ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

特選街道を歩くⅠ 第六回 (中山道)塩尻宿~下諏訪宿(2日目)

2015年07月20日 | ウマさんの「旧街道(特選)」を歩く
2015年7月20日(月)

昨年(2014年)は、旧東海道第一ステージとして、日本橋から三島宿までを歩いた。
今年は、旧街道の中でも歴史的に見所が多い区間を選んで、歩くことにした。
旧街道全ての区間を歩くのは、時間的にも資金的にも大変なためである。

第六回は、中山道(塩尻宿~下諏訪宿)を2日かけて歩いた。
見所・立寄り先などは、「浅田次郎と歩く中山道」(中央公論新社)を参考にした。

2日目朝、先ずは下社秋宮へ参拝する前に朝風呂で身体を洗い清めていこう。


鉄鉱泉本館から本陣近くの遊泉ハウス児湯(こゆ)へ。


遊泉ハウス児湯は、下諏訪宿霊泉の始まりとされる、神話に彩られた伝説の湯。
現在は、歴史のある児湯と錦の湯が統合され、「遊泉ハウス児湯」という日帰り温泉施設である。
昨日入った「旦過の湯」と「新湯」と合せ、下諏訪温泉公衆浴場”三湯巡り”の一つになっている。


『なかなか気持ちの良い湯だったよねっ』


前を行くのは女性陣だ。
我々と同じ「遊泉ハウス児湯」に入っていたらしい。
旅館へ戻るのかと思いきや、これからもう1軒「旦過の湯」へ入るとのこと。
『湯あたりしちゃうよっ』


男性陣は鉄鉱泉本館へ


この日も暑くなりそうだし、朝食はしっかりと食べておこう。


9時16分、この日最初は、昨日参拝していなかった諏訪大社下社秋宮へ向かうことにした。
春宮へ行く際にはもう一度鉄鉱泉本館前を通るので、重いリュックは預けて身軽で行こう。


参拝する前に手と口を清める。


鳥居をくぐって石が敷き詰められた緩やかな参道を進む。


根入りの杉
この杉の木は樹齢凡そ600~700年で丑三つ時になると枝先を下げて寝入りいびきが聞こえ、
子供に木の小枝を煎じて飲ませると夜泣きが止ると云われている、そうだ。


神楽殿
御神前に神楽を奉納するための建物で、天保六年(1835)上社本宮幣拝殿を手掛けた、
立川和四郎二代目富昌棟梁により落成した。
正面の大注連縄は、御柱祭毎に新しく奉製され、重量は約1トンあるそうだ。
また、青銅製の狛犬は日本一大きい、とのこと。


神楽殿は、三方切妻造りと呼ばれる様式で、幣拝殿のような彫刻は見られない。
あまりにも堂々とした構えなので、最初はこれが拝殿ではないかと思ったほどである。


神楽殿内部は、凛とした雰囲気が漂う。


幣拝殿は、安永六年(1777)に起工、同十年に落成した。
工匠は諏訪出身の初代立川和四郎富棟で、彼は当時盛んになった立川流建築を学び、
彫刻は中沢五兵衛につき、いくつかの名建築を残した。
国指定の重要文化財となっている。


幣拝殿内部は厳かで神々しい。


一之御柱
御柱は、寅年と申年の七年目毎に御宝殿の造営と共に建替られる御神木で、
社殿の四隅に建立されている。(案内による)
秋宮一之御柱は、長さ17m余、直径1m余、重さは10t余か?


