ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

引込線を常磐線と勘違い 旧水戸街道と戸定邸(松戸)

2018年10月05日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2018年10月5日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第18回(2018年第28回)、「旧水戸街道と戸定邸」を巡るウォーキングに参加した。

今回の例会は、当初は東京都港湾局が運航する視察船”新東京丸に乗って東京湾を視察する”
という企画だった。
2ヶ月前の申込み日(8月1日)午前9時から何度も電話したが繋がらず、20分後にようやく
繋がった時には、10月5日は既に満席状態となり、断念せざるを得なかったのである。
代替案として企画したのが、この日の「旧水戸街道と戸定邸」という次第。

荒川沖駅で8時19分発の常磐線上り電車を待つ。


”新東京丸に乗って東京湾を視察する”では希望者は30名を超えていたのだが・・・
この日の参加者は21名となった。
”千葉地方は午前中は雨模様”の天気予報が災いしたようだ。
電車は定刻どおり9時4分に松戸駅に到着
『あらぁ 久しぶり~っ』
『元気だった~ぁ?』
夏休み明け後、初めての参加という人も何人かいた。


松戸駅西口改札口を通り抜け、


松戸駅西口に出てみると霧のような雨が。
傘を差さないでという訳にはいかない感じだ。


9時23分、TKさんを先頭に松戸駅西口を出発!


松戸駅西口正面の道(県道38号)へ進み、


江戸川方面を目指す。


松戸市民劇場前を通過して、


旧水戸街道(流山街道)の松戸宿を進む。
旧水戸街道は、江戸と水戸を結ぶ脇往還で、松戸はその宿場だった。
江戸幕府の天領(直轄地)でもあった松戸宿は、舟運の中継地として栄えた。
江戸時代、銚子方面で採れた鮮魚は陸路で松戸に運ばれた後に、舟で江戸川を下り、
江戸に届けられた。


道路反対側に松戸探検隊ひみつ堂(観光案内所)を見ながら進み、
信号を右折して小さな路地のような通りを進む。


新坂川に突き当たったが、向こう岸に渡る橋は、新坂川の少し上流だった。
新坂川に沿って少し戻ることに。
旧水戸街道を右折する際に信号を一つ行き過ぎてしまっていたためだ。


新坂川
お世辞にもきれいとは言えない流れである。


新坂川に架かる堂の口橋を渡ると・・・


江戸川の土手に出た。


右側に江戸川の流れを眺めながら、川下へ進む。


この辺りに船問屋の歴代当主「青木源内」にちなむ木橋「源内橋」があるとのことだったが・・・
それらしき木橋や案内表示は見当たらなかった。


雨も降っていることだし、先へ進もう。


少し進むと戸定邸への案内表示があった。


本来はもう少し川下から北上するルートだったが、案内表示に従う形で、
ここから戸定邸方面を目指すことにした。
土手を下り、


江戸川の土手を後にした。


旧水戸街道を横断し、坂川に架かる橋を渡った所に松戸神社があった。


御手洗で手を洗い清め、


松戸神社にお参りだ。
松戸の総鎮守である松戸神社は、嘉永三年(1626)創建と伝わる。
ご祭神の日本武尊が東征の折、従者と待ち合わせた地に祠を建てたのが始まりという。


松戸神社の境内には、秋葉神社も祀られている。


境内には、立派な神楽殿も建つ。


御神水(龍神水)
神域より汲み出した清らかな御神水です。
謹んで御神徳をおうけ下さい、とある。


10時10分、松戸神社を後にして、


常磐線方面へ。


車は直進のまま常磐線の線路下を通れるようになっているが、人は通れない。


常磐線の線路脇に通行人用のトンネル入口があった。


トンネルを潜り、常磐線下を反対側へ。


常磐線の線路を潜って進むと、戸定歴史館の案内標識が。


10時3分、戸定が丘歴史公園に到着。
この頃には雨は止んで、傘なしでも歩くことができるようになった。
『雨が止んで良かったよねっ』


緩やかな「戸定みその坂」を上って行くと・・・


10時6分、戸定邸の門前に到着。
まだ時間が早いので、この先の浅間神社へお参りしてから見学することにした。


いったん戸定邸を後にして、門前を進み、浅間神社方面へ。


坂道の右手に常磐線の線路が見えた。


常磐線線路に沿って進む。


常磐線快速列車がゆっくりと走って行く。
『随分ゆっくりと走ってるわねぇ』
『何か事故でもあって遅れてるのかしら?』
(実はこのとき、車両基地の引込線の線路だということを知らなかった)


国道6号のトンネル手前を左に曲がり、
(よく考えれば常磐線が国道6号を潜る筈はないのだ)


国道6号に沿って進み、浅間神社を目指した。


地図からすると、そろそろ左手に浅間神社が見えて来ても良さそうなのだが・・・
先頭を歩いていた仲間が近くの人に道を訊ねると、浅間神社は引込線の線路を潜った先
ということを教えてもらった、とのこと。
(この時初めて今まで常磐線だとばかり思っていた線路が、実は車両基地の引込線だった
ということを知った次第)


