山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

保守政党期待で巡らすこと。中朝の内政干渉に与する行為は、公然の「スパイ活動」

2010-04-10 18:57:26 | Weblog
平沼・与謝野新党「たちあがれ!日本」に対するメディアの扱いが、ふたりの政治理念が違う集合体であると否定的である。
たしかに平沼・与謝野のこれまでの政治行動から政策の相違はあるが、決して交わらないものではない。
郵政問題に関しては小泉政局のなかで、民営化が是か非かとなったもので、いまになっても民営化そのものに反対であれば困りものだが、民営化のもとで修正論点を議論すればそう大したことでもなく、郵政職員労組の視点よりも国民本位の制度改正を念頭にすれば収まり所は容易に見えてくるであろう。
財政再建、経済対策は相関する政策課題であり、直近政策として経済安定化策、その推移のなかで財政再建問題を確実に計画実行に移していくもので、(計画策定を何年にするかなどの合意で)なんら大きく対立するものでもないだろう。
もっとも基軸とすべきことは、外交・安全保障政策のスタンスで、政治家個人の国家観、歴史観こそが政党結集の支柱になるべきであろう。
新党は、自主憲法制定を挙げているが、これは自民党結党の党是でもある。
自主憲法と謳う通りに、条文以前の問題として、GHQによる「占領(下)憲法」を日本人の手で制定するという政治目標が基本にある。
それすらも否定するものであれば、自民党議員を名乗ることも逸脱する政治信条の持ち主として、すぐにほかの政党に移籍すべきである。
独立国家の政治家として(中韓朝などの)内政干渉に応える政治家も、それだけで(保守)自民党議員失格である。憲法改正は現行憲法上極めて条件が厳しいものであるが、法律上のテクニカルな解釈によっては別の局面もでてくるであろう。
思想信条の自由が認められている日本人の行動として、内政干渉に屈せずに粛々と靖国神社参拝を実行できる議員のみを、新党「たちあがれ!日本」の基軸にすれば、自民党ほかの政党の保守系議員との連携は極めて国民に解かりやすい政治結集の核となる。
保守再生を掲げる国家観重視の平沼赳夫と消費税増税を中心に国家財政の再建を主張する与謝野馨とは、だいぶ肌合いが違うなどと、メディア解釈が散乱しているが、これなどは批判派に乗った短絡な報道姿勢である。
ブログ子の意見としては、自主憲法制定は当然として、郵政民営化は賛成で金融安全保障策に限定的措置を考える。
財政再建も当然に喫緊の課題とするが、まずは経済安定策を図り、そのうえで出来るだけ早期に財政再建策を実行せしめることとするものである。
議員個々が身近な日常行動として靖国神社参拝の一点を基軸にすれば再建保守政党が見えてくる。
議員は同時に靖国参拝に異議のある有権者に対して説得する理論武装が求められることになる(歴史教育不在の戦後教育が問われる)。
逆にこの一点行動をクリアできない議員は保守にあらずのレッテルを張る格好の仕分け作業(踏み絵)となる。
理不尽な内政干渉に屈しない政党こそ、「真の保守政党」の証しである。保守政党期待で想い巡らすこと。
他国による内政干渉に与する行為は、公然の「スパイ活動」であり、諸国では安全保障上から処罰対象になるもので、隣りの中国などでは死刑が免れないだろうに、日本では議論にすらならない「スパイ天国」が実態である。
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第三極新党構想が入り乱れる中で、政界再編に期待。

2010-04-10 12:41:15 | Weblog
第三極新党構想が入り乱れる中で、いま冷静に振り返って見ると、自民党政治(日本政界事情)の劣化崩壊は約20年前から始まっていたんだな、と深く感じ入っている。
