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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬物語109古書売買の開基の地

2011年05月26日 | 福神漬
古書売買の開基の地
 江戸下谷は上野寛永寺の学僧が多かったため古書店が商売として成り立ったと思われる。明治二十年代まで古書はどんどん消えていったと言う。価格がない貴重書が他の文化財とともに海外に流出したり古紙として使用されたという。明治の錦袋円薬舗の跡地にあった琳琅閣は広すぎて、本以外の物が次第に集まり、骨董趣味の文化人・企業人のサロンになったと言う。

明治の20年代の上野界隈・当時の下谷区には元幕臣やその子孫が多く住んでいたが次第に貧しくなっていったのが幸田露伴の生い立ちの歴史を見るとわかる。同様に夏目漱石も決して恵まれていたわけではない。ただ彼等は東京と言う文明開化の地にいて日々刺激をうけていた。
 上野周辺は幕府の教育機関が多くあった、湯島聖堂は「日本の学校教育発祥の地」といわれ、さらに上野寛永寺において天台宗を学ぶ学僧もいて、教育の地でもあった。明治になって東京大学も出来て学生の町となった。琳浪閣などの古書を扱う本屋も明治の中頃には上野池之端にあった。
 最後の戯作者といわれる鶯亭金升が京都人久保田米僊を根岸党に紹介したというのも彼が池之端に住んでいたころである。(敗者の精神史)新旧の文化が上野池之端と言う地で根岸党・派を生んだ原因でもある。

反町茂雄氏の本によると上野池之端は日本における古書売買の開基の地という。武江年表に『寛永・正保の頃、長崎より唐本の商人泉屋半三郎と言うもの江戸に来たり、池之端に住し、初めて古書籍の売買をなし、のち大書肆(ほんや)となりたり。これを古書売買の初めなりぞ』とある。同じ池之端に住して、明治古本屋界雄飛した琳琅閣主人の談に、名を『千載に伝える妙薬は珍書を多く集め、これに蔵書印を捺印しておくに限る。誰でも珍書を粗末にするものがないから本と共に名は残る』

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