ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

富士登山トレーニング 御幸ヶ原コース~白雲橋コース

2016年06月19日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2016年6月19日(日)

富士登山トレーニング第3回目(自身2回目)のこの日は、筑波山口から御幸ヶ原コースを上り、
女体山(877m)を経由して、白雲橋コースを下るというものである。

9時20分前、この日のスタート地点、旧筑波鉄道の筑波山口駅に到着。
この日は、”ツールドつくば2016”が開催されたためか、小さな駐車場は既に満杯状態だった。
駐車場端の空スペースに縦列駐車して待つことしばし・・・


8時50分、主宰するYさんが到着。
この日の参加者は、14名である。
「健康ウォーキング同好会」からは、Nさんが参加。
『一生に一度は富士山に登りたい』という気持ちは、みんな同じだ。


Yさんから富士登山の基礎知識のレクチャーや、持物などの説明があり、


9時9分、筑波山を目指して出発!


筑波山口駅の標高は、Yさんによると海抜20mほどとのこと。
ということは、筑波山女体山(877m)まの高低差は、850m以上だ。


登山口の筑波山神社付近までは、前回と同じルートである。


筑波山神社裏の登山口までは、筑波山口駅からおよそ2.1Kmほどある。
けっこうきつい坂道なので、登山口に着く前にかなり体力を消耗する。


途中木陰があったのであらためて各自ストレッチをして、


登山口を目指す。


急坂の道を進む。


前回”売り”の張り紙のあった古民家前を通過。
今回、”売り”の張り紙は、どこにも見当たらなかった。
売れてしまったのだろうか?


急坂の道を進むと、


県道42号に出た。
つくばグランドホテルの向うに筑波山神社入口の赤い鳥居が見える。


県道42号を横断して正面の急坂道を進むと、


県道139号があり、さらにその先の筑波山大御堂西参道を進む。


9時53分、筑波山大御堂に到着。
筑波山大御堂は、この右手にある。


椎の大木の下で一休み。


少し遅れてYさんグループが到着


一息入れて筑波山登山口を目指す。
写真左は、筑波山温泉の源泉。
地下1,300mから汲み上げているそうで、近くのホテルへ供給されている、とのこと。
泉質はアルカリ性単純泉で神経痛・筋肉痛・冷え症などに効能があるほか、
PH値は10.25と高く、美容にも効果がある、とのこと。泉温は27.2℃。


10時12分、登山口の筑波山ケーブルカー宮脇駅に到着。


体調を整え、水・お茶などを購入して、登山口へ。


10時22分、登山開始
御幸ヶ原まで90分と案内されている。


最初は緩やかな杉の樹林を進む。


しばらくは筑波石の坂道が続く。


途中から丸太の階段になった。


10時59分、平坦な場所に出て最初の休憩。
この時点でYさんたちの姿は確認できなくなっていた。


目の前をケーブルカーの線路が走っている。


小休止の後、山頂を目指す。
この辺りから険しい坂道が始まった。
前を行くNさんになかなか追いつくことができない。
次第に離され、そのうち姿が見えなくなってしまった。


既に山頂から下りてくる人もいる。


また別の平坦な場所があった。
数人の人がベンチに腰を下して休憩していた。
ここにもNさんの姿はない。先に行ってしまったようだ。
マイペースで上ることにしよう。


ケーブルカーの線路脇を抜け、山頂を目指す。


険しい階段状の山道が続く。
上る人も下る人もそれぞれマイペースである。
休憩しては上り、上ってはまた休憩を摂るの繰り返しだ。
以前何度か上ったことはあるのだが、御幸ヶ原コースがこれほどきついとは思わなかった。
やはり歳のせいである。


ようやく少しだけ平坦な道に出た。
一息つける。


巨大な杉の木が目立つようになってきた。


11時20分、山頂まで600mの男女川の水源地近くを通過
男女川は、男体山と女体山の間を南下して桜川へと注いでいる。
筑波嶺の 峰より落つる男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
と小倉百人一首にも歌われている、と案内板にあった。


11時37分、山頂まで300m地点を通過。
あともう少しだ。


坂道は続く。


丸太の階段になった。


子供は身軽で元気だ。後ろから次々と自分を追い抜いて行く。


山頂の建物が見えてきた。


11時52分、やっとのことで山頂の茶店に到着した。
Nさんは一足先に到着して、待っていた。
登山口から1時間30分が経過していた。
御幸ヶ原コースの登山時間は90分となっているので、ぴったしの時間ではあるが、
正直言って疲れた。


御幸ヶ原のコマ展望台


この後目指す女体山(877m)の神社が見える。


その後、数名が到着し、後続の人を待った。
せっかくだからと男体山(871m)へ向かった夫婦も。


子供を背負って上ってきた若いママさん。
『いやぁ 凄いねこのママさん』


12時24分、後続の人たちが到着。


数分遅れてYさんが到着して、全員無事登頂を果たした。


弁当を広げる場所を求めて女体山方面へ。
筑波山頂駅の茶屋のベンチは満席だ。


御幸ヶ原の広場は、日曜日のためか大勢の人で賑っていた。


女体山側の筑波山の看板の前が空いていた?


筑波山の看板の前で弁当を広げることにした。
1つだけベンチが空いていた。
ここは女性陣に使ってもらうのが紳士のマナーというものだ。


目の前に男体山を眺めながらの弁当は格別である。


弁当が終わり、Yさんから富士登山の日程やルートの説明が・・・
次第に期待と不安が高まる。


13時35分、女体山(877m)を目指して出発!


