2018年10月19日(金)
毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30度第20回(2018年第30回)、「調布の歴史と武蔵野のみちを歩く」ウォーキングに参加した。
この日のコース”調布の歴史と武蔵野のみちを歩く”は、参考にした「関東ウォーキングコースガイド」
によると、三鷹駅を出発して井の頭公園から深大寺を巡り、ゴールの西武国分寺線の新小金井駅を目指す
という約12Kmのやや長い距離のコースである。
最大の目的は、深大寺で名物の蕎麦を食べようというのが選定理由でもある。
荒川沖駅7時59分発の電車に乗り、
9時41分、東京駅で中央線に乗り換え、この日のスタート地点JR三鷹駅に向かう。
中央線快速は東京駅が始発で、通勤ラッシュも終っている時間帯なので、
まとまって楽に座って行けるところが嬉しい。
この日の参加者14名は、今年5月25日の「比企丘陵ウォーキング(吉見)」の13名に次ぐ
少ない人数となった。
一昨日頃からの”午前中は雨模様”とのNHKの天気予報により敬遠されたのかも。
10時4分、三鷹駅に到着
準備体操は省略して、10時7分、三鷹駅前を出発!
先ずは井の頭公園を目指す。
気になる雨だが、全く心配なさそうだ。
『傘持って来なくても良かったみたいねっ』
三鷹駅東口の正面を真直ぐ100mほど進んだところを左斜めに曲がり、
200m余り進んだ所で道を間違っているのに気が付いた。
すずかけ道路と呼ばれる道を玉川上水方面へ。
『少しくらい間違ったってどうってことないわよねっ』
気にするほどではないことが分かり一安堵。
すずかけ道路を4分ほど進むと、玉川上水に沿った本来のコースに戻ることが出来た。
そこは”風の散歩道”と呼ばれる道だった。
玉川上水の反対側の道は、御殿山通りと呼ばれている。
緑に覆われた玉川上水を左手に見ながら”風の散歩道”を進むと、
10時25分、山本有三記念館があった。
三鷹市山本有三記念館は、作家山本有三が昭和11年(1936)から昭和21年(1946)まで
家族とともに住んだ家です。
有三は、ここで代表作「路傍の石」や戯曲「米百俵」を執筆しました。
建物は大正末期に建てられた本格的な洋風建築で、石を自然に積み上げたような煙突や
個性的にデザインされた3つの暖炉が見所です。(以下略)
(参考:入館料300円 20名以上団体割引200円)
山本有三記念館入口
洋風建築の建物が見えるが、この日は時間がないため、中には入らず井の頭公園へ向かうことに。
路傍の石の前の説明板に見入る皆さん。
小説「路傍の石」執筆当時の昭和12年、有三は中野旧陸軍電信隊付近の道ばたで
この大きな石を見つけ、この家の裏庭に運び込んだと伝えられています。
この石は、作品の名に因み、いつしか”路傍の石”と呼ばれ親しまれるようになり、
その後、東京都に寄附された山本邸が昭和33年有三青少年文庫として開設される時に
現在の場所に移されました。(以下略)
山本有三記念館の玄関先には、山本有三が、『路傍の石』を執筆時、道端で見つけ、
裏庭まで運ばせたといういう石も残されている。
『いやぁ 随分大きな石なんだねぇ』
”風の散歩道”が終わった所の玉川上水に架かる万助橋を渡り、
都道114号(吉祥寺通り)を横断して、井の頭公園へ。
井の頭自然文化園(動物園)の前には行列が出来ていた。
『今は動物園が人気があるんだってねっ』
10時40分、井の頭公園(現在地)に到着
