toty日記

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スイス・オーストリア旅行 おまけ

2006-09-12 20:47:12 | スイス・オーストリア旅行


旅も終わり、帰国してから延々と続いた旅行記も
終わりです。

最後に。
帰ってきて、山吹であったKさん、
いつもマスコットを作ってくれるKさんにいわれたこと。

留守中、metalくんが、義父母の食事を作ってくれたといったら、
それは、息子さんに感謝しなくちゃ、

ちゃんと、言葉にだして、
「おかげでいくことが出来ました。
本当に有難うございました。」って、
きちんといいなさいと言われました。

一週間、時間もかかったようですが、
一応、何品かを整えたらしいので、

ここで、改めて、おかげで楽しい旅行ができました、
と書いておきます。

気になることは、いっぱいあるけど
ここは目をつぶって、有難うございました。

こんどは、誰とどこへいくでしょう?

荷物になってでも、いってみたいですね!
(誰が荷物になったか、わかりますか?)


荷物でいいから、どこかいこう! クリック!


スイス・オーストリア旅行 その13

2006-09-11 23:29:30 | スイス・オーストリア旅行
午前中の墓地歩きで、かなり疲れて
車をウィーン・ミッテ駅そばの駐車場に入れる。

飛び込んだレストランが、
これまた疲れるレストラン。余り疲れが抜けなかった。

気を取り直して、市の中心部を回っている
路面電車に乗り、主だった建物を眺める。


(ドナウ運河、路面電車に平行している)

ウィーンの交通機関、24時間乗り降り自由の券を手に入れ、
一周4キロ、どこもかしこも、古い建物で、
ただただ圧倒されるが、

まずはと、自然史博物館に入る。
主人と、Hちゃんは、
Zurichで、隕石学会に出席してたのだから、
これはみなくちゃと、
隕石の展示室に入って、延々と見ている。



どういうわけか、隕石の展示室だけ、
ドアが閉められ、かなりの湿度と、温度が保たれ
気持ち悪くなるくらい、むわっとしている。

一通り見たら、私は入り口で待っているからと
その部屋を出て、待つことかなり。
なかなか出てこない。

団体のツアーだったら、こうはいかないだろうが
ま、仕事に関係することだから…
殆どの時間をここで費やし、
他の建物は外からチラッと見て終わる。


(マリー・テレジア像)


(自然史博物館と同じ作りの、美術史博物館
(マリーテレジア像をはさんで反対側にある))

中心部で、お土産を買ったり、
お茶にしたり、観光客っぽい過ごし方をした後、
地下鉄で、ドナウ川が見られるところまで行く。



高校3年の時、学年みんなで歌ったのが
「美しく青きドナウ」

ところが、ドナウは余り青くなかった。



地下鉄をおりたところから、右手が旧市街



左手は、新しく開発されたところ、で風景も違う。



ドナウは2本の川になっていて、右が昔からのもの。
左は、バイパスのようらしい。間の中洲が、公園のようだ。
散歩したり、釣りしたり、
バーベキューしている人たちもいた。





また、地下鉄で戻るために、反対側に行ったら
トランポリンがあった。





Hちゃんが、「ドナウ川にトランポリンがあった」と
お父様に言われたというのの意味が、やっと分かった。

また、市内に戻り、
車で、明日の飛行場への道を確認しながら宿に戻る。
途中、高速に乗りそこね、
反対向きの高速に乗ってしまった。

あわてて降りて、くるくるまわると、
そこは、煙突が並ぶ工場地帯。

ウィーンもいろいろな顔があるんだなと、思った。
(本当をいえば、そんな余裕はないのだが)

帰りは、高速で30分くらいで宿へついた。
行きは、1時間半ほどかかったので、
次の日は飛行機の時間に間に合うように、道を確認。



地図には、工事中となっていた
新しい高速も完成していることをホテルで確かめる。

夕食のデザートに、なんと「ほうずき」。
食用に作っているのか、ちょっと酸味があるがおいしかった。




ドナウは流れる! クリック!