常磐線だと思っていた線路まで戻ると、引込線脇にトンネル入口があった。


トンネルを抜けて右方面に進むと、


右手に浅間下こどもの遊び場という小さな公園があった。
『浅間下って 浅間神社が近いのかなっ?』


浅間下こどもの遊び場の先に池があった。
どうやら浅間神社の池らしい。


『浅間神社だよっ』


10時30分、道を間違えて右往左往したが、何とか無事に浅間神社に到着した。


『無事目的地に着けて良かったわね~っ』


一息入れた後、長い石段を上る。


石段の先に浅間神社の拝殿があった。


浅間神社に参拝を済ませることができてひと安堵だ。


浅間神社に参拝後、同じ石段を下り、


10時46分、戸定邸へ向かうことにした。
近道があるようだが、来た時と同じ道を戻ることにした。
『こっちの方が確実だよねっ』


引込線脇のトンネル入口から引込線方面を見ると、「松戸車両センター」と書かれた
看板が見えた。
これでようやく納得出来た。


引込線脇のトンネル入口を入り、


来た時とは逆に左に引込線の線路を見ながら戸定邸を目指した。


常磐線と引込線の分岐点(中間地)へ通じる高架橋だ。
『浅間神社へ行くには、この高架橋を渡らなければならなかったんだねっ』
『来るときは全然気がつかなかったよっ』


『ややこしいルートなんだねっ』


戸定邸へ向かう。


10時58分、戸定邸に到着した。
旧徳川家松戸戸定邸は、水戸徳川家の第11代藩主の徳川昭武(あきたけ)(1853~1910)が、
江戸川を臨む台地上に建てた住宅である。
徳川昭武は、水戸藩主斉昭の18男で、徳川15代将軍徳川慶喜の弟になる。


石段を上り、茅葺きの門を潜って戸定邸へ。
戸定邸の「戸定」とは地名に由来する名で、竣工は明治17年(1884)4月、とのこと。


戸定邸入口に到着
入園料は通常250円のところ、20名以上の団体割引で200円である。
ボランティアガイドの申し出があったので、お願いした。


表座敷棟
戸定邸の中心となる建物で、南側と西側が庭園に包まれ、皇室や華族家の大切なお客様を
迎える部屋と徳川昭武が暮す部屋(居間)がある。
(現地説明板)


表座敷棟
最上等の杉材とそれを活かす高い大工技術は、気品ある雰囲気を醸し出し、
華美な装飾を排して簡潔にまとめられた空間は、庭園との一体感をもたらしている。
(現地説明板)


徳川昭武が求めたくつろぎの空間がここに表現されている。
(現地説明板)


ボランティアガイドの方の説明に耳を傾ける。


こちらのレベルに合せて優しく説明してくれる心遣いが嬉しい。


表座敷の欄間
葵の紋が透かし彫りされている。


表座敷西側の窓から見た風景
この日は曇っていて全く見えなかったが、


2008年以前はこの写真のように富士山がはっきりと見えたそうだ。
富士山が見えるのは、寒い時期の午前11時頃までとのこと。


表座敷から見た庭園
後で庭に下りてみることにした。


中座敷棟(1)


中座敷棟(2)


中座敷棟の中庭


奥座敷棟の欄間
雀が飛ぶ様子が左から動画調に彫られている。


離座敷棟へ通じる廊下は、狭い。


離座敷棟


離座敷の窓から見た庭


湯殿


ここで来訪者のお付きの者が待機していた「使者の間」


窓の外に一つの株に三本の古樹が育った状態が見える。
(木の種類は聞き漏らした)


使者の間の欄間
福を招く生き物としてコウモリが彫られている。


使者の間から表座敷棟を見たところ。


玄関を上がった所に徳川慶喜が徳川昭武に宛てた電報の内容が展示されている。
ボランティアガイドの方の説明によると、”2日間 二番列車で訪れたいが 差し支えないか? 
返事を待っている、”という内容とのこと。
トクガワ ケイキは慶喜のことである。


葵紋付の長持と奥の「中庭」(中座敷棟前)に置かれていた鉢が内蔵に展示されていた。
長持は、高松宮喜久子妃殿下が徳川慶喜家から高松宮家に嫁ぐ際に整えた婚礼調度の一つ。
(現地説明板)


旧徳川昭武庭園
国指定重要文化財であり、2015年3月に国の名勝にも指定された由緒のある庭園である。
(現地説明板)


書院の床柱の前に座って眺めるための書院造庭園で、1884年から1887年までに
1度目の整備を終え、1890年までに2度の拡張が行われた。
(現地説明板)


表座敷棟の西にも芝生が広がる。
洋風技法による芝生面はわが国現存最古とのこと。
(現地説明板)


戸定邸の中は、戸定が丘歴史公園があり、市民のための広場として
無料で開放されている。
東屋では弁当を広げる人も。
『弁当も持込みOKなんだねっ』


広々として手入れが行き届いた芝生が美しい。
(東屋庭園)


東屋から西に望む江戸川と富士山も見所のひとつ。


東屋をバックに全員で記念撮影し、


東屋庭園を後にする。


『素敵な場所だったよねっ』


戸定邸の門を潜り、


12時2分、戸定邸を後にして、


松戸駅を目指す。


松戸駅へ


12時20分、松戸駅に到着
この日は、ここで解散となった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


昼食は、早くて安いと評判の駅前のラーメン日高で摂り、帰路に就いた。


東京都港湾局が運航する視察船”新東京丸に乗って東京湾を視察する”という企画を
急遽”旧水戸街道と戸定邸”を巡るウォーキングに変更した例会が無事終了した。
車両基地への引込線を常磐線と勘違いして浅間神社の場所を間違うというハプニングも。

水戸徳川家の第11代藩主の徳川昭武が建てた戸定邸は、和洋折衷の庭園が素晴らしかった。
無料で開放されている戸定が丘歴史公園も、広々として芝生が美しかった。
時間があればまた訪れてみたい場所のひとつである。

この日の万歩計は、11,000歩を計測していた。

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