toty日記

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ロンドン墓参とクリスマスマーケット11

2018-12-31 21:12:50 | ロンドン墓参とクリスマスマーケット
コルマールからストラスブールへ、約30分の汽車の道中。



このあたりは、アルザス地方と呼ばれ、
ドイツとフランスが何回も領地を争った場所で

ドイツの国境が直ぐ近く(ライン川)
最後の授業というお話を思い出す。


この汽車の中で、また、楽しい会話がはずんだ。
大きな荷物を持っていたので、それを押さえながら

ドア付近の折りたためる椅子に座ったのだが、
夫と、ここにする?とか、ここでいいか!などと話していたら

二人連れの女性から、日本人か?と尋ねられた。
そうだと答えると、その二人は母子だったのだが、

娘さんは、日本の書道を勉強していて、日本にも行ったことがある
少しだが日本語も話せると、様々な話になった。

母親がドイツ人で、娘はフランス語を話し、
英語は母親のほうが上手で、話がわからなくなると

英語をドイツ語に言い換えているようだったが、
四か国語が入り混じった。


夫の職業の説明に、Volcano、日本語で何という?に
火山、火(fire)と山(mountain)と説明し、

最後には、人差し指で空に、筆順通り描き、
おお、おお、火と山ね!と。

漢字を知っていてくれると話が早い。

Acid rainだの、Tomstoneだの、
Great-grand-fatherだの、いろんな単語を思い出しつつ説明し、
これからストラスブールに行くと話した。

彼女たちも同じだということで一緒に下車した。
日中だけ行動するので、スーツケースを一時預けに預けたいと話すと、

早速何処にあるか調べて来てくれて、駅の端っこにある
一時預けの列にならんだ。

ところが、列の半分ほどが進んだ時点で
ドアに、6か国語くらいが書かれた紙が貼られ、

英語は、「full」
日本語は、「いっぱい」だそうで、


大きな荷物を抱えて観光はできないなと、困っていると
あれこれさがしてくれたが、結局みつからなかった。


切符売り場あたりで、思案にくれていたら
係員が何か?といってきたので、

荷物をあづかってくれるところを探している旨伝えたが
駅の一時預けしかないという。そこはいっぱいで、困っている、
他にアイデアは無いかと、問うと、

ホテルに行って訪ねてみたらといわれたので、
駅前のホテルに行き、荷物を預かってくれるか聞いたら、

5ユーロであずかるといってくれたので、ほっとした。
で、ストラスブールのクリスマスマーケット。

駅から少し歩いていくと、川を渡る。
その橋を渡る時、お巡りさんが荷物のチェックをしていた。

この案内図でもわかるが、川にはさまれた部分が旧市街で
クリスマスマーケットが行われている。



コルマールは田舎の素朴な村という感じで、
ここストラスブールは、もう少し大きなビルが並び、
通りも広いし、洗練された感じがした。


川にかかっている橋を渡る時、お巡りさんらしき人に荷物をチェックされる。
背負っているリュックは、完全にあけて、中身を調べる。

小さめのスーツケースを引っ張っている人は、やはり
道路の上で全開させられ、中身を調べられる。

前日のパリの騒動を考えれば、こういうことは必要なのかとも思ったが
自動小銃を構えた人が、そこここに立っていて、のどかな日本から来た者としては、
かなりのカルチャーショック。

でも、気を取り直しきれいに飾られたショーウィンドウを眺める。



細かい細工の飾り物がいっぱい並んでいて、
スキーをする風景や



一つ一つが、欲しくなる。このショーウィンドウまるごと買いたいなどと
かなわぬことながら、思うだけで楽しくなる。

中央部に行くと、市内を走るトラムがやってきた。



木に飾られた赤と金の飾り物。



中央にそそり立つクリスマスツリー。オーソドックスだがやっぱりいい。



これは、クリスマスツリーを売っているお店。



そして、臨時に作られたらしきスケート場。みんな楽しそうに滑っている。



子供は、こんなのにつかまって。





郵便ポストも飾られている。



ストリートミュジシャン。
切れ目なく、いろんな曲を演奏している。
聞き取れたのは、日曜はダメよ、かな。

しばらくとまって聞いていたら、子供が親からお金をもらって
置きにいっていた。



花の飾りや、道の中央のイルミネーション。(まだ点灯されていなかったが)



旧市街地の中央にあるカソリック教会。








ここでも、入る時に荷物のチェックがあった。

中に入って、ステンドグラスを見上げる。










焼き栗屋のおにいさん、というかおじさん。



夫が焼き栗が大好きで、5ユーロで一袋買って、あっという間に食べてしまった。
焼き栗屋さんは、暇な時、ナイフで傷をつけ、それから焼いていた。

例えてみれば、日本の焼き芋屋さんみたい。素朴だけど美味しい!

ここにも、子供の世界があり、






今回のクリスマスマーケット、日本人はほとんど会わなかった。不思議な位。


ここでも、様々なクリスマスの飾りが屋台で売られていて、
その一つ一つを覗いていくのも楽しい。

ここは、サンタさんの扮装が売られていたが、中に余り可愛くないサンタの顔もあった。
日本人の感性とちょっと違うかも。





また、ストリートミュジシャンというか、家族のようにも見える。
子供もいて、にぎやかに音楽を奏でる集団。






百貨店の入り口の上に飾られたツリー。
チョットは行ってみたら、ここでも、荷物のチェック。

百貨店のスーツをビシッと着込んだ、セキュリティー係が
いとも慇懃無礼に、荷物をチェックする。






デパートを出て、駅の方へ戻る道。
イルミネーションがつきだしたところ。






ストラスブールの駅に向かって。ここから、またTGVに乗り、フランクフルトへ。




このストラスブールの街並みは、素敵だったのに、
帰国してのニュースでは、我々が訪れた二日後には、テロで銃乱射事件があったとのこと。

あれだけの荷物チェックは、それなりの危険があったためかと、思ったことだった。

もう少し、ストラスブールの写真を。









荷物チェックの場所には、一人ずつ通すためにバリケードが。




これが現実。

こうして、旅を振り返ってきて、2018年のうちに終わりたかったのですが、
どうも、後一日、フランクフルトから帰国までが、来年に残りました。
また、来年に続く、ということで、宜しくお願いします。


