2012年8月25日(土)
「KDD遊歩会」の定例ウォーキングに参加した。
今回のウォーキングは、千葉県野田市の「 醤油発祥の地 野田 」散策である。
最近別のウォーキングが忙しく、KDD遊歩会の例会にはあまり参加していない。
年初めの”隅田川七福神巡り”以来なので半年ぶりとなる。
この日の集合場所は、東武野田線愛宕駅だ。
既に何人かが到着していて、ホームのベンチで腰を降ろしていた。
集合場所は駅前だが、日差しを避けるものがないため、ホームのべンチで時間を潰しているとのこと。
改札口を出て見ると、実際に日除けになるものは何も見当たらない。
強烈な日差しをまともに受ける。
ホーム内で時間調整するのは賢明な対処だったのだ。
集合時間少し前に皆さん、ようやくホームから出てきて全員が勢揃い。
この日の参加者は17名である。
歩道橋の影が日差しを遮ってくれるのがありがたい。
会長から挨拶に続いて『熱中症には十分に気を付けましょうっ!!』との注意喚起があり、
10時ちょうど、出発!
5分足らずで、愛宕山西光院を通過。
奥に見えるのは西光院本堂である。
西光院は新義真言宗豊山派の寺院である。
真言宗にもいろいろ宗派があるようだ。
西光院の本堂。 愛宕神社と同じ敷地内にあるように見える。
西光院のすぐ斜め前に愛宕神社があった。
愛宕神社では、古くから「野田のつく舞」が行われているそうである。
野田地方では、亨和二年(1802)の夏に大干魃があり、その際、当時の野田町や山崎村で行われた
雨乞いの行事が最初で、文政元年(1818)愛宕神社の祭礼において初めて「津久舞」として演じられたと云う。
現在では、14m~15mほどの柱の頂上に醤油樽が付けられ、雨蛙姿に扮装した「ジュウジロサン」と呼ばれる津久男が、
囃子につれて正体・横体・逆体と曲芸を演じながら登る。
頂上の樽の上に立って、破魔矢を四方に射つ神事を行い、その後綱渡りの放れ技で下降する。
千葉県の無形民俗文化財に指定されている。(案内板より)
茨城県龍ケ崎市に伝わる「撞舞」と実に良く似ている。
愛宕神社は、火伏の神・愛児の神である。
野田開墾の後、火の災難を防禦せんが為、延長元年(923)山城國愛宕郡愛宕(京都市右京区)の里から
この地に迦具土命(かぐつちのみこと)の御分霊を遷奉りて氏神とした。(案内板より抜粋)
愛宕神社
創建は、延長元年(923)で、祭神は、迦具土命(火伏の神)
社殿様式は権現造り、木造銅板葺。
社殿拝殿は、文政七年(1824)十月二十四日に再建したもの。
社殿拝殿には、沢山の見事な彫刻が施されている。
二代目石原常八の作とのこと。
県指定有形文化財となっている。
じっくり眺めている時間がないのが惜しい。
神社本殿の回りにはいろんな神様が合祀されている。
これは勝軍地蔵尊
本殿の裏にあり、西光院の隣に建てられていた。
雪見灯篭
文政十二年(1829)、江戸の商人衆43人の講中で寄進したもの。
石灯篭
享和二年(1802)「愛宕大権現氏子中」と刻まれており、かつて愛宕神社が愛宕大権現と
称されていたことが確認できるものとなっている。
野田に醤油が発祥した永禄時代から醤油圧搾に重石が使われていた。
宝暦六年(1756)、飯田氏奉納の石は千葉県で一番古いものだそうだ。
昔、力自慢の若衆が石を肩まで持ち上げて競い合い、誰が持ち上げたかを
石に名を刻んで奉納したものと云われている。