13時46分、せきれい茶屋を通過。


ガマ石
元来は「雄龍石」と言い、傍らには「雌龍石」もあるが、この場所で、永井兵助が、
「ガマの油売り口上」を考え出したことで、”ガマ石”と呼ばれるようになった、そうだ。


岩だらけの山道を上ると、


13時54分、女体山神社に到着した。


女体山神社に参拝すると、女体山山頂(877m)の岩場は目の前だ。


つつじヶ丘駅が見える。


男体山(871m)を望む。


13時59分、女体山の下山開始
「白雲橋コース」で筑波山神社を目指すことになる。
筑波山神社までは、2.7Kmの距離である。


「白雲橋コース」の女体山直下は急な岩場が続くので、注意が必要だ。
特に下りは慎重に下りることを心掛けたい。
登る人も大勢いるし、若い人の中には追越して先に下ろうとする傾向があるので、
急ぐと危険である。


急坂の岩場が続き、次々と奇岩・巨岩が現れる。


大仏岩
高さ15m以上もあり、下から見上げた形が、大仏様が座っているように見えることからこのように呼ばれている。


北斗岩を潜る。


北斗岩は、天にそびえたつ岩で、天空に輝く北斗星のように、決して動かないことを意味している。


岩だらけの急坂が続く。


裏面大黒
大きな袋を背負った大黒様の後ろ姿に似ていることから、このように呼ばれている。


出船入船
元来「熊野の鳥居石」といわれ船玉神を祀り、石の姿が出船と入船とが並んでいるように見えることから
このように名付けられた。


国割り石
往古諸神が集い、この石の上に線を引き、神々の行くべき地方を割りふったと言われている。


陰陽石を見上げる。
高さ10mを越える巨大な石が二つ聳え立ち、陰陽寄り添っているように見える。


母の胎内くぐり
筑波山禅定(修験の行)の行場の一つ。
狭い岩の間を抜けることで、生まれた姿に立ち返ることを意味している。


高天原という場所は、神様の世界を意味し、天照大神を祀る稲村神社が建立されている。


弁慶七戻り
猛者と恐れられた弁慶でさえ、頭上の岩が今にも落ちそうで七戻りしたといわれている奇岩。
今に至るまで落ちてこなかったのが不思議である。


弁慶の七戻りの先に大木の切株があった。
中央に「天明の飢餓」と書かれた札があったことから、樹齢は推定250年だ。
(天明の飢餓の天明二年は、1782年に当たる)


14時48分、弁慶茶屋跡に到着。


14時57分、弁慶茶屋跡でしばらく休憩を摂った後、筑波山神社を目指して「白雲橋コース」へ。
筑波山神社までは、1.9Kmの道のりである。


「白雲橋コース」も最初は岩場の急坂が続く。


「御幸ヶ原コース」にひけを取らないほどの岩だらけの道である。
この辺りから次第に後続との距離が開き、一人で下ることにした。


15時43分、白蛇弁天を通過
ここに白蛇が棲むと云われ、白蛇を見たものは財をなすと云われている、そうだ。
実際に白蛇を見た人はいるのだろうか?


15時51分、「白雲橋コース」(左)と筑波山神社とつつじヶ丘を結ぶ「迎場コース」(右)の合流点「酒迎場」を通過
「酒迎場」からつつじヶ丘までは、1.6Kmだ。


「酒迎場」を過ぎると緩やかな木の階段になった。
速度を上げることはできるのだが、疲れていてその元気はなかった。


16時ちょうど、「白雲橋コース」登山口の鳥居に到着した。


視界が開けて目の前に筑波山麓の景色が広がった。


鳥居から筑波山神社までは100mほどだ。


神社の境内に入った所に楠木正勝の墓があった。
案内板には以下のように紹介されていた。
楠木正勝は、正成の孫で、虚無僧の祖と云われる。
現在の白雲橋近くにあった古通寺(普化宗)に来たと云われている。
古通寺は、昭和十三年(1938)の山津波により流された。


16時5分、筑波山神社に到着
無事の下山を報告した。


筑波山神社の山門を潜り、


筑波山神社を後にした。
かなり疲れたが、まだ出発地の筑波駅まで、残り2.1Km余。
頑張ろう!


御神橋を通過し、


参道の土産物店街を抜け、


朝方上ってきた大御堂前の細い道を下る。


味わいのある道である。
上って来た時と少し景色が異なる。
曲がる路地を間違ったようだが・・・


ほどなく見覚えのある道に出た。


16時54分、麓のバス車庫を通過


富士山トレーニングは、7月・8月にも予定されている。
筑波山にはその時またお目にかかろう。


16時57分、筑波駅に到着
数分後にYさんグループも無事到着した。
『皆さん、今日は大変お疲れさめでしたぁ』


富士山トレーニング第3回目(自身2回目)が終わった。
筑波山口から御幸ヶ原コースを上り、女体山(877m)を経由して、白雲橋コースを下るという
距離の長いコースだったが、無事歩き終えてホっとしている。
「健康ウォーキング同好会」では、毎週のように歩いているが、平坦なコースが多いので、
この日は久しぶりの登山気分を味わった。
足の筋肉が痛くてしようがない。あと2-3日はこの状態が続くだろう。
念願の富士登山に向けて、可能な限りトレーニングに参加して、富士山登頂を果したい。

この日の万歩計は、23,000歩を計測していた。
疲れた割には意外と少ないカウント値には、ちょっとがっかり。
山道の歩数は、疲れには比例しないのだ。


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富士登山トレーニング 初回は筑波山梅林へ

2016年02月21日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2016年2月21日(日)