水生物園横を通って、弁天橋を渡る。
弁天橋から見た井の頭池
井の頭池は神田川の水源で、江戸時代は神田上水として江戸の人々の飲み水だった。
かつては湧水口がいくつもあったことから七井の池と呼ばれていた。
池中央の七井橋の名はこれに由来する。
反対側には弁財天が建つ。
弁天橋を渡った所で小休止だ。
次は狛江橋で再び池を渡る。
ボート場を右手に見ながら、
さらに七井橋で池を渡る。
七井橋から見た吉祥寺方面の池
森の後ろに高層マンションが聳えるというのがいかにも都会らしい景色である。
七井橋を渡る。
池の畔では、ベンチで静かに本を読む人や
犬との散歩を楽しむ人たちなど様々だ。
『けっこう広い池なのねっ』
『今度また来てゆっくり廻ってみたいわねっ』
あまり時間はないので、井の頭公園はこのくらいにして、深大寺へ向かうことにした。
来た時とは逆方向に玉川上水に架かる万助橋を渡り、
都道114号(吉祥寺通り)を仙川方面へ。
11時17分、三鷹の森ジブリ美術館前を通過し、
仙川方面へ。
左手に大きくて立派な建物が現れた。
建物は杏林大学だった。
『凄く立派な建物だね~っ』
『お医者さんの卵が通っているんでしょっ?』
杏林大学病院北交差点を横断し、
野川に架かる長久保三之橋を渡る。
野川は、草が刈られたばかりだった。
草を刈ったばかりというのは、風情が感じられないものである。
野川を渡って直ぐの所を左に折れ、野川に沿って進むと、
11時45分、仙川公園に到着した。
仙川公園には西村聖望氏作の「平和の像」があった。
みたか百周年記念事業の一環として、北村西望氏の代表作「平和祈念像」を、平成元年11月、
三鷹の平和のシンボル「平和の像」として、建立したもの。
作者の北村西望氏は、三鷹市に隣接する井の頭公園内にあったアトリエで、長年、創作活動を続け、
その間、市内の小学校と交流を深めるなど、三鷹市と深く関わりを持っていた。
(三鷹市)
仙川公園で小休止
『とんぼが止まってるよっ!!』の声に1枚パチリ。
秋を感じる光景だ。
(本人は気付いていない)
一息入れた後、次は深大寺を目指す。
消防大学通りを進む。
『変わった根っ子をしてる木だねぇ』
『どうしてこんな形になっちゃったのかしらっ?』
いつも仲良く二人で参加してくれるYMさん夫妻。
『深大寺はまだかしらっ?』
『深大寺の蕎麦が楽しみですねっ?』
12時10分、消防大学前を通過
『消防大学があるって知らなかったなぁ』
『警察学校みたいなもんじゃないっ?』
消防大学の敷地に沿って進む。
12時17分、深大寺白金亭前を通過
都道121号(三鷹通り)の五差路交差点を渡り、
三鷹通り沿いに進んで行くと、
青渭(あおい)神社があった。
青渭神社の創建年月は不詳であるが、住古先住民が水を求め居住した際、その生活に
欠く事のできない水を尊び祠を建て、水神様を祀ったと伝えられている。
明治六年(1873)12月郷社に列せられた。
旧深大寺町の総鎮守である。
(東京都神社庁)
拝殿の右前方、道路に近く鳥居の横にある、青渭神社の大ケヤキ
幹は目通り凡そ5.5m、樹高34m、樹齢数百年(600年とも)の老樹であるが、現在なお樹勢旺盛である。
『新編武蔵風土記稿』に「社ノ傍ニ囲一丈五尺アマリノ槻(ケヤキの古名)の老樹アリ」と、
また『江戸名所図会』にも「社前槻の老樹あり、数百余霜を経たるものなり」などと見えて、
文化文政時代(1804~1830)の頃からすでに目立つ巨木であった。
