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2月24日(火) 1960年代10チャンネル金曜夜8時のお楽しみ

 日本テレビがプロレスの放送打ち切りを発表した。同テレビのプロレスは55年も続いた、同局の看板ともいえる番組だった。と、いうより日本の民間テレビ放送最大の功労者ともいえる番組だ。
 力道山のプロレスが民間放送の、ひいてはテレビ受信機の普及に果たした役割は計り知れない。昨今の不景気により、番組制作費の削減、他の格闘技の新興、それになんといっても、力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木といったカリスマ性あるスター不在による、プロレスの人気低迷。昭和のプロレスのファンだった小生としては、さみしいことだが、止むを得なきことと、日本テレビの決断を理解する。
 さすがに、小生は街頭テレビで、力道山&木村政彦VSシャープ兄弟を観たほど年寄りではないが、だいぶん小さいころから力道山のプロレスを観ていた。ウチは裕福ではないが、テレビは早くから自宅に有った。親父が新しい機械が好きな上、当時の親父の勤務先が大手の電子部品メーカーで三菱電機が大きな取引先だった。三菱の家電が社員価格並で入手できた。それに親父は管理職だったから、半強制的に三菱のテレビを買わされたというわけ。強制されなくても親父は喜んでテレビを買っていただろう。その影響か、現在の小生宅は三菱の家電が多い。冷蔵庫、電子レンジなんかも三菱だ。
 それはさておき、1960年代、金曜の夜8時にテレビを点けると、三菱のCMが映った。あのころの、10チャンネル(ここは関西)この時間帯は三菱ダイアモンドアワーといって、プロレスとデズニーランドを交代で放送していた。
 パッとテレビを点けると、ウォルト・デズニーの優しそうな顔が映る、ウォルトおじさんが小山田宗徳の声で「きょうは未来の国から」という。ワッやった。うれしい。アニメで火星開拓を紹介してくれる。幼少のみぎりよりSFが血に流れていた小生は,この番組の「未来の国」が大好きだった。他に「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」なんか。「おとぎの国」はミッキーやドナルドダックのアニメ。「冒険の国」は自然ドキュメンタリーをやっていた。名画「砂漠は生きている」を観たのもこの番組だったと記憶する。
 パッとテレビを点けると、ちゃーんちゃちゃーんちゃちゃちゃという日本テレビのスポーツテーマが流れると、リングが映される。
「ただいま試合を前に三菱電機の掃除機風神でリングを清めております」といって、おじさんがリングを掃除していると、白シャツを着た沖識名が上がってくる。この沖さんのシャツはたいてい暴走した外人レスラーに破られる。破れたシャツを腕に引っ掛けたまま、ワンツースリーと反則のカウントを数えていた。
 試合が始まる。このころのおなじみのレスラーは日本人なら、もちろん力道山、そして豊登、遠藤幸吉、吉村道明、芳の里、グレート東郷、外人ならジェス・オルテガ、フレッド・ブラッシー、パット・オコーナー、ミスター・アトミック、デストロイヤーなどなど。
 力道山以外で印象に残っている日本人レスラーといえば、豊登と吉村道明だな。豊登は怪力がウリでベアーハッグなんかをよく使っていた。そして両手を交差させて脇の下でカポンカポンと鳴らすワザ?をよくやっていた。
 吉村はテクニシャンで、小柄ながらテクニックで大柄な外人レスラーを翻弄してた。しかし非力は否めず、パワーで押され、ギタギタに痛めつけられていた。負けるか、と思った次の瞬間、血みどろになった吉村が相手のバックをとって、そのままロープへ。反動で返ってくるところを、くるりと大柄な外人レスラーをマットの上に畳み込んでフォール。これぞ起死回生の回転エビ固め。これだから吉村のプロレスは面白かった。
 外人ではなんといってもブラッシーとデストロイヤーだ。ブラッシーについてはここで書いた。デストロイヤーは後年はコメディアンになってしまったが、力道山のベストマッチは対デストロイヤー戦だと思う。あのころのデストロイヤーはほんとかっこよかった。
 で、前座も終わると、君が代が流れ、日本プロレスリング協会コミッショナー大野伴睦がリングに上がってくる。さあ、いよいよ力道山の世界タイトルマッチだ。ワクワク。昭和のプロレスが懐かしい。

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