2日前の19日(金)、久しぶりに知人のYさんからメールが届いた。
Yさんには、2009年11月から2012年1月にかけて茨城県の「関東ふれあいの道」を一緒に歩き、
実にさまざまなことを教えていただいた。
その後の私のウォーキングに大きな影響を与えた、私の師匠とも言うべき存在である。

そのYさんが、「現在活動中のグループの中から『一度でいいから富士山に登ってみたい』という声が上がり、
この夏”富士登山”を計画したので、参加しませんか?」というものだった。
また、それに備えてトレーニングをするので、そちらにも参加してみませんか?」とのお誘いだった。

トレーニング初日のこの日は、筑波山口から筑波梅林までを歩く、とのこと。
急な話ではあったが、自分も富士山は未だ登ったことがなく、一度は登ってみたい、
と思っていたので、二つ返事で参加させてもらうことにした。
ちなみにYさんは、過去7度富士山に登った、そうである。

13時の集合にはちょっと早めの12時15分、旧筑波鉄道の筑波山口駅に到着。


それらしき人は未だ誰も来ていなかった。


日曜日の午後ともなれば、駐車場は既に満車状態。
「りんりんロード」を走るサイクリング愛好家もいるし、20日から「筑波山梅まつり」が
始まっていたので尚更である。


何とか空いていた場所を見つけて、筑波山を背に車の中で待ことしばし。
三々五々、参加者と思しき人達が到着。


この日集まったのは自分も入れて10名だった。
この日は参加していなかったが、他にも2名ほどいるらしい。
自己紹介の後、Yさんから富士登山とトレーニング計画についての概略説明があり、
13時22分、この日の目的地筑波山梅林を目指して出発!


道標に従って筑波山神社方面を目指す。


いきなり”太陽光発電反対”の看板が目に入った。
何か揉めていることがあるのだろうか?


「観光協力の家」の看板が・・・
”トイレ休憩が出来る”とある。
『これは良いアイデアだねぇ』


雑木林に囲まれた緩やかな坂道を上る。


筑波山道路(県道42号)との合流点に出た。


筑波山道路とは反対側の坂道を進む。


視界が開けたので、振り返ってみると、かなり上って来たことが分かる。


藁葺の古民家風の前を通過。
”売出中”の貼り紙がしてあった。
『こんな場所、買い手がいるのかなぁ』


上りが次第にきつくなった。


筑波山口を出発して約35分経った13時58分、目の前に「つくばグランドホテル」が現れた。


左側を見ると、筑波山神社の大鳥居が・・・
『ここに出たのかぁ』
ようやく今いる場所が分かった。


筑波山市営駐車場へ向かう。


「つくばグランドホテル」を右手に見ながら駐車場へ。


急な石段を上ると、


14時5分、筑波山市営第3駐車場に到着。


駐車場の一番奥に筑波山梅林への近道がある。


筑波山梅林まで約500m、徒歩10分とある。
既に14時を過ぎているので、戻って来る人もいる。


緩やかな山道を進むことおよそ10分、


14時16分、筑波山梅林に到着。


駐車場へ戻る人に訊ねると、『今は5分咲きくらいかな』


園内には、白梅


紅梅、合計30種1,000本ほどが植えられているそうだ。


展望四阿から梅林を観てみよう。


四阿の中は大勢の人が観梅中だった。


『少し霞んでるけど良い眺めだねぇ』
眼下に梅林全体が見渡せる。
ほのかに梅の香りが漂ってくる。


標高約250mの展望四阿から筑波平野を見下ろす。
好天の日には、東京の高層ビル群や富士山も見渡すこともでき、
「関東富士見百景」のひとつとなっている、そうだ。


左側には宝篋山(461m)の電波塔も見える。


白梅も良いが、やはり紅梅が華やかで美しい。


展望四阿を後にして、木製の通路を下る。


『梅の香りが素敵だわねぇ』


筑波山の山体の大部分は硬い「斑れい岩」と呼ばれる深成岩(地下深くでマグマが冷え固まってできた岩石)
によって作られている、とのこと。
Yさん(中央)の説明に耳を傾ける皆さん。


筑波山の斑れい岩は、巨大な一かたまりの岩体をなしているが、女体山山頂付近では白く、
山麓では黒っぽい色をしている、そうだ。
一つの岩体で色が違うのは、マグマが冷え固まる際に比重が大きく黒っぽい鉱物が、
マグマだまりの下部に濃集して、残りの白く比重の軽い部分がマグマの上の方に
残ったためと考えられる、とのこと。


ここで引き返す筈だったが、少し山登りを体験してみようということで、筑紫湖方面へ。


少し行くと、砂防ダムがあり、その脇に上りの道がある、とのこと。
『上りは前傾姿勢で、頭の真下に足を出す感じで』とYさんのアドバイス。


よく見ると山道のような跡がある。


Yさんの後に続く。


小さな沢を渡り、


急坂の山道を上る。


上り始めて5-6分、今日のトレーニングはここまで・・・
Yさんによると、この道は山頂まで5時間近くもかかるそうだ。
ということで、ここで引き返すことに。
『下りで足を傷めることが多いので歩幅を小さくして下るように』とのアドバイス。