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ロンドン墓参とクリスマスマーケット10

2018-12-30 01:18:04 | ロンドン墓参とクリスマスマーケット
8日のコルマールの続きです。

コルマールについて、部屋のテレビをつけたとたん、
大変なニュースが入ってきました。

パリの市内で週末に行われていたデモが過激化して、
車は燃やされる、全身黒ずくめの人が暴徒化して
商店のガラスを打ち割って、商品を略奪する、

自動小銃の音がこだまする。

お巡りさん、軍隊、デモ隊入り乱れての
市街戦の様相を呈しています。

その朝、パリ東駅前に集結していたデモ隊をみていただけに、
他人事と思えません。

延々と続く、生中継に暗澹たる思いになりました。
パリは、危ないから泊まるのはやめたのですが、
その選択肢はあっていたようです。

その日は、ずっとそんなニュースが流れ、
他の番組は一切見られませんでした。


で、コルマールはのどかなクリスマスマーケットです。
人々はぞろぞろと町の中を動き回って、夜が更けても
クリスマス気分に浸っていました。


前述のサンタクロースのボートの後ろには、もう一つのボートがやってきて
そこには子供サンタがいっぱい乗っていて、クリスマスの歌を歌います。

夫と、この子供サンタは、学校が休みの週末だから出来るのかもしれないね、
だから、週末は宿が高いんだと、妙な納得をしたのでした。

子供たちが元に向かって去る時、
お父さんに肩車された小さな子が、
大きな声で何か叫びました。

フランス語なので、内容は分かりませんが
まわりが、どっと笑いました。
多分、サンタさんを信じ切っている子供の呼びかけだったのでしょう。

子供の夢はこわさず、そっとしてほしいと思ったことでした。


で、夜が明けて、9日です。

市場で買い込んだ食料に、
飛行機で食べきれなかったパンとバターとチーズを足して、朝食にしたのですが
そこで一つ失敗を発見。

旅行中ミルクをたっぷりと飲む機会がなかったので
牛乳が飲みたいと買ったものが
いざ、開けてみたらなんと生クリーム!



生クリームをごくごくと飲むわけにいかず
紅茶にチョット足してミルクティーにして、終わりました。

時間と気持ちの余裕があれば、何かお料理に工夫できたかもしれませんが
使いようがなく、これだけは、持ち歩くわけにもいかず、
残りは置いてきました。

で、朝の出発です。
この日はストラスブールに行って、日中はやはりクリスマスマーケットを見学、
そして、TGVに乗って、フランクフルトへ、そこで一泊の予定です。


コルマールの朝の風景です。

可愛い街で、夫はナンシーで学会があった後に、学生さんのHさんと一緒に来て、
クリスマスの時にまた来たいと思ったそうで、今回はその実現でした。


しきりと、このレストランで食事をしたとか、
このあたりのホテルに泊まったとかいうのですが、

レストランはClosedで、ホテルは特定できずでした。

駅までは、もうよくわかったので、歩いていきました。
17~8分かかりましたが、気持ちのいい朝の空気でした。



道に赤い実がいっぱい落ちています。



見あげると、こんな木の実でした。



駅に近づいたあたりには、もう少し大きめの赤い実が。




市の建物のようです。



駅が見えてきました。



駅の塔にフランス国旗が掲げられていますが、
風が強くて、真一文字に横になびいていました。



まだ、続く。



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ロンドン墓参とクリスマスマーケット9

2018-12-28 21:31:29 | ロンドン墓参とクリスマスマーケット
コルマールに着いたのが3時ごろ、
タクシーで宿の近くまで行ったものの、

宿が町の中心すぎて、お祭りで通行止めとなっているから、
あとは歩けと降ろされた。

運転手さんが、道を説明してくれたのだが
あそこで、左に曲がってと言いながら、手は右をさし、
その次、右に曲がってと言いながら、左を差しているのを見て、

わかりずらいなと思ったのだが、本当にわかりにくく、
お祭りの警備をしているお巡りさんに聞いてやっと方向がわかった。

で、その宿がなかなかみつからない。
予約した時点で、着くのは何時か、着いたら連絡せよとあったので

でも、まず探してみたけど、そんな家は見当たらない。
距離にして20メートルほどの通りを行ったりきたりしていたら、

若い男性が近づいてきて、フキュオカかと問う。
(外国人に名前を教えると、「ク」が「キュ」になることが多い。)

そうだというと、何の表示もない入り口のカギを開け、
中庭に案内してくれて、そこの一室を開けてくれた。

いってみれば、民泊みたいなもので、アパートの一間を貸しているみたい。
それも、内装をきれいにしたばかりで、小ぎれいだが、思ったより狭かった。

何しろ、予約した時点で、この地区には、四軒の宿泊施設があるとネット上に示され、
四軒のうち二つは、一泊10万円、もちろん論外。

後の二つもかなり高額で、どうしたものかと迷ったすえ、
清水の舞台から飛び降りたつもりで予約したもの。

クリスマスマーケットで有名なコルマールは、
その時期にフランス人も集まってくる街だそうで、
それも週末という一番値段の高い日のせいらしい。

小ぎれいだが、思ったより狭いワンルーム。
最近内装を変えたんじゃないかという感じで
もしかしたら、われわれが最初の客かもしれない。

キッチンも何もかも、IKEA製。

お金をいっぱい払うから、写真もいっぱい撮った。
では、ご紹介。まず、飾り物。












オーナーからのプレゼントと言われたワイン。



翌朝の朝食。



台所。



クリスマスマーケットの見ている途中、寄った市場のお肉屋さんで
買ったベーコン。(ベーコン2枚で売ってくれるか聞いたら、大丈夫とのことで
こんな買い物今までしたことない!ワインと一緒に食べようと、白ソーセージも買ったけど)



中庭から上を見上げる。



入り口。帰る時は、この青いマットの下にカギを置けと言われた。



通りからの入り口。なんの案内もなし。



夫が、しきりとボッタクリと、言っていた。


気をとりなおして、コルマールのクリスマスマーケット。
小さな町だが、街をあげてのお祭り!


