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11月18日(火) 新・浪速の爆笑王 桂雀々

 上方演芸ホールを観る。今回の演者と演目は。

 林家染雀 軽業
 桂雀々  夢八

 染雀さんの「軽業」は、小拍子、張り扇をふんだんに使い、はめもののお囃子も非常に多く、大変ににぎやかな噺。染雀さんの聞きやすく、華のある噺っぷりが、この噺によくあっていた。高座の上に、派手でにぎやかな染雀ワールドが繰り広げられていた。
 
 雀々さん。もうそろそろ、師匠枝雀が持っていた「浪速の爆笑王」の称号を受け継いでもいいのではないか。今回の「夢八」で発せられた、爆笑パワーは普通じゃなかった。高野豆腐を食う。おにぎりを食う。それだけの所作で死ぬほど笑わせられた。
 枝雀の落語は、天衣無縫に見えて、実は緻密に計算された笑いだった。枝雀特有の「緊張と緩和」理論に基づいて構築された、精密機械のような落語だ。とくに小米から枝雀を襲名した直後の、若いころは、笑いを取ろうとした計算が垣間見える時があり、観ていてそれが痛々しい感じすらした。
 晩年は、さすがに芸が円熟してきて、計算を感じさせずに噺が聞けるようになり、ご存知の通り「浪速の爆笑王」となった。
 枝雀は枝雀落語の到達点として、高座に上がってニコニコする、客もそれを観てニコニコする、演者、客、双方ニコニコするだけで、一礼して下がる、という境地に達したいと考えていた。枝雀自身も、計算せずに自分の存在そのもので「笑い」を取りたかったのだろう。私たち枝雀ファンは充分にあれでも面白かった。ところが枝雀自身は枝雀落語の頂まで道遠く、その道のあまりの遠さに絶望して、枝雀落語に自ら永遠にピリオドを打ったのではないか。
 師匠枝雀に無くて、弟子雀々にあるもの。それは「狂気」ではないか。雀々は今回演じた「夢八」や「代書」「手水まわし」などの噺で、興に乗ってくると、一線を越えたなと感じる時がある。
「狂気」というと誤解を招くかもしれない。どういえばいいのだろう。うん。計算せずに、雀々自身が本来持っていた、いや、こういうと雀々に失礼だ。彼が入門してから今まで磨いた芸の力が、予想外のパワーを生み出してしまう。
 少年ジャンプ連載の「ワンピース」に百計のクロというキャラが出てくる。こいつが「杓死」という技を使う。凄まじいスピードで走りながら手に付けた刃物を振るう技だが、クロ自身がどこをどう切っているのか判らない。ハッと気がついたら、クロの周囲は敵も味方も切り刻まれた死体の山。おそろしい技である。
 雀々の落語もこの「杓死」ではないか。雀々自身もどこをどう演じているのか判らない。ハッと気がついたら客は大爆笑。ひょっとすると、この「狂気」によって雀々は枝雀を超えつつあるのかも知れない。
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