ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

蜂に刺されるアクシデント 小貝川豊田堰ウォーク

2017年09月15日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年9月15日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29度第17回(2017年第33回)、「小貝川堤防」ウォーキングに参加した。
この日は、デジカメの”絞り”設定ミスで、全ての写真が暗くて、
見にくくなってしまったことを最初に断っておかねばならない。
今回はアップを止めておこうかとも思ったが、そうもいかない。
見にくいのを承知でご覧いただければと思っている。

第一集合場所の乙戸沼公園には、13名が集まった。
ここのところ、参加人数がやや少ない。
年齢によると思われる身体の不調を訴える人が増えて来ている傾向にある。
車3台に分乗し、スタート地点の取手の「かたらいの郷」に向かった。


9時50分、「かたらいの郷」に到着
直行した人は4名、この時点での参加者は、17名だ。


「かたらいの郷」
世代間の交流及び高齢者の生きがいの増進を図ることを目的とする施設で、
入浴施設もあり、誰でも自由に利用できる。


「かたらいの郷」交流広場の木陰で、Oさんの号令による準備体操(1)


準備体操(2)


準備体操(3)


10時4分、「かたらいの郷」を後にして出発!


小貝川の豊田堰を目指し、


県道11号を進む。


相野谷橋(あいのやはし)手前で、道路工事が行われていた。
警備員に誘導されて、県道11号を進む。


10時10分、相野谷川を渡る。


利根川方面に見えるのは、国交省 相野谷川排水機場だ。


この日は、日陰は涼しいが、直射日光は暑さが厳しい。


”茨城百景大利根の展望”と書かれた碑があった。


『どんな展望なのかちょっと見て行こうかっ』
ということで、木の階段を上る。


20mほど登ると、鳥居があった。
後で分かったが、面足神社(おもたるじんじゃ)と言う神社の鳥居だった。
面足神社の社殿は、左後方に静かに佇んでいる。
祭神は面足尊で、明治42年(1909)に豊受神社と愛宕神社を合祀。
大正9年(1920)には村社に列せられた、とのこと。


眼下に利根川を眺望できる、との期待は、
木々が邪魔をして見事に裏切られた形となった。
『かつてはよく見えたんだろうなっ』


面足神社鳥居の先に続く緩やかな参道を下ると、県道11号に合流した。
その時、Fさんから携帯に連絡が入った。
小文間駐在所にいるとのことだが・・・小文間駐在所は何処?


10時26分、平石バス停傍のコンビニ前を通過。


鮮やかな真紅のケイトウの花が印象的である。


道路脇の真っ赤な彼岸花も負けてはいない。
まさに今が見頃だ。


関東八十八ヶ所四十三番、相馬八十八ヶ所十九番札所の
厄除大師明星院(大師霊園)の看板前を通過。
明星院には恵比寿神が祀られており、2011年1月7日(金)
”取手七福神巡り”で参拝している。


左手の霊園には、お墓がびっしりだ。


10時32分、中妻バス停を通過。


小文間駐在所に到着したが、Fさん夫妻の姿が見えない。
携帯でFさんに小文間駐在所をたった今通過したことを告げると、
直ぐにこちらへ向かうとの返事。近くにいるようだ。


小文間公民館前で、Fさんの車が現れ公民館の駐車場へ。
『今のはFさんの車? よくここが分かったわねぇ』


Fさん夫妻が無事合流した。
これで、この日の参加者は19名になった。


10時45分、旧小文間小学校を通過
小文間小・井野小・吉田小の3校は、平成27年3月31日に閉校となり、
同年4月1日から旧吉田小の位置に「取手東小学校」を開校した、そうだ。
『過疎で閉校しちゃったのかしらねぇ?』
過疎と言うより、子供の数が少なくなって来たと云うことなのだろう。


小文間小先の交差点を左に折れて、春日神社を目指す。


少し進むと、小さいながらも神社らしき建物があった。
しかし、神社にあるべき鳥居が見当たらない。
『ここが春日神社?』


道路から直ぐの左側には、庚申塔や、


月読神社と刻まれた碑もある。
春日神社ではなくて月読神社なのか?