宿から数歩で、街の中心。
お祭りなので、子供用の遊具がある。



飾りを売る屋台や、食べ物を売る屋台。
牡蠣を焼いているのがあったので、帰りに買おうと言っていて忘れた。


































プロジェクション・マッピングで雪が降っていた。






コルマールの建物は、木の装飾が多い。



スキーでできたクリスマスツリー。





運河があるのだが、そこに船に乗ったサンタクロースがやってくる。
橋の上から、皆が手を振ると答え返してくれる。









こんな乗り物も。











スキーのクリスマスツリーがあった店に入ってみる。
ビールと、ピザを食べる(思いのほか美味しかった!)



市場によったら、野菜や果物や、生鮮品がいっぱい並んでいた。
KAKIと表示された柿もあった。折角のキッチンを使おうと
次の朝のパン、果物等を買い込む。




続く。



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ロンドン墓参とクリスマスマーケット8

2018-12-27 22:38:38 | ロンドン墓参とクリスマスマーケット
8日の話です。

ロンドンを離れる日、ユーロスターでパリに入る計画だったので、
早朝5時にホテルを出発。

この日は荷物もあるので、タクシーを頼んでおいて
King's clossまで連れて行ってもらいました。

そのタクシーの運転手さん、日本の人かと問うので
そうだと答えると、自分はエジプト人で、

エジプトの学校で、日本人は、秩序だっていて、
丁寧で、機能的で、世界が日本のようになれば、
世界は平和になると教わったと言う。

聞いていて、ちょっとこそばゆい感じもしたが
褒めてくれるのは、悪い気はしない。

確かにすごい貧富の差もなく、暴動も起こらず、
平和にすごしているのは、他国の悲惨なニュースに接して
みると、穏やかな国と確かに思う。

その運転手さんは、18年前にエジプトからロンドンに来て、
イギリス人の奥さんと結婚したので、多分ずっとここに住むだろうと言っていた。

短い時間だったが、会話がはずんだので、楽しかった。


さて、ユーロスターに乗車。
6時17分発なのだが、通関手続き、荷物のチェックと
飛行機に乗るのと同じくらい、手間がかかる。

前回の旅行で、パリからロンドンへのユーロスターで
この時間がかかることを余り考えてなかったので、
乗り遅れた経緯があったので、今回は遅れないよう、早めに行動した。

今度は時間が余ったが、遅れるよりはましだ。

余ったポンドで、適当なお土産を買い、朝食も手に入れ、
乗り込んだ。

パリ着。乗ってきたユーロスター。



そして、その乗務員たち。




そして、上を見上げると、5年前に時間が掛かって
乗り遅れた通関等の場所。やはり、人が並んでいる。









パリ北駅(Nord) につき、東駅(Est) まで数百メートルを歩く。
東駅からTGVでストラスブールまでの旅程。

その時、東駅前に、黄色いチョッキを着た人たちが沢山集まっていた。

東京でいえば、組織された組合などのデモ行進の前に集合した時のような光景で
クルクルと巻いた幟の棒をもっていたりした。

それをお巡りさんが囲んで、荷物のチェック等していた。


TGVの列車。





ストラスブールに到着し、お昼を調達。

イギリスのコーヒーは、まずかったが、フランスに入ったら美味しかった。



それからまたローカル線に乗り換え、コルマールまで。



コルマールでの、クリスマスマーケットの様子は、続く。


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ロンドン墓参とクリスマスマーケット7

2018-12-26 01:57:50 | ロンドン墓参とクリスマスマーケット
ロンドン最後の夜です。 

6時にSさん宅に伺いました。
約束してあったジョン・ホワイト博士との会食のためです。

最初にも触れましたが、Sさんの奥様のお病気がシリアスだったため、
Sさんは、会食は今回はお止めになるということで、ホワイト教授と我々三人になりました。

伺った時は、ホワイト教授が、
今度出版する俳句の翻訳の最終稿を仕上げていらっしゃるところでした。
一茶と蕪村ともう一人(忘れました)の作品を、50ずつ選んで

翻訳し、それも五七五に発音がなるように翻訳なさったそうで、
その一句一句を、お二人で検討なさっている所でした。

しばらく、その作業が終わるのを待っていましたが、
そこに、Sさんが呼んでくださった、留学生のHさんがみえました。

最初の日にご紹介した、お墓の拓本を作ってくれた方です。
それが専門ではないが、Sさんのお知り合いの篆刻で有名な方からの指示で
拓本をとってくださった方です。

で、その方と話をしていたところ、研究しているのは歴史で
特に泰緬鉄道について、研究しているとのこと、

そういえば、大学の時、地理の浅井得一先生が泰緬鉄道の話を良くされていたのを思い出し、
その旨話したら、対面鉄道を調べていくうえで、浅井得一とは、キーになる人物とのこと、
その人を知っている人に初めて会ったと、ビックリなさっていました。

