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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

井関隆子

2011年05月25日 | 福神漬
旗本夫人が見た江戸のたそがれ-井関隆子のエスプリ日記
深沢秋男著
天保の改革の本を読んでいたら、この本と出合った。井関隆子の日記は明治になって古書店琳琅閣の斎藤の手に入った。斎藤から高価格でこの日記を鹿島神宮の関係の手に渡り今日出版され史料となっている。池之端にあった頃の琳琅閣は古美術等の目利きが集う梁山泊とも言われていていた。その建物は江戸時代了応禅師(福神漬の元祖とも言われる漬物を作った。)の勧学屋という薬屋の跡地を購入したものだった。
 井関隆子の日記に出てくる天保11年の頃は、井関家の家刀自(主婦)は戸田氏栄の妹だった。これから井関隆子日記を読むのだが天保の改革の中で失敗の事業である印旛沼工事に戸田氏栄が工事の目付として参加している。彼は工事事業を批判したため、間もなく左遷され駿府町奉行になった。ペリー来航時の書簡集である『南浦書信』という本で氏栄という人は率直に信念を述べる人と書いてあったが、印旛沼工事に於いても幕府幹部を批判した言動があったと思われる。
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