、料金所へは既に長い車の列が続いていた。


8時58分、ようやく川島ICの料金所を通過出来た。
高速を降りて料金所を通過するのに7分間かかった。普通であれば30秒もかからない距離だ。


国道254号は、相当混雑していた。
『これって、みんな東松山ICへ向ってるのかしらっ?』
『考えることはみんな同じなんだねっ』


『さっきから殆ど動いてないよねっ』


9時25分、東松山市に入った。
川島ICを降りて25分近くになるが、2Kmほどしか走っていない状態である。
運転手さんによると、関越道の東松山ICまではあと5-6Kmはありそうとのこと。


スマホのニュース情報によると、この日の関越道の事故は、
 「NEXCO東日本によると、19日午前4時55分ごろ、関越道下り線の鶴ヶ島IC→東松山IC間で、
車3台が関係する事故が発生。同7時45分現在、同区間が通行止めとなっている。
埼玉県警高速道路交通警察隊によると、大型トレーラーが、タイヤがバーストして中央分離帯
に衝突。そのトレーラーに後続のトラックが追突したという。トラックの60代とみられる男性運転手が死亡した。」

渋滞の車の列は遅々として進まない。


10時26分、道路標識に高速道路を示す緑色の関越道の文字が見えて来た。
関越道が少しだけ近づいているということだが・・・


11時15分、緑色の「関越道東松山IC」の文字が見えて来た。
407号バイパスまで300mの地点ということは、東松山ICまではあと5Kmほどと思われる。


11時33分、407号バイパスの交差点手前に差し掛かった。


407号バイパスを通過した辺りで、後部座席の数名が尿意をもよおして来たようだと。
運転手さんとどこか適当な場所はないだろうかと相談していたら、運転手さんが前方右手に
「VIVA HOME」という看板を見つけた。
運転手さんによると、「VIVA HOME」は、大きなスーパーのようなホームセンターで、
駐車場も大きく、トイレも備わっている、とのこと。
近くにコンビニが一つあるようだが、人数も人数なので、「VIVA HOME」へ向かって
もらうことに。


東松山駅近くの狭い道路を「VIVA HOME」へと向かった。


12時6分、「VIVA HOME」に到着した。
『これで何とかなる~っ 助かったぁ~』
自分も同じ気持ちである。


皆さん、一斉にトイレに向かった。


『こっちに案内標識があるよっ』


12時17分、ほぼ全員が無事にトイレを済ませ、車に戻って来た。


「VIVA HOME」から国道254号へ戻り、関越道東松山ICへ乗るルートも運転手さんが
最適な近道を探してくれた。
東松山市内を少し走って出た国道254号の交差点は、直ぐ隣が関越道の東松山ICだった。
ほんとに頼りになる運転手さんである。


12時43分、関越道東松山IC料金所を通過。
上里SAで待ってくれている弁当屋さんに東松山ICを通過したことを運転手さんに代わって
連絡した。
運転手さんによると、あと30分くらいで上里PAに到着することになりそうとのこと。


東松山IC料金所通過し、新潟・長野方面へ。


関越道を走る。
関越道下り方面は、やや混んではいたが、快調に走ることが出来た。
今までの国道254号の大渋滞が嘘のように感じられた。


13時14分、上里SAまで500m地点を通過。


13時16分、上里SAで昼食弁当を受け取った。
弁当屋さんは、9時30分頃には既に到着していたようなので、3時間半ほど待たせて
しまったことになる。


全員に弁当を配り、道の駅「甘楽」に到着するまでに食べることにした。
城南交通社の当初案では、道の駅「甘楽」の到着時刻は10時30分だったので、3時間ほど
遅れており、時間を有効に使うために車内で食べることにしたのである。
弁当タイム(1)


弁当タイム(2)


弁当タイム(3)


弁当タイム(4)


弁当タイム(5)


この日の弁当は高崎名物の”だるま弁当”だ。
真っ赤なだるまの形をしたプラスチック製の赤い容器となっている。


中身は、茶飯・山菜きのこ煮・穂先竹の子煮・椎茸煮・コールドチキン・鶏八幡巻・花豆煮
黒こんにゃく・赤こんにゃく・栗・山くらげ・小ナス漬け・山ごぼうとなっている。
お腹が空いて来ていたのもあるが、とても美味しかった。


バスは藤岡JCTから上信越道へと分岐して、13時31分、甘楽PAを通過。
小さな雨つぶがフロントガラスを濡らし始めて来た。


13時36分、富岡ICを降りて、


甘楽町を走ること約6分、前方に道の駅「甘楽」が見えて来た。


13時44分、この日のウォーキングのスタート&ゴールとなる道の駅「甘楽」に到着した。
今からでは予定のコースは回りきれないと判断し、見学箇所を限定して回ることにした。