来た道を下る。
滑り易いので、注意が必要だ。


先ほど渡った沢を渡る。


『これで富士山登れるかなぁ』と不安そうな女性陣。
まだトレーニング初日、これからである。


梅林の中を通って下ることに。


満開の白梅が美しい。


園内のいたるところに筑波石が散在しており、野趣が感じられる。


野立をやっていた。
昨日から「筑波山梅まつり」が開催されているのだ。


「梅林お休み処」があった。


中へ入ってみると、”梅茶”のサービスが。
ほんのりと梅の香りがして、美味しかった。
”梅茶”の入ったカップを持って土産物の品定めをする皆さん。


知り合いという梅林ボランティア仲間の方に富士登山のことを話すYさん。
『筑波山に登れれば富士山にも登れるよっ』の力強い言葉に、
『何だか富士山に登れそうな気がしてきたわっ』と女性陣。
『だけど一番気を付けなきゃいけないのは、高山病だなっ』
Yさんも同じことを言っていたが、やっぱりそうなんだ。
あとはトレーニングで慣らしていくしかなさそうである。


特設ステージでは、筑波山名物の「ガマの油売り」の口上の真っ最中。


口上にも年期が入っている感じだ。


梅林入口駐車場前で一休みし、体調を整える。


15時23分、下山開始だ。
しばらく筑波山道路(県道42号)を下る。


梅林駐車場前の雑木林が切り開かれていた。


『ここにソーラパネルを作ろうってんじゃないのっ?』
『こんなところじゃ反対されるわよねっ』
上る時に見かけた”太陽光発電反対”看板の理由はどうやらこれらしい。
正直、ここに太陽光パネルが設置されたら景観を損なうだろうな、と思った。


自動車道路(県道42号)をさらに下る。


途中から歩道がなくなった。
この道路は車が多く、道幅も狭いので、歩いていて危険を感じる。
『歩行者のことを考えたら歩道を作るべきだよねっ』 ごもっとも。


歩道のない区間を200mほど下ると、上って来た時に通った合流点に。
この先は車は殆ど通らない小路なので、安心して歩ける。


筑波平野が見えてきた。


眩しいほどの日差しを全身に浴びながら下る。
『今日のトレーニングはこんなもんかな』とYさん。
これから半年かけて続けるそうなので、今後が楽しみである。


ゴールの筑波山口へ足取りは軽い。


すっきりと晴れた青空に筑波山が輝いているようだ。


最後は「りんりんロード」を歩き、15時53分、筑波山口(旧筑波駅)に到着。


Yさんから次回の日程の説明があり、この日はここで解散となった。
『次回またよろしくお願いしま~すっ』
『今日は大変お疲れさまでしたぁ』


突然の富士登山トレーニングの誘いだったが、参加して良かったと思っている。
初日のこの日は、筑波山梅林までだったが、今後徐々に高度を上げて筑波山の他、
日光男体山への挑戦も考えている、とのこと。
念願の富士登山に向けて、可能な限りトレーニングに参加して、富士山登頂を果たしたい。


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とん汁が美味かった 三中地区歩く会

2015年03月08日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2015年3月8日(日)

土浦市三中地区「体育協会」と「市民委員会スポーツ健康部」が主催する、”三中地区歩く会”に参加した。
コースは、三中地区公民館をスタートして、つくば市赤塚公園折り返し(全長約7Km)、足に自信のある人は
洞峰公園で折り返し(全長約10Km)、三中地区公民館へ戻るというものである。
今年で23回目となるそうだが、歩き終わった後のとん汁が美味しいとの噂もあり、参加してみることにした。

三中地区歩くポスター


集合は8時30分だが、ぎりぎりだと駐車場が満車になるのではと思い、三中公民館には8時10分に到着した。
交通安全協会やスタッフの人達が忙しそうに動き回っていた。
一般の参加者と思しき人は、まだ誰も来ていないようだ。


三中公民館の中ではスタッフによる打ち合わせが行われていた。


三中公民館の内部の様子
けっこう大勢の人が関わっていることに驚いた。


8時17分頃になって、自転車置き場で受付が開始された。
受付時に、番号札と飲み物引換券が渡された。
(受付をしているのは、殆どがスタッフの人達である)


8時40分を過ぎる頃になると、参加者が三々五々集まってきた。
傘を差すほどではないが、小雨がパラついているためか、出足は良くないようである。
(黄色い服を着た人や白線の入った帽子を被った人はスタッフの人達だ)


8時52分、開会式が始まった。


「健康ウォーキング同好会」メンバーの姿もちらほら見える。
(後で数えたら、11名が参加していた)


スポーツ健康部の指導による


準備体操をして、


9時5分、体育協会の旗手を先頭に出発!


学園東大通りを北上し、赤塚公園を目指す。


小学生や幼稚園児らしき子供達もいてかなり賑やかだ。


オートバイ販売店アップル前を通過


9時21分、乙戸沼公園前のファミレス「ガスト」前を通過


9時25分、常磐高速道下を潜る。


旗手を務めるのは三中地区体育協会だ。


モスバーガー前を歩く「健康ウォーキング同好会」のメンバー
T子さん(マスク姿)やOさんの姿が見える。


9時34分、大角豆(ささぎ)交差点の横断陸橋へ差し掛かった。


大角豆交差点の横断陸橋を渡る。


横断陸橋は、信号待ちしないで済むし、何より安全である。


横断陸橋を渡り、学園東大通りを進む。
中古車専門店富士カーズランド前を通過。


9時39分、東大通りを左折して梅園遊歩道へ。
入口のファミリーマートが目印だ。


梅園遊歩道を赤塚公園へ。


9時46分、梅園公園を通過。
写真では分かり難いが梅は満開に近い状態である。
(梅園公園内を歩いたこともあったそうだが、この日は素通りだ)