愛宕神社を後にして、次に「野田の醤油発祥地」碑に向かう。
焼けるような太陽が恨めしい。
愛宕神社から5分ほどで、「野田の醤油発祥地」碑に到着した。
碑の隣に小さな社が祀られていた。
「野田の醤油発祥地」の碑には次のように刻まれている。
この地は室町時代永禄年間(1558-1570)に飯田市郎兵衛家が初めて野田で醤油を醸造した、
飯田家亀屋敷の遺跡である。
昭和四十六年一月二十七日、野田市文化財に指定されている。(碑説明文)
(因みに土浦の柴沼醤油(キッコーショウユ)の創業は元禄元年(1688)である)
近くに古そうな漬物屋があったので、寄ってみることにした。
漬物屋「坂倉」は享保二年(1717)の創業とあるから、300年にもなる老舗だ。
たちまち店の中は人でいっぱいになった。
『しょうがのおり漬け? 酒のつまみにぴったりみたいだなぁ』
『どれにしようか、迷っちゃうよねっ』
なす・大根・しょうが・きゅうりをそれぞれ1パック(各315円)を買うことにした。
漬物であれば、かみさんも喜ぶだろう。
土産を買ってしまったので、何となく気が楽になった。
漬物屋「坂倉」を後にして、野田市民会館を目指した。
普通、アーケードは雨の日は大助かりというものだが、この日ほど太陽が降り注ぐ日中に
アーケードが嬉しいと思ったことはない。
塀の向こうに古めかしい煙突のようなものが見える。
何かの醸造所であろうか?
古い薬医門には「市民会館」と書かれている。
『えっ、ここが市民会館っ?』
市民会館と聞けば、ホールなどを備えた洒落た鉄筋のビルを想いだすのが普通なのだが、
一瞬、目を疑うような建物である。
入口(正門)から入ることにしよう。
赤く塗られた塀が強く印象に残る。
「野田市民会館・野田市郷土博物館」の入口である。
大きく立派な四脚門だ。
醤油醸造家、茂木佐平次邸として大正末期に建てられたものが、
昭和三十一年(1956)に市に寄贈されたものとある。
「野田市郷土博物館」
昭和三十四年(1959)に造られた県内初の本格的な博物館とある。
主な展示は醤油関係資料、郷土に関する歴史民俗資料などである。
1階は、市民コレクション展などの企画展や特別展が行われる。
現在、陶芸の市民アート展が行われている。
郷土博物館の入口横に、蒸気式の空気圧縮機が展示してあった。
”もろみ”を搔き交ぜる時に動力となる圧縮空気を蒸気で作っていたものである。
今は、電気の力で圧縮した空気を使用している。
「市民会館」
醤油醸造家、茂木佐平治邸として大正末期に建てられたもので、
昭和三十一年(1956)に市に寄贈されたもの。
市民に部屋の貸出も行っている。市民ではない人への貸出も可能である。
この日は、昼食のために部屋を借りる(12:00~13:00)よう予約してあったそうだが、
早く着きすぎて時間を持て余していると・・・
幹事の方が再交渉して、11:00~12:00に変更可能となり、一同大いに喜んだ。
早速、奥の座敷に案内された。
何度か廊下を曲がって、部屋に辿り着いた。
時間はやや早かったが、ここで昼食タイムである。
冷房が効いているのが、何よりもありがたい。
昼食後に庭園を観て回った。
茂木佐平治邸の庭園(1)
大泉水には、残念ながら水は入れられていなかった。
茂木佐平治邸の庭園(2)
きれいに手入れされている。
茂木佐平治邸の庭園(3)
市民会館を後にする。