秋宮二之御柱も同じ大きさの樅の樹で、霧降高原に続く東俣国有林に於いて伐採され、
数千人の氏子の奉仕により曳行された。
次の御柱祭(式年造営御柱大祭)の木落しは来年平成28年4月8日(金)9日(土)10日(日)に催される。
三之御柱、四之御柱は、秋宮には見当たらなかった。


下社秋宮前から大社通り(中山道:国道20号)を通して諏訪市街地を望む。
『昨日この坂道を歩いて来たんだよねぇ』


新鶴本店
明治六年創業の塩羊羹の店。
厳選した材料を揃えて楢薪を焚き、手作業で練り上げる伝統の塩羊羹は、
初代が羊羹に塩味を加えることを思いつき、考案した。
さらりとした甘みと塩の旨みが魅力、とのこと。


いったん鉄鉱泉本館へ戻り、預けていたリュックを受け取って、
次の目的地である諏訪大社下社春宮へ向かう。


かつてこの辺りは旅籠屋・茶屋・商屋が建ち並んでいた、とのこと。


伏見家邸
江戸時代の建築様式や生活用品の展示を無料公開している。


江戸日本橋より55番目の下原一里塚跡碑


火消道具箱 火乃用鎮


10時7分、慈運寺の石段前を通過
慈運寺は、武田信玄が保護した寺で、信玄ゆかりの”矢除石”がある、とのこと。
武田信玄が石の上に立つ僧に向かって弓の名手に矢を射らせたが、矢は全てはね返され、
上人には一本も当らなかったという伝説の石、だそうだ。


大曲りに差しかかる。
ここを左に進むと春宮への参道になる。


富士山がちらりと顔を覗かせてくれていた。
(今回の街道歩きで富士山を見たのはこれが最初で最後だった)


10時12分、諏訪大社下社春宮へ到着。


境内左手に神社へ奉納されたお神酒(おみき)の樽が並んでいた。
真澄は何度か飲んだことがある。


御柱を曳行する台車と思われる。


神楽殿
御神前に神楽を奉納するための建物で、落成は江戸時代前期天和年間(1681~1684年)頃のもの。
秋宮の神楽殿より古く、簡素な造りとなっている。


幣拝殿
この建物は、御幣と拝殿が一体となったもので、幣拝殿と呼ばれる。
建築様式は二重楼門造りで全体に見事な彫刻が施されている。
棟梁は、地元の宮大工柴宮で(伊藤)長左衛門で、秋宮と同じ絵図面で,
秋宮幣拝殿より1年早い安永九年(1780)に落成した。
春秋両宮は社殿構造は同じで当時は双方で技術が競われた。


拝殿内部の造りは秋宮とよく似ている。


左右片拝殿
この建物は、幣拝殿と同じ安永九年(1780)地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門により造営されたものである。
秋宮に比べて幅が短く屋根が片切りになっている。
国の重要文化財に指定されている。


一之御柱


二之御柱
秋宮御柱とほぼ同じ大きさである。
春宮にも三之御柱、四之御柱は見当たらなかった。


万治の石仏へ向かう。
橋を渡ったところは浮島社である。


浮島社からもう一つの橋を渡ると万治の石仏は近い。


土産物店の前を通って進むと・・・


10時28分、左手に万治の石仏が見えた。
大きな半球状の自然石の上に小さな頭が載っている。
画家の岡本太郎や作家の新田次郎が絶賛したというユニークな石仏である。
胴部分に万治三年と刻まれていることからこの名がついた。
岡本太郎が世に出した石仏として有名、だそうだ。


参拝方法
一、正面で一礼し、手を合せて「よろずおさまりますように」と心で念じる。
二、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する。
三、正面に戻り、「よろずおさめました」と唱えてから一礼する。


最初に石仏の正面で手を合わせ、「よろずおさまりますように」と念じ、石仏の周りを回る。


後ろから見るとこんな形をしている。
頭がなければ普通の石である。


四周目?
写真を撮ったりしていたら、一周余計に回ってしまったようだ。


川で遊ぶ子供達の歓声が林に響く。
対岸は先ほど通ってきた浮島になる。


岡本太郎揮毫による万治の石仏碑


10時40分、下諏訪駅方面へ向かう。


大社通りを進むと下馬橋があった。


御手洗川に架けられた屋根付の太鼓橋で、諏訪大社下社最古の木造建造物である。
かつての参道で、参拝者はこの橋を渡っていたのだろう。
今は、車道は下馬橋を避けるように作られている。