そうこうしているうちに、俳句の翻訳の検討がおわり、
お墓の報告その他いくつかの話をしました。

ホワイトさんは、日本美術史の大家で、日本の事をを良くご存じです。

Sさんは、鈴木大拙のもとで修養を積んだというので、
お知り合いも多彩な方々がいらっしゃり、お話も多彩です。

・ウィリアムソンの伝記(最初の日に紹介した)の英文を今作成している。
 翻訳を頼んでいた方が、ご家族の介護の都合でできなくなり、
 今は、ケンブリッジ大学の日本語統括をしている方に頼んでもうすぐ完成する。
 出版社をさがしているところ。

 その時、翻訳家はいっぱいいるけど、信頼できる翻訳は、
 日本語がしっかりした人でないとなかなか頼めない。
 今回仕上げてくれた方は、教えた学生に、あらゆる分野の人がいて、
 科学なり、歴史なり、彼女の知識では分からない分野は、
 それぞれの専門家にみてもらっているとのことで、いいものができるだろうとのことだった。

・日本に行ったとき、「ウォルター・ウェストンと上条嘉門治」の本のあとがきを
 ホワイトさんが頼まれ、それをSさんが翻訳したので、
 そのご本を頂いた。

 夫は山が好きで、嘉門治小屋にも縁があるので、
 今度行ったら、ホワイトさんからもらったと見せるんだと、
 お二人のサインを頂いた。

・Sさんの奥様は、フランクフルトで夫のはとこZさんと懇意にしていて
 福岡さん、ご縁があったのですねとのこと。これについては、前回も少し伺っていたのだが

 私は、夫と知り合う前に、Zさんのところで3年間働いていた経緯があり、
 その時にドイツのゴールデンプランを日本に紹介することに関係していて、
 奥様と話せたら、たぶんそのあたりの話ができたのにと、不思議な思いだった。

 (残念なことに、この翌日、奥様は亡くなられたと、帰ってから頂いたお知らせにあった。)

ごく短い時間でこれらの話をしていて、とても刺激的だった。


それから、ホワイト教授と一緒に食事に。
彼は、94歳。元ロンドン大学の副学長さん。

食事の場所はロンドンの中心ピカデリーサーカスあたりとのこと。
タクシーでもいいが、道が混むのでと、地下鉄で行く。

オイスターカードは持っているかと聞かれ、持っていると答えると
私はゆっくりだが、歩けるのでと、地下鉄で行動。

ちょうどラッシュアワーで、込み合っていた。
しばらく立っていたが、席があくと、私に座れという。

あくまでもLady firstなのである。
94歳の人をさしおいて、座れないので、どうぞどうぞとやり取りしていた結果、
我々三人ともが席を譲られた。


ピカデリーサーカスから歩いて5分ぐらい、会員制のクラブに。
アテネクラブといい、

アカデミックなクラブで、古くはダーウィンも会員だったとか。
ネクタイ着用のドレスコードがあり、少し前までは女性は入れなかったそうな

ちょっと緊張して、食事を頂く。

ホワイトさん、地下鉄に乗っている時は、よれよれのジャンパーを着ていて
足を擦りながら歩くといった風だったが、

ここに着くと、赤いワイシャツがおしゃれで、
ワインを選ぶときなど、いかにも慣れている感じで、さすがと思わせた。

蟹のコキールと舌平目を頂き、美味しいワインを三人であけた。

終わって、二階にあがり、コーヒーを頂く。
部屋の雰囲気は、ハリーポッターの映画の世界のよう。

なかなか体験できない貴重なお食事を頂いた。

ホワイトさんがタクシーに乗られるのを見届け、ホテルに。
ピカデリーサーカスでのクリスマスのイルミネーションが、シンプルできれいだった。





これで、ロンドンは終わり。次はフランスへ。


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ロンドン墓参とクリスマスマーケット6

2018-12-25 02:45:08 | ロンドン墓参とクリスマスマーケット
Brookwoodの墓地の話の続きです。

日本人の墓があるセルビア人の墓地では、
墓石の前に最近埋めたと思われる場所が有りました。

こんもり土が盛られており、その上に芝生の苗が、敷き詰められています。
日本では、火葬が主となり、骨壺に入った遺骨をお墓の下にできている
石室に置くのが習慣ですが、

セルビアの正教会は、戒律が厳しく、まだ土葬が基本とSさんに聞きました。
黒々とした土がこんもりと盛り上がった様は、何か生々しく感じました。
習慣の違いは、こういうところに現れるのだと、思いました。


ところで、七日は、前述した守人さんが住んでいたという、
家庭教師Hamさんの家を探しに出かけました。

ロンドンの街は、住所が分かれば地図を頼りに簡単に出かけられます。

「Kings Henry's Road 37」という場所は、ロンドンの北のほう、
Cholks Farmという地下鉄の駅から行かれると、Googleの地図で見つけました。



Cholks Farmへは、泊まっているホテルのある駅からこんな乗り換えで行きました。

Paddington (Circus Line or District Line)

Notting Hill Gate (Central Line)

Tottenham Court Road (Nothern Line)

Camden Town (Nothern Line)

Cholk Farm

歩きで、Ham家を探す。


地下鉄の出口を出て、わかっているつもりで歩きだしたら
どうも、反対の方向に歩いてしまったらしく、地図で確認。
イートン校の施設当たりに居るらしい。



地図を見るのに、大雨が降ってきて、
傘を持ちつつ、地図を広げるのは大変。

でも、線路を渡る橋をみつけ、渡ってから右へ。やっと発見。



ピンぼけながら証拠写真。







どうも、人は住んでいない様子。
隣りの家には人の出入りがあったが、ちょっと声をかけそびれ、
写真をとって、終わり。

ちょっと一息いれたくなって、お店を探して
Greenberryというお店に入る。

大繁盛のお店でセンスもいいし、お客さんたちがみなおしゃれ。
それまで、どちらかというと観光客相手の店ばかりはいっていたので、
まだ、朝の10:30だったのに、軽い昼食。

