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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

文明東漸史

2011年05月15日 | 福神漬
文明東漸史 藤田茂吉著 明治17年(1886)9月
高野長英の記録を読んでいるとこの本に出合うこととなる。明治17年に出版されたこの本によって世間に忘れ去られた高野長英・渡辺崋山の功績の再評価された。また根岸党の一員となった森田思軒が序文を漢文で書いてある。
 明治17年ともなれば自由民権運動が内部対立によって自滅する時代でもあった。この様な時、福沢十哲の一人といわれた郵便報知新聞社記者藤田茂吉によって、明治維新が薩長の力だけではないと書いた本だった。本は評判となり、高野長英の逃走劇となって歌舞伎・講談となった。特に講談師松林伯円は高野長英を取り調べた南町奉行筒井政憲と交友があり、筒井から聞いた事実を巧みに取り入れて講談に仕立てたので評判となった。筒井は実子である下曽根金三郎と高野長英の関係から事件に対して難しい処理だったと思われる。伯円の講談の中ではあっさりとした事務的な情の無い取調べであったという。当時の幕府上層部の権力闘争の中では筒井は実子まで罪が行かないようにするのが限界だったのだろうか。また藤田の説では内田弥太郎が伊賀者同心なので情報収集状況が前もって知れていたのではないかと書いてあった。しかし高野長英は冤罪であっても裁判の場で無実を証明する自信があったので自首したという。

 内田弥太郎は養子になったので根っからの伊賀者でないので歴史小説家はここで苦労している。内田は数々の事件に関与しながら罪になっていないのはなぜだろうか。
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