郷土博物館横辺りを通過して、
結城野田線を野田市駅方面へ進む。
昼食後は一段と暑さが増してきた感じである。
通りに面して、ところどころに古い建物が立っている。
「旧野田商誘銀行」の名称は、創立委員の殆どが醤油醸造家であり、
醤油の語呂にちなんで「商誘」と名付けられたものである。
大正十五年(1926)に完成したもの。
経済産業省の「近代化産業遺産」に指定されている。
こちらは、「興風会館」
建築様式はロマネスクを加味した近世復興式で、昭和四年(1929)の竣工。
大・小講堂、地下ギャラリー、集会室などを備えている。
こちらも経済産業省の「近代化産業遺産」に指定されている。
適当なところにバス停があった。
少しばかりの日除けであるが、少し休んで行こう。
なんと、これから行こうとしている、キッコーマン㈱の真ん前だった。
しかし、我々が行こうとしているのは醤油工場であり、目の前の建物ではない。
さらに結城野田線を進む。
古着なのだろうか、少し古い型の作業着のようなものがびっしりと並べられていた。
値段が表示されていないのが、少し気になるところではある。
醤油工場へ行く前に近くのお寺に寄って行くことにしよう。
真宗大谷派の長命寺である。
手洗いの水を汲みあげているところ。
汲みあげているうちにだんだん冷たくなってきた。
『なかなか美味しい水だねぇ』
長命寺本堂にお参りして行こう。
境内には、大師堂もある。
愛宕神社の社殿でも見たような彫刻が彫られていた。
同じ頃の作りであろうか。詳細は分からない。
12時52分、キッコーマン醤油工場に到着した。
しかし、見学は14:00からのため、それまでは館内で時間を潰す必要がある。
冷房が効いた部屋がある、とのことなので、何とかなるだろう。
もろみ貯蔵タンクの亀甲マークが印象的である。
「もの知りしょうゆ館」へ向かう。
「もの知りしょうゆ館」の入口を入る。
中へ入って進むと土産物店のある場所に突き当る。
この辺りが見学のスタートとなるらしい。
さて、ここでどう時間を過ごそうか?
先ず、土産物店で土産物を買い、”まめカフェ”があったので、中を覗いてみた。
すっきりとした店内は我が会員が席を陣取り、休憩していた。
自分も”豆乳ソフトクリーム”を注文。
ゆっくりとソフトクリーム舐めながら一休みだ。
豆腐に3種類の醤油をかけて味比べができる。
生しょうゆをかけてみたが、なかなか美味しかった。
皆さん、それぞれお好みの醤油で豆腐を食べていた。
他にも煎餅に醤油をかけながら焼くことも体験できるようになっている。
館内にはいくつかの古い時代の醸造の道具などが展示されている。
これは、締木式圧搾装置(しめきしきあっさくそうち)
仕込んだもろみを搾る装置である。もちろん人力で搾るのだ。
14時になり、工場見学が始まった。最初は映像鑑賞である。
ここからは、撮影禁止になっている。
約50分の見学が終わって、一段落しているところ。
皆さん、お土産はめいめい買ったようである。
帰りは、中庭を通り、工場を後にした。
宮内庁にお納めする醤油の貯蔵所である。
昭和十四年(1939)に江戸川沿いに建設されたが、老朽化のため移築され、
平成二十三年(2011)完成したもの。
まだまだ暑い日差しの中、工場の塀の横を野田市駅に向かう。
キッコーマンのマークが入ったもろみ貯蔵タンク
また来てください、と言っている?
