高野長英渡辺華山開化廼魁
松林伯円講演 今村次郎速記 明治29年9月出版
大田区立馬込図書館 城昌幸記念文庫所蔵
今では忘れ去られた講談。
高野長英が南町奉行所に自首したのは天保10年5月20日だがこのときの月番は南町奉行所で町奉行は筒井伊賀守だった。筒井は後のペリー来航時の国書翻訳に立ち会ったほどの人物で蘭学好きとして知られていた人物だった。また当時の北町奉行所は同じく名奉行といわれた遠山景元だった。
高野は筒井の公平な裁きを期待して、逃亡続ければ冤罪を認めることとなるので南町奉行所が月番になった時に出頭したのである。しかし筒井は吟味与力に取調べを任せ、淡白に事件を処理したと伯円は述べている。伯円は一時筒井の隣に住んでいて筒井家に出入りしていた関係から南町奉行で処理した事件を留守居役となった筒井から事件内容を直接聞いていたと思われる。明治になって藤田茂吉によって文明東漸史が著され渡辺崋山・高野長英が一般の人たちに知れるようになった。伯円は藤田の本に刺激を受け、筒井から聞いていた事件の内容を講談にしたようである。
講談師松林伯円は筒井から南町奉行で処理した事件を講談にしたものがある。松林伯円は明治38年に亡くなっているので、福神漬を食べたことがあるのだろうか?また松林伯円こと若林義行は築地の隣の京橋区木挽町9-7に住んでいた。これは今改築中の歌舞伎座付近である。
松林伯円講演 今村次郎速記 明治29年9月出版
大田区立馬込図書館 城昌幸記念文庫所蔵
今では忘れ去られた講談。
高野長英が南町奉行所に自首したのは天保10年5月20日だがこのときの月番は南町奉行所で町奉行は筒井伊賀守だった。筒井は後のペリー来航時の国書翻訳に立ち会ったほどの人物で蘭学好きとして知られていた人物だった。また当時の北町奉行所は同じく名奉行といわれた遠山景元だった。
高野は筒井の公平な裁きを期待して、逃亡続ければ冤罪を認めることとなるので南町奉行所が月番になった時に出頭したのである。しかし筒井は吟味与力に取調べを任せ、淡白に事件を処理したと伯円は述べている。伯円は一時筒井の隣に住んでいて筒井家に出入りしていた関係から南町奉行で処理した事件を留守居役となった筒井から事件内容を直接聞いていたと思われる。明治になって藤田茂吉によって文明東漸史が著され渡辺崋山・高野長英が一般の人たちに知れるようになった。伯円は藤田の本に刺激を受け、筒井から聞いていた事件の内容を講談にしたようである。
講談師松林伯円は筒井から南町奉行で処理した事件を講談にしたものがある。松林伯円は明治38年に亡くなっているので、福神漬を食べたことがあるのだろうか?また松林伯円こと若林義行は築地の隣の京橋区木挽町9-7に住んでいた。これは今改築中の歌舞伎座付近である。