2011年1月7日(金)
毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する、
本年第1回「取手七福神」を巡るウォーキングに参加した。
荒川沖駅の改札口に集まった皆さん。
『本年もよろしくお願いしま~すっ』先ずは新年の挨拶から始まる。
第二集合地の取手駅東口には、全部で23名が集まった。
初回にしては、まあまあの人数というところ。
駅前は狭く、通行の邪魔になってはいけないので、恒例の準備体操は省略だ。
8時55分に、最初の「光明寺」に向かって出発!
この冬一番の冷え込みに、マスク着用者が相次いだ。
少しでも寒さを凌げれば、と備えは万全である。
JR常磐線の線路沿いに進む。
昨年もお世話になったキリンビール工場の横を通り、しばらく進むと・・・
この日の最初の訪問地、南天の寺「光明寺」(寿老人)に到着した。
先ずは、長寿の神様に健康を願う。
この寺には、「一本刀土俵入り」を演じた名優と言われる、人間国宝第十七代目中村勘三郎の墓碑と、
作者「長谷川伸」の碑が建てられている。
三橋美智也の「一本刀土俵入り」を思い出す。
挫折した渡世人の駒形茂兵衛にはちょっと似合わない土俵入り姿の気がする。
次にむかったのは、「普門院」(布袋尊)だ。
回りを田んぼに囲まれこんもりとした林の中にひっそりと佇むように建っている。
小さなお寺である。
福徳円満の神様には幸福を願おう。
本堂の前に真新しい布袋尊の石造が。
今年はこのようににこやかに笑って過ごしたいものである。
次の明星院までは、やや距離がある。
北風を背に県道11号を東に向かって歩く。(取手東中学校付近)
お日様はありがたいのだが、風が冷たい。
道端のお地蔵さん? も赤い毛糸の帽子を被せられている。
しかし、皆さんは元気だ。
弱音を吐く人は一人もいない。
10時40分、「明星院」(恵比寿)に到着。
漁業・商売繁盛の神様には商売繁盛を願う。
お参り・ご朱印を済ませ、しばしの休憩だ。
寒いとトイレも近くなる。
この辺りに来ると、やっと田舎道、という感じになってきた。
やはり気持ちが癒される風景である。
明星院から次の「福永寺」(毘沙門天)までは5分ほど。
この頃になるとお賽銭が少なくなってきたのか、『もっとお賽銭を用意すれば良かった!』の声も聞かれる。
七難即滅の神様には、勇気を願おう。
次の東谷寺を目指して進む。
「東谷寺」(弁財天)の門をくぐって進み・・・
先ずは本堂の手前の弁財天にお参りだ。
『弁財天様なんだからお賽銭をはずんじゃおうっと!』
賽銭箱にやや重みのある音が響く。
色鮮やかな陶器製の弁財天像
学問・弁舌の神で弁才天として日本に入ってきたが、福徳、財物の神が加わって弁財天と称されるようになった。
音楽・学問の神様には、学問を願うのが本来のあり方?
こちらは、「東谷寺」本堂
ここでほぼ折り返し点になる。
ここからしばらくは、北風を正面からもろに受けることになる。
風避けとなるものが全く見当たらない。
強い北風の中、富士山をはっきりと見ることが出来たのが、せめてもの救いだ。
遠過ぎてデジカメには納めることが出来なかったのは残念!
11時50分を過ぎ、そろそろお腹も空いてきた。
ここで体調を整えて、次の「念仏院」を目指す。
北風が容赦なく吹きつけるが、
『こんな風なんかに負けてられないわっ!』
颯爽と歩く姿には、頼もしささえ感じる女性陣である。
「念仏院」(福禄寿)の階段を上る。
長寿安泰の神様には、長寿を願う。
「取手七福神」最後の「長禅寺」(大黒天)への階段を上る。
楼門をくぐると、正面に建つのが茨城県指定文化財の三世堂(過去・現在・未来)である。
内部はさざえ堂形式で、螺旋階段状になっている。
日本最古のさざえ堂形式だそうである。
新四国相馬霊場八十八ヶ所の発願・結願寺でもあり、四国八十八か所巡りをしたのと同じ御利益があると言われる大師堂。
これで、四国八十八か所をも巡ったことになるのだから真にありがたいお寺さんである。
和合と招福の神様には、勤労を願って・・・
これが七福神全てのお参りを済ませた証拠だ。
何となく御利益がありそう。
七福神巡りを終えて長禅寺の階段を下りる。
13時近くになりお腹もかなり空いてきたのか口数が少なくなってきた。
しかし、疲れた顔にも何となく満足感が漂う。
この後、駅周辺の料理屋・レストランなどで、思い思いの昼食を摂り、帰途に着いた。
本年第1回目は、新年に相応しく「取手七福神巡り」と洒落込んだが、
この冬一番の寒気と強い北風に見舞われ、震え上がる一日になった。
歩数も20,000歩を優に越えており、思いのほか歩いたことが分かった。
途中で足首を捻挫し、バスで駅に向かった一人を除き、最後まで歩き通した会員の”成長ぶり”には会長も満足そう。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”
毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する、
本年第1回「取手七福神」を巡るウォーキングに参加した。
荒川沖駅の改札口に集まった皆さん。
『本年もよろしくお願いしま~すっ』先ずは新年の挨拶から始まる。
第二集合地の取手駅東口には、全部で23名が集まった。
初回にしては、まあまあの人数というところ。
駅前は狭く、通行の邪魔になってはいけないので、恒例の準備体操は省略だ。
8時55分に、最初の「光明寺」に向かって出発!