石碑群と力石
昭和初期まで若者の力くらべに使われた石で、大きいのは60Kgほどあるそうだ。


下社春宮の鳥居は、明治25年に建立され、高さ約8.5mとのこと。


道祖神碑


10時56分、中央本線の線路を横断
下諏訪駅方面を望む。


当初、下諏訪駅をゴールとしていたが、まだ時間が早いので、上諏訪駅まで歩こうということになった。
下諏訪駅裏を通り、諏訪湖畔へ向かう。


朝顔の青い花びらが美しい。
『これだけ揃って咲くと見事なもんだねぇ』


炎天下の中、諏訪湖湖畔へ。


11時26分、諏訪湖畔に到着


諏訪湖畔の遊歩道を上諏訪駅を目指す。
『あの辺に富士山が見えるんじゃないっ?』


ちょうどこの辺りが国土交通省選定の”関東の富士見百景”下諏訪町「湖浜」であり、
天気の良い日は、このように見えるのだそうだ。


しかし、実際に見えたのは、富士山は雲に覆われて、こんな状況である。
『天気は良いのにねっ ほんと残念だよな~っ!』


11時38分、1Km地点を通過


湖畔の遊歩道を進む。


湖面の岸近くは菱で覆われていた。


大四ツ手網漁
産卵のため岸に近付くフナやコイを狙って、風呂敷のような網を上下に動かす、のだそうだ。


11時45分、諏訪湖博物館前を通過


諏訪湖対岸の景色
1周は約16Kmある、とのこと。


『湖畔の風が気持ち良いわねっ』


11時58分、2Km地点を通過


湖畔の景色
写真中央付近が上諏訪駅辺りだろうか?


12時11分、3Km地点を通過。


12時14分、諏訪湖間欠泉センターの建物が見えて来た。


次の間欠泉噴出まであと15分以上待たなければならない。
現在は、コンプレッサーで圧縮空気を送り、上部の冷えた温泉を取り除くことにより、
間欠泉を噴出させている。また、噴出高は5m程に留まっている。
とのことなので、このまま上諏訪駅へ向かうことにした。


諏訪湖畔公園を通過


片倉館は、大正から昭和初期に日本における輸出総額の約1割が絹製品であった当時、
シルクエンペラーと称された片倉財閥により地域住民に厚生と社交の場を供するため、
昭和3年に竣工された。
天然温泉を豊富に湛える大理石造りの浴槽は、100人が一度に入浴できるほどの広さで、千人風呂と称される。
深さ1.1mの底には黒い玉砂利が敷き詰められている。


上諏訪駅へ向かう。


12時44分、上諏訪駅西口に到着。


13時28分発の新宿行き「スーパーあずさ18号」までしばらく時間がある。


駅前で食事でもと探したが殆どの店は閉まっていた。
仕方なく駅中のコンビニでおにぎりやサンドなどめいめい好みのものを買い求め、駅のホームで。


13時35分、7分ほど遅れて「スーパーあずさ18号」がホームに入って来た。


車内はほぼ満席状態
立ったままよりはましと、通路に腰を下ろしていたが、甲府から何とか座ることができた。
新宿には15時40分頃に到着した。


上野駅駅中のたこ焼き屋でビールで乾杯
『どうも~っ 皆さん大変お疲れさまでしたぁ』


「旧街道を歩く」第六回目(塩尻宿~下諏訪宿)の2日目を無事歩き終えた。
諏訪大社下社秋宮と下社春宮に参拝できて、ひと安堵である。

当初のゴールは下諏訪駅を予定していたが、時間が早かったので上諏訪駅まで歩いた。
諏訪湖畔は、景色も良く、気持ち良く歩けた。

この日の万歩計は、16,000歩を差していた。

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