スイス・オーストリア旅行 その12

2006-09-07 23:51:40 | スイス・オーストリア旅行
ウィーン、正確には郊外の温泉地バーデンでは、
このホテルに泊まりました。

ベートーベンが食事に来たというのが
案内のパンフレットに書かれていた。

で、入り口にベートーベンが、ちょっとこわもての顔で
立ってます。

部屋の入り口には、名前が書かれていたので
帰ってきてから、この人って誰? と検索したら、
世界に有名なマジシャンだそうで。
部屋に仕掛けでもあったりして(笑)



この日は、お土産を買ったり、市内観光で
のんびり過ごそうという予定だったのですが…


今回の旅に出る前、どこに行ったらいいかと相談した
霧が峰のヒュッテ・ジャベルのTさんのお父様の話…

熱心なクラシックファンだったお父様は、
ウィーンを訪れ、コンサートの前に
ベートーベンのお墓を是非訪れたいと、

案内書を片手に、ベートーベンのお墓を探していたら
通りかかったお年寄りが、

何を探しているのかと聞いたので
かくかくしかじかと説明すると、

自分も行くからと、
わざわざ、ベートーベンの墓まで案内してくれた。

服装も地味で、お墓の掃除でもしている人かと
思っていたら、何と、ケンプだった。

彼は、演奏会の前には、ベートーベンのお墓に参って
それから演奏会場に行くのが常だったのだそうである。

そして、それ以来、ケンプが来日すると連絡をくれて、
コンサートに招待してくれた…


という、ジャベルのお父様のエピソードをきいていたので
ちょっと、ベートーベンのお墓に寄ってみようということになった。

地図で中央墓地を確かめ、
また、ああだこうだいいながら、
墓地を探す。

あった、墓地だと、入ろうとしたら
ここじゃない、もっと先の入り口だといわれ、

その「もっと先」に入る。
200mの並木道を歩くと、着く様に書いてあるのに
いくら歩いても着かない。

でも、32区Aという区画を探しながらどんどん、どんどん歩く。

いや、どうも違うと思っても、広大な墓地、もう、どこにいるかも
わからない。

こうなると、天気がうらめしくなるほど
じりじりと照りつける太陽、

お墓なんてさ、日本にいたってそうそう行かないのに等と、
文句の1つもでてきたり、

Hちゃんは、かなり後から、かったるそうに
歩いてくる。

かなり歩いた時、柵で囲われて、
今までの所と、区画が違うところに入る。

どうも、違う墓地だったのか、
風景も変わる。



芝生に、ただ木の板があるだけのものや、
少し、風格のあるもの、いろいろある、



コの字型にもどりつつ、
やっと出てきた案内図で、目指す音楽家のお墓にたどり着いた頃は
脱水症状寸前。


(モーツァルトとベートーベンの墓)

200mのそぞろ歩きが、しっかり歩きになってしまった。
この区画には、モーツァルト、ヨハン・シュトラウス父子、
ブラームス等のお墓が集まっている。



残念ながら、有名な音楽家に会うことはできなかったが
お墓のいろいろをみることはできた。



お棺をそのままいれるような、
取っ手のついたお墓。今も土葬なのかな?



それから、お墓参りしていた中年の婦人二人が
お墓にキスしていたのも、日本では見ない風景。

納骨のため、教会から出てきた葬儀の列。

墓地のまん前にあった、日本で言えば
墓石屋さん。



予約済みの札あり、値段(1590ユーロ/夏割引でしょうか)が分かる。
そういえば、ドイツ語での数字の位取りの「,」と「,」って、
日本と逆ですね。
慣れてないと、変。

日本だと、1,500.00
ドイツだと、1.500,00



モーツァルトの墓の上を、飛行機が飛ぶ。
次の日には、飛行機に乗って帰るんだな。



この日のBGMは、
Where have all the flowers gone,long time passing♪
なんていかが?




旅もそろそろ終盤! クリック!
(9月7日記)


スイス・オーストリア旅行 その11

2006-09-06 23:23:23 | スイス・オーストリア旅行
山頂では、小さな花が咲いています。
とりあえず、道端に咲いていた花をいくつか。







でも、ゆっくり写真を撮る暇もなく、
帰りの登山列車の時間が迫ります。

これに乗り遅れたら、
その日のうちにウィーンへという予定が狂ってしまうから。

ぎりぎりまで、列車に行かなかったら、
座席が、窓際は全て埋め尽くされ、
真ん中しかあいていない。

車窓の風景がまた、いいのだが
周りの人に迷惑をかけそうで、あまり気儘に撮れない。

そんな中、撮った車窓風景。
窓際の人も入っているが、
これはこれで、異国の感じがでたかな?



お天気がよかった分、陽射しもかなりきつい。
この男性もかなり焼けていた。





かなり降りてきた。
家の大きさが、豆粒から、マッチ箱くらいに。



また、車に乗り、まずは高速まで戻る。
それまでの道で、
「あ、あれ何?」

だんだん近づいて、後ろから



前からも



旗の標識を、もっているところが、面白い!



そして、おじさんが、のっぽさんに似ている!



