ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

突然の行き止まりに『???』 石岡舟塚山古墳周辺

2023年02月03日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
令和5(2023)年2月3日(金)

隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和4年度(2022年度)第18回、令和5年(2023年)第3回、「石岡舟塚山古墳周辺
ウォーキングに参加した。

この日のコースは、最初に歩いたのが2009年6月26日、2回目が2010年5月7日、3回目が2014年6月13日
今回は8年半ぶり4回目となる。

1週間ほど前にスタート地点の舟塚山古墳の駐車場に立ち寄ったという会員の方から、
”駐車場が小さくて狭い”、また”駐車場にはバイオトイレが1つあるだけなのが気になる”
という貴重な情報を得た。
そこで、参加する場合は出来るだけ相乗りで、またトイレの問題がある、ということを
4日前の1月30日に、連絡網で事前周知を図ったという次第だが・・・
果たしてその効果は?

第一集合場所の乙戸沼公園
水位がやや下がっているよう感じる。


この日の参加者12名ほどが集まった。


車5台に分乗して出発地点の舟塚山古墳の駐車場に行ってみると・・・
駐車場はほぼ満車状態となっていた。(当会会員以外の車は2台ほど)
予想最高気温が5℃というこの日の参加者は、試し参加1名を入れて28名という盛況となった。
この程度の寒さには”負けてられない”ということなのだろう。


『聞いてたけどやっぱりちょっと狭いわよねっ』


『もうちょっと詰めれば何とかなるんじゃないかなぁ』の声も。
ただ、あまり無理をすると今度は出るときに苦労することが予想されるため、2台だけ
近くの自動販売機前の駐車スペースに停めさせてもらうことにして、事なきを得た。
事前の連絡網周知がなければ、もっと多くの車が駐車場に入れなくなっていたと思われる。


駐車場の最奥にはバイオトイレが1つ設置されていた。
バイオトイレでもあれば使いたくなるものだ。
駐車スペースの微調整などの間に何名かが利用していたようだ。
バイオトイレにしては、比較的新しく快適だったとのこと。


駐車場の半分を使って準備体操(1)
進んで号令を掛けてくれたのはNGさんである。


準備体操(2)


準備体操(3)


準備体操(4)


準備体操(5)


10時2分、先ずは府中愛宕山古墳を目指して出発!


駐車場前の県道118号を横断し、府中愛宕山古墳へ。


大塚商会の脇の小さな径を進んで行くと・・・


墳丘への上り口に”県指定史跡 府中愛宕山古墳”の説明板があった。
以下のように説明されている。
府中愛宕山古墳は、舟塚山古墳の北東約300mに位置する前方後円墳である。
霞ヶ浦に舟を乗り出す形なので"出舟”と云われ、舟塚山古墳は"入舟”と呼ばれる。
明治三十年東京大学の坪井正五郎が発掘調査し、無紋素焼の壺7個を発見したと云われる。
昭和五十四年の周溝確認発掘調査により、全長96.6m、後円部径57m、前方部幅57m、
後円部高8.5m、前方部高7.5mの規模を持つことが明らかにされた。
その墳形は応神天皇陵(大阪府)に類似している。
かつて、墳丘から形象埴輪が出土したと云われるが、詳細については不明である。
この古墳は、舟塚山古墳群の中でも規模が大きく、築造年代は六世紀初め頃に位置づけられる。
平成26年3月 石岡市教育委員会