繰り返される「政治とカネ」の問題が起きるたびに、(選挙・政治資金の)制度論にすり替えて小手先の改正で政権延命を図ってきた。
もっとも無責任野党などは、話の端にもならないものなのだが・・・。
とくに、1993.7の野党転落時に、河野洋平を総裁に選出したことは、いま振りかえると自民党にとって致命的であった。
この野党に下った時こそ、保守政党の再構築をすべきチャンスであったのに、政治改革優先の美名のもとに「選挙制度論」に舵を切り、政治家自身の信条・理念による政治結集論議がまったくなかったことである。
むしろ、宮沢・後藤田などのリベラル派は、小沢一郎が憲法と自衛隊の海外派遣を整合させる「小沢調査会」の報告書答申、自署「日本改造計画」で発表された、安全保障基本法構想などに対して、(河野自民党が)対抗軸として、より左に路線を修正したことで、現在の(社会主義)民主党政策にすぐに反応できる保守思想を喪失した党現状を作りだしてしまった要因となっている。
先頃の人事で河野太郎を幹事長代理に起用したが、谷垣禎一(要職ならまだしも)を党総裁に選んだことや、河野太郎が(20人の推薦人を以って)総裁選挙に挑戦できる党内事情は、もはや保守政党とは言えない状況である。
河野一族について述べてみると、河野一郎(当時農相)は己の北方漁業利権を優先させて北方領土問題を棚上げさせた。 戦後60余年、いまだに解決をみていない。
田川誠一(元朝日記者)は中国の言うがままに日中記者交換協定(1964.4)を取り決め、親中議員として従兄弟の河野洋平と被対日工作ルートとして国交回復以前から活動している。
伊藤忠兵衛の娘を娶った、洋平と(伊藤忠商事の)親中売国行為はいまさら言うまでもないだろう。
吉田茂はガンで病床にあった池田首相に、「河野(一郎)のような容共政治家を許すな」と書簡で説き、後継禅譲(1964.10)を佐藤栄作に導いている。
河野一族が三代にわたり行ってきた国を売る政治行動に対して、何の指摘することもなく容認し、勝手な言動を許しているのは保守政党の自壊を表すものである。
宮沢喜一は資本主義体制を維持することを、自身の「保守政党(観)」と述べ、歴史や伝統による総体的な国家観を備えた保守には一切言及していない。
宮沢は、戦後政治のなかでもっとも長く与党政治の中枢で与してきた政治家であるが、大平首相急逝で誕生した鈴木善幸内閣(1980.7)の官房長官となったときから、自民党政治は軸足が左に少しづつ移動してきたように思われる。
リベラル派は、戦後日本の永劫指針として「吉田ドクトリン」を持ち出し、軽武装(米国依存)で経済優先策を自民党の中心に据えようとの論調(朝日新聞や岩波など)を定着させようとしてきた。
吉田自身が反省の弁として述べているが、「吉田ドクトリン」は経済復興までの当面の政策指針であって、長期的展望を論じてきたものではない。
吉田は佐藤内閣誕生(1964.11.9)にあたって、自らが安全保障政策課題に十分に取り組んでこなかった責任を痛感して、直弟子の佐藤に「再軍備問題や憲法改正を政治課題にする必要性」を申し伝えている。
(翌1965の日米協会での晩餐会挨拶で、吉田は核武装検討の問題提起発言もしている)
中国が初の原爆実験成功(10.16)、米の原潜シードラゴン号が佐世保に入港(11.12)し、左翼の抗議行動に覆われていた時期である。
日本共産党は、中国の原爆実験直後の第9回党大会(11.24)で、臆面もなく中国共産党路線(毛沢東思想)を確認しているのだから、(共産党が)核廃絶運動などと言い張るのはペテン紙朝日新聞と同じ狂った思考集団(単に反米親中)と言える。
11.17、朝日新聞は広岡知男が代取専務となり、中共の対日工作紙としてアクセルは全開過程に入る。
このような中で、黄砂ならぬ赤化に塗られたスパイもどきの親中リベラル議員が、自民党に正面玄関から次々と侵入してきたわけである。
いま日本人としての誇りと矜持を以って行動できる政治家がどれだけいることだろう。