この時が、夕方の6時過ぎ。
これから、ウィーンまで飛ばす飛ばす。
高速を、150キロ位で。
まわりも、みな、そんな速度。

夕焼けは9時頃。
高速のレストエリアで夕日をみながら遅い食事。

Hotelに、かなり遅く到着することになると
電話を入れる。
(簡単に書くけど、公衆電話のかけかたひとつでも、
国によって、コインが違うので、あたふたする)

10時40分ごろ、やっとウィーン郊外のBaden着。

ザルツブルグの街とコンサート、
ザルツカンマーグートの登山電車、
ザルツブルグから、ウィーンまでのドライブ。

かなり目一杯の日でした。


それでも、旅は続く! クリック!
(9月6日記)



スイス・オーストリア旅行 その10

2006-09-05 23:08:28 | スイス・オーストリア旅行
The Hills are alive~~♪
この日は、この旅行でやっと晴れた日。

サウンドオブミュージックの舞台
ザルツカンマーグートを、コンサートの後に訪れました。

ザルツブルグ駅の駐車場においてあった車から
着替えを持ち出し、そばのトイレで着替える。

2時半ごろ出発し、
ヴォルフガング湖畔についたのが、3時過ぎ、
登山電車の発車時間を待つ間、

前日食べ切れなかったピザを取り出し、
湖畔のベンチで食べる。



あのコンサートのあとに、
余りもののピザを食べている人は
きっといないだろう! うひひ!



ここは、リゾート地。観光客もいっぱいいる。



登山鉄道の乗り場



かなりの傾斜がある



登山電車に乗って約40分、一気に山頂へ。



途中、なだらかな牧草地で、
ハイキングしている人や、
牛や、花々を車窓に見る。

頂上は、片面切り立った崖。
360度の眺望が楽しめる。



グーグルアースを実際にみているような、
こんな眺めは、滅多にない。





ザルツブルグに行くなら、絶対見なきゃ損!(特にHAKKAさんへ)
この日が晴れて、本当にラッキーだった。






美しい景色、半端じゃない! クリック!
(9月5日記)




スイス・オーストリア旅行 その9

2006-09-01 22:29:22 | スイス・オーストリア旅行
ザルツブルグとは、塩の城塞、
近くに岩塩のとれるところがあるらしい。

が、この日の予定は、コンサート。
日本を出る前、ネットで予約したウィーンフィルのチケットを
窓口で受け取る。会場は、祝祭劇場。

プログラムは

モーツァルト:2つのピアノのためのコンツェルト K.365

Fabio Vacci:Giusta Armonia

モーツァルト:ジュピター

指揮:リカルド・ムッティ
ピアノ:Saleem Abboud Ashkar & Itamar Golan

一曲目は、前から6列目でピアニストの表情がよく見えて、
演奏も素晴らしかった。

次の曲は、朗読が入り、
それが英語の字幕で、舞台の上のほうに表示されるのだが
目で追うだけで大変。

主人がそばで、現代音楽は苦手だなどといっているので
それにも、気分をそがれる。

休憩にコーヒーを飲み、
後半のジュピターを聞く。

ただ、このジュピター、
余り熱を感じなかった。というか、やる気というか…。
ルーチンをこなすような(私だけの感想かもしれないが。)


会場の5%くらい、日本人ではなかったかな。
正装して。グループで居た人たちは、ツアーか何かかもしれない。


それから、大らかなのは、列車だけでなく、

コンサート会場の入り口でも、チケットをあらためない。
自分で席をみつけて、座ってしまえば、誰も何も調べにこない。

岩城宏之の本で、学生時代にN響の会場にもぐりこんだ話を
思い出した。その気になれば、岩城さんならもぐりこめる(笑)


(コンサートが終わって…)

とにもかくにも、この地でモーツァルトを聞くということに
大いなる期待をもってきたので、一応満足。

前後に、モーツァルトの住家、生家を見る。
住んでいた家では、日本語のガイドホンで
展示されている楽器の演奏も聴くことが出来る。

それぞれの曲を最後まで聞いていると
とてつもなく時間がかかりそうで、カットせざるを得なく、
時間があったら、ゆっくり過ごしたい所。


(モーツァルトの住居入り口)


(モーツァルトの生家(黄色い建物)、観光客がいっぱい)


(↑と↓)モーツァルトの生家からの眺め


このザルツブルグの旧市街の写真をいくつか。
街には、トロリーバスが走っていて、空を電線が区切る。
写真をとろうとすると、邪魔に思える。



運転していて、狭い街の中、
通りの名前を読み取るのに必死。

最初の頃、この通りは“Einbahn”

地図で探しても見つからない、
よく考えたら「一方通行」じゃない!
標識よく見ろよ、と笑われた。






たまには、コンサート! クリック!