朝方電車から見えたのは、このタンクだったのだ。
数分で東武線野田市駅に到着。
会長挨拶後、解散となった。
『今日は、暑い中本当にお疲れ様でしたっ!』
工場見学の土産の醤油(150ml)である。
かみさんがカンパチの刺し身を買って来ていたので、この醤油で味わうことにしよう。
この日は東武野田線の愛宕駅から野田市駅までを歩いたが、
醤油醸造に関わるいくつかの建物などを見学できた。
実際に歩いてみて、野田市は、歴史のある町だと云う事を強く感じた。
また、別の視点から野田市の散策をしてみたいと思った次第ではある。
猛暑の中のウォーキングだったが、一人も熱中症などに見舞われなかったのは幸いだった。
”ウマさんの「KDD友歩会」の目次”
「KDD遊歩会」の定例ウォーキングに参加した。
今回のウォーキングは、千葉県野田市の「 醤油発祥の地 野田 」散策である。
最近別のウォーキングが忙しく、KDD遊歩会の例会にはあまり参加していない。
年初めの”隅田川七福神巡り”以来なので半年ぶりとなる。
この日の集合場所は、東武野田線愛宕駅だ。
既に何人かが到着していて、ホームのベンチで腰を降ろしていた。
集合場所は駅前だが、日差しを避けるものがないため、ホームのべンチで時間を潰しているとのこと。
改札口を出て見ると、実際に日除けになるものは何も見当たらない。
強烈な日差しをまともに受ける。
ホーム内で時間調整するのは賢明な対処だったのだ。
集合時間少し前に皆さん、ようやくホームから出てきて全員が勢揃い。
この日の参加者は17名である。
歩道橋の影が日差しを遮ってくれるのがありがたい。
会長から挨拶に続いて『熱中症には十分に気を付けましょうっ!!』との注意喚起があり、
10時ちょうど、出発!
5分足らずで、愛宕山西光院を通過。
奥に見えるのは西光院本堂である。
西光院は新義真言宗豊山派の寺院である。
真言宗にもいろいろ宗派があるようだ。
西光院の本堂。 愛宕神社と同じ敷地内にあるように見える。
西光院のすぐ斜め前に愛宕神社があった。
愛宕神社では、古くから「野田のつく舞」が行われているそうである。
野田地方では、亨和二年(1802)の夏に大干魃があり、その際、当時の野田町や山崎村で行われた
雨乞いの行事が最初で、文政元年(1818)愛宕神社の祭礼において初めて「津久舞」として演じられたと云う。
現在では、14m~15mほどの柱の頂上に醤油樽が付けられ、雨蛙姿に扮装した「ジュウジロサン」と呼ばれる津久男が、
囃子につれて正体・横体・逆体と曲芸を演じながら登る。
頂上の樽の上に立って、破魔矢を四方に射つ神事を行い、その後綱渡りの放れ技で下降する。
千葉県の無形民俗文化財に指定されている。(案内板より)
茨城県龍ケ崎市に伝わる「撞舞」と実に良く似ている。
愛宕神社は、火伏の神・愛児の神である。
野田開墾の後、火の災難を防禦せんが為、延長元年(923)山城國愛宕郡愛宕(京都市右京区)の里から
この地に迦具土命(かぐつちのみこと)の御分霊を遷奉りて氏神とした。(案内板より抜粋)
愛宕神社
創建は、延長元年(923)で、祭神は、迦具土命(火伏の神)
社殿様式は権現造り、木造銅板葺。
社殿拝殿は、文政七年(1824)十月二十四日に再建したもの。
社殿拝殿には、沢山の見事な彫刻が施されている。
二代目石原常八の作とのこと。
県指定有形文化財となっている。
じっくり眺めている時間がないのが惜しい。
神社本殿の回りにはいろんな神様が合祀されている。
これは勝軍地蔵尊
本殿の裏にあり、西光院の隣に建てられていた。
雪見灯篭
文政十二年(1829)、江戸の商人衆43人の講中で寄進したもの。
石灯篭
享和二年(1802)「愛宕大権現氏子中」と刻まれており、かつて愛宕神社が愛宕大権現と
称されていたことが確認できるものとなっている。
野田に醤油が発祥した永禄時代から醤油圧搾に重石が使われていた。