それから来た行程を逆に戻り、
第二の目標である、大英博物館へ。(Tottenham Court Road駅下車)

そこで、駅ピアノを弾いている人発見!
ピアノはYAMAHAだった。


博物館は、5年前も来たが、今回は日本の展示場だけを見ようと計画していた。
その訳は、出発の直前、夫が見にいった明治大学博物館の展示、

「ウィリアム・ガウランドと日本の古墳研究」に夫が触発されたため。

何でも、ガウランドという人は、明治初めに造幣局の開設の頃関わったイギリス人で、
造幣局の仕事のかたわら、

ウェストンより先に日本アルプスにのぼり、日本の山にいっぱい登ったあとは
古墳文化に興味を持ち、その頃は今のように制限が厳しくなかったので、

天皇陵でもなんでも発掘し、
発掘したものほとんどを、イギリスに持ち帰って、大英博物館におさめてあるそうで、

そのコレクションの一部は、大英博物館の日本コーナーに展示されている。

今だったら、重要文化財に指定されそうなものばかりで、
でも、日本の研究者は、大英博物館に行って研究するしかすべはなく、
明治大学の展示も、今回やっと借りられたという話だった。


それじゃ、今回たまたまロンドンにいくのだからと、
その展示を見てみようということになったのだ。

私にとっては、出発前の忙しい時に何処に行ったのかと
ちょっと不満だったのだが、

そういう情報をキャッチしていたのならと、
コロッと態度が変わった次第。現金なものである。


なので、今回は、日本のコーナーのみ見ようということで
5階の92~94ブースのみを見学。

確かに、持ち主ガウランドの展示物が次から次へと出てきて、
これだけのものを、全部日本から英国に持ち帰ったなんて、凄いと思わせる。

大英博物館を見学する時は、
ガウランドの名を覚えておくと面白いと思う。








この日は、夜にSさん宅で落ち合って食事に行く予定があったので、
四時にはホテルに戻りたかったので、
大英博物館で、ちょっと一息入れてからホテルに戻った。

その一息入れた時の紙コップ。

前回、ここに来た時にお土産にと買ったエプロン、結局仕事の時に使っているのと同じ模様!
あ、私の柄だ!(笑)

続く
(なかなかクリスマスマーケットに進めません。
クリスマスの日までには、たどりつきたかったのに!)


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5部構成のクリスマス!

2018-12-23 12:23:55 | グループホームについて
昨日は、勤め先のグループホームでクリスマス会でした。

なんと、5部構成です。
いつもは、3名か4名の勤務体制ですが、
この日は、7名、そこにボランティアの方が3~4名、

9時に集合し、料理の人、飾りつけの人、利用者さんを見守る人、
そこに、家族の方々が集まってきて、家族会が10:30~11:30.

利用者さんの現状や、職員の自己紹介や。
その間、同じ空間に利用者さんがいるので、
もっぱら音を余りたてないゲームや体操(私が担当)。

終わって、食事の準備、近所に住むボランティアの方々もみえて
6つのテーブルを囲んで、豪勢なご馳走。
手作りのお料理の数々がならび、ゆっくりと頂きました。

終わって片づけて、
今度は音楽会が2時から。

毎年恒例クリスマスには、アンサンブル・フリージア・Jrさんがいらしてくださいます。
島根さんのご一家に会うのは、12月に入って三回目。
(12月12日豊洲シビックセンターでのTrio Ace No.1, 山吹の里でのクリスマス会、そしてこの日)

お母様と、息子さんはプロですが、お父様と一緒に三人で演奏するのも
とても楽しそうです。本当に素敵なご家族です。で、曲目は以下の通り(覚えている限り)

愛のワルツ(お母さまが、そのお母さまの誕生日に贈った曲)
曲名は??ですが、朋史君が中一の時にCDに吹き込んだ曲
おもちゃのシンフォニー 1章 (お父様の水鳥の腕があがっていました!)
遠き山に日は落ちて オカリナ(父)
モーツァルト(母子)

サウンド・オブ・ミュージック メドレー
 すべての山にのぼれ
 私のお気に入り
 ひとりぼっちの羊飼い
 エーデルワイス
 ドレミの歌

冬の歌メドレー
 ともしび近く
 かあさんが夜なべをして
 雪
 一月一日
 
クリスマス・ソング・メドレー
 きよしこの夜
 もろびとこぞりて
 ジングルベル
 おめでとうクリスマス

第九縮小版
 よろこびの歌

ともだち賛歌(当日、私が急にお願いしたもの、歌うと楽しい曲なので)

アンコール
 おもちゃのシンフォニー 3章

お忙しい中、選曲も素晴らしく、
長時間の充実した音楽会になりました。


終わって、今度はケーキとお茶タイム。
このケーキはどこの?とご家族から質問が、
加賀のと、神戸のと
何しろおいしかったのです。

そして、夜は、利用者さんと職員の忘年会。

職員有志の踊りは、
氣志團 ワンナイトカーニバル。

園長がトナカイになり、
サンタの扮装のIさんが飾り立てた車椅子をソリにみたてて
登場し、音楽に合わせて、踊りだします。

職員の子供3名も和し、鈴をならしながら、

突然、利用者さんの一人が立ち上がり、
踊りの振りを真似て、踊り出しました。

かくいう私も初体験ながら、真似して踊りました。

みんなで、わはははっ、わはははっ!