(9月1日記)




スイス・オーストリア旅行 その8

2006-08-30 21:28:44 | スイス・オーストリア旅行

リヒテンシュタインを出て、
西部のチロル地方からオーストリアに入る。

一度高速を降り、
アールベルグパスに登る。標高1802mで
今にも雪が降りそうな天候、



峠を越すと、サン・クリストフ。
実は、35年前の冬、ここにスキーに来たことがある。
10数人のツアーで、ここの国立スキー教師養成学校の
講習を受けたのだった。



ちょうど、お昼時だったので、

レストランに入り、夏の風景をみながら食事をする。
ここのスパゲッティはおいしかった。

店内に古い写真が一杯飾ってある。
支払をする時に、
「35年前に、ここでスキー学校に参加したことがある。」と、話す。

そして、あることを思い出し、
「ハンネス・シュナイダー(国立スキー教師養成学校の初代校長)を
知っているか?」

と話すと、女主人が
「Of course!」と答える。
「彼は、私の大叔父だ。」

というので、
「実は、私の母は、彼が日本にスキーを教えに来たとき
習ったのだ。」といったら、

びっくり、喜んでくれた。
ああ、母と来れたらよかったなと、一瞬思う。



後日談だが、帰国して、母にその話をしたら
たまたま、母の妹二人が同席していて、

ハンネス・シュナイダーがきた時、
ドイツ国歌のメロディーで、シュナイダーを迎える歌を
歌ったねという話になり、

3人で歌いだした。
3人合わせると、歌詞もそろい、
覚えているもんだね、という。

昭和4年のことだから、
母が、小学3~4年、一番下のおばは、まだ5歳くらい。

母が学校で覚えてきた歌を家で何回も歌ったのだろう。
学校にいってなかったのに、歌だけ覚えていると、笑う。

そんな歌が、あったとは、知らなかった。


(大叔父さんが、ハンネス・シュナイダーという女性が
いた、レストラン)

サン・アントンから、また高速に乗り、
インスブルックを経て、途中また、ドイツに入り
ザルツブルグへ。



ザルツブルグの宿は決めてなかったので
駅にあるインフォメーションセンターで
適当な宿を探す。



こちらが示した値段に見合うのは、
ちょっと町外れ、またまた、318番の部屋、
つまり、4階。またもや、エレベーターなしで
えっちら、おっちら。


(ザルツブルグの駅構内)

ここは、ベッド数が多い宿で、
宿のご主人と話す雰囲気は余りなかった。



近くに飲み屋はあっても
手頃なレストランはなく、しばらく歩いて
やっとピザ屋さんにたどりつく。

またもや、日本でいえば、Lサイズが一人分で
出てきた。

周りの人は、一人で一個平らげているが
半分を箱にいれてもらって、持ち帰る。


(ホテルの裏の、同じ経営のホテル(らしい))


さてさて、旅も後半! クリック!

(8月30日記)

スイス・オーストリア旅行 その7

2006-08-29 22:47:52 | スイス・オーストリア旅行
GersauのGasthausを出発して、14日は、
まず、ハイジの里、Meienfeltを目指す。

「おおブレネリ♪」の歌にもあるように、
「きれいな湖水のほとり」がそこらじゅうにある。

Gersauから北上して、Zurichseeにぶつかり
東に進む。
13号線にぶつかって、南に少し、
高速上のレストエリアに、案内板があり
ヤギがいる。



このさきで高速を降り、
マイエンフェルトに行く。



ハイジの里に行くといったら、
ブルンネンのアルピナホテルのおじさんが、

日本人は、ハイジが好きだものねと、ウィンクして言っていたが

これまでもドライブで、牧草地の緑と、
のどかな風景に接していたから

今までのところみたいなのが、箱庭的にあるようで、
とりたてて、ここでゆっくりしなくても…という気になった。

高い山がそばに迫り、緑がきれい。
可愛い家が軒を並べ、ブドウ畑がある。



牛が、カウベルの音を響かせながら、
草を食んでいる。



ゆっくり、ハイキングを楽しめればいいのだが、
この日は、ザルツブルグまで行く予定なので、
ちょっと寄っただけ。


(ハイキング用の道標+だびちゃん)

リヒテンシュタインの首都ファドーツに入り、
切手博物館を見る。



リヒテンシュタインの収入の1割は、切手なのだそうだ。

12時15分前に入って、見たり、お土産を買ったりしていたら
係りの人は、12時から13時まで休憩だからといなくなる。

いなくなるけど、電気を消してから出ていってと
いたって事務的。

階下のインフォメーションセンターで、
パスポートに入国のスタンプを2フランで押してもらう。
形ばかりの国。

小さな小さな国は、すぐ終わり、
少し走って、オーストリアへ入る。


旅はまた、続く! クリック!