交通安全協会の協力もあって、梅園遊歩道を安心して渡ることができる。
『御苦労さまですっ』


梅園遊歩道のあちらこちらに咲く満開の白梅


9時55分、赤塚公園で、ここで折り返す組と分かれ、洞峰公園へ向かう。
「健康ウォーキング同好会」のメンバーの殆どが洞峰公園へ向かったの言うまでもない。


つくば公園通りを洞峰公園を目指す。
子供たちも元気が良い。


つくば公園通りに入ってから歩く速度が幾分速くなった感じがする。


つくば公園通り


10時10分、洞峰公園に到着
三中公民館を出発して1時間5分が経過していた。


余裕のある人は公園内の洞峰沼を一周(約1Km)することにしているそうだ。
旗手やスタッフは、洞峰公園の東屋で沼を一周する人を待つとのこと。
10時10分、休むことなく洞峰沼一周へ。


洞峰沼を一周する段になって、かなり人数が減ってしまった。


各人の歩く速度が異なるため、間隔も開くようになった。


『近回りしちゃった』


新都市記念館前を通過


「健康ウォーキング同好会」のメンバー


10時22分、洞峰沼を一周し、東屋に到着。
一周するのに約12分かかったことになる。
東屋では洞峰沼回りを省略した人達が待っていた。


10時32分、全員揃ったところで、赤塚公園目指して出発!


つくば公園通りを赤塚公園へ。


信号を渡ると赤塚公園である。


10時47分、赤塚公園に到着。


赤塚公園


ここで、ヨーグルトの差し入れが。
飲み物引換券を渡してヨーグルトを受け取る。
ひと汗かいた後のヨーグルトは美味しかった。


ヨーグルトを飲んで元気をつけたところで、


10時52分、ゴールの三中公民館を目指す。
赤塚公園で折り返した組とは25分ほど遅れているらしい。
急げば最後尾の人に追いつけるかもしれない、とのこと。
(とても無理だろう、この時はそう思った)


梅園遊歩道を学園東大通りへ向かう。


11時7分、学園東大通りに出た。
赤塚公園折り返し組に追い付こうと云うことか、ここで一段と速度が上がった。


11時9分、大角豆交差点


大角豆交差点


大角豆交差点


11時12分、牛丼の松屋前を通過
この辺りから前方数百m先に赤塚公園折り返し組の最後尾と思しき人が視界に入るようになった。
しかし、直ぐに追い付ける距離ではない。


11時18分、常磐高速道下を潜る。


イラン料理屋アリ’ズ・ケバブ前を通過


11時22分、乙戸沼公園前を通過
赤塚公園折り返し組の最後尾の後姿が大きくなった。


先頭集団の脚がさらに速くなった。
もう汗びっしょり、付いていくのが精一杯だ。
後続との差は開くばかりである。


11時27分、中村白鳥幼稚園前で、ついに赤塚公園折り返し組の最後尾に追いついた。


先頭はさらにどんどん先に進む。
旗手もここにきて置いていかれる始末である。


11時34分、三中公民館に到着した。
赤塚公園から42分、往きの時より8分も早く歩いたことになる。


とん汁のサービスに並んだ。


里いもと人参・しめじなどがたっぷりと入ったとん汁だ。


館内では、先に到着した赤塚公園折り返し組がとん汁を食べている最中だった。
ひと汗かいた後のとん汁の旨かったことは本当だった。
お代りをする人もたくさんいた。


あいにくくじ引きは”外れ”だった。
高確率で当るとのことだったが、どうもくじには縁がない。


参加賞を受け取り、帰路に就いた。
『今日はお疲れさまでしたぁ』
(ちなみに参加賞は高級ソフトティッシュだった)


「三中地区歩く会」と聞き、もっとのんびり歩くのかと思ったらとんでもなかった。
赤塚公園からの戻りはまるで競歩のような状態であった。
一生懸命に何とか旗手に付いていったが、たっぷりと汗をかかされた。
しかし、その後のとん汁は、噂のとおり本当に美味しかった。
今年で23回目ということだが、毎年この時期に開催しているそうなので、
また来年も参加しても良いかなと思った。


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京都嵐山から常寂光寺へ そしてトロッコ列車

2014年05月06日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2014年5月6日(火)


二条城への登城後、京都嵐山へ向かった。
かみさんが是非渡月橋を歩いてみたいと仰るのである。
JR二条駅から山陰本線で15分ほどのJR嵯峨嵐山駅で降りて、嵐山渡月橋を目指すことにした。

JR嵯峨嵐山駅には13時頃に到着した。


JR嵯峨嵐山駅に隣接してトロッコ嵯峨駅があった。
聞けば、渡月橋までであれば、次のトロッコ嵐山駅よりもトロッコ嵯峨駅からの方が距離が近く、
次のトロッコ嵐山駅までは住宅街を走るため景色もあまり良くないとのこと。
また、トロッコ列車は終点のトロッコ亀岡駅まで乗っても、次の駅までの1駅で降りても料金は
620円で、変わらないとのことである。
嵐山渡月橋まで歩いて15分ほどらしいので、歩くことにした。


JR嵯峨嵐山駅前で昼食を摂り、渡月橋へ向かった


街中ではあちこちで人力車を見掛ける。
今はちょっとした歴史を感じる街へ行けば人力車を見掛けることが多い。


渡月橋近くの通りに到着した。
先ほどの街中に比べると人通りが一段と多い。
道路は歩行者専用のように人が歩いているが、時々車が走るので危ない。


天龍寺の参道前を通過。


JR嵯峨嵐山駅から15分ほどで渡月橋に到着した。
TVなどで見慣れた景色であるが、自身の目で見るのは初めてだ。


渡月橋を渡ってみよう。
想像以上の人の列である。


渡月橋から見た桂川下流の景色


渡月橋を渡ったところで、記念写真を撮り、引き返すことにした。


渡月橋を引き返すにも人の列が続く。
GW最後の休みで天気も良いとなれば、これは当然のことなのだろう。


渡月橋から見た桂川上流(大堰川)の景色


渡月橋の橋の袂で客待ちをしている人力車夫。


天龍寺山門があったので、ここを通って行けばトロッコ嵐山駅へ行けるだろうと考え、山門をくぐって中へ。


山門に続く中門を通って天龍寺の奥へと進む。
午前中に二条城を歩き回ったので、天龍寺の建物はどうでもよく、
最短距離で竹林の道へ行ければ良いと思っていたのだが・・・