宝暦六年(1756)、飯田氏奉納の石は千葉県で一番古いものだそうだ。
昔、力自慢の若衆が石を肩まで持ち上げて競い合い、誰が持ち上げたかを
石に名を刻んで奉納したものと云われている。
愛宕神社を後にして、次に「野田の醤油発祥地」碑に向かう。
焼けるような太陽が恨めしい。
愛宕神社から5分ほどで、「野田の醤油発祥地」碑に到着した。
碑の隣に小さな社が祀られていた。
「野田の醤油発祥地」の碑には次のように刻まれている。
この地は室町時代永禄年間(1558-1570)に飯田市郎兵衛家が初めて野田で醤油を醸造した、
飯田家亀屋敷の遺跡である。
昭和四十六年一月二十七日、野田市文化財に指定されている。(碑説明文)
(因みに土浦の柴沼醤油(キッコーショウユ)の創業は元禄元年(1688)である)
近くに古そうな漬物屋があったので、寄ってみることにした。
漬物屋「坂倉」は享保二年(1717)の創業とあるから、300年にもなる老舗だ。
たちまち店の中は人でいっぱいになった。
『しょうがのおり漬け? 酒のつまみにぴったりみたいだなぁ』
『どれにしようか、迷っちゃうよねっ』
なす・大根・しょうが・きゅうりをそれぞれ1パック(各315円)を買うことにした。
漬物であれば、かみさんも喜ぶだろう。
土産を買ってしまったので、何となく気が楽になった。
漬物屋「坂倉」を後にして、野田市民会館を目指した。
普通、アーケードは雨の日は大助かりというものだが、この日ほど太陽が降り注ぐ日中に
アーケードが嬉しいと思ったことはない。
塀の向こうに古めかしい煙突のようなものが見える。
何かの醸造所であろうか?
古い薬医門には「市民会館」と書かれている。
『えっ、ここが市民会館っ?』
市民会館と聞けば、ホールなどを備えた洒落た鉄筋のビルを想いだすのが普通なのだが、
一瞬、目を疑うような建物である。
入口(正門)から入ることにしよう。
赤く塗られた塀が強く印象に残る。
「野田市民会館・野田市郷土博物館」の入口である。
大きく立派な四脚門だ。
醤油醸造家、茂木佐平次邸として大正末期に建てられたものが、
昭和三十一年(1956)に市に寄贈されたものとある。
「野田市郷土博物館」
昭和三十四年(1959)に造られた県内初の本格的な博物館とある。
主な展示は醤油関係資料、郷土に関する歴史民俗資料などである。
1階は、市民コレクション展などの企画展や特別展が行われる。
現在、陶芸の市民アート展が行われている。
郷土博物館の入口横に、蒸気式の空気圧縮機が展示してあった。
”もろみ”を搔き交ぜる時に動力となる圧縮空気を蒸気で作っていたものである。
今は、電気の力で圧縮した空気を使用している。
「市民会館」
醤油醸造家、茂木佐平治邸として大正末期に建てられたもので、
昭和三十一年(1956)に市に寄贈されたもの。
市民に部屋の貸出も行っている。市民ではない人への貸出も可能である。
この日は、昼食のために部屋を借りる(12:00~13:00)よう予約してあったそうだが、
早く着きすぎて時間を持て余していると・・・
幹事の方が再交渉して、11:00~12:00に変更可能となり、一同大いに喜んだ。
早速、奥の座敷に案内された。
何度か廊下を曲がって、部屋に辿り着いた。
時間はやや早かったが、ここで昼食タイムである。
冷房が効いているのが、何よりもありがたい。
昼食後に庭園を観て回った。
茂木佐平治邸の庭園(1)
大泉水には、残念ながら水は入れられていなかった。
茂木佐平治邸の庭園(2)
きれいに手入れされている。
茂木佐平治邸の庭園(3)
市民会館を後にする。
郷土博物館横辺りを通過して、
結城野田線を野田市駅方面へ進む。
昼食後は一段と暑さが増してきた感じである。
通りに面して、ところどころに古い建物が立っている。
「旧野田商誘銀行」の名称は、創立委員の殆どが醤油醸造家であり、