(8月29日記)



スイス・オーストリア旅行 その6

2006-08-28 23:34:23 | スイス・オーストリア旅行
また、続けます。

スイスの道を歩き、電車に「ただ」で乗って帰ってきたら
もう、5時を過ぎたので、
もう一泊たのめないかなと、期待して、
車を置いたままの宿に戻ると、

静かに見えても、宿は満員で、泊まれないとのこと、
近くにお奨めの宿は? とまたご主人(写真中央)に聞いて、
隣村のGersauというところの宿を紹介してもらった。

教会が見えたら、その先、右側にあるとの情報に、
目をこらして、探しだし、

あった!
花もきれいで、いいじゃない!



一階が、レストランで、
二階以上が宿になっていて、
304号室と307号室の鍵を渡される。

こちらでは、一階が日本の二階、
つまり、30X号室は、4階なのである。

そして、惜しむらくは、エレベーターがない。
いつも荷物の多いダンナのスーツケースの半分は、本と書類。

重いのなんのって、「ぎっくり腰に注意!」な荷物。
それを、四階までひっぱりあげる。
シンドラーでもなんでもいいから、エレベーターが欲しくなる。
(私のは、軽目だから、いいんだけど)

建物自体は、かなり古そう。
木でしっかりしているが、
かしいでいる。ぎしぎしいう。

部屋は、ペンキを何層も塗ってある、そんな感じ。
でも、そんなことも、時間がたてば、想い出になるんだよねと
観念する。



食事は、一階で。
湖畔の宿なので、魚が食べられた。
概して、魚は珍しいのか、高めのお値段。

魚ということはわかったが、
ドイツ語では、魚の種類まではよく分からない。

訊ねると、額に入って飾ってある絵を、これだと指差す。
よくわからないが、それを注文。

2種の魚を注文して、わけて食べようと言うことにした。

お皿一杯に、魚が載ってきた。
漸くお腹につめこんだら、
次のお皿をもってきていいかという。

え? と訊ねると、一種類を半分ずつにして、
さっき持ってきた。

だから、これからもう一種類だすという。
いやいや、もう十分お腹一杯。
これ以上は食べられない。

大変申し訳ないが、もう1つはキャンセルできないかと
頼み、OKといってもらう。

ダンナは、声が大きい。
身振り手振りを入れて話していたら、
レストラン中に、知れ渡ったらしく、
みんな、笑ってみている。

食事が終わった他のテーブルのお客さんが
わざわざ、あなたの英語はよくわかると、言いにきた。

感嘆詞いっぱい、大声、ハハハハの声、
そりゃ、通じますよ。

食堂の主人は、日本にいったことがある。
東京で、上にまわる展望台のあるホテルに泊まったと
いうので、ニューオータニか?というと、
そうだそうだと、話がはずむ。

気さくな民宿、でもシャワーは水だった。


旅はまだまだ! クリック!

(8月28日記)