調布市天然記念物に指定されている。
(調布市教育委員会)
青渭神社に隣接する深大寺小学校の先に深大寺東参道があった。
東参道を深大寺へ。
『もう直ぐだよねっ』
深大寺にお参りする前に深大寺城跡に行ってみることにした。
神代植物公園水性植物園入口を入り、
園内にあった地図で深大寺城跡を確認
薄暗い急坂の道を進んで行くと・・・
視界が開けた所に深大寺城そば畑があった。
そば畑の先に芝生の広場があった。
深大寺城の第二廓(二の丸)跡だ。
第二廓跡には大きな木が生えていた。
空堀と土塁
第一廓と第二廓を結ぶ土橋跡付近から見た空堀と土塁
虎口跡に建つ”都旧跡 深大寺城跡”の碑
碑の後ろには一段高い櫓台跡がある。
深大寺城の築城年は不明だが、16世紀前半に南関東で繰り広げられた小田原北条氏と
扇谷上杉氏による覇権争いの攻防の中、扇谷上杉氏方が再興した城である。
戦国時代前期の空堀・土塁・腰郭などの遺構が良好な形で残されている。
第一廓跡
この第一廓は、江戸時代の城の「本丸」に当る廓で、その構造が良く残っており、
周りに見える土塁と右に見える空堀は、外敵の侵入を防ぐ施設でした。
深大寺城は半島状台地の先端に位置しており、当時は南方向が一望できる場所でした。
(現地説明板)
深大寺城の縄張り図
深大寺城跡を後にして、深大寺へ。
深大寺が近くなるにつれ、蕎麦屋が目立って来た。
土産物店にはたくさんの人が。
美味しそうなそば饅頭だ。
13時6分、深大寺山門に到着した。
深大寺蕎麦はお参りを済ませてからにしよう。
山門を潜って境内へ。
線香の煙で身体を清めて、
本堂にお参り
深大寺は、調布市の天台宗別格本山で、正式名称を浮岳山昌楽院 深大寺という。
武蔵野の面影を残す深大寺周辺は、昭和36年に開園した隣接の都立神代植物公園と合わせて
都人好個(みやこびとにちょうどよいの意)の散策地、憩の場所として有名。
時間があまりないので、お参りを済ませて直ぐに山門を出た。
目指すは深大寺蕎麦である。
山門前の通りを右に曲がり、
何軒かの蕎麦屋を見て回ったが、
「ウマさんの旧甲州街道を歩く」で2年前の2016年6月26日(日)に立ち寄った
「一休庵」はあいにく休みだった。
結局、山門前の元祖「嶋田屋」という蕎麦屋に入ることにした。
店の中の池には立派な錦鯉が飼われていた。
皆さんそれぞれ好みの蕎麦を注文
食事風景(1)
食事風景(2)
食事風景(3)
自分は、天ざる蕎麦(1,350円)を注文した。
時計は13時半になろうとしており、お腹も空いていたせいか、美味かった。
この日最大の目的である深大寺蕎麦も食べ終り、
近辺の土産物店を見て回る。
皆さん、何がしかの土産を買ったようである。
深大寺水車館(無料)前を通り過ぎ、京王線調布駅へ。
(中には石臼や昔の農機具などが陳列されている)
『念願の深大寺蕎麦が食べれて良かったわねっ』
関東ウォーキングコースガイドでは、この後は神代植物公園に立ち寄って、野川公園を経由して、
西武国分寺線の新小金井駅へ向かうことになっているが、時間的に遅くなっていることもあることから、
京王線調布駅から府中へ向かい、JR府中本町駅からJR武蔵野線で帰る方が早いと判断されるため、
京王線調布駅へ向かうことにした。
武蔵境通りを調布駅方面へ。
野川に架かる御塔坂橋(おとさかばし)を渡り、
12時5分、中央高速道下を通過
電気通信大学中門前を通過して、
京王線調布駅を目指す。
突き当たりの甲州街道(国道20号)を左に曲がり、調布駅方面へ。