13時51分、城下町小幡の歴史をたどるウォーキングのスタートである。
TK会長を先頭に道の駅「甘楽」を出発して、最初の目的地である楽山園を目指した。
楽山園は外せない。


雄川に沿った”せせらぎの路”を進む。


小幡地区の案内図で道を確認しながら進む。


しばらくは雄川に沿った”せせらぎの路”を進む。


先頭を行く2名は会計担当のNZ子さんとIW子さんである。
楽山園の入場券を買ったりするために先行しているのだ。
少しでも時間を稼ぎたいという気持ちの表れである。


”国指定 名勝楽山園 入口”の案内標識があった。


案内標識に従って進み、


楽山園の北裏門(出口専用)前を通過して右へ曲がると・・・


前方に名勝楽山園の入口らしき建物が目に入った。


14時4分、名勝楽山園入口に到着した。
先に到着した会計担当から入場券とパンフレットが渡された。
入園料は通常は300円だが、20名以上の団体は割引で250円となる。


中門を入ると・・・


庭門の前には御殿跡の広い空間になっていた。


楽山園の庭門を潜ると・・・


目の前にいきなり池が現れた。この池は昆明池と言うらしい。
後方に小さな腰掛茶屋(四阿)が見える。


腰掛茶屋をバックに記念撮影を済ませた。


腰掛茶屋
全国でも珍しい五角形の形をしている四阿だ。


腰掛茶屋から昆明池を観たところ。
楽山園は、江戸時代初期に織田氏によって造られた小幡藩邸の庭園である。
池泉回遊式の借景庭園で、「戦国武将庭園」から「大名庭園」へと移行する
過渡期の庭園と位置付けられ、京都の桂離宮と同じ特色があるとのこと。
群馬県内唯一の大名庭園だそうだ。
池泉回遊式の借景庭園:池の周りに築山や茶屋を配するとともに、周辺の山々を
借景に持つ庭園。
取水は雄川堰一番口から小堰をめぐり、江戸時代と変わらぬ流路で昆明池に流れ込む。


腰掛茶屋より一段高い所に建っているのは、庭園全景が見渡せる梅の茶屋である。
屋根が茅葺、庇がコケラ葺きの建物となっている。


梅の茶屋の内部
藩主が休憩したり、庭園の景色を楽しんだと言われている。
皆さん、藩主になった気分かな??


梅の茶屋から昆明池を望む。


昆明池には見事な色合いの緋鯉の姿が観られた。(その1)


(その2)


『たくさんの鯉がいるのね~っ』


熊井戸氏の館跡
以下のように説明されていた。
名勝楽山園は、江戸時代初期に織田氏によって陣屋藩邸・庭園が造営されています。
それ以前は小幡氏の重鎮だった熊井戸対馬守正満の屋敷があり、この屋敷跡等を利用して、
小幡藩が造られたと『上野国誌』に記述されています。
小幡氏は甘楽の地を本拠とする豪族です。この地は古くは小幡氏が居住していたとも云われ、
中世の大城郭の国峯城(直線距離で園の南東約2Km)が完成すると居を転じています。
そしてここに熊井戸氏が屋敷を構えました。おそらく小幡氏の命によるものと思われます。
(以下略)


熊井戸氏跡の古井戸を覗き込む皆さん。


南東側の庭園の説明板から南東側の庭園を望む。


南東側の庭園には睡蓮の花が咲いていた。


昆明池を左手に観ながら・・・


庭門へ向かう。


十九軒長屋(1)
藩邸の使用人たちが暮らしていた。


十九軒長屋(2)
現在は、事務所と展示スペースがあり、楽山園の紹介や出土品などが展示されている。


十九軒長屋(3)
大型スクリーンで城下町小幡の映像も上映されている。


楽山園の中門を出ると、正面に織田氏七代の藩主の幟が並んでいた。
一番手前は小幡藩織田家 初代藩主 織田信勝、信良-信昌-信久-信就-信右-信富の
歴代順に並んでいる。


楽山園の次は、旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷に向かうことにした。
楽山園の中門前の広い道を進むと、


旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷の案内標識があった。


14時47分、旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷に到着した。


旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷
主屋は、木造平屋建て寄棟造りの茅葺である。


皆さんが覗き込んでいるのは?