スイス・オーストリア旅行 その5

2006-08-25 21:47:37 | スイス・オーストリア旅行


最初の写真は、山道でであった鹿。
じっととまって、こっちを見ていた。


お腹が空いたね、次の街でお昼にしょうと、
たどりついた街、Morschach。

入ったレストランは、気さくな家族でやっている食堂風。
近所の人が、お昼を食べにくる感じ。

子供用の椅子と机のセットが、
まるで、ままごとのように置いてある。

小さな子供が、それぞれのテーブルにいっては、
そのテーブルに備え付けの、コースターをせがむ。

はい! と渡すと、
また、くれる。

そのなことをくりかえしているうちに、
注文したスープとガーリックトーストがきた。
サラダは、三人で分け、量的にもちょうどいい。

単品を三人でわけあうのがいいと、だんだんペースがわかってきた。



お昼を食べ終わって、外に出ると、
これから歩いていく道が見える。

牧草地の緑は、このあたりずっと、続く。
湖の向こう側には、新雪をのせた山も見える。



典型的なスイスの家。
どこも、花がきれい。
まわりに、にわとり、うさぎ、あひるなどが、飼われている。



ずっと、降ったりやんだりの天気だったので
画像が暗い。でも、空気は凛とした感じ。
晴れていたら、どんなに…と、想像してください。

約3時間は歩いたが、
写真をとったり、何かととまるので、距離は大したことないと、思う。

でも、高低差はかなりあって、
あそこに行ったら先が下りだといいなと、かなり思った。



途中から、歩き終わりのSisikon近くまで、ずっとついてくる犬がいた。
ちゃんと首輪をつけて、首輪にはお昼を食べた街の名が書かれている。

私達の前へ先回りしては、待っていたり、
戻っていくから、もう来ないのかと思うと、
また、走ってきたり、

かなりの坂を、横に全速力で登っていったり、
木の根元で匂いをかいだり、

ほぼ一時間ほど、私達と同行した。
下の写真の家の前を通った時は、

その家の犬と、凄い吼えあいを始め、
追いかけっこが始まった。

東京の犬と大違いの、真剣みあふれる追いかけっこ、
野生の犬だなと見ていた。

ところが、4~5匹いたその家の猫は、動ずることなく
ひなたぼっこの体制を変えない。

面白い見ものだった。



山から降りてきて、もうすぐ街というあたり。
民家の庭先を歩く。
自由にお持ちくださいと書かれた看板と、
お気持ちだけお願いしますと、缶からがおかれたお店。

小さな青りんご、あんず、ぶどう等が置かれていて、
一緒におかれたビニール袋に、好みの果物を入れ、
一部はその場で頬張る。 

甘い果汁がたれてくる。美味しかった。





Sisikonの駅は無人駅。
さて、切符を買おうと思ったら
券売機にいれられる、小銭がない。

両替してくれそうな店もないし、
ATMはあるが、高額紙幣しか取り出せない。

どうしよう、どうしようと言っているうちに、
列車がホームに入ってきた。

しょうがない、のっちゃおうと、三人で乗り込む。
電車はとても新しくて、きれい。

座った席が暖まる間もなく、
Brunnenに到着。

歩いて3時間も、電車ではあっという間。
電車代を払わなくちゃと、駅の中に行き、
事情を話すと、

途中、検札がこなかったんでしょ、
それなら、OKという。
こちらは、払おうと思っているのに、
いいという。

改札というものが、全然行われず、
たまに検札があるだけ。
これも、不思議だ。

ちゃんと、もうかってるんだろうか?



これで13日の後半。(また、続く)

(8月25日記)


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スイス・オーストリア旅行 その4

2006-08-23 22:13:57 | スイス・オーストリア旅行
12日~13日
(~Brunnen~Morschach~Sisicon~Brunnen~Gersau)

やっと、6時にホテルアルピナに到着。
ご主人は、片言の日本語をしゃべる実直そうなおじさん。



十年前に日本にしばらく居たと言うだけあって、
言葉を、はっきり、分かりやすい単語でいってくれるので
ほとんどを理解できた。

ご主人に、夕食にいきたいけど、お奨めは?ときくと、
しばらく考えて、あるレストランを紹介してくれた。


(レストランに行く途中で)

ただ1つ、ここは、身障者を雇っているので
それでも、構わないかと言う。

たとえば、思っていることを、
全部口に出してしまうウェイトレスさんとか。

全然構わないと話して、教えてもらったレストランまで。
ちょうど、オーストラリアンウィーク開催中ということで
何か趣向があったようだ。


(どこが、オーストラリア風なのか、よくわからないが)

メニューがドイツ語だけなので、
かなり時間をかけて、読んでいたら、

隣の席のお兄さんが、
説明しましょうかとやってくる。

英語でわかりやすく、解説してくれて、
みな、親切。

ただ、ドレッシングのかかりすぎで、
お肉も、サラダも、同じ味になってしまって、
別々に味わいたかった、というのは、贅沢を言えばの話。
基本的には、おいしく、全部食べました。


(ホテルアルピナの壁にそって、平らに生えているペアーの木)


(部屋は、贅沢ではないが、居心地のいいつくり)


(階段に、てんとうむしの飾り、
他にも、ほうずき、貝、小石などが、何気なくおかれている)

朝起きたら、朝食のお皿に、てんとうむしのチョコレートが乗っている。
だびちゃんを、登場させて…


朝食用の手製のジャムの中に
「たんぽぽ」とある。

早速、作り方を聞くと、
花を集め、それを煮て、砂糖を加え、レモンと固めるものを入れて
作ると言う。ほとんど、レモンの味だが、
黄色い色は、タンポポのものとか。

ダンディライオン、たんぽぽ、話の種にはなる。


(左から二つ目の甕が、たんぽぽのジャム)