電気通信大学正門前の交差点を右に曲がり、
電通大通りを京王線調布駅へ。
『電通大通りって言うんだぁ』
京王線調布駅前
14時39分、調布駅入口に到着。
『地下に乗り場があるんだ~っ』
地下道を京王線の乗り場へ。
調布駅から準急で1駅で府中駅である。
府中駅に到着し、JR府中本町駅を目指して駅前のけやき通りを大國魂神社方面へ。
けやき通りに建つ源義家像
「八幡太郎」の名で知られる源義家が、父頼義とともに奥州で起きた乱(前九年の役1051~1062)を鎮めた。
その帰途、康平五年(1062)戦勝祈願成就の報賽として、けやきの苗1000本を大國魂神社に奉納したことが、
けやき並木のはじまりと伝えられている、とのこと。
大國魂神社前を右に曲がり、JR府中本町駅を目指す。
甲州街道を進むと、
甲州街道と鎌倉街道が交わる界隈「札の辻」「鍵屋の辻」の右手に問屋場が、
左手に高札場があった。
2016年6月26日(日)に”旧甲州街道を歩く”で一度歩いており、見覚えのある景色だ。
その交差点を左に曲がり、
15時6分、府中市役所前を通過
大國魂神社の鳥居を左手に見ながら、
JR府中本町駅へ。
15時11分、JR府中本町駅に到着
あとは武蔵野線で常磐線の新松戸駅へ向かうだけ。
ここでお役御免である。
『かんぱ~いっ』 『お疲れさ~ん』
乾いた喉に冷たいビールが殊の外美味かった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
”調布の歴史と武蔵野のみちを歩く”ということで、当初は三鷹駅から新小金井駅を目指していたが、
時間的な関係で、深大寺から新小金井駅までの歩きは断念し、急遽調布駅へ向かった。
調布駅から府中駅まで京王線に乗り、京王線府中駅からJR府中本町駅までをまた歩いた。
万歩計は22,000歩を計測する結果となり、少々疲れた。
おかげで美味いビールを飲めたのは、少しだけ余計に歩いたご褒美、と思っている。
また、この日最大の目的としていた深大寺蕎麦だったが、美味しかった。
皆さんも満足していたように思う。
この日の万歩計は、22,000歩を計測していた。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。
毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30度第20回(2018年第30回)、「調布の歴史と武蔵野のみちを歩く」ウォーキングに参加した。
この日のコース”調布の歴史と武蔵野のみちを歩く”は、参考にした「関東ウォーキングコースガイド」
によると、三鷹駅を出発して井の頭公園から深大寺を巡り、ゴールの西武国分寺線の新小金井駅を目指す
という約12Kmのやや長い距離のコースである。
最大の目的は、深大寺で名物の蕎麦を食べようというのが選定理由でもある。
荒川沖駅7時59分発の電車に乗り、
9時41分、東京駅で中央線に乗り換え、この日のスタート地点JR三鷹駅に向かう。
中央線快速は東京駅が始発で、通勤ラッシュも終っている時間帯なので、
まとまって楽に座って行けるところが嬉しい。
この日の参加者14名は、今年5月25日の「比企丘陵ウォーキング(吉見)」の13名に次ぐ
少ない人数となった。
一昨日頃からの”午前中は雨模様”とのNHKの天気予報により敬遠されたのかも。
10時4分、三鷹駅に到着
準備体操は省略して、10時7分、三鷹駅前を出発!