片付け終わって、利用者さんも皆さん寝にお部屋に入ったところで、
残り物をくじでわけあって、8時にサヨナラしました。
疲れたけど、ああ、面白かった!でした。

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ロンドン墓参とクリスマスマーケット5

2018-12-21 23:07:31 | ロンドン墓参とクリスマスマーケット
12月6日に戻ります。

五年前にロンドンに来た時は、セットされた旅だったもので、
もし時間があれば、福岡守人さんが居た場所を尋ねてみたいものだと思いました。

そこで、今回は、福岡守人さんが行った所、住んでいたところ等を尋ねてみました。
その大きな道しるべになったのが、次の資料です。

イギリス留学生伊賀陽太郎宛書簡に診る日英交流ーイギリス人家庭教師ハムを中心にー(1)

同上(2)

守人さんが一緒に行動した伊賀陽太郎さんと、彼らの家庭教師Hamさんとの書簡集。
「福岡守人」でネットを検索して見つけました。

前回出かける前に見つけたのですが、余りよく読み込んでいなかったので
いろいろ、勝手に思い込んでいた部分も有りました。

お時間のある方は、お読みいただくと、
家庭教師を引き受け、ご自宅に住まわせてくれた
牧師のHam一家の、一家をあげての日本人留学生への気遣いが感じられます。

主として、伊賀陽太郎にあてたものなので、そういう話題ですが、
当時の様子がよくわかります。

書いていらっしゃるのは、井上琢智さんという関西学院大学の教授ですが
注を読むと、よく人物の関係を調べていらっしゃいます。

われわれにとっては、全く未知の人物が、約百五十年前にどのように過ごしたかが
生き生きとよみがえります。


これを読んでいて、一番びっくりしたのは、
伊賀陽太郎という人は、宿毛の藩主、山内容堂の甥で、
家臣に岩村通俊という名前が出てきたときです。

これまでは、夫のご先祖様ということで、それを尋ねる旅だったのですが、
岩村家というのは、私の母方の祖母の実家なのです。

いろいろ読んでいると、伊賀家と岩村家は姻戚関係もあるのです。

つまり、夫のご先祖様の歴史を調べていたら、
私の先祖にもつながったことです。

なんか、NHKの番組、ファミリーヒストリーみたいになってきました。


前述の書簡集から、Ham家はロンドンのKings Henry's Road 37にあったこと、
伊賀陽太郎は、ワイツ島に行っていることなどを覚えていた。

そこで、6日は、ワイツ島に行ってみようということにした。

前の日に、South Western Railwayの時刻表を手に入れてあったので
ちょっと時間的にはきついスケジュールながら、日帰りできそうと思って計画しました。

ところがです。
5日に、歩き回ったことと、自分たちだけの行動ということで
寝坊をしてしまい、出かけようと思っていた時間を過ぎて目が覚めました。

あわてましたが、とりあえず出かけようと
地下鉄のpaddington駅を9時半ごろ出ました。

前日も行ったコースですが、WaterlooまではWaterloo lineで直通で行かれることを
みつけました。



この地図の下の方にある小さな島がワイツ島です。
保養地として、伊賀陽太郎は行ったようです。

帰って来てからよく文章を読み返したら、守人さんは行ってなく、
保養にでかけたのは、ブライトンだった(読み間違え)。

まあ、とにかく、ワイト島です。

Waterlooを10:15、終点のPoutsmass Hbrに12:05。


汽車が終着駅につくと、人の流れにのって船の乗り場へ。

そこから船で、Rydeまで。自分が乗った船は写せません。
周りの船を写しました。ポツマスは海軍の使う軍港で、
なんとなくいかめしいものが有りました。





Rydeの船がついたところは、桟橋の先のほうで、
町まで桟橋を歩きます。桟橋は木の舗装。

車も通れますが、時速10キロ以内と書かれてました。



途中、泳ぐのと魚釣りは禁止と書いてあります。



桟橋の区間を電車も走っています。
何しろ下調べしてないので、桟橋を歩いていたら、
横を電車が通りかかったというのが真相です。







カモメがいっぱい飛んでいます。ちょうど、手すりにとまっているところ。



なかなか趣のある桟橋です。






町に入って、中華料理屋さんを見つけて昼食にしました。

ムール貝というので頼んだら、一皿にこんなに入っていました。
一緒にワンタンスープ、石鯛のあんかけも。お腹いっぱいに。

二階建てのバスに乗って島の中央のNewportまで。
二階の一番前に乗ったので視界は良好。やたらと写真を撮りました。









ポストが日本のみたいと話し合いましたが、いや、もしかしたら日本が真似したのかもね。





島を横断して、反対側のNeedle Pointまで行きましたが、
雨はふってくるわ、日はくれてくるわ、で

ただただ、バスで移動したという感じでした。

面白かったのは、バスの二階から周りを見ていると、
クリスマスの飾りつけをしたごく普通の家が、次々と見えること。

カーテンを閉めていないのに灯りがついているので
家族団欒のようすが、手に取るように見えることでした。

普通の乗用車の高さでは絶対見えない光景ですし
暗いのにカーテンを閉めないのは、面白いです。

こんな、緑色のバスでした。


帰りの船に向けては、電車に乗りました。
電車の待合室で、



クリスマスツリーの下のプレゼントは、何か入っているのでしょうか?
待合室から、街を振り返る。すっかり夜です。もう7時ごろだったでしょうか。



それからまた、船に乗って、汽車に乗って、Waterlooにもどってきて
小腹がすいたので、お茶とお菓子でごまかして、

Paddingtonに十時ごろ、ステーキハウスで夕食。
ホテルに帰ってバタンキューでした。


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ロンドン墓参とクリスマスマーケット4

2018-12-21 01:09:08 | ロンドン墓参とクリスマスマーケット
今日は、小ネタ。

これは、ロンドンの地下鉄とバスに乗れるオイスターカード。
東京で言えば、スイカのようなもの。これが活躍した。

ロンドンの地下鉄は、東京の地下鉄に似て、とても複雑。
いろんな路線があるので、A地点からB地点に行くのに、幾通りも乗り換え方がある。

5日に、Sさん宅に行くのに地図で見当をつけてHammersmith Lineで乗り換えたら
いったん外に出て、あらためて違うLineに乗り換えなければならなかった。