奥には幾つかの小さな祠があるが・・・


右側には屋根のある建物があったが、社殿ではなさそう。


建物の中を覗くと、仏像が鎮座していた。
『仏像ってことは、ここは神社じゃないよねっ』
後で分かったが、ここは大日堂だった。


春日神社での休憩を考えていたが、神社はもう少し先かもしれない。
緩やかな坂道(大日坂)を下る。


大日坂を下り、道なりに進む。
道は狭いが、けっこう車が通る。


『気を付けてっ 危ないよっ』


11時5分、数百m進んだところで、春日神社は通り越してしまったようだと
気がついた。
しかし、途中に神社の入口など何もなかった。
引き返して探すのも大変なので、道路脇で一休みすることに。


『神社の境内でなくてもここで充分だわっ』
案内役にとっては実に有り難い一言である。


前方に小貝川の豊田堰と思われる建造物が見えた。
『豊田堰まであと少しだねっ』
(後で分かったが、豊田堰(左)と北浦川水門(右)だった)


11時17分、休憩後、豊田堰を目指す。
この先、道は豊田堰から大きく逸れて蛇行していた。


『こっちの方が近いんじゃないっ?』
近道したくなるのは自然の流れである。


草が生い茂る草叢を進むと・・・


道路の柵が行く手を阻んでいた。
柵の中間を潜り抜けるには窮屈すぎる。
『これを越えないと道路へ入れないのかぁ』
『ここは越えるしかないねっ』 『よいこらしょっと』


何とか柵を越えて水門が正面に見える道路へ出たものの・・・


右手に見える北浦川水門と豊田堰へ行くには、このまま進むと却って遠回りになり、
小貝川に架かる戸田井橋まで引き返す方が近道ということに気が付いた。
近道と思った道路を引き返して、戸田井橋へ向かっているところ。
最初から戸田井橋へ向かっていれば、道路柵を越えたり、
またこんなに遠回りしなくて済んだのだ・・・と反省しきり。


11時32分、戸田井橋の裾に到着。


戸田井橋手前を左に折れ、小貝川の堤防を進む。


前方に排水機場の関連建物が見えて来た。
小貝川の水位を計測する建物だろうか?


左側には戸田井排水機場の建物が建っている。


北浦川水門とその先の豊田堰が見えた。


11時39分、北浦川水門に到着
豪雨などで小貝川の水位が上がると水門を閉じて北浦川への流入を防ぎ、
ポンプで北浦川の水を小貝川へ吐き出す、というものである。


径間28m、扉高11.42mの水門が2基並んでいる。
ポンプは日立製作所製で、2基合計毎秒13㎥の排水能力がある、とのこと。


水門から北浦川を望む。


昼前だったが、この先に日陰を望める場所は見当たらないので、
水門の日陰で弁当タイムを設けることに。
『良い眺めだよねっ』
これから渡る豊田堰を眺めながらの弁当は格別である。


『水門がちょうど日陰になって良かったよっ』


12時14分、弁当も終わり、北浦川水門を後にして豊田堰へ。
『これからあそこを渡るんだぁ』


豊田堰は、小貝川に跨る可動堰であり、周辺地域の農業用水の確保や
新利根川の水量維持など重要な役割を果たしている。
なお、豊田堰は、岡堰・福岡堰とともに昔から農業利水の
関東三大堰と云われている。(関東三大堰は全て小貝川にある)
『これで関東三大堰全部を渡ったことになるねっ』