醤油の語呂にちなんで「商誘」と名付けられたものである。
大正十五年(1926)に完成したもの。
経済産業省の「近代化産業遺産」に指定されている。
こちらは、「興風会館」
建築様式はロマネスクを加味した近世復興式で、昭和四年(1929)の竣工。
大・小講堂、地下ギャラリー、集会室などを備えている。
こちらも経済産業省の「近代化産業遺産」に指定されている。
適当なところにバス停があった。
少しばかりの日除けであるが、少し休んで行こう。
なんと、これから行こうとしている、キッコーマン㈱の真ん前だった。
しかし、我々が行こうとしているのは醤油工場であり、目の前の建物ではない。
さらに結城野田線を進む。
古着なのだろうか、少し古い型の作業着のようなものがびっしりと並べられていた。
値段が表示されていないのが、少し気になるところではある。
醤油工場へ行く前に近くのお寺に寄って行くことにしよう。
真宗大谷派の長命寺である。
手洗いの水を汲みあげているところ。
汲みあげているうちにだんだん冷たくなってきた。
『なかなか美味しい水だねぇ』
長命寺本堂にお参りして行こう。
境内には、大師堂もある。
愛宕神社の社殿でも見たような彫刻が彫られていた。
同じ頃の作りであろうか。詳細は分からない。
12時52分、キッコーマン醤油工場に到着した。
しかし、見学は14:00からのため、それまでは館内で時間を潰す必要がある。
冷房が効いた部屋がある、とのことなので、何とかなるだろう。
もろみ貯蔵タンクの亀甲マークが印象的である。
「もの知りしょうゆ館」へ向かう。
「もの知りしょうゆ館」の入口を入る。
中へ入って進むと土産物店のある場所に突き当る。
この辺りが見学のスタートとなるらしい。
さて、ここでどう時間を過ごそうか?
先ず、土産物店で土産物を買い、”まめカフェ”があったので、中を覗いてみた。
すっきりとした店内は我が会員が席を陣取り、休憩していた。
自分も”豆乳ソフトクリーム”を注文。
ゆっくりとソフトクリーム舐めながら一休みだ。
豆腐に3種類の醤油をかけて味比べができる。
生しょうゆをかけてみたが、なかなか美味しかった。
皆さん、それぞれお好みの醤油で豆腐を食べていた。
他にも煎餅に醤油をかけながら焼くことも体験できるようになっている。
館内にはいくつかの古い時代の醸造の道具などが展示されている。
これは、締木式圧搾装置(しめきしきあっさくそうち)
仕込んだもろみを搾る装置である。もちろん人力で搾るのだ。
14時になり、工場見学が始まった。最初は映像鑑賞である。
ここからは、撮影禁止になっている。
約50分の見学が終わって、一段落しているところ。
皆さん、お土産はめいめい買ったようである。
帰りは、中庭を通り、工場を後にした。
宮内庁にお納めする醤油の貯蔵所である。
昭和十四年(1939)に江戸川沿いに建設されたが、老朽化のため移築され、
平成二十三年(2011)完成したもの。
まだまだ暑い日差しの中、工場の塀の横を野田市駅に向かう。
キッコーマンのマークが入ったもろみ貯蔵タンク
また来てください、と言っている?
朝方電車から見えたのは、このタンクだったのだ。
数分で東武線野田市駅に到着。
会長挨拶後、解散となった。
『今日は、暑い中本当にお疲れ様でしたっ!』
工場見学の土産の醤油(150ml)である。
かみさんがカンパチの刺し身を買って来ていたので、この醤油で味わうことにしよう。
この日は東武野田線の愛宕駅から野田市駅までを歩いたが、
醤油醸造に関わるいくつかの建物などを見学できた。
実際に歩いてみて、野田市は、歴史のある町だと云う事を強く感じた。
また、別の視点から野田市の散策をしてみたいと思った次第ではある。
猛暑の中のウォーキングだったが、一人も熱中症などに見舞われなかったのは幸いだった。
”ウマさんの「KDD友歩会」の目次”