中門をくぐってしばらく進むと法堂(はっとう)があった。
予備知識なしだったので、天龍寺のことは全く何も知らず、どこに何があるのかさっぱり見当がつかない。
たまたま寺の人と思われる人がいたので、訪ねると、この先から竹林へは行けないとのこと。
ただし、庭園(有料)を見た後であれば、北門からは出られる、とのこと。


仕方なく引き返して竹林の道を目指すことにした。
天龍寺の山門から法堂までの往復は余分だったことになる。
次第に歩き過ぎた疲れが出てきたせいか、かみさんからも愚痴を言われるようになってきた。
『これはちょっとやばい』


細い径を進むと、両側に竹林が現れ始めた。


ここも人が多い。
立ち止まって写真を撮るにも一苦労である。


この辺りの竹林はやや細い竹である。


鬱蒼とした竹林の中に野宮神社(ののみやじんじゃ)があった。


野宮神社を過ぎて、両側が竹林の中を進むと、天龍寺北門があった。
庭園(有料)を見た後であれば、ここから出ることが出来るのだ。


天龍寺北門を過ぎた辺りから竹林の竹が太い孟宗竹に変わった。


竹林もきれいに手入れされている。


これだけの竹に囲まれるというのは初めてである。
あちこちでカメラを構える人で通路は大賑わいである。


大河内山荘庭園
時代劇「丹下左膳」などで知られる、俳優大河内傳次郎が別荘として造営した回遊式庭園である。
時間もあまりないので、次の機会(?)に訪れることにした。


14時53分、トロッコ嵐山駅に到着。
次の15時10分発のトロッコ亀岡行きに乗ろうと思ったが、既に満席とのこと。
仕方なく、その次の16時10分発の切符(指定席)を買い求めた。何とか買えて一安心。
しかし、まだ1時間以上もあるため、それほど遠くない常寂光寺へ行ってみようということに。


小倉池を左手に見ながら常寂光寺(じょうじゃっこうじ)へ向かう。


常寂光寺へ。


小倉池から5分ほどで常寂光寺に着いた。
山門をくぐって境内に入り、その奥で拝観料400円を払い、寺内へ。


常寂光寺仁王門
慶長元年(1596)、大本山本圀寺十六世究竟院日上人が、この地に隠棲して開創した。
寺域が幽雅閑寂で、天台四土にいう常寂光土の観があるところから寺号となった、とのこと。


常寂光寺は古来、紅葉の名所として知られる、小倉山の中腹に寺域を占める日蓮宗の寺院である。


常寂光寺のもみじの緑が素晴らしく美しい。
秋は全山紅葉に包まれるというから、見事な紅葉を見せてくれるのだろう。
かみさんならずとも、秋にもう一度訪れてみたいものである。


苔むした景色も何とも言えない静けさと美しさがある。


じっとしていると常寂光寺の緑に染まりそうである。


石段を上ると鐘楼があった。


百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあるため、境内から嵯峨野を一望できる。


常寂光寺にはもみじの緑だけではなく、竹林もある。


鐘楼の先に多宝塔が見えた。


多宝塔
元和六年(1620)の建立で、檜皮葺造り。高さは12mある。
国の重要文化財に指定されている。


もっとじっくりと常寂光寺の緑に浸っていたいが、トロッコ列車に乗らなければならないので、
常寂光寺を後にしてトロッコ嵐山駅へ向かった。
売物件の看板が。
常寂光寺の直ぐ傍ということもあるし、値段は見当もつかない。


小倉池の池畔に御髪神社(みかみじんじゃ)なるものがあった。
日本で唯一の頭と髪の神社だそうだ。
列車まで若干時間があったので、かみさんは先に駅へ行ってもらい、立寄ってみることにした。


人間の頭を守る髪は頭の神様でもあり、最近では合格祈願等の参拝に訪れる人も多いらしい。
そう言えば、若い参拝者がたくさん訪れていた。


御髪神社の御祭神は、藤原采女亮政之公(ふじわらうねめのすけまさゆき)とのこと。


15時10分発の列車の案内があり、トロッコ列車のホームへ。


トロッコ亀岡行きの列車が来た。


驚いたことに、先頭3両が停まっているのは、トンネルの中である。
トンネルの中にホームはなく、後ろ2両がトンネル手前で停止していることから、
前3両に乗る場合は、後ろ2両からの乗車となるのである。


トロッコ列車からの眺め。
指定席は進行方向左側だったので、しばらくは保津川の景色を楽しむことが出来た。


ゆっくりと走ってくれるのはありがたいが、デジカメの素人にとっては、ピントが上手く合わせられない。
比較的写りの良いのをと選んだのがこの写真である。


トロッコ列車からの眺め
このピンボケで、我慢していただくしかない。


トロッコ列車からの眺め


トロッコ保津峡駅を過ぎると、景色は進行方向右側になってしまった。
列車は立席もあるが、満員状態である。
この状態では右側を見ることは難しい。
最初に左側を見れたことだし、トロッコ亀岡までじっと座って我慢することにした。


