リヒテンシュタインを出て、
西部のチロル地方からオーストリアに入る。
一度高速を降り、
アールベルグパスに登る。標高1802mで
今にも雪が降りそうな天候、
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峠を越すと、サン・クリストフ。
実は、35年前の冬、ここにスキーに来たことがある。
10数人のツアーで、ここの国立スキー教師養成学校の
講習を受けたのだった。
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ちょうど、お昼時だったので、
レストランに入り、夏の風景をみながら食事をする。
ここのスパゲッティはおいしかった。
店内に古い写真が一杯飾ってある。
支払をする時に、
「35年前に、ここでスキー学校に参加したことがある。」と、話す。
そして、あることを思い出し、
「ハンネス・シュナイダー(国立スキー教師養成学校の初代校長)を
知っているか?」
と話すと、女主人が
「Of course!」と答える。
「彼は、私の大叔父だ。」
というので、
「実は、私の母は、彼が日本にスキーを教えに来たとき
習ったのだ。」といったら、
びっくり、喜んでくれた。
ああ、母と来れたらよかったなと、一瞬思う。
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後日談だが、帰国して、母にその話をしたら
たまたま、母の妹二人が同席していて、
ハンネス・シュナイダーがきた時、
ドイツ国歌のメロディーで、シュナイダーを迎える歌を
歌ったねという話になり、
3人で歌いだした。
3人合わせると、歌詞もそろい、
覚えているもんだね、という。
昭和4年のことだから、
母が、小学3~4年、一番下のおばは、まだ5歳くらい。
母が学校で覚えてきた歌を家で何回も歌ったのだろう。
学校にいってなかったのに、歌だけ覚えていると、笑う。
そんな歌が、あったとは、知らなかった。
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(大叔父さんが、ハンネス・シュナイダーという女性が
いた、レストラン)
サン・アントンから、また高速に乗り、
インスブルックを経て、途中また、ドイツに入り
ザルツブルグへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/f8/7be3a96a024257f05a1e09052561c655.jpg)
ザルツブルグの宿は決めてなかったので
駅にあるインフォメーションセンターで
適当な宿を探す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/09/4041d877f60695f3784aea43d193ab77.jpg)
こちらが示した値段に見合うのは、
ちょっと町外れ、またまた、318番の部屋、
つまり、4階。またもや、エレベーターなしで
えっちら、おっちら。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/83/064808e64c9abfc34f1b4575579aa332.jpg)
(ザルツブルグの駅構内)
ここは、ベッド数が多い宿で、
宿のご主人と話す雰囲気は余りなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/6a/cf5f989d7f47484b14ba29438f039727.jpg)
近くに飲み屋はあっても
手頃なレストランはなく、しばらく歩いて
やっとピザ屋さんにたどりつく。
またもや、日本でいえば、Lサイズが一人分で
出てきた。
周りの人は、一人で一個平らげているが
半分を箱にいれてもらって、持ち帰る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/1b/e444a5c7dcb25eb1950f5a3daa5f20f9.jpg)
(ホテルの裏の、同じ経営のホテル(らしい))
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さてさて、旅も後半! クリック!
(8月30日記)