よくよく路線図を見たら、そこだけ、線でつながれてない。

乗り換えられるように見えて、すごく歩くことになる場合もある。
東京で言えば、赤坂見附と永田町みたいな関係とか。

常に何線の東に向かっているのか、西に向かっているのか、
あるいは南か、北かを意識していないとならない。

それから、手に入れて以来気になっていた、オイスターカードの名前の由来。

牡蠣カードともいえるわけで、帰ってきてから調べてみたら、
やはり、不思議に思った人が多いらしく、こんなサイトをみつけた。

前半を読むと、もっともらしいことが書いてあるが、

"The world is your oyster"というのは「世界はあなた次第でいかようにもなる」
という慣用句で、シェークスピアの劇に出てくるのだそうだから、
この慣用句を覚えておくと何かの時に使えるかもしれない。


次の写真は、領収書だが、実はトイレに入る時の料金の領収書。
(ただし、ユーロだからフランスに入ってからのものだが)



以前は、入り口に人が立っていて、コインを入れる箱がある場合が多かったが

場所によって、コインを入れると、ふさいでいた棒が回転し、
トイレに入れるようなシステムになっていて、領収書がおもむろに出てくる。

日本には有料トイレはほとんどないので、これも旅にでたなと感じるときである。


前回旅した時余った紙幣を、長男がお餞別と言いながら渡してくれた。

使おうとしたら、それは今は使えない、銀行に行って交換しろと言われた。
知らなかった。でも、日中銀行に行くことが億劫で、結局持ち帰ってきた。

こういうこともあるんだ、と。

帰ってきて調べたら、紙の紙幣から、ポリマー紙幣に代わったんだそうだ。
上の小さい方が、有効。




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ロンドン墓参とクリスマスマーケット3

2018-12-19 23:46:09 | ロンドン墓参とクリスマスマーケット
Brookwoodの駅を降り、墓地の中を歩きだしたところまで、前回書きました。
整然とというかんじはなく、あちらにこちらに、余り手入れのされていないお墓が見られる中、

歩いていくと、大きな道路が通っていて、それを横切って進みます。
振り返ると、宗教によって、区切られたところもあるようで、
そんな看板がありました。



ヒイラギの木に赤い実がなっていました。
よくクリスマスのリースに使いますが、かなり大きな木でした。



セルビア人の墓地の案内板がでてきました。



実は、日本人のお墓が見つかったのは、
セルビア人の人たちが、自分たちのお墓を建てるため、

この墓地の一角を購入したことに始まっているのです。
買い取った墓地は、草がおいしげり、そこにお墓があるとは
分からない状態だったようで、整備したら日本人のお墓らしいと
日本領事館に連絡があって、その後その子孫探しがはじまったとのこと。

それが30年以上前のことのようです。

また、看板がありました。



やっと、セルビア人のお墓の入り口につきました。
セルビア人のお墓は、きれいに整備され、まわりを塀で区切って、
青い芝生が敷き詰められ、小さな小屋があって、
そこで宗教行事も行えるようになっているようです。

トイレもあって、それまでの他の区域とは
全く違う雰囲気です。


真ん中に道がつけられ、両側に同じ形のお墓が整然とならんでいます。










先程の門をあけるのに、朝お会いしたSさんからカギをお預かりしたのでした。

入ってすぐの左側に、日本人の墓が4基あり、
その四人のことが説明された碑があります。



これが今回、文字を刻みなおした守人さんのお墓です。
初めてこのお墓を目にしたとき、我々の一番の疑問は、

この守人さんだけに、マタイ伝の文があったことです。

和訳
福岡守人を記念して
土佐出身の福岡健三の息子 1873年3月3日
ロンドンで死去、21才

深い道徳をもって、慎み深さ、洗練さ、礼儀正しさ、
誠実は真実を追い求めた。

幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。
                マタイ伝

これについては、後でかきます。



日本から持参した守人さんが生きていた頃から続いているお酒「司牡丹」と、
やはり、その頃からあっただろうケンピを供えました。

お花は、Paddington駅にあったお花屋さんで手に入れました。



墓石の側面に書かれた番号は、探すときの目安になるものかもしれません。



これは、四人の日本人の世話をしてくれたイギリスに感謝する記念碑となっています。



横から、写した日本人のお墓、後から思ったのは、これらにもお供えを用意すればよかった。
多分、そうそう関係者が来ることはないと思うのです。







セルビア人の区画からでると、そのそばに
お世話くださっているSさん(九州の正行寺のご住職で、
三輪精舎主管、ロンドン正行寺トラスト理事)の関わっている仏教の碑があります。