16時38分、トロッコ列車は終点のトロッコ亀岡駅に到着した。
折り返してトロッコ嵯峨駅行きになるのだが、今度は先頭となる5号車「ザ・リッチ号」は直ぐに満席になった。
「ザ・リッチ号」は窓がないため、これからの時期は人気が高いのだと思う。


トロッコ列車の編成は写真のようになっている。
因みに我々夫婦が乗ったのは、2号車だった。


トロッコ列車亀岡駅からは、


徒歩で最寄りのJR馬堀駅へ向かうことになる。
回りは田んぼ(まだ耕してなくて水も張られていない状態)ばかりで他に何もない。


トロッコ亀岡駅から5分ほどでJR馬堀駅に到着した。


JR馬堀駅から亀岡までは山陰本線を利用する。
JR馬堀駅に下りの電車がやって来た。


17時3分、JR亀岡駅に到着。
ここから愛車を停めてある道の駅「ガレリア亀岡」まで約1.5Kmである。
疲れているが頑張って歩くしかない。


亀岡市役所が見えてきた。
残り500mほどだ。


17時30分、道の駅「ガレリア亀岡」に到着した。
『お疲れさ~ん』


この日は朝から道の駅「ガレリア亀岡」を出発してJR亀岡駅まで歩き、二条城の外堀までも一周するなど歩き回った。
それだけでもかなり疲れたが、その足で京都でも有数の観光地である嵐山渡月橋を歩き、天龍寺・竹林の道・
常寂光寺と回って疲れはピークに達したが、小倉山の緑で少し癒されたのは救いだった。
さらには、トロッコ亀岡駅からJR馬堀駅、最後はJR亀岡駅から道の駅「ガレリア亀岡」まで歩いて戻るという、
強行軍であった。日頃あまり歩かないかみさんからはブーイングが浴びせられてしまった。
因みにこの日の万歩計は、27,000歩を越えていた。

この後、亀岡ICから沓掛ICまで京都敦賀自動車道を走り、沓掛ICから京都市内を走り抜け、
京都東ICで名神高速道に乗り、自宅へと向かった。


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今年話題の中津城に登城して来ました

2014年02月04日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2014年2月4日(火)

大分臼杵出身のかみさんの姉の夫が脳出血で突然亡くなるという不幸があり、1月末から大分に帰省していた。
葬儀も無事終え、一段落したことから、今大河ドラマで話題の「軍師官兵衛」が築城した中津城を訪問することにした。

黒田官兵衛は、天正十四年(1586)に九州征伐の先鋒を務め、豊前国に侵攻。
翌天正十五年(1587)、豊前六郡を拝領。入国し検地を始めた。
天正十六年(1588)正月、中津城の築城を開始した。
慶長五年(1600)黒田家は関ヶ原の戦いで徳川方につき、中津城から西軍の所領を攻めた。
長政の戦功により筑前52万石に加増、名島城に転封となり築城は中断された。

中津城の築城に黒田官兵衛が絡んでいることを大河ドラマで初めて知ったのはお恥ずかしい限り。
「100名城」には入っていないが、大分県人として、一度は足を運んでおかねばならない。
見取り図を頼りに城内を歩いてみることに。


黒御門跡から大手御門方面を望む。


黒御門跡


椎ノ木御門跡から本丸跡を望む。
中津神社の鳥居と思われるが、椎ノ木御門跡の真ん中に建てるのはいかがかと思う。


三斉池(さんさいいけ)から天守閣を望む。
慶長五年(1600)黒田如水・長政の後を継いだ細川忠興の号”三斉”の名を冠して「三斉池」と呼ばれている。


独立自尊(福沢諭吉)の碑
(独立自尊:人に頼らずに自分の力だけで事を行い、自己の人格・尊厳を保つこと)
中津市指定文化財となっている。


中津大神宮
由緒記によると、明治十四年九月伊勢ノ神宮御分霊を奉迎鎮祭し、神宮豊前教会として御鎮座。
その後幾多の変遷を経て、昭和二十一年四月中津大神宮として今日に至る、とある。


中津大神宮の御祭神は天照皇大神・豊受大神ほか二柱とのこと。


中津城天守閣と櫓
昭和三十九年(1964)、本丸上段の北東隅櫓跡(薬研堀端)に観光開発を目的に建てられた。
しかし、模擬天守にしてはしっかりとした良い造りだと思う。


中津城天守閣をバックに記念撮影
かみさんの甥の息子と一緒に。


中津城天守閣
江戸時代の絵図には天守は描かれていないため、天守の存在については不明だそうである。
現在の天守は萩城の天守を模して昭和39年に建設されたものである。


法螺貝の音がするので上を見上げたら、天守閣で法螺貝を吹いているいる人が見えた。
登城する人を鼓舞するかのように高らかに吹いている。


400円を払って天守閣内に入ると黒田官兵衛と合子形兜(ごうすなりかぶと)が目に入る。
黒田孝高(官兵衛)が妻・光姫の父である志方城主・櫛橋伊定から婚約の祝いに贈られた合子形兜。
合子形とは蓋付き椀の形のことをいい、戦国時代の変わり兜のひとつ、だそう。


天守内は中津城(奥平家歴史資料館)として一般公開されており、奥平家歴代の当主の甲冑や、


奥平忠昌が徳川家康から拝領した白鳥鞘の鑓(しらとりざやのやり)などが展示されている。


法螺貝を吹いていた人は、介護施設の運転手をしているとのことで、週に2-3回はここで法螺貝を吹いているそうだ。
自分も吹かせて貰ったが、初めてなので鳴るはずもない。
100人に一人くらいは音を出せる人がいるそうだ。