先ずは井の頭公園を目指す。
気になる雨だが、全く心配なさそうだ。
『傘持って来なくても良かったみたいねっ』
三鷹駅東口の正面を真直ぐ100mほど進んだところを左斜めに曲がり、
200m余り進んだ所で道を間違っているのに気が付いた。
すずかけ道路と呼ばれる道を玉川上水方面へ。
『少しくらい間違ったってどうってことないわよねっ』
気にするほどではないことが分かり一安堵。
すずかけ道路を4分ほど進むと、玉川上水に沿った本来のコースに戻ることが出来た。
そこは”風の散歩道”と呼ばれる道だった。
玉川上水の反対側の道は、御殿山通りと呼ばれている。
緑に覆われた玉川上水を左手に見ながら”風の散歩道”を進むと、
10時25分、山本有三記念館があった。
三鷹市山本有三記念館は、作家山本有三が昭和11年(1936)から昭和21年(1946)まで
家族とともに住んだ家です。
有三は、ここで代表作「路傍の石」や戯曲「米百俵」を執筆しました。
建物は大正末期に建てられた本格的な洋風建築で、石を自然に積み上げたような煙突や
個性的にデザインされた3つの暖炉が見所です。(以下略)
(参考:入館料300円 20名以上団体割引200円)
山本有三記念館入口
洋風建築の建物が見えるが、この日は時間がないため、中には入らず井の頭公園へ向かうことに。
路傍の石の前の説明板に見入る皆さん。
小説「路傍の石」執筆当時の昭和12年、有三は中野旧陸軍電信隊付近の道ばたで
この大きな石を見つけ、この家の裏庭に運び込んだと伝えられています。
この石は、作品の名に因み、いつしか”路傍の石”と呼ばれ親しまれるようになり、
その後、東京都に寄附された山本邸が昭和33年有三青少年文庫として開設される時に
現在の場所に移されました。(以下略)
山本有三記念館の玄関先には、山本有三が、『路傍の石』を執筆時、道端で見つけ、
裏庭まで運ばせたといういう石も残されている。
『いやぁ 随分大きな石なんだねぇ』
”風の散歩道”が終わった所の玉川上水に架かる万助橋を渡り、
都道114号(吉祥寺通り)を横断して、井の頭公園へ。
井の頭自然文化園(動物園)の前には行列が出来ていた。
『今は動物園が人気があるんだってねっ』
10時40分、井の頭公園(現在地)に到着
水生物園横を通って、弁天橋を渡る。
弁天橋から見た井の頭池
井の頭池は神田川の水源で、江戸時代は神田上水として江戸の人々の飲み水だった。
かつては湧水口がいくつもあったことから七井の池と呼ばれていた。
池中央の七井橋の名はこれに由来する。
反対側には弁財天が建つ。
弁天橋を渡った所で小休止だ。
次は狛江橋で再び池を渡る。
ボート場を右手に見ながら、
さらに七井橋で池を渡る。
七井橋から見た吉祥寺方面の池
森の後ろに高層マンションが聳えるというのがいかにも都会らしい景色である。
七井橋を渡る。
池の畔では、ベンチで静かに本を読む人や
犬との散歩を楽しむ人たちなど様々だ。
『けっこう広い池なのねっ』
『今度また来てゆっくり廻ってみたいわねっ』
あまり時間はないので、井の頭公園はこのくらいにして、深大寺へ向かうことにした。
来た時とは逆方向に玉川上水に架かる万助橋を渡り、
都道114号(吉祥寺通り)を仙川方面へ。
11時17分、三鷹の森ジブリ美術館前を通過し、
仙川方面へ。
左手に大きくて立派な建物が現れた。
建物は杏林大学だった。
『凄く立派な建物だね~っ』
『お医者さんの卵が通っているんでしょっ?』
杏林大学病院北交差点を横断し、
野川に架かる長久保三之橋を渡る。
野川は、草が刈られたばかりだった。
草を刈ったばかりというのは、風情が感じられないものである。
野川を渡って直ぐの所を左に折れ、野川に沿って進むと、
11時45分、仙川公園に到着した。
仙川公園には西村聖望氏作の「平和の像」があった。