この日は、「スイスの道」を歩く予定だったが、
雨が降っていて、気分はほぼ中止に傾いていた。

部屋に篭っててもと、湖までお散歩。


(くい一本に、一羽ずつ鳥がとまっている。
ここ、僕の陣地、なんていってそう)

手回しオルゴール(というのかな?)を
雨なのに、ぺたんと地面に座ってみている子供がいた。



それをまた、大人たちがみるというのんびりした時間。

インフォメーションセンターで、地図をもらい、
インターネットで、家族の安否を確かめ、

さて、やっぱり、ちょっとは歩いてみようかと、
遅ればせながら、「スイスの道」に行くことにする。
傘をさしながら。


(ここが、「スイスの道」の登り口)


(この象が、目印になるね)


(ところどころ、この道標がでてくる。
スイス建国の歴史を現すらしい)


スミレがちょっと大きいくらいの、シクラメン。
多分、シクラメンの野生じゃないかな)

雲が低いが、右手に湖、緑の中を十分楽しめる。



放し飼いの黒いウサギが出てきたり、


日本のお地蔵様か、道祖神のように、
マリア様が現れる。(この中)



これで13日の前半、ゆっくりゆっくりですね。(また、続く)

(8月23日記)


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スイス・オーストリア旅行 その3

2006-08-22 06:48:39 | スイス・オーストリア旅行
12日の後半
(Bodensee~Zurich~Brunnen)

実は、今回の旅の計画をした時
最近、懇意にしている霧が峰のヒュッテ・ジャベルのご主人に
スイスのどこがよかったかを、お聞きした。

スイスに留学したこともあり、
山仲間を連れて、何回かツアーを組んだりなさっているので
いろいろご存知なのだが、

今回泊まるブルンネンの宿と、ウィーンの宿は、
そのご推薦だった。


ボーデン湖から、またZurichにもどり、
ルツェルンの東側、ブルンネンに行く。

Zurichを通ると、凄い渋滞。
女性のおまわりさんが、交通整理をしていた。
中央駅のそば、街の中心なのに、一車線規制。



トップの写真は、この渋滞中に車の中からとったもの。
スイス国立博物館の塔。

そして、そのそばを、リマト川が流れている。



この日は、Zurichでもお祭りで
Street Festと地元のテレビで報じていたが
ガイドブックによると、
「全裸・半裸の若者が踊り狂い」と言う表現に、

朝から、このフレーズを繰り返し、
ちょっとだけ見ていこうと言っていた。

ところが、男性が女性に仮装したり、
かなりのコスプレ状態のひとが、

駅から湧くように出てくるのを見ただけで、
もう充分と、車の中で実感。
(↓、会場となった湖畔の観覧車のあたり、
朝、テントをはったり、準備を始めていた。)



ふだんの街の風景は落ち着いたところだが、
時にはこんな大混雑になるのだ!

ダンナが、車の中から写真を撮れというのだが、
写真を向けたら、ちょっと怖い雰囲気もあり、画像はなし。
ショッキングピンクのチュチュに黒の編みタイツの男性とか、
ご想像ください。



朝迷った道辺りから、高速にのり、
一路セントラルスイスへ。

地図の見方にも慣れてきて、
出口番号は、通し番号のものと、
基点からのキロ数で表すものとがあること、
出口の言葉を覚え、

郊外の交差点がロータリーなのにも慣れ、
いさかいも少なくなった。



なかなか、進行しないですが、
明日はいよいよ、スイスの道を歩きます。
泊まるのは、こんな


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スイス・オーストリア旅行 その2

2006-08-22 00:12:32 | スイス・オーストリア旅行
12日の行程
(Zurich~Rheinfall~Bodensee~Zurich~Brunnen)

12日朝、レンタカーを借りに、
チューリッヒの街を歩く。

東京で受け取った営業所の地図が、間違ってて
指定の通りに店はない。

人通りも少なく、やっと通りかかった女性に尋ねたら
なんと、500m位の距離を歩いて連れて行ってくれた。
総じて、人は親切。会うと会釈する。

会釈しないのが日本人。
外国で出会う日本人は、
何故か、日本人には能面のような顔で接する。

それはおくとして、

最初に目指したのは、ライン滝(Rheinfall)
…なじ~かはし~らね~ど♪(ご自分でBGMをどうぞ)