帰り道では、四人をお世話してくださった、そして当時の日本からの留学生を
世話してくれた、ウィリアムソンさんのお墓を探しました。

5年前に来た時は、すべてお膳立てされて、
案内に従って行動すればよかったので、自分たちで探すのには苦労しました。

覚えていた位置の記憶があやしくて、
探すのにかなり時間が掛かってしまいました。

ちょうど、雨が激しくふっており、足元は苔むしていて
一歩ごとに2~3センチ沈むようなな地面だったので、

なかなか見つからないときは、もうあきらめようかと思ったほどです。








イギリスの日暮れはかなり早く、帰りの汽車に乗る頃は、
すっかり暗くなっていました。


最後に、またSさん宅により、報告と鍵の返却をしました。

その場で、日本人のこのお墓についての架け橋となってくださった
ホワイト教授と、7日夕方の会食をセットいただき、この日は帰りました。


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ロンドン墓参とクリスマスマーケット2

2018-12-15 00:35:42 | ロンドン墓参とクリスマスマーケット
四日の朝、家を出る前にメールをチェックしたところ、
大変なお知らせが入っていた。

今回のお墓の修理をアレンジしてくださり、
現地で案内してくださる予定のSさんの奥様が危篤となり、
Sさんは病院につめているとのこと。

旅の用意はすべて整って、まさに玄関を出ようかというときの知らせに
かなりの躊躇はあったが、
Sさんの手を借りずに墓参も可能かと決めて出発した。

4日はヒースロー空港で、オイスターカードを手に入れ、
パディントン駅まで直通。

オイスターカードとは、地下鉄やバスを乗り降りできる
東京でいえば、スイカのようなもの。

以前に比べると、切符を買うことが格段に簡単になっていた。

宿に入って、Sさんに連絡し、次の日の朝9時にお会いする話を決め、
5日朝、お宅に向かった。

奥様はちょっと前には日本にいらしていたほどお元気だったのに、
お病気がわかって一週間ほどで、話すこともできないほど
衰弱なさって、打つ手もないとのお話だった。

手短かにお墓の場所を地図に書いていただき
お墓の地区に入る鍵を預かり、Brookwoodの墓地へ向かった。

宿からSさん宅までも、地下鉄路線図を見い見いだったが、
お墓までは、乗り換え等を入れると片道2時間。

自分で探しながら行くと、行程はよく覚えている。

この日の乗り物は

Paddington → hammersmith → Acton Town(地下鉄)

Sさん宅

Acton Town → Piccadilly Circus → Waterloo(地下鉄)

ウォータールーの駅(昔の上野駅みたい)の
駅構内を見下ろせる2階のバルコニーのようなところで簡単に昼食。

サンドイッチとスープを頼むも、
スープが異様に甘く感じるのと大量、サンドイッチも量が多くて
お腹いっぱいになる。

何か風を頭の後ろに感じて振り向くと、鳩が羽音も高く飛び回り、
カウンターの上にとまったりする。

卓上を歩くのには、「トリインフルエンザ」が頭の中をよぎり、
早々に食事をきりあげ、次の乗り物を探す。

目の前には、この時計があり、かなり年代物。



見下ろす駅の改札は十幾つならび、電光掲示の字は小さく、読み切れそうもない。



こういう時、なれない自動販売機はどこを押せばいいのかを見つけるまでに
時間がかかってしまうので、対面式の出札に行って切符を手に入れる。

切符は買った。さて、何処から入ればいいのだろうと、
夫はあくまでも電子掲示板を眺めている。

私は、インフォメーションをみつけ、
「ブルックウッド、ブルックウッド!」と駅名を連呼。

係の女性は、「Eight, eight! Quick, quick!」とやはり連呼。

で、全力疾走で改札口8に飛び込む。
慌てている夫は、オイスターカードのように切符を乗っけるが
ここは、切符を薄い細長い穴に差し込む。

差し込んだ切符はすぐに飛び出してきたが、夫はそれより前にいってしまって
受け取らずに走り去る。

自分の切符も通して、飛び出した切符を2枚受け取り、
私も走る。

やはり、駆け込み組のグループがあって、ドアを抑えてくれていて
危うくセーフ。

ハーハー言いながら、席につく。

Waterloo → Brookwood(South Western Railway)

ロンドン郊外を南に向かって走る。





慣れないもので
路線図をみいみいブルックウッド・セメタリーのある
Brookwood駅につく。約40分くらいか。

駅の階段を下り、右にでると、もうそこは墓地。
左は町。墓地から駅を振り返る。

駅の入り口は、真ん中に見えるドア一つ。
全然駅の入り口らしくない。



入り口にあった墓地の案内図。



昔はここに汽車が走っていたというRailway avenue。




墓地も、いろいろ。
小ぎれいな教会があれば、



傾きそうなお墓や、上部が欠けたまま落っこちたままのもの、余り手入れはされていない印象。



イスラム教もあれば、中国人のお墓もある。

(続く)


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ロンドン墓参とクリスマスマーケット1

2018-12-13 12:45:29 | ロンドン墓参とクリスマスマーケット
年もおしつまっているのに、旅行に出ました。
タイトルの通り、ロンドンでの墓参と、ついでにクリスマスマーケットめぐりの旅。

いつも、旅の準備は旅程を決め、乗り物を確保し、ホテルの予約と進みます。
このうち、旅程と乗り物は夫の担当、ホテルの予約は私が担当。

今、こうしてネットにつないでいると、
ホテルの広告ばかりが入ってきます。それぐらいアチコチ検討したってことです。

おおまかなコースを書くと 

4日、羽田発ヒースロー空港着
4日~8日、パディントン泊

 5日 ブルックウッド墓地へ
 6日 ワイツ島へ
 7日 守人さんの住んでいた家を探す、大英博物館見学、ホワイト氏と会食
 
8日 St.Pancras~パリ北駅(ユーロスター)
   パリ東駅~ストラスバーグ (TGV)
   ストラスバーグ~コルマール(泊)

9日 コルマール~ストラスバーグ
   ストラスバーグ~フランクフルト(泊)

10日 フランクフルト発
11日 羽田着

用意した旅行案内や、現地で手に入れた時刻表など。



墓参のきっかけとなった、福岡守人のでてくる本。



四人の留学生をお世話くださった、ウィリアムソンの伝記。


   
お墓の文字を改めて刻むためにとってくださった、拓本。最初の写真。
折りたたんで、箱に入れてくださいました。



こうなる前の経緯は、前回の旅に詳しくあります。お墓が風化して文字等が読めなくなっていて、
間に入って、修復してくださる方があり、

修復が終わったので、見にいらしてくださいとのお話で、
出掛けたのでした。

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