この冬一番の冷え込みに、マスク着用者が相次いだ。
少しでも寒さを凌げれば、と備えは万全である。
JR常磐線の線路沿いに進む。
昨年もお世話になったキリンビール工場の横を通り、しばらく進むと・・・
この日の最初の訪問地、南天の寺「光明寺」(寿老人)に到着した。
先ずは、長寿の神様に健康を願う。
この寺には、「一本刀土俵入り」を演じた名優と言われる、人間国宝第十七代目中村勘三郎の墓碑と、
作者「長谷川伸」の碑が建てられている。
三橋美智也の「一本刀土俵入り」を思い出す。
挫折した渡世人の駒形茂兵衛にはちょっと似合わない土俵入り姿の気がする。
次にむかったのは、「普門院」(布袋尊)だ。
回りを田んぼに囲まれこんもりとした林の中にひっそりと佇むように建っている。
小さなお寺である。
福徳円満の神様には幸福を願おう。
本堂の前に真新しい布袋尊の石造が。
今年はこのようににこやかに笑って過ごしたいものである。
次の明星院までは、やや距離がある。
北風を背に県道11号を東に向かって歩く。(取手東中学校付近)
お日様はありがたいのだが、風が冷たい。
道端のお地蔵さん? も赤い毛糸の帽子を被せられている。
しかし、皆さんは元気だ。
弱音を吐く人は一人もいない。
10時40分、「明星院」(恵比寿)に到着。
漁業・商売繁盛の神様には商売繁盛を願う。
お参り・ご朱印を済ませ、しばしの休憩だ。
寒いとトイレも近くなる。
この辺りに来ると、やっと田舎道、という感じになってきた。
やはり気持ちが癒される風景である。
明星院から次の「福永寺」(毘沙門天)までは5分ほど。
この頃になるとお賽銭が少なくなってきたのか、『もっとお賽銭を用意すれば良かった!』の声も聞かれる。
七難即滅の神様には、勇気を願おう。
次の東谷寺を目指して進む。
「東谷寺」(弁財天)の門をくぐって進み・・・
先ずは本堂の手前の弁財天にお参りだ。
『弁財天様なんだからお賽銭をはずんじゃおうっと!』
賽銭箱にやや重みのある音が響く。
色鮮やかな陶器製の弁財天像
学問・弁舌の神で弁才天として日本に入ってきたが、福徳、財物の神が加わって弁財天と称されるようになった。
音楽・学問の神様には、学問を願うのが本来のあり方?
こちらは、「東谷寺」本堂
ここでほぼ折り返し点になる。
ここからしばらくは、北風を正面からもろに受けることになる。
風避けとなるものが全く見当たらない。
強い北風の中、富士山をはっきりと見ることが出来たのが、せめてもの救いだ。
遠過ぎてデジカメには納めることが出来なかったのは残念!
11時50分を過ぎ、そろそろお腹も空いてきた。
ここで体調を整えて、次の「念仏院」を目指す。
北風が容赦なく吹きつけるが、
『こんな風なんかに負けてられないわっ!』
颯爽と歩く姿には、頼もしささえ感じる女性陣である。
「念仏院」(福禄寿)の階段を上る。
長寿安泰の神様には、長寿を願う。
「取手七福神」最後の「長禅寺」(大黒天)への階段を上る。
楼門をくぐると、正面に建つのが茨城県指定文化財の三世堂(過去・現在・未来)である。
内部はさざえ堂形式で、螺旋階段状になっている。
日本最古のさざえ堂形式だそうである。
新四国相馬霊場八十八ヶ所の発願・結願寺でもあり、四国八十八か所巡りをしたのと同じ御利益があると言われる大師堂。
これで、四国八十八か所をも巡ったことになるのだから真にありがたいお寺さんである。
和合と招福の神様には、勤労を願って・・・
これが七福神全てのお参りを済ませた証拠だ。
何となく御利益がありそう。
七福神巡りを終えて長禅寺の階段を下りる。
13時近くになりお腹もかなり空いてきたのか口数が少なくなってきた。
しかし、疲れた顔にも何となく満足感が漂う。
この後、駅周辺の料理屋・レストランなどで、思い思いの昼食を摂り、帰途に着いた。
本年第1回目は、新年に相応しく「取手七福神巡り」と洒落込んだが、
この冬一番の寒気と強い北風に見舞われ、震え上がる一日になった。
歩数も20,000歩を優に越えており、思いのほか歩いたことが分かった。
途中で足首を捻挫し、バスで駅に向かった一人を除き、最後まで歩き通した会員の”成長ぶり”には会長も満足そう。
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