墳頂へ上ってみる。


幅57m、高さ7.5mの前方部
”出舟”の部分にあたる所だ。


前方部から観た径57m、高さ8.5mの後円部
『後円部の方がちょっとだけ高いんだねっ』
墳頂の中央部は大木に覆われていて、墳頂部は見えない。


府中愛宕山古墳を下り、


府中愛宕山古墳の説明板をもう一度読み直して・・・


県道118号を横断し、


史蹟 舟塚山古墳へ。
『こっちは国指定史蹟なんだよねっ』


舟塚山古墳を目指す。


右手に筑波山が見えた。
『この方角からの筑波山は初めてっ』の声が・・・
『意外とかっこ良いわねっ』


前方にこんもりとした林が見えて来た。
左側に鳥居が見える。
『あそこが舟塚山古墳の入口のようだねっ』


小径を進んで行くと・・・


舟塚山古墳の麓に鳥居があった。
鹿島神社である。


鳥居の少し左側に舟塚山古墳の説明板があった。
以下のように説明されている。
舟塚山古墳は、前方部を西側に向け主軸を北側から80度東側に向けている前方後円墳である。
墳丘の長さ186m、前方部幅100m、後円部径90m、前方部高10m、後円部高11mの規模を誇り、
県内最大で、東日本でも第二位の大きさである。
このことから、埋葬者はこの地方を治めていた有力な豪族であったと推定される。
昭和四十七年の周溝確認発掘調査では、円筒埴輪が出土していることから、およそ五世紀前半に
築造された古墳と推定されている。
また、陪冢(ばいしょう)と考えられる円墳(17号墳)からは短甲、直刀、盾などの副葬品が
多数出土している。
平成27年3月 石岡市教育委員会


舟塚山古墳麓の鳥居を潜り、


鹿島神社に安全を祈願して、


10時18分、舟塚山古墳後円部に到着した。
後円部から一段低くなった前方部方面を望んだところ。


右手に筑波山が見える。


前方部への途中・・・


前方部をバックに記念写真を撮ることにした。
皆さん、良い笑顔をしてますね。


『東日本で第二位の大きさということは、一位はどこなんだろうなっ?』
東日本で最大の古墳は群馬県太田市の天神山古墳で墳丘長は210m、とのこと。
因みに日本で最大の古墳は大仙古墳(仁徳天皇陵)で墳丘長は486mもあるそうだ。


10時26分、舟塚山古墳の急斜面を下って・・・


恋瀬川を目指した。


緩い坂道を下って行くと・・・


北根本集落の道路に出た。


道路を右に曲がって恋瀬川に架かる平和橋へ。


200mほど先を左に曲がると県道221号の立派な道路があった。


最後尾Gとの間隔が少しづつ開いて来た。
先頭Gのペースをやや落としてもらってもう少しこのまま進もう。


恋瀬川に架かる平和橋を渡る。
『平和橋って名前がロマンチックだよねっ』


恋瀬川の手前右側の堤防は「恋瀬川サイクリングコース」となっており、
石岡市八郷総合庁舎近くの石岡市中央公民館へと続いている。


恋瀬川を渡る。
『この辺はけっこう川幅が広いんだねっ』


平和橋から筑波山を望む。
『ここからはほんとに恰好良く観えるね~っ』


平和橋を渡り切ると、直ぐ左の堤防に「恋瀬川サイクリングコース」が続いていた。


霞ヶ浦に一番近い愛嬌橋辺りが終点(起点)のように見えるが、案内板がかなり古くなっており
細部はよく分からない。
サイクリングをしている人の姿は見かけなかったが、時期的なものなのだろうか。


最後尾Gが追い着くまでしばし休憩にして水分でも補給しよう。


最後尾Gが追い着き、
10時48分、「恋瀬川サイクリングコース」終点(起点)の愛嬌橋目指して進む。


恋瀬川堤防を進む。
前方に見えるのは三村水門のようだ。


右手には蓮根の畑が広がっている。


常磐線特急が通過するのが見えた。
常磐線の鉄橋はもう直ぐだ。


気温は低いが風が弱いので、皆さん気持ち良さそう。
足取りは軽そうだ。


皆さんも堤防から下りて来て、


10時59分、三村水門を通過


三村水門を通過して常磐線方面へ。


恋瀬川サイクリングコースを進む。


恋瀬川サイクリングコースの標識に従って進む。


常磐線の鉄橋を潜り、


恋瀬川の堤防を進む。


『愛嬌橋はもう直ぐよねっ』


愛嬌橋らしき橋が見えて来た。


何と、恋瀬川サイクリングコースが行き止まりになっている!!
ここまでの途中に順路や迂回を促すような案内標識など見ていないし、見落としたということは
ないと思うのだが・・・
この先へはどこを進めばいいのだろう?
『どうなってんのっ???』という感じである。


愛嬌橋に架かっているのは旧い歩行者通路の橋のようにも見えるが・・・


引き返すのも何なので、思い切って(旧歩行者通路?)橋の下を潜って進むと、何とか
反対側(愛嬌橋)に出ることが出来た。


左側の歩行者通路は工事中?で通行禁止になっていたため、車道の縁を歩いて恋瀬川を渡る。


8年半前の2014年6月13日には歩行者通路がありそこを通ることが出来たのだが・・・
『歩行者通路はまだ工事中なのかしらっ?』


『何時になったら通ることができるのでしょうかねぇ?』


車に注意しながら愛嬌橋を渡り切ると左側にはコンビニらしき店が。
”年中無休24H営業中”の表示があることからコンビニ? と思われるが・・・
以前あった”セブンイレブン”ではなく、”TOA mart(トーアマート)”という店に変わっていた。
初めて聞く名前である。
ネットで調べてみたら、問屋を介さずメーカー直接仕入れを実現させ、半額専門をコンセプトとした「半額専門店」、とあった。


高浜神社の鳥居は、”TOA mart”の先の左側にあった。


高浜神社本殿
苔が生えた萱葺きの屋根が、8年半前と変わらぬ感動を与えてくれた。


高浜神社
案内板には次のように紹介されていた。
口碑(こうひ)によると、高浜の地は古代には国府の外港として栄えた。
国司は都から着任すると、当国内の大社に報告のため順拝し、また奉幣祈願をするのが習わしであった。
国司が鹿島神社に参拝するには、高浜から船で行くのが順路であったが、荒天で出航不能のときは、
高浜のなぎさにススキ・マコモ・ヨシなどの青草で刈屋(青屋)を作り、遙拝したと云われる。
現在は、本殿・拝殿・石鳥居などがあるが、この社殿は後世に建てられたものであろう。
昭和六十年一月  石岡市教育委員会 石岡市文化財保護審議会


高浜神社の拝殿に参拝


境内にはスダジイの古木も。


静かな境内で一休み。


恒例のお茶タイム
主に女性陣から振舞われるお菓子が嬉しいし、楽しみでもある。


11時38分、高浜神社を後にして、ゴールの舟塚山古墳駐車場を目指す。


県道118号を舟塚山古墳駐車場へ。


常磐線の踏切に差し掛かったその時、


ちょうどL特急が通過するところだった。


左手に高浜駅が見える。


踏切を渡り、


県道118号を舟塚山古墳駐車場へ。


高浜神社から凡そ20分後の11時57分、ゴールの舟塚山古墳駐車場に到着した。


次回(2月17日)のコース案内の後、TK会長から労いの挨拶があり、この日はここで
解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


8年半振りの石岡舟塚山古墳周辺ウォーキングが無事終わった。
(我々の)ゴールまであと少しという愛嬌橋まで進んだところで、恋瀬川サイクリングコースが
行き止まりになっていたのには正直驚いた。
愛嬌橋が恋瀬川サイクリングコースの起点(終点)と紹介されているので、何らかの標識が
あっても良いと思うが、何の標識もなかったのを見るとどこが起点(終点)だったのだろう?
(もしかしたら、うっかり見落としていたのかもしれない)
また、8年半前には完成間近だった(と思われる)愛嬌橋の歩行者通路が未だに完成していない
ということはあまりにも時間がかかり過ぎではないだろうか?
一日も早い愛嬌橋の完成を期待したい。

この日の万歩計は、9,500歩を計測していた。

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コメント
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