みたか百周年記念事業の一環として、北村西望氏の代表作「平和祈念像」を、平成元年11月、
三鷹の平和のシンボル「平和の像」として、建立したもの。
作者の北村西望氏は、三鷹市に隣接する井の頭公園内にあったアトリエで、長年、創作活動を続け、
その間、市内の小学校と交流を深めるなど、三鷹市と深く関わりを持っていた。
(三鷹市)
仙川公園で小休止
『とんぼが止まってるよっ!!』の声に1枚パチリ。
秋を感じる光景だ。
(本人は気付いていない)
一息入れた後、次は深大寺を目指す。
消防大学通りを進む。
『変わった根っ子をしてる木だねぇ』
『どうしてこんな形になっちゃったのかしらっ?』
いつも仲良く二人で参加してくれるYMさん夫妻。
『深大寺はまだかしらっ?』
『深大寺の蕎麦が楽しみですねっ?』
12時10分、消防大学前を通過
『消防大学があるって知らなかったなぁ』
『警察学校みたいなもんじゃないっ?』
消防大学の敷地に沿って進む。
12時17分、深大寺白金亭前を通過
都道121号(三鷹通り)の五差路交差点を渡り、
三鷹通り沿いに進んで行くと、
青渭(あおい)神社があった。
青渭神社の創建年月は不詳であるが、住古先住民が水を求め居住した際、その生活に
欠く事のできない水を尊び祠を建て、水神様を祀ったと伝えられている。
明治六年(1873)12月郷社に列せられた。
旧深大寺町の総鎮守である。
(東京都神社庁)
拝殿の右前方、道路に近く鳥居の横にある、青渭神社の大ケヤキ
幹は目通り凡そ5.5m、樹高34m、樹齢数百年(600年とも)の老樹であるが、現在なお樹勢旺盛である。
『新編武蔵風土記稿』に「社ノ傍ニ囲一丈五尺アマリノ槻(ケヤキの古名)の老樹アリ」と、
また『江戸名所図会』にも「社前槻の老樹あり、数百余霜を経たるものなり」などと見えて、
文化文政時代(1804~1830)の頃からすでに目立つ巨木であった。
調布市天然記念物に指定されている。
(調布市教育委員会)
青渭神社に隣接する深大寺小学校の先に深大寺東参道があった。
東参道を深大寺へ。
『もう直ぐだよねっ』
深大寺にお参りする前に深大寺城跡に行ってみることにした。
神代植物公園水性植物園入口を入り、
園内にあった地図で深大寺城跡を確認
薄暗い急坂の道を進んで行くと・・・
視界が開けた所に深大寺城そば畑があった。
そば畑の先に芝生の広場があった。
深大寺城の第二廓(二の丸)跡だ。
第二廓跡には大きな木が生えていた。
空堀と土塁
第一廓と第二廓を結ぶ土橋跡付近から見た空堀と土塁
虎口跡に建つ”都旧跡 深大寺城跡”の碑
碑の後ろには一段高い櫓台跡がある。
深大寺城の築城年は不明だが、16世紀前半に南関東で繰り広げられた小田原北条氏と
扇谷上杉氏による覇権争いの攻防の中、扇谷上杉氏方が再興した城である。
戦国時代前期の空堀・土塁・腰郭などの遺構が良好な形で残されている。
第一廓跡
この第一廓は、江戸時代の城の「本丸」に当る廓で、その構造が良く残っており、
周りに見える土塁と右に見える空堀は、外敵の侵入を防ぐ施設でした。
深大寺城は半島状台地の先端に位置しており、当時は南方向が一望できる場所でした。
(現地説明板)
深大寺城の縄張り図
深大寺城跡を後にして、深大寺へ。
深大寺が近くなるにつれ、蕎麦屋が目立って来た。
土産物店にはたくさんの人が。
美味しそうなそば饅頭だ。
13時6分、深大寺山門に到着した。
深大寺蕎麦はお参りを済ませてからにしよう。
山門を潜って境内へ。
線香の煙で身体を清めて、
本堂にお参り
深大寺は、調布市の天台宗別格本山で、正式名称を浮岳山昌楽院 深大寺という。
武蔵野の面影を残す深大寺周辺は、昭和36年に開園した隣接の都立神代植物公園と合わせて
都人好個(みやこびとにちょうどよいの意)の散策地、憩の場所として有名。
時間があまりないので、お参りを済ませて直ぐに山門を出た。