馬鹿ポッポ首相はすでに浸透工作完了のように思えてならない。蘆武鉉のように自殺する覚悟さえ持ち合わせていないだろう。
新党「たちあがれ!日本」は齢70歳の政党として、国民の受け取りはあまり芳しくない。
ただ、全学連~全共闘世代に重なる60歳代の左傾化した体たらく議員(鳩山兄弟・小沢・菅・加藤・中川秀・・)に引導を渡し、人生最後に立ち上がれの気概を示し、講和後の若い世代にカツを入れ呼び掛けていることには違いない。
(みんなの党・首長新党との)第三極の争奪合戦が政界再編につながっていくように思えてならない。
民主党の中には与党の一員として口を噤んでいるが、正常な安保感覚を持った議員は半数ぐらいはいるはずである。
幾ばくかの期待感を持って見つめていたい。
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新党報道で、山形県も渦中入り。

2010-04-10 09:03:33 | Weblog
昨8日は、記者や友人から多くの電話をいただいた。
新党結成に湧く政界事情のなかで、前山形県知事の斎藤弘が、“首長新党”に参加表明の一部報道がなされたことによる。
さしずめ党名は(山田・中田・斎藤で)「新党HIROSI」では、などと洒落た思いをうかべたのだが。斎藤と初めて相対したのは、平成16.11.25である。
「やまがた夢未来機構」代表と名うったパソコンでの手作り名刺を(いま手元で)見ながら思い起こしている。
10日ほど前(11.14)の自民県連選対会議(グランドホテル)で、加藤紘一は「かならず、良い知事選の候補者が出てくるから(それまで)期待しよう」と言い切った。
そして突如の出馬表明したのが斎藤弘であり、加藤が背景にあるとのこと。
機を狙った隠し玉であろうと素直に期待したもので、「それでは、逢ってみたいものだ」となったのが、11.25であった。
以後数日間、斎藤との遣り取りのなかで、「チョッと、おかしいな。本当にこの人物で大丈夫なのか?」との思いがつのり、加藤系県議に「加藤代議士は、しっかり人物評価したのか?」と問えば、「ダメだったら、4年で代えればいいじゃないか」と言う。
某代議士秘書にも同様に懸念を訴えたら、(加藤に任せきりで、斎藤をよく知らないのに)「すでにうちの先生は、『すばらしい人物が名乗り上げた』と後援会に告げてある。支援集会の計画も進めてある。いまさら、待ったは掛けられない」と言う有様。
さらに判明したのは、今井幹事長は2ヶ月以上前から(それも県外で)密会し、出馬潰しに(断念を勧め、現職サイドで)動いていたことである。
そのうえで「斎藤なる人物が名乗りあげたようだが、まったく知らないことだ」と、約3ヶ月間も知らぬ存ぜぬを通していたのである。
ブログ子は当時のA記者にその情報を与え、詰問した結果、しぶしぶ密会を認めたと報告を受けた。
県民の知らないなかでの130万県民のトップリーダーを選ぶ選挙戦前での(現職4選派と、(この際)だれでもいいから擁立派の)ふざけた内輪の舞台裏模様であった。
結果は現職批判の風が功を奏し、新人斎藤の僅差での勝利となったが、再選を目指した平成21.1の知事選では、攻守立場が代わり現職批判に晒されて吉村女史に敗れた。
斎藤陣営は財政健全化などの政策は評価されていると県政運営の実績を訴えたが、県民過半の理解は得られなかった。
斎藤の言行を見てきているものとして、「政策は評価されたが、性格(手法)が否定された結果」と見ている。
このたびの行動も、解からないものではないが、先にやるべき手順が蔑ろにされている感がする。
性格(人間性)はそう変わるものではないものだ。
斎藤はジュンズ・ホプキンス大に学んでいるが、新渡戸稲造の「武士道」への理解は薄いようだ。
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