記念撮影をさせてもらった。


天守閣からの眺望
高瀬川(現中津川)河口方面を望む。


天守閣からの眺望
本丸から三の丸方向を望む。
薬研掘の左には長福寺があったそうだが、今は地方裁判所になっている。


天守閣からの眺望
高瀬川(現中津川)上流を望む。


奥平神社
黒田家・細川家・小笠原家に続き、享保二年(1717)丹後宮津より奥平昌成が入城した。
奥平家の武運・戦勝の神社で、ご神体は、奥平家中興の祖奥平貞能・信昌・家昌公三柱の祭神を祀っている。


大分地方裁判所から見た中津城天守閣


薬研堀から見た中津城天守閣


天守閣が石垣の外にせり出しているのが中津城の特徴だろうか。


右側の石垣は黒田孝高(女水)時代の本丸跡の石垣。
左側の石垣は後から積まれた細川忠興(三斉)時代の石垣で、忠興自慢の石垣だったとのこと。


中津城と黒田官兵衛像
碑には、「我、人に媚びず、富貴を望まず」と刻まれている。


高瀬川(現中津川)
中津城は、高松城、今治城と並んで”日本三水城”と云われているが、
高松城、今治城のように今でも堀が常に海水に浸っているという状態ではない。


中津神社の大鳥居
明治四年(1871)に本丸南側の石垣の一部が壊され、本丸内に通じる道が造られた。
左右に分けられた石垣の間に立つ大鳥居は、昭和七年(1932)に建てられたものである。


復元された石垣(大鳥居の東側:大鳥居に向かって右側)
戦後地表面から上半分が撤去され、堀は埋められ残った下半分の石垣は地下に見えなくなっていた。
平成13年~20年の修復工事で見えなくなっていた元の石垣を掘り出し、その上に新しい石垣を復元した。
上半分の白っぽい部分が復元された石垣。


穴太積み黒田の石垣(大鳥居の西側:大鳥居に向かって左側)
九州最古と云われる近世城郭の石垣として残っている、そうだ。
東側の石垣の端と西側の石垣の端を見通すと緩やかな弧を描き、
道路を挟んで対岸の石垣まで連続していることが分かる、とのこと。
これを「輪取り」と云い、力を内側に集中させ、石垣が崩壊するのを防ぐ造りになっているそうである。
(残念ながら確認はしていない)


中津神社
城内本丸跡には、他にも奥平神社、中津大神宮、城井神社、扇城神社がある。
こんなに神社があるのは珍しい。


唐原山城の石を使用した黒田の石垣


鉄御門跡
中津城にはすぐ脇を流れる高瀬川(現中津川)に面して鉄門(鉄御門)があった。


中津川河川敷から見た鉄御門跡の石垣


城井神社(きいじんじゃ
宇都宮鎮房を御祭神として祀っている。
城井谷城主宇都宮家は信房より鎮房に至る16代およそ400年の間豊前国守として徳政を布いていた。
秀吉は、九州平定にあたり、豊前六郡を黒田孝高に、二郡を毛利勝信に与え、宇都宮鎮房は四国今治移封とした。
鎮房はこれを返上して抵抗したため、黒田家と死闘を繰り返すこととなった。
秀吉は孝高と諮り、長政と鎮房の息女千代姫(鶴姫)との婚約を約し、和睦した。
天正十六年(1588)4月20日、黒田孝高の嫡男の長政は、鎮房を中津城に招き、酒宴の席で謀殺した。
黒田孝高は、熊本の一揆征伐で中津城を留守にしていた。
天正十九年、長政は深く感ずる処があって、城内守護紀府(城井)大明神として鎮房を祀り、
福岡移封後はその地に警護大明神として祀った、そうである。

中津城を後にして、黒田孝高ゆかりの寺合元寺へ。

合元寺(ごうがんじ)の赤い壁の由来
天正十五年(1587)豊臣秀吉の九州征伐における功労者として、豊前国の6郡およそ12万石を賜った黒田官兵衛(孝高)は、
領内の平定において、城井城主・宇都宮鎮房(しげふさ)(城井鎮房)の抵抗に手を焼いていた。
官兵衛は一計を案じ、嫡子の長政が鎮房の13歳になる娘・鶴姫を嫁にし、宇都宮氏の旧領は安堵するという条件で和睦を提示、
鎮房もこれを了承した。


しかし、天正十六年(1588)4月20日、婚姻の宴に招かれた鎮房は中津城内で謀殺されてしまう。
鎮房の従臣たちが待機していたこの合元寺にも黒田の手勢が押しかけた。
鎮房の従臣たちは奮戦したが、ことごとく斬り伏せられ、壁はその血で赤く染まったそうである。
その後壁は何度白く塗っても血が染み出してくるので、ついに赤く塗ったと云う。
寺は赤壁寺とも呼ばれている。


浄土宗西山派の寺院、合元寺の山門


合元寺本堂
黒田官兵衛(孝高)が姫路から恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来を移して、空誉上人という僧を開山に迎え、
この寺院を建立した。


合元寺山門を入って直ぐ左に延命地蔵菩薩堂がある。
奮戦の末斬り伏せられた宇都宮鎮房の家臣は合葬され、寺内の延命地蔵菩薩堂に祀られ菩提を弔われた。


延命地蔵菩薩堂(お願い地蔵)内部
中央に延命地蔵菩薩、左側にお願い地蔵菩薩が祀られている。


福沢諭吉旧宅
合元寺から寺町を通り、7-8分ほどで福沢諭吉旧宅があった。
入館料400円だったのと、時間の都合もあり、写真に収めるだけに留めた。



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