資料によると土間となっているが・・・
入口の柱の所に小さな文字で”玄関”と書かれた札が貼られていた。
『ここを玄関として使っていたのかしらっ?』


土間(玄関約10畳)から板の間(約10畳)を見たところ。
『ここはどう見ても土間だよねっ』


奥の間(左側10畳)と中の間(右側10畳)


座敷(8畳)


庭園(以下パンフレットより)
庭園は主屋の南側に位置し、段差のある敷地を巧みに利用しています。
藩政時代より小幡の町中を流れる雄川堰から導水し池を作り、築山・庭石や植栽により
作庭しています。
庭園の背景として、南に遠望される山々が借景を構成し、庭園美の極みと言えます、とある。
(以下略)


屋敷の外から見える庭園の古木の松が見事だ。


14時59分、旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷を後にして、小幡郵便局の所を左に曲がり、


道なりに進んだのだが・・・


自分の進んでいる方角が解らなくなり、近くの地元の人にいろいろと訊ねたものの、
中小路よりも織田宗家七代の墓を奨められ、織田宗家七代の墓を目指すことにした。
県道46号を数百m進んで行くと、左側に消防分団の消防小屋があり、


消防小屋の向い側に織田公公園と書かれた標識があった。
ここを左に曲がれば織田氏七代の墓を祀っている小幡山 崇福寺に行きつくことになるのだ。


この後バスが待っている道の駅「甘楽」まで戻るのは時間の関係上かなり大変と思われたので、
皆さんが七代の墓をお参りしている間に、運転手さんに迎えに来てもらえないか電話した。
運転手さんは快諾してくれた。

緩やかな坂道を上って行くと、織田氏七代の墓が並んでいた。


向かって右側から小幡藩織田家 初代藩主 織田信勝(のぶかつ)ー信良(のぶよし)ー信昌(のぶまさ
ー信久(のぶひさ)ー信就(のぶなり)ー信右(のぶすけ)ー信富(のぶとみ)の歴代順に並んでいる。
大名家の墓所らしい風格を見せている。(初代藩主信勝以外の写真は割愛する)


織田氏七代の墓から公園全体を望む。


こちらが実際の景色


織田氏七代の墓地まで迎えに来てくれたバスに乗り込み、会計担当者の集金に応じた。
数分後、会計担当さんから、『徴収された料金は、予算どおりだった』と報告があった。
『会計さんっ、ご苦労様でしたっ』


15時46分、織田宗家七代の墓を後にして、帰路に就いた。
『途中で雨に降られるかもと心配したけど、何とか持ったわねっ』


後部座席で恒例の”お疲れさんの会”が始まった。
自分もそのうち後部座席へ移動することにしよう。


16時6分、関越道の藤岡ICに隣接する道の駅「ららん藤岡」で小休止。
運転手さんの提案で、土産物を買ったりする時間を入れて通常より5分余計に休憩時間を
採ることにしたとのこと。
こういった心遣いが何とも嬉しい限りである。


道の駅「ららん藤岡」
かなり薄暗くなって来たため、ライトアップの照明灯が点燈し始めた。


皆さん、手に手に土産物を持ってバスに戻って来た。


16時31分、藤岡JCTまで1Kmの地点を通過。


後の席からTK会長たちが呼んでいる。


誘われるままに後部座席に行くと、NGさんが道の駅「ららん藤岡」で買ったお酒
(妙義山)が振舞われ、遠慮なくいただいた。
この日のお酒は何時になく美味しかった。
自分も持参したワインをカップに注いで皆さんに回した。
備え付けの冷蔵庫に入れていたので、冷たくて美味かった。


17時45分、最後の休憩地である圏央道 菖蒲PAに到着。
外は真っ暗になっている。


後部座席は大いに盛り上がっていた。


バスはしばらく圏央道を走り、18時40分頃、つくば牛久ICを通過し、三中公民館へ。


18時54分、バスは無事に三中公民館に到着した。
予定では17時40分頃に到着としていたので、1時間15分ほど遅く着いたということになる。
土浦市民会館から乗車した皆さんとはここでお分かれである。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『また次回の例会でお会いしましょうっ』


この日は、当初企画してから6年目、3度目にしてようやく”城下町小幡の歴史をたどる”を
実施したが、全くの想定外の事故渋滞に会い、3時間半遅れて出発地に到着するという
大ハプニングに見舞われた。
最初の目的地に3時間半近くも遅れたことから、予定していたコースは歩けず、途中で
一時道に迷ったこともあり、行ける所だけに行こう、という半ば行き当たりばったりの
ウォーキングとなった。
楽山園、旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷、織田氏宗家七代の墓を巡ったが、城下町小幡藩の
織田氏ゆかりの地を回れたことで、思わぬ事故渋滞に呆然となりつつも、記憶に残る
1日となった。
これは、いつも利用している城南交通社のバス運転手さんの協力があったからこそ、
と感謝している。
この運転手さんの協力がなかったら、城下町小幡の6年振り3度目の企画を諦めて、
途中で引き返していたかも知れない。
『運転手さん、ありがとうございました』

この日の万歩計は、9,500歩を計測していた。

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