マニュアル車なので、クラッチが硬いとか、
クラッチの位置がブレーキにくっつきすぎとか

借りた車になじむまで、かなり緊張した風なダンナと、
地図をあらかじめ見ておかなかった私で

ああじゃない、こうじゃないと、暫らく苦戦のすえ、
Zurichの街を出て、北上、高速に入り、Schaffhausenを目指す。

この出口と、何回も言ったのに、1つ手前で出てしまった。
が、Rheinfallの看板が出てたので、
河の反対側だけど、ま、いいかと車を停める。

観光地だ。
お城のような建物が入り口。



どんどん階段を降りていくと、全景が見渡せる。



向こう岸の下流のレストランと、こちらの川岸と、中洲にある
ちょっとした岩山を、船で結んでいる。



滝の中ほどには、こんなマークが。
ダンナはこれを見つけて、きっと、地調のマークだと言う。



ふ~ん、そうかもと、返事し、
それにしても、よく流されないな~などと言い合う。
お決まりの、だびちゃんも撮影に加わり、



なおも、階段を降りる。
途中、滝の真横で、しぶきをあびたりしながら
一番下までたどりつく。

あんな、台のところに乗ってたんだ。



帰りは、坂道を登ったら、おなかがすいたので
入り口にあったレストランに入る。
メニューがなんとか風とかで、よくわからないけど
ま、いいや、一番安いの頼んじゃおうって、頼んだら

ゲッ! ボリュームありすぎ。
普段、残さず食べるほうなのだが、
半分も食べられなかった。それも脂っこすぎ。

食事失敗の巻。



気を取り直して、今度は、ボーデン湖を目指す。
どうも、ドイツの高速の方が、早く行かれそうとのことで
国境を通り、ドイツへ。
スイスは、ユーロに参加していないので、国境がある。



心配性なダンナは、「パスポートを準備しろ!」というが
前の車はスイスイ通るから、大丈夫といったら、
しばし、怒っている。

無事通過。
道路のまわりは、北海道の風景に似ている。
トウモロコシ畑、ひまわり畑、それにポプラ並木。



あっという間に、Singen、Konstanzを経てスイスにもどりボーデン湖へ。
公園に車を停めようとしたら、その日は、お祭りで、公園一帯が
車を入れてくれない。
街中のパーキングに停め、歩いていってみる。

入り口に、子供の遊び場。



実は、交代でトイレに行っている間に撮った花。



お祭りの屋台がいっぱいでていたが、先日来
「喜多さん→ぐみ」の連想のもとの、ぐみの店も出ていた。
記念にパチリ。
お店ごと、お土産にしたかった(笑)(トップの写真)

とうもろこしの茹でたのを買って、かじりながら、
湖畔へ。



ボーデン湖は大きくて、水鳥が飛んでいて
しばし、のんびりする。
向こうに教会が見えるのが、外国だなと、思える。



さてさて、と腰をあげ、お祭りの中を通っていくと、
仮設のロッククライミング。
真剣な子供と、見守り、確保する周りの大人と。



時間があったら、登ってみたいが、やめておく。
(子供だけでなく、大人もやっていたのだ。念のため)



いや~、長くなっちゃった。読んでくださって、ありがとう。(続く)


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(8月21日記)



スイス・オーストリア旅行 その1

2006-08-21 00:26:18 | スイス・オーストリア旅行
8月11日から18日まで
スイス・オーストリア旅行に出かけました。

10日にイギリスでテロ未遂事件があったため
11日朝、早めに家を出たら、
飛行場は思いのほかすいていて、
一人で3時間以上過ごすはめになりました。

朝食をとり、お店を覗き、インターネットで時間をつぶしても
なかなか、一人だと時間はたたないものですね。

でも、無事予定通り、出発。
飛行機内で、映画を3本も見てしまった。

Always 三丁目の夕日、
ミッションインポッシブル
あと、1つは、題名を忘れた(半分寝ていたため)

Zurichについて、ホテルに回るバスに乗り、
学会で先に出かけた、ダンナが泊まっているホテルへ。


(ホテルそばのレストラン)

まず、夕食+街中ブラブラ。
地図屋さんをみつけて、
スイスとオーストリアの道路マップを手に入れる。
これが、これからの旅行の大事なアイテム。


ついでに、後日、歩く予定のルツェルン湖周辺の
5万分の1、2万5千分の1も買い込む。

さすが、ヨーロッパの地図屋さん。
ヨーロッパの道路マップだけでなく、
アフリカの地図が、かなりの量で揃っている。

夜の9時ごろまで明るいなか、
果物や、ちょっとした食べ物を買い込み、
翌日に備える。

いよいよ、一週間の旅行のはじまりはじまり。
同行は、ダンナと学会に出席した学生さん、Hちゃん。


ハードな旅だよ! クリック!

トップの写真は、今回借りたレンタカー。(続く)

(8月20日記)