目指すは深大寺蕎麦である。
山門前の通りを右に曲がり、
何軒かの蕎麦屋を見て回ったが、
「ウマさんの旧甲州街道を歩く」で2年前の2016年6月26日(日)に立ち寄った
「一休庵」はあいにく休みだった。
結局、山門前の元祖「嶋田屋」という蕎麦屋に入ることにした。
店の中の池には立派な錦鯉が飼われていた。
皆さんそれぞれ好みの蕎麦を注文
食事風景(1)
食事風景(2)
食事風景(3)
自分は、天ざる蕎麦(1,350円)を注文した。
時計は13時半になろうとしており、お腹も空いていたせいか、美味かった。
この日最大の目的である深大寺蕎麦も食べ終り、
近辺の土産物店を見て回る。
皆さん、何がしかの土産を買ったようである。
深大寺水車館(無料)前を通り過ぎ、京王線調布駅へ。
(中には石臼や昔の農機具などが陳列されている)
『念願の深大寺蕎麦が食べれて良かったわねっ』
関東ウォーキングコースガイドでは、この後は神代植物公園に立ち寄って、野川公園を経由して、
西武国分寺線の新小金井駅へ向かうことになっているが、時間的に遅くなっていることもあることから、
京王線調布駅から府中へ向かい、JR府中本町駅からJR武蔵野線で帰る方が早いと判断されるため、
京王線調布駅へ向かうことにした。
武蔵境通りを調布駅方面へ。
野川に架かる御塔坂橋(おとさかばし)を渡り、
12時5分、中央高速道下を通過
電気通信大学中門前を通過して、
京王線調布駅を目指す。
突き当たりの甲州街道(国道20号)を左に曲がり、調布駅方面へ。
電気通信大学正門前の交差点を右に曲がり、
電通大通りを京王線調布駅へ。
『電通大通りって言うんだぁ』
京王線調布駅前
14時39分、調布駅入口に到着。
『地下に乗り場があるんだ~っ』
地下道を京王線の乗り場へ。
調布駅から準急で1駅で府中駅である。
府中駅に到着し、JR府中本町駅を目指して駅前のけやき通りを大國魂神社方面へ。
けやき通りに建つ源義家像
「八幡太郎」の名で知られる源義家が、父頼義とともに奥州で起きた乱(前九年の役1051~1062)を鎮めた。
その帰途、康平五年(1062)戦勝祈願成就の報賽として、けやきの苗1000本を大國魂神社に奉納したことが、
けやき並木のはじまりと伝えられている、とのこと。
大國魂神社前を右に曲がり、JR府中本町駅を目指す。
甲州街道を進むと、
甲州街道と鎌倉街道が交わる界隈「札の辻」「鍵屋の辻」の右手に問屋場が、
左手に高札場があった。
2016年6月26日(日)に”旧甲州街道を歩く”で一度歩いており、見覚えのある景色だ。
その交差点を左に曲がり、
15時6分、府中市役所前を通過
大國魂神社の鳥居を左手に見ながら、
JR府中本町駅へ。
15時11分、JR府中本町駅に到着
あとは武蔵野線で常磐線の新松戸駅へ向かうだけ。
ここでお役御免である。
『かんぱ~いっ』 『お疲れさ~ん』
乾いた喉に冷たいビールが殊の外美味かった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
”調布の歴史と武蔵野のみちを歩く”ということで、当初は三鷹駅から新小金井駅を目指していたが、
時間的な関係で、深大寺から新小金井駅までの歩きは断念し、急遽調布駅へ向かった。
調布駅から府中駅まで京王線に乗り、京王線府中駅からJR府中本町駅までをまた歩いた。
万歩計は22,000歩を計測する結果となり、少々疲れた。
おかげで美味いビールを飲めたのは、少しだけ余計に歩いたご褒美、と思っている。
また、この日最大の目的としていた深大寺蕎麦だったが、美味しかった。
皆さんも満足していたように思う。
この日の万歩計は、22,000歩を計測していた。
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