豊田堰は、寛文七年(1667)に徳川幕府の命により、
御普請役伊奈半十郎忠治が中心となり、堰を設け、
灌漑用に供したのが始まりと云われている。


豊田堰上流部の景色
『緑の絨毯みたいできれいだね~っ』


『ここから見ると結構高いのねっ』


左の可動部が実際に動くところを見てみたいものだ。


豊田堰を渡り、堤防上を左方向へ。


前方に見えるのは、国交省豊田堰管理所とある。
正式名称は、
国土交通省関東地方整備局利根川下流河川事務所竜ケ崎出張所豊田堰管理所
長ったらしい名称である。


豊田堰管理所前を通り過ぎ、


その先を折り返して、羽根野方面へ。


羽根野の諏訪神社を目指す。
脱穀された籾殻が燻ぶっている。
『昔懐かしい景色だよねっ』 『いい匂いっ!』


畦道の彼岸花を眺めながら進む。


羽根野団地入口交差点を羽根野団地方面へ。


住宅地最奥部の細い路地を曲がると・・・


諏訪神社と刻まれた門柱があった。
『こんなところが諏訪神社の入口なんだぁ』


諏訪神社の境内は、薄暗かった。
『蚊がいるねぇ』


ここにはあまり長居すべきではない。


ということで、休憩らしい休憩も取らず、諏訪神社を後にした。
竹藪の中の急な石段を下ると・・・


諏訪神社の裏手に出た。
『やっぱ明るい所は気持ちがいいなぁ』


ここでアクシデントが・・・
SB子さんが、石段の途中で蜂に刺された、と言うのだ。
帽子を被っていなかった頭を刺されたとのこと。
かなりの激痛らしい。
この先一緒に行動を共にするのは無理な様子。
13時ちょうど、安全を考え救急車を呼ぶことにした。


こちらでは、会長の様子がおかしい。
暑さのせいかかなり疲れているように見える。
ゴールの「かたらいの郷」まではまだ5Kmほどはあると思われるが、
果してゴールまで持つのか不安が募る。


10分後の13時10分、サイレンを鳴らしながら救急車が到着した。
車体に稲敷広域消防本部とある。


最初は、付き添いは1名とのことだったが、救急隊員に頼み込んで、
付き添いとして女性1名と会長を病院まで送ってもらうことに成功。
行先は、龍ヶ崎済生会病院とのことだった。


13時24分、ゴールの「かたらいの郷」目指して出発!


13時31分、小貝川の堤防に出た。


小貝川に架かる戸田井橋が見えて来た。


戸田井橋を渡る。


小貝川の上流に北浦川水門と豊田堰が見えた。
『2時間ほど前に通った所だねっ』


13時39分、戸田井橋を渡り、県道11号へ。


”動坂”の標柱が建つ緩やかな上りを進む。


工事個所を通り、


13時53分、東京芸大取手キャンパス前を通過。


ゴールの「かたらいの郷」を目指す。


13時59分、旧小文間小学校前を通過。


14時2分、小文間公民館前に到着。
Fさん夫妻とは、ここで分れることに。


『お疲れさまでしたぁ』
『気を付けて~っ』


Fさん夫妻と分れた付近の木陰で、最後の休憩を取り、


県道11号をゴールの「かたらいの郷」へ。


14時25分、県南クリーンセンター前を通過。


ゴールは近い。


続いて相野谷川を通過


前方に「かたらいの郷」が見えて来た。


14時32分、「かたらいの郷」に到着


『いやぁ 今日はけっこう歩いたなぁ』
この後、竜ケ崎済生会病院へ行くため、整理体操は省略ということに。
『待たせちゃぁ悪いもんねっ』
付き添いのOG子さんから、少し前に既に治療は終わったとの連絡は入っていた。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

この後、救急車で搬送された3名を迎えに竜ケ崎済生会病院へ向かった。
既に治療は済んでおり、蜂の針は見つからなかったそうである。
薬を塗っただけの治療で、思いの他大事に至らず、ひと安心といったところ。
帰宅の途に就いた。


関東三大堰のひとつと云われる小貝川の豊田堰周辺を歩いた。
過去に福岡堰、岡堰も歩いているので、三大堰を全て歩いたことになる。

蜂に襲われ、刺されるという予想外のアクシデントが発生したのにはびっくり。
疲れの見えた会長も含めて、一緒に救急車で病院に搬送してもらい、
どちらも大事に至らずに済んで一安心、と言った一日だった。

この日の万歩計は、19,000歩を計測していた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする